ホーム > 書籍詳細:玄鳥さりて

武士の刀は殿のためにあるのではない。
命にかえても守りたい者のためにあるのです。

玄鳥さりて

葉室麟/著

1,620円(税込)

本の仕様

発売日:2018/01/22

読み仮名 ゲンチョウサリテ
装幀 手塚雄二/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 250ページ
ISBN 978-4-10-328015-6
C-CODE 0093
ジャンル 文学賞受賞作家
定価 1,620円

富商の娘を娶り、藩の有力派閥の後継者として出世を遂げる三浦圭吾。しかしその陰には遠島を引き受けてまで彼を守ろうとした剣客・樋口六郎兵衛の献身と犠牲があった。時が過ぎ、藩に戻った六郎兵衛は静かな余生を望むが、愚昧な藩主の企てにより二人は敵同士に仕立てられていく――剣が結ぶ男と男の絆を端然と描く傑作時代長編。

どういう本?

タイトロジー
(タイトルの意味)
 すると、昨日、六郎兵衛が夕陽に照り映える紅葉を黙って見つめていた姿を思い出した。六郎兵衛のあの姿は何かに似ている、と思う。
 何であろう、と考えていると、春になるとどこかから舞い込んで軒下に巣をつくる、
 ——燕(つばめ)
 が思い浮かんだ。燕は玄鳥(げんちょう)ともいう。(本書93ページ)

 古来より、燕が巣をかける家は繁栄すると言われる。家の守り神であるこの鳥を、圭吾を守ろうとする藩きっての剣豪・六郎兵衛にたとえたもの。
 ちなみに、「玄鳥去(つばめさる)」は七十二候のうち第45候。9月18日〜22日頃の時季をいう。

著者プロフィール

葉室麟 ハムロ・リン

(1951-2017)1951年、北九州市小倉生まれ。西南学院大学卒業後、地方紙記者などを経て2004年『乾山晩愁』で歴史文学賞を受賞し、作家デビュー。2007年『銀漢の賦』で松本清張賞を、2012年『蜩ノ記』で直木賞を、2016年『鬼神の如く』で司馬遼太郎賞を受賞。2017年には50冊目の著書となる『墨龍賦』を刊行し、質・量ともに充実した作品を世に送り出し続けている。他の著書に『いのちなりけり』『秋月記』『橘花抄』『春風伝』『この君なくば』『津軽双花』『日本人の肖像』など。

書評

追悼特集 葉室麟 遺作『玄鳥さりて』に込めたもの

澤田瞳子高橋敏夫

突然の訃報に誰もが言葉を失った。 人を信じぬく強さ。信念を貫く覚悟。そして限りない優しさ。遺作となった新刊『玄鳥さりて』には作家・葉室麟の素顔までもが色濃く映し出されている――――

「土筆を摘む人 澤田瞳子」

 葉室麟さんはお話好きな方だった。酒を愛し、酔えば酔うほど饒舌になり、活発な意見の応酬を好まれた。相手が年下でも議論の手を休めず、むしろより熱心に弁舌を振るうお姿には、立場や年齢に囚われず人と向き合う誠意がにじんでいた。
 だから私もそれに応じるべく、お会いする約束が出来ると、「あの話をしよう。これについてのご意見をうかがおう」とお話ししたいことを数えて、その日を待った。体調を崩され、京都の仕事場にお越しになる機会が減ってからも、「また会おう」との約束を信じて溜めた話題は幾つになるだろう。
 突然の訃報に駆け付けたご葬儀の席、祭壇にはこれまで刊行された57冊の著作が飾られ、中には出来たばかりの『玄鳥さりて』の束見本も含まれていた。実はこの長編の連載が始まって以来、私は「あの物語は藤沢周平の『玄鳥』を意識なさっているのですか」とお尋ねしたくてならなかった。完結し、書籍化の暁にはぜひと待っていたが、ついにその機は得られぬまま、葉室さんは彼岸の人となってしまわれた。
 私にとって、葉室さんは作家としての先輩であり、人生の師であり、同じ歴史小説界に生きる仲間だった。だが、そう思うことを許して下さった穏やかさは、決して私のみに向けられたものではない。先生と呼ばれることを嫌がった葉室さんは、常に他者を気遣い、その苦しみに寄り添おうとなさった。
「喜ぶ人とともに喜び、泣く人とともに泣きなさい」とは新約聖書・ローマの信徒への手紙の一節だが、私にはこの言葉がまるで葉室さんのためにあるかのように思われる。
 我々後進作家の成長を心の底から喜ぶ一方で、作品はもちろん随想にも目を通し、常に丁寧な意見を下さった。「この人に会っておくといいよ」と様々な方を引き合わせ、よりよい活躍の場を、惜しまず人に与えられた。それでいて決しておごらず、親しい友のようにお付き合い下さりながら、常に「正しく生きる」とは何かという問いを、我々に――そしてご自身に投げかけ続けられた。
 実は私は一度だけ、まったく仕事とは関係のない、個人的な相談をさせていただいたことがある。常に6、7本の連載を抱えてご多忙なお身体だったのだから、親子ほど年の離れた後輩からの「ご意見をうかがいたいことがあるのでお時間をいただけませんか」というメールなぞ、無視してもよかったはずだ。だが葉室さんは打てば響く早さで「三日後の何時に〇〇で」とお返事を下さり、新聞記者時代に培われた洞察力で以って、肉親もかくやと思われるほど親身な助言を下さった。そう、葉室さんは作家である以前に、1人の全き者として、他者とともに泣き、喜ぼうとなさったのだ。
 ところで『蜩ノ記』で直木賞を受賞なさった直後のエッセイで、葉室さんは尊敬する記録文学者・上野英信氏を訪ねた日の光景を綴っておられる。客人をもてなすため、上野氏は近くの土手で土筆を摘み、奥さまはそれを卵とじにして、焼酎とともに供された。
〈若いだけで、いまだ何者でもないわたしをもてなすために土筆を摘んでくださる姿が脳裏に浮かんだ。その時、古めかしくて大仰な言い方だが、「かくありたい」と心の底から思った。土筆はわたしの生きていく指針になった〉
 ああ、そうか。葉室さんはその時の思いを決して忘れず、我々のために「土筆を摘んで」下さっていたのだ。誰にも真摯に向き合い、手を差し伸べんとなさったのも、かく生きようと心に決め、最後までその誓いを守られてのことなのだ。
 人はどれだけの強さがあれば、かくも直向でいられるのだろう。現世の苦しみにのたうち、人の世の醜さを目の当たりにしながらも恨みを抱かず、ただ青き空を仰ぐかの如く生きてゆけるのだろう。
『玄鳥さりて』の作中で、主人公・圭吾は旧知の六郎兵衛を、「どれほど悲運に落ちようとも、ひとを恨まず、自らの生き方を棄てるようなこともなかった。闇の奥底でも輝きを失わないひとだった」と評するが、ならば私にとっての六郎兵衛は――そして上野英信氏は、まさに葉室麟さんその人に他ならない。
 前述のエッセイの末尾は、「上野さんの背を追って生きたかった。だから『土筆の物語』を書いたのだと思う」という文章で締めくくられている。ならば私は今、後輩として、そして年下の仲間として、「葉室さんの背を追って生きたい」という一文で以って、この追悼文を終わりたい。
 葉室さんが生涯に渡って摘み続けた土筆を、我々もまた来たるべき人のために摘もう。それが何より、葉室さんの思いに応えることに違いないと思うからである。

(さわだ・とうこ 作家)

「人の一途な思いが苦境を突破する 高橋敏夫」

 葉室麟の急な訃報に接したのは、本になる前のゲラの状態で『玄鳥さりて』を読みはじめ、三浦圭吾、樋口六郎兵衛ら若き日の登場人物たちが生きいきとうごきだした直後のことだった。
 おどろきはしたものの、しかしそれは、近年あいつぐ歴史時代小説作家の死へのおどろきとはちがっていた。北重人、山本兼一、火坂雅志、宇江佐真理、杉本章子らの悲報は、突然という印象がつよかった。報せとともに、不意打ちにも似た唐突な死にみまわれた作家の呻きがとどく気がした。
 葉室麟の訃報は、わたしにとって突然というわけではなかった。それは、夏に出たエッセイ集『古都再見』(新潮社)で、次の文章を読んでいたからでもある。
「人生の幕が下りる。/近頃、そんなことをよく思う」。葉室麟は、2015年2月に、京都に仕事場を移した。「これまで生きてきて、見るべきものを見ただろうか、という思いに駆られたからだ。/何度か取材で訪れた京都だが、もう一度、じっくり見たくなった。古都の闇には生きる縁となる感銘がひそんでいる気がする。/幕が下りるその前に見ておくべきものは、やはり見たいのだ」。
 死の予感が従来にない生の豊饒をつれてくる、あの「末期の眼」なのか。あるいは、年を経るごとに深まり、いっそうの横溢をもとめる生の感銘が、行く手に死をうかびあがらせたのか。いずれにせよ、死の予感は葉室麟に生のゆきどまりを意識させるのではなく、「見たい」という生の欲望をさらにつよめた。それはそのまま、さらに「書きたい」という強烈な欲求にかさなっていたはずだ。
 人生の幕が下りるのを予感した葉室麟は、ここ数年、新作をほぼ切れ目なく刊行し、とくに2017年に『潮騒はるか』、『大獄 西郷青嵐賦』、『天翔ける』と幕末の動乱を背景とした大作を立てつづけに完成し刊行、あきらかに第2のピーク、充実期をむかえていた。予期した幕が実際に下りてくるのを感じたとき、葉室麟には、見るべきものは見て、書くべきものは書いたという達成感があったにちがいない。
『玄鳥さりて』は、「小説新潮」の2016年7月号から翌年の3月号に連載した作品で、おそらくは死の直前まで手をいれていたであろう武家もの時代小説である。
 ほぼ同時期に書きすすめられた、動乱の時代と格闘する実在の人物を主人公にするスケールの大きな歴史小説とは趣きが異なるとはいえ、いかにも葉室麟らしい、苦境を突破する人の一途な思いをえがく作品になっている。
 九州、四万石の蓮乗寺藩の書院番、三浦圭吾は、10年前島流しとなった樋口六郎兵衛が帰国すると聞いた。少年時代の圭吾は、道場で一番の使い手で、8歳年上の六郎兵衛の稽古相手になることが多かった。なぜだかわからぬものの、六郎兵衛の好意と温かな眼差しを感じていた。道場での席次を争うまでに成長した圭吾は、月見の夜、六郎兵衛が不意に「吾が背子と二人し居れば山高み 里には月は照らずともよし」と詠じるのを聞く。
 豪商の娘、美津を妻にした圭吾は、藩中の派閥争いで今村派に属し出世していくが、寡黙で陰気な六郎兵衛は対立する沼田派にくみこまれた結果、遠島に処せられた。
 10年の後、帰国した六郎兵衛を待っていたのは、暗愚な主君がくわわり激しさをます権力闘争と、しだいに権勢欲にとらわれてゆく圭吾だった。
 そんな圭吾をあくまでも守ろうとする六郎兵衛には、心をよせた者を守れなかった過去があった。停滞に停滞をかさねる物語は、やがて驚愕のラストへとうごきだす――。
『蜩ノ記』があきらかに藤沢周平の『蝉しぐれ』をふまえていたように、『玄鳥さりて』は同じく藤沢周平の短篇で友情の終わりをえがいた「玄鳥」と、権力者のたどりつく空虚をとらえた長篇『風の果て』をふまえている。
 葉室麟は、みずからの充実期をたしかめるように、藤沢周平へのオマージュと乗り越えをくりかえしたことになる。人の一途な思いが、友情の終わりを認めず、武士を捨てさせることで空虚からの解放をついに実現させたこの『玄鳥さりて』は、死を予感し第2の充実期をむかえた葉室麟にとって、ぜひとも書きたい、書かねばならぬ作品だったにちがいない。

(たかはし・としお 文芸評論家・早稲田大学教授)
波 2018年2月号より
単行本刊行時掲載

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