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なぜ出て行くかって? そりゃボクが生まれながらのヨソ者だからだよ。

不愉快な本の続編

絲山秋子/著

1,296円(税込)

本の仕様

発売日:2011/09/30

読み仮名 フユカイナホンノゾクヘン
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 150ページ
ISBN 978-4-10-466905-9
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 1,296円

金貸しが趣味のヒモ、おまけに変態プレイじゃなきゃ興奮しない屑。そんなボクが東京から逃げ出したら、本気で人を好きになった。でもまた出て行かなくちゃいけないんだ、だってボクは不愉快な本の続編みたいな奴だから――。嘘つき男は新潟・富山・呉を彷徨う、太陽と時間が溶け合う永遠へ向かって! 21世紀の『異邦人』誕生。

著者プロフィール

絲山秋子 イトヤマ・アキコ

1966年東京都生れ。早稲田大学政治経済学部卒業後、住宅設備機器メーカーに入社し、2001年まで営業職として勤務する。2003年「イッツ・オンリー・トーク」で文學界新人賞、2004年「袋小路の男」で川端康成文学賞、2005年『海の仙人』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、2006年「沖で待つ」で芥川賞を受賞。『逃亡くそたわけ』『ばかもの』『妻の超然』『末裔』『不愉快な本の続編』『忘れられたワルツ』『離陸』など著書多数。

目次

生まれる
取り立てる
好きになる
盗む
佇む
入る

インタビュー/対談/エッセイ

波 2011年10月号より 絲山秋子『不愉快な本の続編』刊行記念対談 廃墟からの「続編」

安藤礼二絲山秋子

「ボク」の秘密/隣接するコミュニケーション/富山のシュルレアリスム/ゼロから始まるもの

  「ボク」の秘密

安藤 絲山さんとは年齢もキャリアもほとんど同じで、ずっと共感を持ちながら作品を拝読しておりました。今回の『不愉快な本の続編』は、主人公の乾が、東京から新潟、富山、呉をロードムービーさながらに経巡る小説で、大変面白く、また非常に興味深く読み終えました。
絲山 乾という男は「愛なんかいらねー」(『ニート』[角川文庫]所収)の登場人物なのですが、私は彼がすごく好きでした。あれから随分たって、昨年休暇で新潟へ行ったときにクルマを走らせていたら、「あ、このへんで乾が働いてた!」と突然この小説が降りてきた。まさか新潟で乾と会うとは思いませんでした。
安藤 その乾が移動してゆくのは全て海のある土地です。エピグラフに引かれたカミュ『異邦人』の太陽の一節も含めて、この作品は、海と太陽が結婚するような場所を、生まれながらの「ヨソ者」が巡礼していく物語だと感じました。
絲山 カミュとかル・クレジオとか、フランスの邪悪な太陽というイメージは常にありました。太陽が邪悪であるというのは日本にはない見方ですよね。乾はフランスに留学していましたし、そういう目を持っていたのかと思います。
安藤 「袋小路の男」(『袋小路の男』[講談社文庫]所収)や「作家の超然」(『妻の超然』[新潮社]所収)は、「あなた」「おまえ」という二人称で書かれていました。絲山さんは主題に密接な関係を持った人称を使われます。この作品では一人称が採用されていますが、どうも普通の一人称ではない。「ボク」という人称でありながら、乾という他者を描いていく距離感が絶妙です。親密なんだけど、どうしようもない男(笑)。
絲山 大好きなんだけど付き合いたくはない男ですね(笑)。実はこの文体には一つ秘密があります。かなりの段階までずっと人称を「おれ」で書いていて、ある所でそれを「ボク」に置き換えたんです。
安藤 なるほど。それで分かりました。ずっと違和感があったのです。実に不思議な一人称だと。素晴らしい実験と実践ですね。
絲山 「ボク」で書き始めるとこんな言葉遣いはしないし、こういう文章にはならない。この人には不自然さを持っていてほしいという気持ちがありました。変なことをやるのが好きなんです。日本語というのは実験に耐えるんですね。「ボク」と「おれ」の違いなんて、翻訳できないですものね。
安藤 「作家の超然」の二人称にせよ今回の「おれ」から「ボク」への転換にせよ、翻訳できないだろうと思います。人称の実験は誰もがやりますが、作品としてきちんと実践して、それを翻訳不可能なところまで使いこなしていくというのは、絲山さんにしかできない。
絲山 日本語って多少いじってもくずれない。良い食材のようなものだと思います。加工してもそのものの良さが生きるし、味付けを濃くしても薄くしてもおいしく食べられるというような。とてもすぐれた素材です。

  隣接するコミュニケーション

安藤 作品の中で「隣接」という概念を提出しておられます。あるモノとあるモノが隣り合っている。それらはクラッシュすることもあるし、対話が生まれることもある。未知であり両義的な関係性です。「隣接」は、絲山さんがこれまで書き続けてきたコミュニケーションを象徴するイメージなのかなと思いました。
絲山 そうですね。隣同士は案外調和しにくい。
安藤 たとえば乾が新潟で出会うユミコとの関係も面白い。乾の側から見たユミコと、ユミコの側から見た乾は全く異なっている。
絲山 妻になるユミコを書くのは難しかったです。
安藤 ユミコには裏がありますものね。乾の人の良さが出てしまっている。
絲山 自分のほうがものを知ってて悪い人間のつもりの男が、盲点にはまっちゃう、というところがありますね(笑)。
安藤 齟齬を含んだコミュニケーションは他の作品でもあらわれます。そういった意味でも、これまでの作品の構造を積み重ねながら、ここで全く新しいものが創り出されています。
絲山 作品の積み重ねについては、進歩していれば悪いことではないと思っています。乾が富山で会う杉村はどこか懐かしいんですよ。どこにも書いてないんだけど、今までの小説ですーっと通りかかってもおかしくない。
安藤 小説世界の隣人というか、どこかで登場してきた人物という気がしますね。これまで決して見たことがないからジャメビュ(未視)なんだけど、それが同時にデジャビュ(既視)になっている。
絲山 その発想は面白いです。たとえば、今、町内会なんかで会う人たちにも、別に深く付き合ってるわけじゃないんだけど、親類にこういう人いたかもしれないっていう懐かしさを感じることがあるんです。
安藤 隣り合っているんだけど相互に良く分かり合えないという関係性は、絲山さんのテーマですね。この作品でも、乾とユミコをはじめ、複数の関係が重なり合う。絲山さんの作品を読むたびに、多様なコミュニケーションを実感します。そしてそこには、現実を超えた死者との共生という重要な関係性も存在します。
絲山 死者には親しみを持っています。小説を書いていると三日四日誰とも喋らないのは当たり前で、そうするとその時点で書いている物語の登場人物のほうがよほど親しいんです。生きてるからといって特別扱いする必要はない。私は小説の世界にいるから、生きている人間も死んでいる人間も架空の人間も一緒なんです。

  富山のシュルレアリスム

安藤 私は富山県立近代美術館が大好きで、これまでも何度か訪れています。この小説で取り上げられるのはジャコメッティですが、絲山さんの作品を読んで、あそこに飾られているシュルレアリスムの絵画、特にタンギーの「火、色彩」を思い浮かべたりしました。小説を通じて富山県立近代美術館と再会できるとは思いませんでした。嬉しい驚きです。
絲山 富山県立近代美術館は素晴らしい場所です。あの美術館は元々取材する予定で、その前に富山空港にいたんです。そこにあったブロンズ像を眺めていたら、「あ、こういうものがこの小説には出てくるな」と思い立って、「仮に、小さなジャコメッティかなんか美術館にあったら小説に書きたい」って編集者と電話で話していた。「そんな都合よくあるわけないでしょう」と言われたのですが、実際に行ったら「裸婦立像」があった(笑)。嘘が本当になったような驚きがありました。
安藤 絲山さんの作品について初めて書かせていただいたのは、「作家の超然」です。特に、滅びの只中から言葉が生成されてくるような最後の一節が印象的でした。だから、富山県立近代美術館を介してシュルレアリスムの絵画に触れられていることは非常に響きました。というのも、おそらくあの時代に何かが終わっていて、もうその終わりからしか新しいものは何も始められないのではないかと、ずっと考えていたからです。
絲山 なるほど、良く分かります。自分の作品にも廃墟的なものがある。既存のものを解体し、終了するムーヴメントというのは海外文学であればセリーヌやミラーがやっているし、絵画はもっと早くにキュビスムがあった。ロックの世界ではパンクがあった。日本文学のそういう段階は私には見つからないので、自分の中の廃墟的な風景というのは、音楽とか絵画とも近しく繋がっているなという感じを持ちます。
安藤 私も以前からその感覚を持っていました。だから「作家の超然」の最後、文学を終わらせてしまうという場面は、逆に力強く届いた。その地点から何を作れるかが大事で、今回の作品に「続編」という言葉が付けられているのは、そうした意味もあると思うんです。廃墟から「続編」を書き続けるしかないという。
絲山 そうですね。「愛なんかいらねー」に戻る必要はないし、自分の文学の続編を担ってもいるわけですから。

  ゼロから始まるもの

安藤 この小説の最後、乾が移動を終えて呉に向かったラストシーンで、絲山さんは大きな挑戦をしています。「時間」を終わらせてしまうのです。あの場面、言ってみれば「ゼロの地点」に辿り着いたときに何が生まれてくるのか。それがこの作品の最大のテーマだと思います。
絲山 そうです。私は「日経サイエンス」とか科学の新書とかが大好きなんですよ(笑)。そこでは「時間は存在するか」「宇宙の終わりとは」といった特集がされていたりするのですが、彼らの考え方はすごくダイナミックです。ああいった発想に学べば、小説の中でこの結末にすることなんてなんでもないと思ったんですね。
安藤 ゼロに戻って、ゼロから始める。ロラン・バルトが、エクリチュールの零(ゼロ)とは、カミュが創出した文体なんだと書いています。この作品の最後に提出されるゼロは、カミュを反復しながら、まったく新しいゼロを創り出そうとしているという印象を抱きました。乾という登場人物はそこで書物の中の出来事、すなわち「書かれたコト」になってしまう。
絲山 私は自分の文学のためには生きていますけど、日本文学のためには生きていない。だから、自分の文学くらいは一度終わらせてもいいんじゃないかと思うんです。ご破算にしてもう一回やり直すと、同じことをやっても違う色合いになるんじゃないか。それこそシュルレアリスムまで戻らなきゃいけないと思う。
安藤 批評もその地点まで戻らなければならないと切実に思います。「裸の物質」という言葉を記しておられますが、『不愉快な本の続編』からは、言葉やイメージを裸の物質にして、その場所からもう一度何かを始めるのだという強い意志を感じました。でも、そこまで書いてしまったら、次は一体どうなるんだろうかと余計な心配をしてしまいます(笑)。
絲山 不思議なことなんですけど、終わると次が書けるんですよ。ただしこれは神様からもらってるものだから、どういうものになるかは分からない。自分だけの力で書いてるものじゃないから。降ってくる、降りてくるが多いんです、私は。

(あんどう・れいじ 批評家)
(いとやま・あきこ 作家)

判型違い(文庫)

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