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読書の興奮を希求する紳士淑女の皆様へ。心配ご無用。東山彰良は裏切らない!

  • 受賞第11回 中央公論文芸賞

罪の終わり

東山彰良/著

1,620円(税込)

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発売日:2016/05/20

読み仮名 ツミノオワリ
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 282ページ
ISBN 978-4-10-334652-4
C-CODE 0093
ジャンル 文学賞受賞作家
定価 1,620円
電子書籍 価格 1,296円
電子書籍 配信開始日 2016/11/04

小惑星衝突後の世界。恐怖や暴力が蔓延し、他人を信じることも難しい。罪だけ増え続けていた。そこに彼は降り立つ。価値観を破壊し、悩める者を救済する。数々の奇跡、圧倒的な力。誰もが知りたがった。後世、神とよばれた男の人生は、どんなものだったのか――。『流』から一年。進化し続ける著者が放つ、世界レベルの最新長編。

著者プロフィール

東山彰良 ヒガシヤマ・アキラ

1968年台湾生まれ。5歳まで台北で過ごし、9歳の時に日本に移る。福岡県在住。2002年「タード・オン・ザ・ラン」で第1回「このミステリーがすごい!」大賞銀賞・読者賞を受賞。翌年、同作を改題した『逃亡作法 TURD ON THE RUN』で作家デビュー。2009年『路傍』で第11回大藪春彦賞受賞。2013年に刊行した『ブラックライダー』が「このミステリーがすごい!2014」第3位、第5回「AXNミステリー 闘うベストテン2013」第1位となる。2015年『流』で第153回直木三十五賞を受賞。

書評

救世主はなぜ求められるのか

大森望

 直木賞を受賞し、一大センセーションを巻き起こした青春小説『流』の出版から一年。東山彰良の待望の書き下ろし新作長編『罪の終わり』が刊行された。著者インタビューでも語られているとおり、本書は、文明崩壊後の世界を描く超弩級の大傑作『ブラックライダー』(新潮文庫)の前日譚。『罪の終わり』は、それよりも百年ほど前、西暦二一七三年に起きた大災害の前後数年間が背景になる。
 物語はまったく独立しているというか、そもそも『ブラックライダー』より前の話なので、前作を未読でもなんの問題もない。むしろ、本書から先に読んだ方が、このシリーズの終末世界に入って行きやすいかもしれない。
 あらためて紹介すると、本書の主役は、『ブラックライダー』の中で伝説の黒騎士として語られていた神話的な人物、ナサニエル・ヘイレン。『罪の終わり』は、ナサニエルの没後十数年を経た二一九〇年代に出版された伝記的ノンフィクションという、枠物語の体裁をとる。
 著者の“わたし”ことネイサン・バラードは、台湾人の父とラオス人の母の間に生まれ、ニュージャージー州の養父母のもとで育った米国人。六・一六後に勢力をのばした白聖書派教会の“スカウトマン”(暗殺の標的を探し出して、殺し屋である“白騎士”に伝える)として、ナサニエルを追う立場だったネイサンは、彼の死に関わったのち、残されたさまざまな記録と関係者の証言をもとにナサニエルの生い立ちを調べ、その少年時代から語り起こし、破滅後の世界で、彼がいかにして“食人の神”とも言われる新たな救世主となったかを解き明かしてゆく。
 ……などと説明するとなんだかややこしい話のようだが、導入はみずみずしい少年小説。十五歳のナサニエルが、湖の近くで拾ったバイクをなんとか甦らせようとして、中古エンジンをもらうため、片道八十キロの道のりをはるばる自転車(荷車つき)で旅するエピソードから、物語の世界にぐいぐい引き込まれる。
 これは二一六八年の出来事なので、人工眼球を装着することで脳の潜在能力を引き出すVB手術とか、ネット経由でライフログを共有できるスピークアップとか、未来的なガジェットはいくつか導入されているものの、基本的には現代の延長上にある。
 だが、二一七三年六月十六日、ナイチンゲール小惑星が地球に衝突し、世界は一変する。この大災害によって、巻き上げられた粉塵が太陽光をさえぎり、地球全体が急速に寒冷化し、世界人口は激減。現代文明はもろくも崩壊する。
 北米大陸では、東部政府が統治する一画がかろうじて秩序を維持していたものの、その外側では、生きるために人が人を喰う、この世の地獄が到来した。
 ある罪を犯してシンシン刑務所に収容されていたナサニエル・ヘイレンは、食人の罪が広がる荒野を旅しながら、やがて、破滅後の世界に降臨した新時代のキリストとして神格化されてゆくことになる。
 最愛の妻を失った語り手のネイサンは、ナサニエルの足跡をたどる過程で、「神々は人間の涙から生まれたのである。人間は、自分たちの慰めに神話を創った」(イヴ・ボンヌフォワ編『世界神話大事典』)という言葉を引きつつ、救世主誕生の必然性を分析する。つまり本書は、神話がなぜ必要なのかを解き明かすと同時に、困難な時代にあってこそ物語が求められることを、二十二世紀のアメリカ大陸に託して書いた小説だとも言える。
 といっても、べつだんしかつめらしい小説ではない。旧世界で二十七人を殺害して食べた食人鬼にして、男性と女性の人格を併せ持つ怪人ダニー・レヴンワースはじめ、脇役陣もそれぞれ強烈で、飽きさせない。最後に場をさらうのは、まるで神の御使いのような活躍を見せる三本足のシェパード、カールハインツ。犬好きなら感涙必至の名場面が用意されているのでお見逃しなく。そして、本書を気に入った人は、(もしまだだったら)『ブラックライダー』をぜひ手にとってください。

(おおもり・のぞみ 書評家)
波 2016年6月号より

目次

序文
1 ピア・ヘイレン
2 一四年型ロイヤル・エンフィールド
3 ニムロッド・ロンク
4 モンド・ソーラ
5 ウッドロウ・ヘイレン
6 ダニー・レヴンワース
II
7 白聖書派
8 図書館にて
9 マサチューセッツ
10 廃墟の町
11 バラック小屋のインタヴュー
12 白騎士
13 ナサニエルの階段
14 湖上を歩く(あるいは自己正当化のメカニズムに関する考察)
15 ユダの接吻
16 エピローグ
謝辞

インタビュー/対談/エッセイ

“相対化”を求めて、ノンフィクション形式(スタイル)を

東山彰良大森望

直木賞受賞後初の書き下ろし長編として『罪の終わり』を刊行する東山彰良さん。『ブラックライダー』の前日譚でもある今作は、『流』で初めて東山さんの作品に触れた方にも間違いなく楽しめるエンターテインメント小説です。大森望氏がお話を伺いました。
聞き手:大森 望(書評家)

『流』の台湾版刊行

――『流』の直木賞受賞で生活はずいぶん変わりました?
東山 そうですね。この半年間、地元のテレビやラジオに出させてもらってたので、福岡の街を歩くと、おばちゃんが名前も知らずに声かけてくれたり。「知っとうよ。あんた」みたいな(笑)。それはそれでありがたいんですけど。
『流』は六月一日に台湾版が出ます。もう翻訳は終わってて、原稿を読んだ父と母から、いい訳だとお墨つきをもらいました。複数の翻訳者に第一章を試訳してもらって、うちの親が原稿を読んで、いちばんいい人を選んだ。台湾の編集者も日本語版と細かく突き合わせて、僕が書き間違えてるところも指摘してくれたり。刊行が楽しみです。

ノンフィクション形式の理由

――『罪の終わり』は、二〇一三年に出た大作『ブラックライダー』の前日譚ですね。去年の五月にお話を伺ったとき、初稿はもうできてると聞いて、ずっと楽しみにしていました。
東山 書き上げてからしばらく時間を置いて見直して、じっくり推敲を進めて。ようやく形になりました。
――前作に伝説の黒騎士として名前だけ出てくるナサニエル・ヘイレンが今回の主役ですが、この構想は前から?
東山 いや、『ブラックライダー』を書き終えてから考えました。「ヨハネの黙示録」の四騎士を下敷きにしているので、あの終末世界で、黒騎士(ブラックライダー)以外の三人の騎士の物語も書けないかとずっと考えて、今回は、白騎士(ホワイトライダー)を出しました。
――破滅後の世界で台頭した“白聖書派教会”が差し向ける暗殺者の異名が“白騎士”で。
東山 ナサニエル・ヘイレンが彼らを次々に返り討ちにしていくから、白の反対で黒騎士と呼ばれるようになった、と。あと、赤と青がいるんですけど……どうなるでしょうね。もしかしたらアメリカ大陸以外が舞台になるかも。
――今回は枠物語の構造ですね。語り手として、残された記録や関係者の証言をもとにヘイレンの生涯をたどる本を書いている“わたし”ことネイサン・バラードが登場します。
東山 最初からノンフィクション形式(スタイル)にしようと思っていました。少し前に読んだジョン・クラカワーの『荒野へ』から影響を受けた気もしますね。
――ショーン・ペンが撮った映画『イントゥ・ザ・ワイルド』の原作ですね。アラスカの荒野で死んだ青年の足跡をたどるノンフィクション。
東山 ガルシア=マルケスの『予告された殺人の記録』もやはりジャーナリスティックなスタイルで、そういう書き方をしてみたいと。『罪の終わり』は、妻を失ったネイサンという著者が、自分を救う意味でもこの本の執筆にとりかかり、関係者に話を聞きながら完成させたという体裁です。『ブラックライダー』よりも百年ぐらい前、二二世紀後半が背景ですが、まだ文明が栄えている時点から始まって、小惑星衝突という大災厄が起きて世界が一変し、その数年後ぐらいまでの話ですね。母を殺したひとりの少年が大災害を経て荒野を旅するうち、人々の信仰の対象になっていくまでを書きました。『ブラックライダー』とちょこちょこ関連付けてはいるんですけど、わかる人にわかればいいという程度で。
――むしろ『罪の終わり』から読むほうが入りやすいかもしれませんね。前半は、現代と地続きの二二世紀だからなじみやすいし、少年小説の魅力もある。しかも格段に短い。
東山 前のときと同じで、物語が勝手に終わるまでは書いてやろうと思って。ちょうどいい感じで終わったと思います。

なぜ終末ものなのか

――文明を崩壊させた六・一六の大災厄については、今回はじめてその全貌が明らかになります。小惑星衝突。
東山 想像力があれば、もっとすごい方法を思いついたんでしょうけど。意外とオーソドックスな(笑)。『ブラックライダー』で書きたかったのは世界が滅んだあとだったんで、文明崩壊の具体的な経緯はほとんど触れなかったんですが、今回はそうもいかないからがんばって書きました。読者が「そりゃないだろう」と思わなきゃいいなと。
――可能性としてはじゅうぶんありうることですからね。いまだと、核戦争よりリアルかもしれない。アメリカではこの十数年、ものすごい勢いで終末ものが流行してますが。
東山 何なんでしょうね、この魅力は。僕も無条件でとらわれちゃう。好きなのは、やっぱりコーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』。それに『マッドマックス』。『北斗の拳』は僕が中学生ぐらいのときに連載が始まって、ブルース・リー×『マッドマックス』みたいなイメージをみんな持ったと思うんですけど、僕も夢中になって読んだ。
 僕の本ではさすがにカーチェイスはさせてませんが、『マッドマックス』のああいう荒野とか、マッカーシーの小説の空気感に惹かれますね。そのせいか、主人公を平面移動させるのが好きなんです。ある問題を解決するにあたって、精神を垂直に掘り下げていく方法もあるでしょうが、僕の場合は、移動の過程でそれを描きたい。
 マッカーシーの『すべての美しい馬』も、自動車文化に背を向け、まだ馬にこだわって生きるんだという二人の若者が、リオ・グランデを渡ってメキシコに行く話で。要は、世の中の大きな流れはもう動かせない、自分たちが移動していくしかないという図式が好きなんです。『罪の終わり』も、大きい世界の状況は変えられない。自分自身の罪も変えられないんだけど、移動するつれづれに、彼にどういう変化が起こるか――というお話かもしれません。
 小説は、現状をとことん肯定していくものと、現状を否定するものと、二種類に分けられるんじゃないかと。僕の考えだと、太宰の『人間失格』は、自分を肯定していく小説なんですよ。ぶっ壊れても気がふれても肯定する――肯定しないまでも、そこから脱しきれずにいる。主人公は、一応、一歩引いて、自分はこういうふうにして狂った、みたいに見てるんだけど、生まれもった性質や性格から自分を否定したくてもできない人がそういう小説を読むと、癒される気がするんです。自分のかわりに破滅してくれる人を見られるから。
 でも、ジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』なんかは、自分をとことん否定していく小説だと思います。否定するからこそアメリカ大陸を爆走して、主人公は作家になる。大陸的な小説は、そういうふうに自分の中の嫌いな自分を否定して、旅の経験から新しい自分をつかみとる、空間的にも精神的にも過去の自分を捨ててくるという図式があるんじゃないか。で、僕が好きなのは後者なんです。
『荒野へ』の主人公も、いい大学を出たのに、車を捨て、お金も燃やして、自然の中で生きることを選び、最後はキノコにあたって死ぬんですが、そういう精神の向かい方――そのまま生きていくこともできるのに、それを否定して、新しい冒険に出る、そういう図式が好きなんでしょうね。

越境文学の普遍性

――今の日本の風潮としては、『オン・ザ・ロード』にしろ、『荒野へ』にしろ、むしろ中二病的なイメージで受けとられて、いい加減にしろと言われがちな気がしますが。
東山 そうなんですよ(笑)。その中二病的な発想が大好きなんです。『荒野へ』は、本の中でもいろんな人のインタビューがあって、彼を否定する投書みたいなのも著者はいっぱい受け取るんですが、でもね、いいんですよ。世間の人たちはいろいろ言うんでしょうけど、しょうがない、そういうふうに生まれついたんだから。
 やっぱりこういう本は、最後に、物語自体を客観視するというか、相対化する視点があるほうが、僕は好きなんですよ。『罪の終わり』で、インタビュー形式を採用すると、それができると思ったんですよね。主人公にどっぷり感情移入する書き方ではなくて、第三者の目から書いていく。最後に彼は死ぬし、心を通わせる女性とも出会ったんだけれど、でも、それは本当に過去の一瞬のことで、全体としてはこうなんだって総括する視点。自分を相対化し、物語を相対化していく視点がある小説が僕は好きですね。そうじゃないと、もしかしたら本当に中二病的な小説になってしまうんじゃないかとすら思いますね。
 僕自身、台湾で生まれて、ほんの短い距離ですが、福岡に移動してきて。それで最近、台湾で生まれて日本で小説を書くとはどういうことなのか、越境文学をどう思うかとよく聞かれるんですけど、いままで考えたことがなかった。ふだんの思考はぜんぶ日本語だし、『流』に関しても、台湾のことをよく知っている日本人が書いた感覚です。越境して書いた感覚はまったくなかった。ただ、少し前に〈すばる〉でリービ英雄さんと対談して、ああ、越境文学ってこういうことなのかと思いました。彼は英語を母国語として日本で暮らしつつ、最新刊の『模範郷』は彼が子ども時代を過ごした台湾のことを書いてるんです。自分が育った、すごく思い入れのある町なんだけど、でも決して受け入れてもらえない。そこに自分の家が確かにあったのに、お父さんもお母さんも西洋人だから、やっぱり自分は台湾人ではない。そういう自分がかつて住んだ家を訪ねていくという。この本にも、最後にやっぱり、それを相対化する視点があるんですよね。
 越境文学というか、平面移動をするような小説で、最後にそういう相対化の視点を持ったとき初めて、自分のコンプレックスとか葛藤とか喪失感に、ある程度の普遍性を持たせられるんじゃないか。そうじゃないと、駄々をこねて終わってるような感じがしてしまう。その意味でも『罪の終わり』をこういうノンフィクションの形で書いたのは正しかったんじゃないかなと思ってます。

(ひがしやま・あきら 作家)
波 2016年6月号より

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