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51年9カ月と4日、男は女を待ち続けた……。1985年発表の大作、ついに日本上陸。

  • 映画化コレラの時代の愛(2008年8月公開)

コレラの時代の愛

G・ガルシア=マルケス/著、木村榮一/訳

3,240円(税込)

本の仕様

発売日:2006/10/31

読み仮名 コレラノジダイノアイ
シリーズ名 全集・著作集
全集双書名 ガルシア=マルケス全小説
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 526ページ
ISBN 978-4-10-509014-2
C-CODE 0097
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究
定価 3,240円

夫を不慮の事故で亡くしたばかりの女は72歳、彼女への思いを胸に独身を通してきた76歳の男から、突如、愛を告げられた。記憶と期待と不安が交錯する二人を乗せた蒸気貨客船が、コロンビアの大河を悠然とただよい始めた時――。内戦が疫病のように猖獗した時代を背景に、愛が愛であることの限界にまで挑んだ、かくも壮大な物語。

著者プロフィール

G・ガルシア=マルケス Marquez,Gabriel Garcia

(1927-2014)1927年コロンビアの小さな町アラカタカに生まれる。ボゴタ大学法学部中退。自由派の新聞「エル・エスペクタドル」の記者となり、1955年初めてヨーロッパを訪れ、ジュネーブ、ローマ、パリと各地を転々とする。1955年処女作『落葉』を出版。1959 年、カストロ政権の機関紙の編集に携わり健筆をふるう。1967年『百年の孤独』を発表、空前のベストセラーとなる。以後『族長の秋』(1975年)、『予告された殺人の記録』(1981年)、『コレラの時代の愛』(1985年)、『迷宮の将軍』(1989年)、『十二の遍歴の物語』(1992年)、『愛その他の悪霊について』(1994年)など次々と意欲作を刊行。1982年度ノーベル文学賞を受賞。

木村榮一 キムラ・エイイチ

1943年、大阪生まれ。スペイン文学・ラテンアメリカ文学翻訳者。神戸市外国語大学イスバニア語科卒、同大学教授、学長を経て、現在、神戸市外国語大学名誉教授。主な著書に、『ドン・キホーテの独り言』、『翻訳に遊ぶ』(岩波書店)、『ラテンアメリカ十大小説』(岩波新書)など。主な訳書にコルタサル『悪魔の涎・追い求める男』(岩波文庫)、バルガス=リョサ『緑の家』(岩波文庫)『若い小説家に宛てた手紙』(新潮社)、ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』、『コレラの時代の愛』、『ぼくはスピーチをするために来たのではありません』(新潮社)、『グアバの香り――ガルシア=マルケスとの対話』(岩波書店)他、多数。

書評

波 2006年11月号より 繁茂する愛  G・ガルシア=マルケス『コレラの時代の愛』

高山文彦

 この長大な愛の物語を読み終えたとき、私は大きく息を吐いた。ため息というのではない。驚嘆が声にならずに、生のままの姿で、腹の奥底から押し出されてきたと言ったらいいか。私は無性に暴力をふるいたくなった。それで風呂にはいり、息のつづくかぎり潜った。
ああ、このラストシーンの船旅の美しさはどうしたものだろう。なんと神々しい道行きであろう。ジャングルは死に瀕し、マナティーはスポーツハンティング愛好家たちによってつぎつぎに撃ち殺され、内戦による累々たる人間の死体の山が腐臭をまきちらし、女の亡霊が河岸に立ってふたりの乗る船に手招きをくりかえす。五十一年九ヵ月と四日ものあいだ愛の告白をはたす日を待ちつづけた七十六歳の老男が、はじめて思いをとげて、これまで一度もかなわなかったふたりだけの時間を告白の相手と生きている。女は七十二歳。夫を失ったばかりで、子も孫もいる。男は独身をとおしてきた。破壊されているのは自然だけではない。ふたりの肉体もともに朽ちかけているが、その朽ちかけた肉体を惜しげもなくさらしあい、目で確め、指でさわり、睦みあう。特等の優雅な船室で。
このような物語が、現実にありえようはずがない。これはマルケスの幻想であり妄想の所産ではあるが、ではたとえありえない物語だからといって、読者は奇怪な物語にすぎないと笑うだろうか。日本の小説家は、マルケスらしいじゃないかと他人事のように思い、自分の小説について省みようとしないだろうか。小説とは、この世にありえぬ話をあらしめるために存在するアイテムであるとはだれしも考えるところだろうが、マルケスのようにここまでやらかしてしまう日本の小説家を近年私は知らない。
マルケスの叙述の力は、十九世紀末から二十世紀初頭にわたる内戦につぐ内戦の時代とコレラの蔓延する時代を、富裕層から貧困層までをふくめた人間それぞれの生活史をからめながら丹念に描き出し、歴史叙述においては圧倒的なリアリズムの手法を駆使し、その厳格な姿勢をもって読む者に予断をあたえようとしない。マルケスは「時間」と「空間」を支配し、神話のようにも見える愛の遍歴譚を天上からひきずり下ろし、地べたに根付かせている。私には、なにやらこれから老男と老女による国産み神話がはじまるのではないかと思われる。
ところでマルケスは「コレラの時代の愛」を、すでに一九八五年に書いている。マルケス五十八歳のときだ。それから二十年の時を経てようやく邦訳が成ったということも、併せてこの大作に神話性をあたえている。コレラという熱帯特有の疫病に悩まされる時代を背景に据えてみたとき、わが主人公フロレンティーノ・アリーサの一途な愛と、それを自ら打ち砕くような数多くの女性遍歴のありさまが熱病にとりつかれたもののように思われて(主人公は六度淋病に罹ったそうだ)、いまだ価値の統一を許さない混乱の場所であるところの南方世界の液状化を、私は主人公の生き方に見る。ここではつねになにかが壊れ、なにかが死に、なにかが生まれてこようとしている。しかしながらひとたびその混乱のなかにはいりこんでしまえば、じつに細密に練りあげられた価値体系があり、秩序が行きわたっていることを思い知らされる。私は読みすすみながら幾度もそれらのまえに立ち尽くし、一途の愛を裏切るように背徳をくりかえす主人公に拍手を送りたくなった。
そのフロレンティーノ・アリーサは私生児であり、彼が思いつづけるフェルミーナ・ダーサは亡命者の娘なのだ。フェルミーナの父は、まだ十代半ばであった娘が素性のわるい私生児にこころ惹かれているのを知って、旅につれだす。その旅は狂気じみている。山岳地帯や高地の村々をキャラバン隊のように馬で越え、ときには歩き、土俗世界の民家で眠る。旅は一年半あまりに及んだ。電信士である主人公は居所をつきとめ、彼女の行く先々に電報を送りつづける。前半部でいちばん面白かったのは、男を忘れさせるために長々と娘を辺境の旅につれだす父親とその旅の模様を描くマルケスの発想力と構想力の太さだ。そして、どこまでも諦めず、フェルミーナの行くところ蔦のように繁茂してゆくわが主人公の、ひとすじ縄ではいかぬ愛の執念の描き方だ。
「さまよえる夢魔」と、ある者は言った。彼の母は、いつまでもフェルミーナへの愛を忘れきれない息子を見て、「うちの息子の病気はたった一つ、コレラなのよ」と言った。私は大声で笑いたくなる。懐かしく愛しい者たちがあらわれては、息を吹きこまれ、私語し、躍っている。翻訳は困難を極めたことだろう。木村榮一氏の尽力に感謝申しあげたい。

(たかやま・ふみひこ 作家)

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コレラの時代の愛
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