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「こだまでしょうか」、「私と小鳥と鈴と」、「大漁」、「明るい方へ」……心の詩人・金子みすゞ 知られざる光と影、自殺の謎とは?

みすゞと雅輔

松本侑子/著

2,160円(税込)

本の仕様

発売日:2017/03/03

読み仮名 ミスズトガスケ
装幀 金子みすゞ著作権保存会/写真、竹久夢二美術館/図案、新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 399ページ
ISBN 978-4-10-416602-2
C-CODE 0093
ジャンル 文学・評論
定価 2,160円
電子書籍 価格 1,728円
電子書籍 配信開始日 2017/08/04

実弟・上山雅輔(昭和の喜劇王・古川ロッパの脚本家)の膨大な日記を読み解き、みすゞの童謡と生涯、二人の青春と愛憎、別れを、弟の目を通して描く、画期的伝記小説!

弟・上山雅輔(かみやま・がすけ)/脚本家・作詞家

大正デモクラシーにめざめ
「赤い鳥」と童謡を愛し
白秋、八十にあこがれ
みすゞの詩に、心ふるえる。

昭和モダンの東京
菊池寛の文藝春秋社で
古川ロッパのもと、働く。

みすゞは、自殺
雅輔は、自死遺族に
時代は、昭和の戦争へ。

弟の胸に残る
みすゞの瞳の輝き
忘れえぬ青春の日々……

著者プロフィール

松本侑子 マツモト・ユウコ

島根県出雲市生まれ、筑波大学卒、政治学専攻。1987年、『巨食症の明けない夜明け』ですばる文学賞受賞。1990年、『偽りのマリリン・モンロー』が野間文芸新人賞候補作となる。シェイクスピア劇やアーサー王伝説などの英文学と聖書からの引用を多数解明した日本初の全文訳『赤毛のアン』シリーズ(集英社文庫)で脚光を浴び、2008年、NHK教育テレビで『赤毛のアン』の英語番組で講師をつとめ、テキスト全3冊を執筆(書籍化は『英語で楽しむ赤毛のアン』(ジャパンタイムズ))。2010年、『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』(光文社文庫)で新田次郎文学賞受賞。2013年、『赤毛のアンのプリンス・エドワード島紀行』(JTBパブリッシング)が全国学校図書館協議会選定図書となる。ほかに、幕末維新小説『島燃ゆ 隠岐騒動』(光文社文庫)などがある。

書評

自死した童謡詩人と実弟の懊悩

野上暁

 生前、西條八十から「若き童謡詩人の中の巨星」と絶賛されながら、没後半世紀後に再評価されるまで埋もれていた童謡詩人・金子みすゞ(本名テル)。新たに発見された弟正祐(後の雅輔)の未公開資料などを駆使して、みすゞを恋人のように慕い、様々に影響を与えあった弟との曲折した交流が、童謡文学昂揚期から戦争に向かう時代を背景に克明に描き出され、既存のみすゞ像にも貴重な一石を投ずる衝撃的な作品である。義母の愛情を一身に受けて育った甘えん坊の正祐のテルへの思慕と、その後の女性耽溺なども含め、最後まで興味深く読ませるのだ。
 下関の本屋・上山文英堂の一人息子正祐の、母フジが病気療養で里帰りした後の寂しさを紛らわせてくれたのは、漱石門下の鈴木三重吉によって創刊されたばかりの子ども雑誌「赤い鳥」だった。正祐は、都会の新しい文化潮流に触れた思いがして胸をときめかせ、とりわけ北原白秋の童謡に心をうばわれた。
 母のフジは実家から戻ることなく世を去り、父の松蔵はフジの姉の金子ミチを後添えに迎える。松蔵は、三人の子どもを抱えながら夫が急逝したミチから、一歳になったばかりの正祐を養子として引き取り、跡取りにするつもりで育てていた。正祐はそのことを知らされていないから、父が後添えを迎えることに抵抗する。
 父の再婚により、それまで二歳年上で気心が通じた従姉として慕っていたテルと会う機会も多くなり、彼女も「赤い鳥」の愛読者だと知って、テルとの語り合いに夢中になるのだ。テルは西條八十の童謡が好きだという。
「赤い鳥」の成功を追って、「金の船」(後の「金の星」)、「童話」などの童話童謡雑誌が次々と創刊される。「赤い鳥」の白秋に対抗するかのように、「金の船」は野口雨情、「童話」は西條八十が投稿作品の選者を務め、そこから新人童謡詩人も輩出するなど、大正デモクラシー下での子ども文化の活況ぶりが鮮やかに浮かび上がってくる。随所に挿入される童謡作品も効果的だ。
 テルが、家の事情もあって下関の上山文英堂の店員として働くことになると、正祐とテルとの親密さがさらに深まる。正祐のテルに向ける眼差しに、まさかの危うさを感じた松蔵は、テルを使用人の宮田と結婚させようとする。遊び人の宮田とテルが結婚することに正祐は反対するが、テルは満更でもない。懊悩する正祐は、テルから二人が姉弟だということを知らされ、さらに衝撃を受ける。進路問題も重なって傷心した正祐は花街に通い詰めるが、東京に出て古川ロッパの下で映画雑誌の編集者になり、後に雅輔の筆名で華々しく活躍することになるのだ。
 テルは、八十が選者をしている「婦人倶楽部」や「童話」などに童謡を投稿する。店に「婦人倶楽部」が入荷したとき、投稿欄を探す。作品は載っていなかったが、選外佳作に「下関 金子みすゞ」と小さくあった。これがテルの「金子みすゞ」デビューとなる。大正十二年の夏、テルは詩作に明け暮れ、八月中旬発行の「婦人倶楽部」「童話」「金の星」「婦人画報」のそれぞれに、童謡と詩が五作も掲載される。それを知った正祐は、誇らしくもあり、また妬ましくもあった。
 テルは懐妊し女児を出産するが、夫から詩の投稿を禁じられ、しかも淋病をうつされて体調を崩し離婚を決意する。しかし、かねてより「死神」が恋人だと正祐に語っていたテルは、我が子の親権をめぐって悩んだ挙句、母親に養育を願う遺書を残して自ら命を絶ったのだ。それを知った正祐は、姉の悩みに真正面から寄り添うことができなかった不明を悔やみ、それを癒すためなのだろうか、花街に入りびたり芸者と交情を続ける。大正期流行の純潔主義に従順だった正祐は、二十三歳まで童貞を守ったというが、その後の女性耽溺と放蕩には義母と実母の二人の母や姉への様々なコンプレックスが微妙に投影しているようで痛ましくも読める。
 テルは亡くなる前年の昭和四年までに五百十二編の童謡を作り、手書きの詩集にして八十と正祐に託したというが、死後も単行本になることはなかった。正祐は上山雅輔として、戦後、劇団若草を立ち上げ、石橋蓮司や桃井かおりなど多くの俳優を育て上げながら、みすゞの手書き詩集を大切に守り、彼女の詩業を現代に蘇らせて八十四歳の生涯を全うした。従姉と慕っていたテルが、実姉だったと知らされて困惑する弟の目を通して、薄幸の童謡詩人のこれまで知られていなかった内面にまで鋭く迫った秀作である。

(のがみ・あきら 評論家)
波 2017年3月号より

目次

序章   電報
第一章  「カチューシャの唄」 中山晋平
第二章  「赤い鳥」 鈴木三重吉
第三章  「かなりあ」 西條八十
第四章  「片恋」 北原白秋
第五章  「金の鈴」 上山正祐
第六章  「芝居小屋」 金子みすゞ
第七章  関東大震災
第八章  「大漁」 金子みすゞ
第九章  「沼」 島田忠夫
第十章  結婚
第十一章 『ジャン・クリストフ』 ロマン・ロラン
第十二章 芸妓花千代
第十三章 「映画時代」 古川緑波
第十四章 『東京行進曲』 菊池寛
第十五章 「鯨法会」 金子みすゞ
第十六章 『復活』 トルストイ
終章   朝日丸
主要参考文献・謝辞

インタビュー/対談/エッセイ

大正デモクラシーに咲いた一輪の花、金子みすゞ

松本侑子

 みすゞの詩は、東日本大震災の後、テレビで流れた「こだまでしょうか」、そして平成に入って教科書に載るようになった「私と小鳥と鈴と」、「大漁」などが知られている。
 拙作『みすゞと雅輔』は、弟の上山雅輔(本名・上山正祐)から見た、みすゞとその生涯、詩作の背景と情熱を、伝記小説として書いたものだ。
 雅輔は、幼い頃に、金子家から上山家へ養子に出たため、みすゞを姉とは知らず、十代で親しくなる。二人は共に本屋の子であり、文学を語り、愛憎入り混った友となる。みすゞが妻となり母となると、雅輔は菊池寛の文藝春秋社に入り、古川ロッパの下で編集者として働きながら、みすゞと文通を続けるが、姉は二十六歳で自殺する。ロッパが役者に転身すると、戦前から戦中は脚本家として「昭和の喜劇王」の舞台を支え、戦後、ロッパ一座が解散すると、劇団若草を主宰し、坂上忍、吉岡秀隆など、五千人の俳優を育てる。
 その雅輔の直筆資料が、彼の没後から二十五年たった二○一四年、四国で見つかった。現地で調査したところ、みすゞと交遊した大正十年から最晩年の平成元年まで、約七十年にわたる膨大な日記と回想録があり、三年かけて読解した。みすゞの自殺の背景(芥川の自死に影響を受け、結婚前から死に憧れていた)など、多くの新事実が判明した。みすゞの夫の親族、みすゞの娘に会い、知られざる実像もうかがった。
 もっとも雅輔の日記は、一日の細かな行動記録で、心情の記載はない。日記は小説にはならず、一つの大きな物語として構築し直し、一人一人の心理に思いをはせながら、各場面を小説として立ち上げる作業が必要だった。その過程で意識したことは、新しい角度からみすゞを描く、みすゞと童謡を大正デモクラシーという時代の潮流から捉えることだった。
 みすゞは、作品のイメージから、愛らしい天使のように神格化されがちだが、血の通った一人の女性表現者として捉え直し、人間的な内面に寄り添うよう心がけた。そもそも伝記小説を書く意義とは、その人に、今までとは異なる角度から光を当て、その光がもたらす新たな輝きと深い陰影の両方を描き出そうとする試みの中に、あるのではないだろうか。
 もう一点の大正デモクラシー……。みすゞと雅輔が多感な十代を過ごした大正中期は、労働者、女性、子どもの権利が謳われ、民主的な思想を背景にして、子どもの個性と感性を自由に伸ばす教育運動が巻き起こっていた。その気運の中で、大正七年、鈴木三重吉が子どものための芸術的な文芸誌「赤い鳥」を創刊、北原白秋と西條八十が童謡を発表して、大人気となる。
 ちなみに童謡は、わらべ唄とも、唱歌とも違う。たとえば「かごめかごめ」はわらべ唄、「蛍の光」は唱歌だ。
 わらべ唄は、口承の古いうたであり、作詞家も作曲家も不詳だ。そして唱歌は、明治以降の政府が、音楽教育のために作った官製の歌だ。「故郷」などの名曲もある一方、国家主義、軍国主義、勧善懲悪の教訓的な歌も少なくない。また「故郷の空」のように、子どもの心ではなく、大人の郷愁と感慨を描くものもある。
 こうした唱歌への批判から、童謡は生まれた。国策から離れて、子どもの自由な心と幻想を芸術的に描く詩歌として、早稲田大学出身の文学者たちが中心となり、創作した。
 童謡を載せる雑誌は次々と創刊され、野口雨情、与謝野晶子、若山牧水、島木赤彦、竹久夢二なども童謡を発表する。
 そこに中山晋平、山田耕筰らが曲をつけて美しい歌となり、ますます人気を集めた。今も唄われる童謡のほとんどは、大正時代に、文学者、音楽家、読者、親、教師を巻きこんだ国民的な童謡運動の中で作られたものだ。この芸術としての童謡に夢中になった十代が、みすゞと雅輔だった。
 各雑誌には、童謡の懸賞欄がもうけられ、全国の若い読者が投稿し、白秋、八十、雨情が選にあたった。そこに二十歳のみすゞは童謡を送って活字になり、投稿詩人となる。
 だがレコードとラジオの普及により、童謡は読む文芸から唄う音楽となり、雑誌は廃刊、みすゞは発表の場を失う。昭和に入ると、戦争へむかう時代と言論統制のために、小さな命の愛しさと哀しみ、子どもの夢や憧れ、空想を描く童謡の精神そのものが色あせ、童謡運動は終焉を迎える。
 みすゞの詩は、大正十二年の初投稿から、亡くなる前年の昭和四年までに、約九十作が懸賞欄に載った。落選もあるだろうから、百通以上の葉書を毎月のように出版社に送ったのだ。その燃えるような創作欲、みすゞの詩の深さ、大正の熱い童謡運動、そして自死遺族となった雅輔の再起を、お読み頂けたら幸いである。

(まつもと・ゆうこ 作家・翻訳家)
波 2017年3月号より

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