ホーム > 書籍詳細:御巣鷹山と生きる―日航機墜落事故遺族の25年―

9歳の健は初めて飛行機に乗り、山に消えた。私はその悲しみを、力に変えた。

御巣鷹山と生きる―日航機墜落事故遺族の25年―

美谷島邦子/著

1,512円(税込)

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発売日:2010/06/25

読み仮名 オスタカヤマトイキルニッコウキツイラクジコイゾクノニジュウゴネン
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 254ページ
ISBN 978-4-10-325421-8
C-CODE 0095
ジャンル ノンフィクション
定価 1,512円

520人の命を奪った、史上最大の航空機事故から四半世紀。遺族たちは何を思い、どう生きてきたのか。頭にやきついて離れない凄惨な現場、日航との補償交渉、理不尽な事故調査、事故が風化してしまう恐怖……。遺族会である「8・12連絡会」の事務局長が、これまでの歩みを克明に振り返った感涙の記録。

著者プロフィール

美谷島邦子 ミヤジマ・クニコ

1947年生まれ。1985年8月12日に起きた日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故で次男を亡くす。遺族で作る「8・12連絡会」事務局長。精神障害者の支援施設を運営する特定非営利活動法人の理事長、精神保健福祉士、栄養士。◆著書:絵本『いつまでも いっしょだよ』(扶桑社)、詩集『白い鯉のぼり』(花神社)◆編集:『茜雲総集編』(本の泉社)『旅路』(上毛新聞社)。

書評

波 2010年7月号より 一万三千年の悲しみ、そして再生

柳田邦男

この八月十二日で、五百二十人の命を奪った日本航空ジャンボ機墜落事故から二十五年になる。五十年にわたって様々な事故・災害・公害などの取材をしてきた私にとって、その人生のちょうど中間点になる一九八五年(昭和六十年)夏に起きたこの事故は、突出して重い意味を持つ。
現代人が直面する「いのちの危機」を見つめ続けることを天から課せられたライフワークのテーマだと自任している私にとって、この事故は現代の危機の象徴として風化させてはならないという思いが強い。それゆえに、最近は墜落現場である群馬県上野村の御巣鷹山に、毎年八月十二日が来ると、慰霊登山をしている。
しかし、私はしょせん作家に過ぎない。事故の遺族が生きてきた悲しみと過酷な歳月の重さは、私などの想像をはるかに超えたものであろう。その悲しみの巨大さをどうとらえたらよいのか、自問自答するうちに、ある時、はっと気づいた。五百二十人は単なるひと塊の人間ではない。一人ひとり、家族も人生も違う個性を持った人々なのだ。たった一人の死でも、本人はもとより家族にとっても耐え難い大事件だ。そんな重大な事故が同時に五百二十件起きたのだととらえるべきではないか。そうとらえると、苛烈な歳月の総和は、“520人×25年=13000年”ということになる。のべ一万三千年にも及ぶ悲しみの歳月が流れたのだ。これだけの歳月の全体像をどう書いたらよいのか。
その記録に挑んだ遺族がいる。この墜落事故で、九歳だった二男の健ちゃんの命を奪われた美谷島邦子さんだ。御巣鷹山の経験とその意味を風化させずに次の世代につなぎたいと、二十五年目の八月十二日を前に、この一年余、それまで折々に書き綴ってきた文章を、一冊の回想ドキュメントにまとめる作業に精力を注いだ。
美谷島さんは、事故直後に遺族たち有志で立ち上げた「8・12連絡会」の代表と事務局をたゆむことなく続けてきた。「8・12連絡会」は、法律家の支援を受けた訴訟原告団のような権利闘争をする強固な団体ではない。孤立しがちな遺族たちが情報を共有し、会合や会報『おすたか』をとおして互いに心情や近況を吐露して支え合い、折々に空の安全への提言をしていくという、ゆるやかな組織だ。美谷島さんはそうした活動のなかで、遺族たちが背負わされた様々な問題や悲しみを見てきた。一万三千年の悲しみの全体に自分を重ねつつ寄り添う立場にあったと言える。
だから、美谷島さんは回想ドキュメントの第一稿を書き上げると、二十年以上に及ぶ記憶の底から様々な事実が沸々と甦ってきて、原稿の随所に加筆しないでいられなくなり、原稿の中身はどんどん膨らんでいった。とりわけ美谷島さんの背中を押したのは、健ちゃんの声だった。
「ママ、あれもあるよ、これもあるよ」と。
美谷島さんは、いろいろな場面が昨日のことのように湧き上がってくると、涙で筆が止まったという。でも、そのたびに健ちゃんと話をして書き進める日々を過ごした。
美谷島さんが何はさておいても母親として書き残さなければと思ったのは、健ちゃんの最期と九年間の生きた証だったろう。しかし、それだけでは終わらない。悲劇を繰り返してはいけないという思いから、日本航空や行政に対し、遺族ならではの視点で、安全性確立への要請活動を続けたこと、しかしほとんど無視され続けたことなど、社会的な問題についても、命にかかわることとして書かないではいられなかった。
日本航空は、事故後二十年間、遺族と同じテーブルで向き合って、安全問題について意見を述べ合うということをしなかった。法務対策の担当者が補償の交渉をしてまとまれば、遺族との関係は済んだという冷たい姿勢を守り続けた。変化が生じたのは、事故から二十年経った二〇〇五年だった。トラブル続きで利用客の信頼を失い、客離れが深刻なまでに進んだ。当時の新町敏行社長は、第三者機関として外部の専門家による安全アドバイザリーグループを立ち上げ、その提言に沿って組織と意識の大胆な改革に取り組んだ。画期的だったのは、それまで事故を「過去」のものにするために廃棄しようとしていたジャンボ機事故の主な残骸や遺品を展示する「安全啓発センター」を創設し、役員・社員全員が安全こそ企業存立の原点であることを腹の底から学ぶ場にするというコペルニクス的転回を決断したことだった。
このような企業の大転換を導いたのは、遺族たちが残骸の保存を二十年間たゆむことなく訴え続けたことだと言える。その訴えがなければ、残骸は廃棄されていたのだ。その活動の中心をになってきたのが、美谷島さんたちだった。『御巣鷹山と生きる』は、亡き愛するわが子の魂をこの世に顕在化して、その声に懸命に耳を傾ける母親の「心の遍歴」の記録であると同時に、日本航空という大企業が遺族と向き合う組織に劇的に変容するまでの鈍重な歩みを遺族側から見つめてきた「企業変容の歴程」の記録でもある。
「継続は力」と言われるが、喪失と悲しみの中で「8・12連絡会」の活動をぶれることなく持続し、自らも心を成熟させていった美谷島さんの生き方には頭が下がる。心の成熟を反映した穏やかに抑制のきいた文章ゆえに、いのちを大事にする企業と国家を構築するには、「被害者の視点」をしっかりと位置づけることがいかに重要かが、読む者の心に納得感をもってしみこんでくる。

(やなぎだ・くにお ノンフィクション作家)

目次

序章
第1章 健ちゃんのこと
第2章 8・12連絡会
第3章 原因の究明と責任追及
第4章 補償
第5章 人々の絆
第6章 日航
第7章 報道
第8章 安全を求めて
第9章 遺族支援
終章 これから
あとがき
参考文献

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