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夫以外の男に惹かれることはないと思っていた。彼が島にやってくるまでは……。

  • 受賞第139回 直木三十五賞

切羽へ

井上荒野/著

1,620円(税込)

本の仕様

発売日:2008/05/30

読み仮名 キリハヘ
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 207ページ
ISBN 978-4-10-473102-2
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 1,620円

静かな島で、夫と穏やかで幸福な日々を送るセイの前に、ある日、一人の男が現れる。夫を深く愛していながら、どうしようもなく惹かれてゆくセイ。やがて二人は、これ以上は進めない場所へと向かってゆく。「切羽」とはそれ以上先へは進めない場所のこと。宿命の出会いに揺れる女と男を、緻密な筆に描ききった美しい切なさに満ちた恋愛小説。

著者プロフィール

井上荒野 イノウエ・アレノ

1961年東京生まれ。1989年「わたしのヌレエフ」で第一回フェミナ賞を受賞してデビュー。2004年『潤一』で島清恋愛文学賞、2008年『切羽へ』で直木賞、2011年『そこへ行くな』で中央公論文芸賞受賞。著書に『グラジオラスの耳』、『もう切るわ』、『ひどい感じ 父・井上光晴』、『森のなかのママ』、『しかたのない水』、『誰よりも美しい妻』、『学園のパーシモン』、『ズームーデイズ』、『ベーコン』、『夜を着る』、『雉猫心中』、『静子の日常』、『つやのよる』、『結婚』など。

書評

波 2008年6月号より 一人でする恋愛

川本三郎

 これは恋愛小説と呼んでいいのだろうか。
夫のいる三十代の女性が、よその土地からやって来た風変りな若い男性に心惹かれてゆく物語だが、彼女の思いはあくまでもひっそりとしていて、二人のあいだに何か劇的な出来事が起るわけではない。
出来事はあくまでも女性の心のなかだけで起っている。思いは彼女のなかに秘められたまま。男性のほうは、薄々は彼女の想いに感づいているようだが、流れ続けて暮している彼は、積極的に彼女の想いに応えようとはしない。
恋愛といっても、相手とのダイアローグではなく、ほとんど彼女の心だけのモノローグの恋愛になっている。そこに面白さがある。もしかしたら、現代では、恋愛とは、二人でするものではなく一人でするものなのかもしれない。
本土から少し離れた小さな島が舞台になっている。佐世保市の崎戸という島だが(著者の父親、井上光晴ゆかりの地で、氏の記念館もある)、作品のなかではそれと明示されていない。
「私」は、三十代のはじめ。島の小学校で養護教員(いわゆる保健室の女の先生)をしている。夫は三つ年上の画家。二人ともこの島の出身で、いったんは東京に出たが、結婚を機に島に戻ってきた。二人は丘の上の、「私」の父(医者)が診療所にしていた家で、平穏な暮しをしている。
そこにさざ波が立つ。
石和という若い非常勤の教師が赴任してくる。独身で、どこか周囲から浮いたところがある。流れ者というか、無用者というか。
「私」は、はじめて石和に会った時から心が熱く騒ぐ。夫に不満があるというのではない。むしろ、夫は優しく、気がいい。「私」のことを大事にしている。それでも「私」が石和に惹かれたのは、彼が島の外からやって来たよそ者、ストレンジャーだからか。定着者は、流浪者にかすかな憧れを持つものだ。
しかし、「私」は、石和への想いをあらわにすることはない。「私」の同僚に月江という奔放な教師がいる。彼女のもとにはよく東京から妻のいる男が通ってくる。「本土さん」と呼ばれている。その妻が、夫の不倫を知って島にやって来てひと騒動が起る。
騒ぎのあと、月江は、「私」が思いを寄せる石和とあっさり寝てしまう。「私」の恋がひっそりとしたモノローグであるのに対し、月江のほうはにぎやかなダイアローグ。「私」が「女性」だとすれば、月江は「おんな」。
二人の対比が面白い。著者の気持はあくまでも「女性」「モノローグ」の「私」のほうにある。
通常の恋愛小説だと、不倫、三角関係、欲望のしがらみ、とねばっこくなるところだが、著者はそこを深く書き込まない。さらりとかわす。とくに「私」が、いつも石和を「見る」位置にいるのが、彼女の恋愛の淡さを印象づける。「触れる」でも、「語りかける」でも、「抱き合う」でもない。あくまでも「見る」。
「見る」ことが、一人でする恋愛を豊かにしてゆく。表題の「切羽」とは、炭鉱の、それ以上は先に進めない、まさに切羽詰った修羅場のことだが、「私」は、その「切羽」さえ、「触れる」ではなく「見る」にとどめておく。彼女の恋愛はあくまでも一人でするものである。
島の風景描写、四季の描写もよく、この小説が、微風のようなさわやかさを感じさせるのは、四季折り折りの島の物語になっているからだろう。
口に出す、言葉にする、という野暮なことはせず、妻である「私」の心の動きをきちんと分っている夫の存在も、この小説の読後感をいいものにしている。
映画ファンなら、かのデヴィッド・リーン監督の秀作「逢いびき」(46年)の、妻が他の男性に惹かれていたのを知りながら、戻ってきた彼女を、「これまで、遠いところへ行っていたね」と迎える心優しい夫の姿に重ね合すことが出来るだろう。

(かわもと・さぶろう 評論家)

判型違い(文庫)

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