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日本仏教はなぜ「悟れない」のか――? 大型新人鮮烈デビュー作!!

仏教思想のゼロポイント―「悟り」とは何か―

魚川祐司/著

1,728円(税込)

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発売日:2015/04/24

読み仮名 ブッキョウシソウノゼロポイントサトリトハナニカ
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 238ページ
ISBN 978-4-10-339171-5
C-CODE 0015
ジャンル 宗教
定価 1,728円
電子書籍 価格 1,382円
電子書籍 配信開始日 2015/10/16

ブッダの直弟子たちは次々と「悟り」に到達したのに、どうして現代日本の仏教徒は真剣に修行しても「悟れない」のか。そもそも、ブッダの言う「解脱・涅槃」とは何か。なぜブッダは「悟った」後もこの世で生き続けたのか。仏教の始点にして最大の難問である「悟り」の謎を解明し、日本人の仏教観を書き換える決定的論考。

著者プロフィール

魚川祐司 ウオカワ・ユウジ

1979年、千葉県生まれ'。東京大学大学院博士課程を満期退学後、ミャンマーで仏教を学ぶ。著書に、『仏教思想のゼロポイント』、『だから仏教は面白い!』。共著に、『悟らなくたって、いいじゃないか』。

書評

波 2015年5月号より 日本仏教界を揺るがす大事件

佐々木閑

ブッダの教えを分かりやすく解説する本である。このように言うと「ああ、そうですか。よくある類の仏教書ですね」と言われそうだが、実はそんな呑気に構えていられる話ではないのである。
本屋の仏教書コーナーに行けば、立派なタイトルの本がずらりと並んでいて、こういったものを手当たり次第に読めば、ブッダの教えなど苦もなく理解できるような気になってくる。しかしそれは大いなる錯覚である。実は、ブッダの教えを「本当に正しく解説している本」などほとんどないのである。それにはちゃんとした理由がある。
ご存じの方も多いと思うが、仏教は二五〇〇年の歴史の中で大きく変容し、本来のブッダの教えとは似ても似つかない新たな仏教運動として大乗仏教が起こってきた。その教義はブッダの教えとは全く違っている。それが中国で流行し、そのまま日本に入ってきて、そのため日本は完全な大乗仏教国となった。つまり日本の僧侶は皆、大乗仏教徒なのである。
「仏教といえば大乗仏教」という状態が江戸時代まで続いた。ブッダの本来の教えは「小乗仏教」と蔑まれ、誰も相手にしなかった。明治になり、日本人の世界観が急激に晴れ上がって、スリランカや東南アジア諸国には大乗仏教とは別の、しかも大乗仏教よりも古い、本来の仏教が伝わっていることが初めて理解され、それこそが今まで蔑んできた小乗仏教そのものだということも分かった。
しかしだからといって、大乗仏教を捨ててブッダの教えに鞍替えしよう、などという動きは起こらなかった。既得権の問題とか、長年の刷り込みとか、いろいろ要因はあるが、ともかく、「小乗仏教の方が古いと言っても、教えとしては大乗の方が優れている」という論理が腰を下ろし、日本における大乗優位はいささかも揺るがなかったのである。
もちろん、こういった状況を好ましく思わず、おおもとのブッダの教えを日本にも広めたいと願う人たちもいた。特に、仏教を学問的に研究する仏教学者の中からそういった人がポツポツ現れるようになった。例えば友松円諦、増谷文雄、中村元といった人たちである。
しかし、こういった人たちも、「大乗仏教あってのブッダの教え」という姿勢からは抜けきれなかった。「ブッダの教えはそれ自体、一個の完結した独自の体系である。それに対して大乗仏教は、ブッダとは関係のない別個の宗教だ」というところまでは突き抜けることができなかったのである。
このような状況は、20世紀の終わり頃まで続いた。そして近年、スリランカやミャンマーから、現地の仏教を直説伝える人たちが来日するようになり、ようやくブッダの教えを丸ごと生で知る機会も増えてきた。この段階でブッダの教えは、「ほぼ」正しく日本に入った、ということが言える。しかしこういった人たちは、「日本にブッダの教えを広め、独自の教団を確立したい」という教主的側面を持っているため、自己主張による敵対者の排除という態度が前面に出る。それが完全な客観性を損ない、時として感情的議論を誘発する。だからあくまで「ほぼ」なのである。
これが、魚川氏の本が出版されるまでの状況である。そして2015年になって、この『仏教思想のゼロポイント』が、「ブッダの教えを遺漏なく、冷静かつ客観的に、分かりやすい言葉で解説した本」として登場したというわけである。つまりこの本は、現在の日本における仏教解説書のトップランナーなのである。だから「よくある類の仏教書」などという大間違いの先入観を持ってもらっては困る。私がこの本の紹介を引き受けたのも、この本の出版がいかに重大な意味を持つ事件であるかをなんとかお伝えしたいという一心からである。
私は著者の魚川氏と、タイの山奥にあるお寺でじっくり三日ほど話し込んだことがある。その時、「ああこの人はブッダの教えを身体で感じ取っている。頼りになる仏教者だ」と感じた。私が長年の文献研究によって探り当てた仏教の本質とピタリと一致する視点を持っている人だと思った。私にとっては実に心強い同朋である。
その魚川氏の見事なデビュー作。日本仏教に馴染んだ人にとっては驚きの連続であろう。甘っちょろい気休めの道徳話など木っ端みじんである。本来の仏教が、どれほど獰猛な知の産物であるかをたっぷり味わっていただきたい。
ここではあえて本の中身には触れなかった。読み始めれば引き込まれるに決まっているのであるから、余計なおせっかいは不要である。現在望み得る最高の解説者による、最先端の仏教書、どうぞお読み下さい。

(ささき・しずか 仏教学者)

目次

はじめに
前提と凡例
第一章 絶対にごまかしてはいけないこと――仏教の「方向」
仏教は「正しく生きる道」?/田を耕すバーラドヴァージャ/労働(production)の否定/マーガンディヤの娘/生殖(reproduction)の否定/流れに逆らうもの/在家者に対する教えの性質/絶対にごまかしてはならないこと/本書の立場と目的/次章への移行
第二章 仏教の基本構造――縁起と四諦
「転迷開悟」の一つの意味/有漏と無漏/盲目的な癖を止めるのが「悟り」/縁りて起こること/基本的な筋道/苦と無常/無我/仮面の隷属/惑業苦/四諦/仏説の魅力/次章への移行
第三章 「脱善悪」の倫理――仏教における善と悪
瞑想で人格はよくならない?/善も悪も捨て去ること/瞑想は役には立たない/十善と十悪/善因楽果、悪因苦果/素朴な功利主義/有漏善と無漏善/社会と対立しないための「律」/「脱善悪」の倫理/次章への移行
第四章 「ある」とも「ない」とも言わないままに――「無我」と輪廻
「無我」とは言うけれど/「無我」の「我」は「常一主宰」/断見でもなく、常見でもなく/ブッダの「無記」/「厳格な無我」でも「非我」でもない/無常の経験我は否定されない/無我だからこそ輪廻する/「何」が輪廻するのか/現象の継起が輪廻である/文献的にも輪廻は説かれた/輪廻は仏教思想の癌ではない/「無我」と「自由」/次章への移行
第五章 「世界」の終わり――現法涅槃とそこへの道
我執が形而上学的な認識に繋がる?/「世界」とは何か/五蘊・十二処・十八界/「世界」の終わりが苦の終わり/執著による苦と「世界」の形成/戯論寂滅/我が「世界」像の焦点になる/なぜ「無記」だったのか/厭離し離貪して解脱する/気づき(sati)の実践/現法涅槃/次章への移行
第六章 仏教思想のゼロポイント――解脱・涅槃とは何か
涅槃とは決定的なもの/至道は無難ではない/智慧は思考の結果ではない/直覚知/不生が涅槃である/世間と涅槃は違うもの/寂滅為楽/仏教のリアル/「現に証せられるもの」/仏教思想のゼロポイント/次章への移行
第七章 智慧と慈悲――なぜ死ななかったのか
聖人は不仁/慈悲と優しさ/梵天勧請/意味と無意味/「遊び」/利他行は選択するもの/多様性を生み出したもの/仏教の本質/次章への移行
第八章 「本来性」と「現実性」の狭間で――その後の話
一つの参考意見/「大乗」の奇妙さ/「本来性」と「現実性」/何が「本来性」か/中国禅の場合/ミャンマー仏教とタイ仏教/「仏教を生きる」ということ
おわりに
あとがき

索引

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