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映画はやくざなり

笠原和夫/著

1,650円(税込)

発売日:2003/06/25

  • 書籍

やくざ映画は、最高の「人間喜劇」だった――不世出の名脚本家の過激な「遺言」。

欲望、嫉妬、思惑、暴力、裏切り。人間の真実を強烈に抉る不朽の名作『仁義なき戦い』はこうして生まれた――緊迫感に満ちたやくざ取材、盟友・深作欣二監督との熾烈な製作現場、高倉健、藤純子、鶴田浩二ら名優たちの秘話。日本映画の最盛期を支えた男が逝去直前に語った鮮烈な回想記。幻の傑作シナリオ「沖縄進撃作戦」も収録。

書誌情報

読み仮名 エイガハヤクザナリ
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 224ページ
ISBN 978-4-10-460901-7
C-CODE 0074
ジャンル 戯曲・シナリオ、演劇・舞台、映画
定価 1,650円

書評

泥棒でも入れた(?)自由な場所で

楠瀬啓之

 笠原和夫さんは無類の語り手でした。脚本家としては勿論ですが(代表作に『仁義なき戦い』『二百三高地』など)、実生活での〈喋り〉がまた滅法面白い人だったんです。本書のために取材のお願いへ伺った初対面の際、もうご体調を崩されていて、めっきり痩せておられた。しかし眼光鋭く、角刈りで着流しと、まるで引退したての老侠客という趣きでしたが、口を開くと、爆笑ものの映画裏話を〈千切っては投げ〉という按配で語り続けてくれるので、まずはご挨拶のつもりでいた僕は録音機材を持ってこなかったことを後悔したのを覚えています。数ヶ月に及ぶ取材も笑い転げるうちに終わり、その結果は本書の第一部「わが『やくざ映画』人生」に纏まりました。
 もっとも映画屋さんというのは、話があまりに面白すぎて「ホントかね」と思わせる、口達者な語り手が多いんです。本書を作った後、東映のプロデューサーだった日下部五朗さんに『シネマの極道』のために何度もインタビューをしたり、また伊藤彰彦著『映画の奈落』の主人公・高田宏治さん(脚本家)にも長時間お話を伺ったことがありますが、まあ話が豪放でアケスケで、ゴシップあり下ネタあり、ご自身のことも虚仮こけにしたり茶にしたり笑わせ所満載、映画史的秘話や職人的な技術論も入って、寸毫も聞き手を逸らしません。口八丁手八丁は映画屋さん全般に言えることでしょうが、殊に東映それも京都撮影所の方々にはその傾向が濃厚なんです。これは〈やくざ映画〉という、それまで映画史に存在しなかった新ジャンルのドラマツルギーを自分たちの手だけで作り上げた人たちだから当然かもしれません。東映関係者の本が大量に出版されているのも、彼らの口達者ぶりの証明です。
 同じ東映でも東京撮影所は「本社が近いせいか、官僚的」(日下部さん)、「客が入らないくせに〈所謂良心的〉な作品を作る方がチヤホヤされた」(笠原さん)なんて聞かされたことがありますが、京都撮影所は「右翼も共産党もあるかい、わしらは大日本映画党や。泥棒でも何でも、映画が好きならわしンとこへ来い」とマキノ光雄専務が宣うた通りの気風があり、光雄専務は若死にしますが、このカラーは岡田茂京撮所長(のち東映社長)へも濃密に引き継がれます。要するに「マ、当たればええよ」という、このざっくりした姿勢が、露悪的で、明るくて、人なつこくて、人間くさくて、インテリぶらないインテリやくざめいた暢達な語り口を生んだのでしょう。
 もはや『晩春』『西鶴一代女』『七人の侍』『浮雲』クラスの位置を戦後映画史に占めそうな実録路線の傑作『仁義なき戦い』四部作は、そんな撮影所で作られました。あの映画では、若者たちが戦争で燃焼しつくせなかった鬱屈や、やぶれかぶれの情熱や、既成権威への反発や、戦後日本でのし上がろうとする野望などを抱えて極道の世界へ入り、それぞれの思いを社会に激しくぶつけていきます。映画を見、本書を読むと、あの四部作は作者である笠原さんの個人史のみならず、京都撮影所全体と二重写しになっているように思えてきます。
 京撮というオールカマーな場所には、元満映帰りもレッドパージに遭った人も、復員兵も極道めいた人も、特攻隊員になりかけた元少年兵も(笠原さんがそうです)いました。役者たち、鶴田浩二も高倉健も、後の菅原文太も松方弘樹も、川谷拓三や福本清三など大部屋組も、東京からやってきた監督の深作欣二も、まだ燻って、ギラギラする日を待っていました。彼らがやくざ映画を十何年も毎週のように作り続けていけたのは、自分の胸底にあるナニモノかを登場人物たちに仮託できたからだ――そんなことが判ってくるんです。
 もうひとつ感じるのは、あの壺中天のような撮影所に吹いていた〈自由〉の風です。「マ、当たればええよ」という殆どアナーキーな雰囲気の中で、笠原さんと山下耕作将軍(監督)がやくざ映画製作にうんざりしながらも、ソロバンに厳しい岡田所長の目を盗んで名作『博奕打ち 総長賭博』を作り上げるエピソードを読み返すと、愈々そう感じられます。京都といういろいろヤヤコシイ土地柄にありながら、差別も何もない、〈腕だけが勝負〉の実に気持よい場所だったと、笠原さんも日下部さんも口を揃えて回想していました。
 あとは駆け足の紹介。本書でさらに貴重なのは第二部「秘伝 シナリオ骨法十箇条」の方かもしれません。現場で長年呟かれてきた脚本作法を、コロガリ、カセ、オタカラといった撮影所用語を使いながら極めて明晰に説いていきます。ハウツーを超えた熱さが笠原さんの真骨頂ですが、企画の立て方・通し方などビジネスパーソンも得る所がある筈。その骨法を駆使した脚本「沖縄進撃作戦」も巻末に掲載、琉球のやくざとナショナリズムを描破したものの、ヤバすぎて映画化が頓挫したという曰くつきの快作です。

(くすのせ・ひろゆき 編集者)
波 2014年11月号より
単行本刊行時掲載

担当編集者のひとこと

「波」12月号に三島由紀夫「鶴田浩二論―『総長賭博』と『飛車角と吉良常』のなかの」(1969年発表)を再録しました。何かを褒める時はこうやって褒めるのだ、という見本のような名エッセイ。
 やくざ映画は、「人生劇場 飛車角」(1963年・主演鶴田浩二)のヒットを好機として「日本侠客伝」「博徒」(共に1964年。前者の主演は高倉健、後者は鶴田)が製作され、以後「東映やくざ映画路線」として定着したのはご承知の通り。
 この「日本侠客伝」の脚本が笠原和夫さんで、彼は毎年何本ものやくざ映画を書くうちに、従来通りの映画では飽き足らなくなり、「『兄弟仁義』(1966年。歌は1965年)の逆をやろう」と山下耕作監督と図って実現したのが「総長賭博」(1968年)でした。ここでは鶴田浩二が義理も人情もない窮地に追い込まれます。
「総長賭博」が如何に屹立した傑作だったかは三島さんの名文に譲りますが、あのエッセイ以後、やくざ映画はようやく「市民権を得た」そうです。それまで、例えば大新聞の映画欄にやくざ映画が取り上げられることはなく、専門誌「キネマ旬報」のベストテンでも「総長賭博」は1票も得ていませんでした。
 しかし、市民権を得た頃にはやくざ映画は既にマンネリ化しつつあり、やがて藤純子は引退、鶴田の人気も下がり、健さんもオールマイティではなくなります。そこで笠原さんが放った起死回生の作が「仁義なき戦い」(1973年)。この作品は朝日新聞でも絶賛されて――。
 紙幅が尽きました。笠原さんが企業内芸術家として、いかに戦い、いかに勝利し、しかし結句斜陽の映画界で満身創痍になっていくか、それを抱腹絶倒に語るこの自伝を読んでみて下さい。(出版部・K)

2020/12/28

著者プロフィール

笠原和夫

カサハラ・カズオ

昭和2(1927)年東京生まれ。日本大学英文科中退。海軍特別幹部練習生から様々な職を経て東映宣伝部に入る。昭和33年からシナリオ執筆を始め、東映任侠映画路線の花形ライターとなる。『仁義なき戦い』四部作、『日本侠客伝』シリーズ、『博奕打ち 総長賭博』『二百三高地』『大日本帝国』などを執筆。昭和56年と58年に日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞。著書に『「妖しの民」と生まれきて』『破滅の美学』『昭和の劇』(共著)など。平成14年12月12日逝去。

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