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球道恋々

木内昇/著

2,310円(税込)

発売日:2017/05/31

  • 書籍

期待もない、波乱もない俺の人生に野球があって良かった――。

明治39年春。昔は控え選手、今は小さな業界紙の編集長を務める銀平は突如、母校・一高野球部コーチにと請われた。中年にして野球熱が再燃し、周囲の嘲笑をよそに草野球ティームへ入団。そこへ降ってきた大新聞の野球害毒論運動に銀平は作家の押川らと共に憤然と立ち上がる。明治野球の熱狂と人生の喜びを軽やかに綴る痛快長篇。

目次
第一章 向陵健児意気高し
第二章 我が行く方は潮ぞ高き
第三章 旧き都に攻め入りて
第四章 世の人皆は迷うとも
第五章 剣と筆をとり持ちて
第六章 聞かずや空の球の音

書誌情報

読み仮名 キュウドウレンレン
装幀 伊野孝行/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 544ページ
ISBN 978-4-10-350955-4
C-CODE 0093
ジャンル 文学賞受賞作家
定価 2,310円

書評

読みごたえ抜群の直球小説!

北上次郎

 押川春浪がいい!
 明治末期、「海底軍艦」シリーズで一時代をなした冒険小説作家である。ちなみに、その武侠小説六部作のうち、第一部『海底軍艦』、第三部『新造軍艦』、第六部『東洋武侠団』はいま読んでも面白い。その押川春浪が本書『球道恋々』のもう一人の主役なのである。
 押川春浪がスポーツを楽しむ私的団体「天狗倶楽部」を結成したことは有名だが(横田順彌『〔天狗倶楽部〕快傑伝』によると、世界武者修行に出掛けた柔道家、あの前田光世の名前も天狗倶楽部の名簿に載っているという)、ここでは野球を愛する押川春浪の魅力が全開である。たとえば、春浪が羽田に開設した公開運動競技場での試合で平凡なゴロをトンネルし、投げると暴投の大活躍(?)。
「俺はなんのために早起きして羽田くんだりまで行ったんだ。工場準備で忙しいってのに」と代打で一度出場しただけの岩野泡鳴がくだを巻くと(泡鳴も「天狗倶楽部」のメンバーだ。ここに出てくる工場準備とは、北の地で計画中の缶詰工場のこと。この男が事業家であったことは知られている)、「ろくに球も放れない奴を出せるかっ」と、まともな守備ひとつできなかった自分を棚にあげて言うからおかしい。天狗倶楽部を主宰するくらいだから野球が巧いのかと思ったら、そうではなく、むしろ下手な部類というのが傑作だ。
 もう一人の主役、と先に書いたが、真の主役は宮本銀平。現役時代は一高の控え選手で、卒業してから十年以上も野球から遠ざかっている。明治三十九年のいまは全日本文具新聞に勤務。この銀平が、一高対三高の試合を、第一高等学校敷地内の野球場に観にいくのが本書の幕開けである。その冒頭近くに、次の一文がある。
「天下一に君臨していた一高野球部が、ここ二年ほど低迷している、という噂は方々から聞こえてきていたのだ。それでも、ひ弱な私学野球に大敗を喫するとは、一高野球部草創期を知る銀平にはにわかに信じがたいことであった」
 一高というのは、東京帝国大学の予科であるから、現在の東京六大学野球における東大を考えると、おやおやっと思ってしまう箇所だが、学生野球をリードしていた時期があったのである。大和球士『真説日本野球史 明治篇』によると、明治二十四年、一高対連合軍(明治学院、駒場農学校、慶応、学習院など)の試合が行われ、10対4で勝って「一高時代」が幕開けしたという。さらに明治二十九年には日本野球史上初の国際試合(一高対横浜アマチュアクラブ)が行われ、29対4で勝利。その一高の黄金時代が終わり、対外試合に勝てなくなったころから本書は始まっていく。
 早稲田は米国人をコーチに招聘したり、さらに米国に留学したりして、めきめきと力をつけてくる。またそうなると、戦い方も変わってくる。その野球の近代化に一高も取りかからなければならなくなるのだ。こうして銀平は後輩たちのためにコーチを頼まれ、苦難の時代を一高生徒たちと生きることになる。
 この宮本銀平は架空の人物だが、あとの登場人物は押川春浪を始め、すべて実在の人物である。その中では33歳の若さで死去する守山恒太郎が忘れがたい。
 本書の後半では、朝日新聞(新渡戸稲造)の野球害毒キャンペーンとの戦いが描かれるが、この騒動の裏側を描いた横田順彌『熱血児 押川春浪 野球害毒論と新渡戸稲造』をぜひ読んでいただきたい。押川春浪は獅子奮迅の活躍をみせるものの、人のいい快男児が結果的に振り回されたことは哀しい。もともと蒲柳の質とはいえ、博文館を退社したこと、38歳の若さで亡くなったこと、その遠因にこの騒動があったことは想像に難くない。
 だから読み終えると、みんなが幸せだった頃、銀平の幼い娘塁が羽田から一人で電車に乗って帰り、「目を大きく見開いて、桜貝みたような歯を見せて笑った」姿が残り続ける。こういう点景が、木内昇はうまい。明治の日本野球を描いた、ド真ん中の野球小説だが、読みごたえ抜群の書である。

(きたがみ・じろう 評論家)
波 2017年6月号より
単行本刊行時掲載

インタビュー/対談/エッセイ

一番楽しかったのは私です

木内昇

――明治39年から高校野球大会が始まる大正4年までの日本球史に残る最も熱い時代を描いた『球道恋々』がついに刊行となります。500頁を超える堂々たる長篇。お疲れ様でした。

 ありがとうございます。でも申し訳ないんですが、私自身は書くのが楽しくて楽しくて、これといって苦労した点が思い当らず……。小さい頃から野球が大好きで、いつか小説に書きたいと思っていました。それが存分にできて「誰も読まなくても私は楽しいぞ!」という感じでした。なんだか、すみません。

――明治時代の野球にスポットを当てたきっかけは何だったのでしょう?

 資料を探していて明治44年の「野球害毒論」にぶつかったのがきっかけです。朝日新聞が「野球は若者に悪影響を及ぼす」という大々的なキャンペーンを行って大論争に発展したもので、支持派の論客に新渡戸稲造が登場するわ、ライバルの讀賣新聞は反対派の大演説会を開くわ、野球を巡ってこんな騒動があったのかと驚いたんですね。
 そこから野球史を遡っていくと、学生野球の人気と熱気がものすごかったこと、その頂点にあるのが一高と三高の対抗戦だったことが分かってきた。試合経過や観戦記も残されていて読むほどに面白い。明治の人々はなぜ野球というスポーツにこれほどのめりこんだのか。よし、それを書こうと決めました。

――主人公の宮本銀平は一高野球部黄金時代の部員だったものの補欠のまま卒業し、家庭の事情で帝大にも進めず、今は文房具業界紙の編輯長。ところが突如、弱体化した一高野球部のコーチにと請われ、悪戦苦闘しながらチームを指導していく、悩める男です。

 挫折を抱える人間はいろいろな人の気持ちがわかるし、物語自体の視界も広くなる。そう考えて万年補欠という設定の銀平を登場させました。インテリ学生とも落語に出て来る江戸っ子みたいなご近所の面々ともフラットに付き合える視線の持ち主でもあります。

――銀平とその近しい人々は木内さんの創作ですが、その他はすべて実在の人物ですね。銀平が接する一高生およびOBのキャラの濃さには圧倒されました。

 投球練習のしすぎで曲がったままになった腕を桜の木の枝にぶら下がる荒療治で治した守山恒太郎とか、鉄壁の守備を誇って日露戦争由来の「老鉄山」というあだ名を奉られた中野武二とか、現代から見ると本当に劇画的ですよね。もちろん私の創作も加わってはいますが、人物像やエピソードは基本、伝えられている通りに書いているんですよ。

――一高三高対抗戦の巌流島の決闘かと思うような緊迫感。あれも史実ですか。

 もともと一高には西洋化する世の流れに反発する気風があり、野球部の面々もその影響で舶来のスポーツである野球をあえて武士道に当てはめて解釈していたんです。バントなどは卑怯であるとして、一高は徹底的に嫌っていました。
 その一方で応援時にはグラウンドを竹竿で叩きまくって砂埃を立て、敵の守備を妨害する手法が推奨されていたりして「あなた方の言う卑怯とは?」と思わざるを得ないんですが(笑)、その矛盾に満ちた姿勢にもどこか当時の学生の生真面目さを感じて、資料を読むのが楽しかったですよ。

――後輩の指導を通じて野球愛を再燃させた銀平は、後半、野球愛好家の冒険作家・押川春浪と出会い、彼の野球チーム「天狗倶楽部」に選手として参加。そして仲間とともに野球害毒論争へ立ち向かっていきます。

 春浪は害毒論反対派の先頭に立った人物です。スポーツ全般を愛した快男児で熱狂的な野球好きでしたが、意外なことにプレーは上手くなかった。この「好きなのに上手くない」が『球道恋々』のポイントと言えるかもしれません。
 実利を得られるわけでも上手にできるわけでもないのに、好きで好きでたまらないことってありますよね。それを無駄だと切り捨てるのが大人の分別だとも言いますが、そうやって自分を偽るのは人生の輝きを自分の手で消すことに他ならないのではないかと思うんです。
 春浪は害毒論争のために会社を辞める破目になり、私生活では愛息を二人続けて亡くし、当人も病に倒れますが、それでも彼は野球を愛し続けた。
 銀平も同様に、周囲から何と言われようとも野球が好きだという気持ちをごまかしません。害毒論への反論を述べる時も正直すぎるほど率直に自らの考えを語る。自分に嘘をつかず、起きたことをありのままに受け止める銀平は、実はとても強い人間なんです。私自身、彼のように生きたいと願っています。

――作中でも、妻の明喜や守山は彼のシンプルな強さに気付いている。でも銀平自身はまったく自覚していない。そこがいいところですね。

 同感です。我ながらマイナー志向だと思いますが、私には〈主人公になれない人の人生〉を取り上げたいという気持ちがあります。市井の中にいて決して脚光を浴びたりはしないけれど、実はすごい人――銀平や『櫛挽道守』の登瀬のような人物を。それは社会の下から見る時代が本当の時代だと考えているからなんですね。
 野球の小説というと、チームの絆、根性、涙といったお決まりの切り口で語られがちですが、『球道恋々』ではその類型から離れた野球の魅力を伝えられたかなと思っています。

(きうち・のぼり 作家)
波 2017年6月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

木内昇

キウチ・ノボリ

1967(昭和42)年、東京生れ。出版社勤務を経て独立し、インタビュー誌「Spotting」を創刊。2004(平成16)年『新選組幕末の青嵐』で小説家デビュー。2008年に刊行した『茗荷谷の猫』で話題となり、翌年、早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。2011年に『漂砂のうたう』で直木賞を、2014年に『櫛挽道守』で中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、親鸞賞を受賞した。他の作品に『笑い三年、泣き三月。』『ある男』『よこまち余話』『光炎の人』『球道恋々』『火影に咲く』『化物蝋燭』『万波を翔る』『占(うら)』『剛心』など。

判型違い(文庫)

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