ホーム > 書籍詳細:ふたつの海のあいだで

喪われた伝説の宿と、一族の記憶。
その再生に人生を賭けた、ひとりの男。

ふたつの海のあいだで

カルミネ・アバーテ/著、関口英子/訳

2,052円(税込)

本の仕様

立ち読みする

発売日:2017/02/28

読み仮名 フタツノウミノアイダデ
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
装幀 Jacopo Ligozzi/Painting、(C)AKG/Painting、PPS/Painting、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 230ページ
ISBN 978-4-10-590135-6
C-CODE 0397
ジャンル 文芸作品
定価 2,052円

ティレニア海とイオニア海を見下ろす場所に、かつて存在した《いちじくの館》。焼失したこの宿の再建を目指す祖父と孫を中心とする数世代にわたる旅は、時に交差し、時に分かれて、荒々しくも美しい軌跡を描いてゆく――。豊饒なイメージと響き渡るポリフォニー。イタリアの注目作家による、土地に深く根差した強靱な物語。

著者プロフィール

カルミネ・アバーテ Abate,Carmine

1954年、イタリア南部カラブリア州の小村カルフィッツィに生まれる。少数言語アルバレシュ語の話される環境で育ち、イタリア語は小学校で学ぶ。バーリ大学で教員免許を取得、ドイツ・ハンブルクでイタリア語教師となり、1984年にドイツ語で初めての短篇集を発表した。その後、イタリア語で執筆した『サークルダンス』(1991年)で本格的に小説家としてデビュー。『帰郷の祭り』(2004年)でカンピエッロ賞最終候補となり、2012年に『風の丘』で第50回カンピエッロ賞を受賞した。2017年現在はイタリア北部トレント県で教鞭をとりながら執筆活動を続けている。

関口英子 セキグチ・エイコ

埼玉県生まれ。翻訳家。訳書にディーノ・ブッツァーティ『神を見た犬』、プリーモ・レーヴィ『天使の蝶』、イタロ・カルヴィーノ『マルコヴァルドさんの四季』、カルミネ・アバーテ『風の丘』など。『月を見つけたチャウラ ピランデッロ短篇集』で第一回須賀敦子翻訳賞受賞。

書評

イタリアの「真の姿」

ヤマザキマリ

 地中海の真ん中にユーラシア大陸から細長く突き出した“長靴みたいな形の国”。この特異な地形をした半島では、古代からフェニキア、エジプト、ギリシャ、エトルリアといった様々な高度文明が交差し、貿易においても恰好の中継地として繁栄した。こうして、あらゆる人間社会の情報をもたらされることで、地中海世界のハードディスク的存在となったイタリア半島は、同時に他の地域では起こり得ない苦悩や葛藤とも常に向き合わされてきたとも言える。
 この本のタイトルである“ふたつの海”とは、まさに古代文明のあらゆる出汁が混じっているとも言うべきティレニア海とイオニア海を指しているが、舞台であるカラブリアという地域を正確に思い浮かべられる人はそう多くはないようにも思う。外国人に説明をするとき、イタリア人達は「カラブリアは南イタリアの、シチリアという大きな石を蹴っている長靴のちょうど爪先にあたる、あのへんのことだよ」という言い方をする。ここで意識するべきなのは、長靴の下半分の地域全体を“南イタリア”とひとくくりにしてはいけないという点だ。古代から、イタリア半島のどこよりもひときわ複雑な歴史を築かざるを得なかった長靴の下半分は、地域によって大きな差異がある。
 フィレンツェで画学生をしていた頃、暮らしていたアパートをシェアしていたのが、カンパニアとカラブリア、そしてシチリア出身の学生たちだった。彼らは某かの結果を実らさなければ地元には帰れない、という使命を背負って、愛する家族のいる故郷を去り、“北側”へやって来た南イタリアの同士達でありながら、微妙な対立意識を常に持っていた。
 ある日この学生たちと家賃を巡って大喧嘩になり、カンパニアの学生が荷物をまとめてそこから出て行った後、カラブリアの学生から「お前への恨みは必ず晴らす」と走り書きした紙切れが届いたそうである。その後このふたりがどうなったのか知る由も無いが、あの時カラブリアの学生が、こっそり自分たちより家賃を少なく払っていたカンパニアの学生に対して尋常ではない怨嗟を抱いていたことは確かであり、このやりとりは、私がイタリアを少し怖いと感じた最初の瞬間だった。
『ふたつの海のあいだで』は私にとって、そんな極めて短絡的な記憶からしかイメージできなかったカラブリアという地域と人間性に、しっかりとした質感のある肉付けをしてくれた小説といえる。イタリアで出版関係の仕事に携わっている家族と暮らしているというのに、私の周りでアバーテを読んだ人は殆どおらず、私にとってもこれが初めての彼の作品であった。にもかかわらず、まるでアバーテの世界観を把握し切っている読者のように、文節の端々から、どんな苦渋も困難も生きる意欲へのエネルギーに変えて燃焼してしまうエネルギッシュな登場人物たちや、紺碧の海と青い空に包まれながらもどこまでも乾いた、そしてどこか物悲しいカラブリアの情景が、鮮明に脳裏に浮かび上がってくるのには驚いた。
 まるで映画を見ているような心地で瞬く間に読み終え、興奮に煽られるがまま夫にそのあらすじの説明を試みるも、「ンドランゲタ」という名前を口にした瞬間、その表情が不意に歪んだ。シチリアのマフィアも凌ぐとさえ言われているこのカラブリアの犯罪組織の脅威は、現在北イタリアにまで及んでいるからだ。
 南イタリアに蔓延はびこるこうした幾つかの犯罪組織の起源には、古代から常に他民族によって支配されてきた彼らの、自分たちのものであるべき土地への執着と情念がかかわっている。カラブリアの場合は特に、険しい立地条件や経済的燻りも含めて、愛憎とも解釈できる強烈な思い入れが故郷に対してあるのかもしれない。そんな自分たちの土地の記録を僅かながらでも残してくれた、アレクサンドル・デュマといういにしえのフランスの文化人に対する屈託の無い信仰のような敬意を抱く登場人物達に、この土地の性質が生々しく垣間見えてくる。こうした独特の地域性は、イタリアが未だに内面では統一されていない確固たる裏付けにもなるが、それこそが、まさにこの国の真の姿ともいえる。
 作者がアルバニア移民の集落の出自であったり、ラテン語に近いとされるカラブリア方言が随所に用いられているという点も含め、どこまでも深く、そして複雑な要素を秘めたイタリアという国のあり方を、この作品は力強い説得力を持って読者に伝えてくれるのだ。

(やまざき・まり 漫画家)
波 2017年3月号より

目次

旅立ち
第一の旅
第二の旅
第三の旅
第四の旅
《いちじくの館》での滞在
訳者あとがき

短評

▼Yamazaki Mari ヤマザキマリ
イオニア海とティレニア海に挟まれ、かつては巨大なギリシャ植民地として繁栄した古代から、現代に至るまで怒濤の歴史に毅然と向き合ってきた、南イタリア・カラブリア。この物語に描かれているのは、文明と地中海の歴史の交差路であったこの地域を、そのまま体現したかのようなジョルジョ・ベッルーシというひとりの男と、彼の生きざまを巡る鮮烈な光と影で彩られた壮大な世界だ。孫の目線が象る異様なまでの情熱と強靭な生命力を湛えた祖父の捉え処の無いかたちが、揺るぎない敬愛へと変化するその過程で、読者もこの人物の魅力の虜となってしまうだろう。読み出したとたんに溢れんばかりのエネルギーがチャージされる、まるで発電機のような一冊だ。

▼L'espresso レスプレッソ誌
おとぎ話のような軽やかさとスピード感をあわせ持った、心地のよい小説。アバーテは巧みな書き手である。鮮烈な情感やリズム、詩的イメージの連続により、物語が鮮やかに展開していく。それによって記憶の持つ魔術的な匂いと皮膚感覚をよみがえらせることに、見事に成功していると言えるだろう。

▼La Repubblica ラ・レプッブリカ
カラブリアを舞台にドイツの物語とイタリアの物語が少しずつ混じり合い、あふれる光と音と香りのなかで、世代をまたぐ夢が豊かに語られる。

▼Corriere della Sera コッリエーレ・デッラ・セーラ
英雄的かつ知的で、繊細かつメランコリックな語り。まさにアルバレシュ(アルバニア系住民)の口承文芸である、叙事詩の伝統が感じられる。

▼ル・モンド
素晴らしき語り部。

訳者あとがき

『ふたつの海のあいだで』(原題 Tra due mari)は、イタリアでいま脚光を浴びている作家、カルミネ・アバーテ(Carmine Abate)の長篇三作目で、実質的に彼の出世作となったものだ。アバーテは、デビュー以来、一貫して自らの故郷カラブリアに生まれた人々と土地や家族の関係を描き続けてきた。危機に瀕する言語のひとつに指定されているアルバレシュ語(古アルバニア語をルーツとする)を母語とし、カラブリア方言やイタリア語やドイツ語が交じる環境で培われた特異な言語感覚を活かしつつ、移住というテーマを問い続ける彼の作品群は、元来、郷土色の強い傾向があるイタリア文学界においても、強烈な存在感を放っている。
 本書では、カラブリア一繁盛したものの、一八六五年に焼失したと語り継がれる《いちじくの館》のあるじの末裔、ジョルジョ・ベッルーシ(デュマが置き忘れていった手稿を家宝として大切にしている)と、その孫で、ドイツ人を父に持つフロリアン少年を中心に、数世代にわたる旅の足跡をたどりながら、土地をめぐる家族の思いが描かれていく。
 いまや廃墟が残るだけとなった《いちじくの館》は、はじめのうちこそ、一族に伝わる過去の記憶と、ジョルジョ・ベッルーシの執念めいた夢でしかなかったが、いつしか、故郷にとどまろうとする者を待ち受ける過酷な運命との闘いの象徴となり、やがてフロリアンというしなやかな味方を得て、土地とともに歩む未来へとつながっていく。

 物語の舞台となっているのは長靴の形をしたイタリア半島の南端、土踏まずと爪先の中間あたりとでもいったらいいだろうか。西のティレニア海側はサンタ・エウフェミア湾に、東のイオニア海側はスクイッラーチェ湾に、それぞれ両側からえぐられるような形で陸地が細くなっている部分がある。そのあたりの丘の上に位置する、ロッカルバという架空の村だ。村の上空では、ふたつの海から吹きつける風が交差する。
 アバーテの小説では、故郷、クロトーネ県のカルフィッツィを思わせる村が舞台とされることが多いのだが、本書の舞台は、おなじカラブリアでもかなり西にずれている。この地が選ばれたのは、ある意味必然だった。アバーテは、十九世紀のフランスの小説家アレクサンドル・デュマ(一八〇二~一八七〇年)が、このあたりにあった《いちじくの館》に立ち寄ったとの記述に興味をひかれる。邦訳がないため日本ではあまり知られていないが、旅好きのデュマは、とりわけ南イタリアの風土に強く惹かれており、実際にジャダンという名の画家を伴って南イタリアを旅し、そのときの経験をもとに、カラブリアの風土が細かく描き込まれた『アレーナ大尉』(Le Capitaine Arena 一八四二年)という作品を著している。
 それによると、シチリア島を訪れたのち、イタリア半島の海岸線に沿って船で北上しようとしていた矢先、時化しけに遭い、急遽、カラブリア州のピッツォからコゼンツァまで陸路を行くことになった。その際、一行は、「ヴェーナと呼ばれている、カラブリアでは誰も理解できない言葉と、外国の伝統を維持しつづけている」村の噂を耳にし、そこへ向かうことにした。途中、「十二時ごろ、我々は乗りもの・・・・を休ませ、なにか食事をとるために、《いちじくの館》と呼ばれる小さな集落に立ち寄った。一時間ほど休憩したのち、そこをあとにし、街道を左手に、山のほうに入っていくことになった」とある。この数行ほどの記述をもとに、アバーテは、《いちじくの館》探しをはじめる(物語の最後に登場する作家は、したがって、アバーテ自身の姿を投影しているものといえるだろう)。結局、デュマの言及する《いちじくの館》は見つからずじまいだったが、その欠落を埋めるような形でアバーテが紡ぎだした物語が、本書『ふたつの海のあいだで』だ。

 タイトルにある「ふたつの海」は、両側から《いちじくの館》を抱くティレニア海とイオニア海を意味するだけではない。物語の語り手であるフロリアンが生まれ育ったドイツの冷たい北海と、母の生まれ故郷である南イタリアの、灼けるような陽射しが照りつける地中海というふたつの海でもあり、ひいては、それぞれに強烈な個性を持つフロリアンの二人の祖父に体現される、ハンブルクとカラブリアというふたつの土地と、そこに生きる人々の気質や文化をも暗示する。「太陽と月ほどに異なる」これらふたつの土地のあいだには、二千五百八十一キロの距離が横たわる。
 少年時代のフロリアンは、双方の祖父に対して反感を抱いていたことも手伝って、このふたつの土地の混淆として生まれた自分自身を受け容れることができずにいた。

〈僕はなんて最悪な遺伝子を持って生まれてきたのだろう。僕の血管には、有毒な血がしっかりとブレンドされて流れているのだ。〔中略〕そんな考えがくっきりと頭に浮かんだとき、僕はいわゆる「普通」のルーツを持つ友だちが羨ましくてたまらなくなった。両親ともにドイツ人の子供であり、それ以外の何者でもない。対する僕ときたら、ひとたびルーツを探りはじめるといつの間にか迷子になってしまうのだった。荒野を流れる小さな沢の水のように。おまけに、僕の川に流れる水は澱んでいた〉

 だが、母や祖父の語りを通して、彼らの足跡をたどり、「裏切られた恋人のように」彼を呼ぶ土地の嗄れ声に導かれながら、ハンブルクとロッカルバを行き来し、祖父たちの足跡をたどっていくうちに、ふたつの世界に対するわだかまりもいつしか消え、双方にしっかりと根を下ろして生きる道を歩みはじめる。フロリアンにとってそれは、「過去の断片だけでなく、未来の断片を失わないためにも必要なこと」だったのだ。

 フロリアンの歩みは、著者アバーテ自身の歩みとも重なる。アバーテの父親は、彼が幼い頃からドイツへ出稼ぎに行っていた。やがてアバーテも、父の旅をたどるようにして、ハンブルクへと渡る。自伝的要素の多分に含まれた短篇、「足し算で生きる」のなかで、ふたつの世界を行き来する自らの姿をアバーテはこんなふうに綴っている。
「僕は、“空しいピストン運動”と呼んでいるところの、この南イタリアと“ヨーロッパ”との往復を続けながら、結局いつも自分の居場所はここではないのだと思い続けることに疲れていた」
 そんなアバーテが行きついた結論が、「北と南とのどちらかを選ぶのではなく、それらを足し合わせながら生きていきたい」というものだ。そして、最終的には、移住先のハンブルクでも、生まれ故郷のカラブリアでもなく、その中間にあたる北イタリアのトレンティーノで暮らすことを選ぶ。

〈自分の生まれ故郷と、仕事や人間関係を理由に僕のことを引きつけていたドイツ北部の中間点はどこかと探してみた。要するに、地理的な計算にもとづいて、僕はトレンティーノにやってきたのだ。だが、それだけではない。僕がトレンティーノという土地に惹かれたのは、ここが国境沿いの土地だったからである。僕にとって国境とは、人と人との接触の場であり、分裂の場ではない。この特権的な場所からならば、一定の距離を保ちつつも、情熱を忘れずにヨーロッパの南と北の双方を生き、語ることができる。なぜならば、北も南も、自分の眼からは遠いところにあるけれども、中間の土地においては双方が存在し、混合されているからだ。ここでならば、ふたつの世界のよりよい部分を見いだすことができ、それらを共生させ、融合させた新しい現実を生きることが可能だ。そうすることにより、僕自身が日々、文化的にも人間的にも豊かになっていけるのだ〉

 そうやって自ら選びとったトレンティーノで、アバーテは、故郷カラブリアという土地から発つことを強いられた者たち、あるいはその対極の選択肢としてある、土地に根差して生きることを選んだ者たちの姿を一貫して描いてきた。
 カラブリアだけでなく、南イタリアで暮らす者にとって、「移住」は、避けて通ることのできないテーマだ。ヨーロッパと中東、アフリカの接点にあたるため、古来、さまざまな民族の混淆の場であったし、現在でもなお、多くの人々が、中東諸国やアフリカ諸国から貧困や紛争や迫害を逃れ、安住の地を求める旅の起点として、南イタリアに流入する。一方で、山が海岸線にまで迫り、中央から遠く隔てられているという、統一国家イタリアからみれば辺境の地であるがゆえに、産業に乏しく、大規模な農業にも適さない寒村での暮らしは楽ではなく、一家の担い手たちは、家族を養うために、北イタリア、ドイツ、フランス、あるいはアメリカへと、わずかなつてを頼りに出稼ぎを強いられてきた。妻子を残して旅立たざるを得なかった父親は、あとに残した故郷や家族への郷愁やうしろめたさを胸に日々を生きる。そしてこんなつらい思いは自分の世代で終わりにしよう、せめて子供たちには教育を受けさせ、故郷で暮らせるようにしてやろうと誓う。それでもなお、子供らもまた旅立っていくという連鎖をくいとめることは容易ではない。
 むろん、ジョルジョ・ベッルーシのように土地に根差して生きることを選ぶ者たちもいる。しかし、そのためには、旅立つよりもはるかに強固な決意が必要となることもある。故郷にとどまって生きる決意をした者たちの前に立ちはだかるのは、経済的に厳しい暮らしだけではない。営んでいる精肉店のみかじめ料を拒んだがために、ジョルジョ・ベッルーシに執拗な嫌がらせをしていたのは、カラブリアを拠点とする犯罪組織、ンドランゲタだ。ひとたび彼らに逆らおうものなら、見せしめとして、残酷な報復が待ち受ける。土地の人たちは皆その存在を知ってはいるものの、誰もその名を口にすることはない。

 もうひとつ、アバーテ作品の特徴として挙げられるのが、前述したとおり、アルバレシュ語、カラブリア方言、イタリア語、ドイツ語という四つの言語が入り交じる環境で培ってきた、特異な言語感覚だ。彼の故郷カルフィッツィは、十五世紀から十六世紀にかけてアルバニアから逃れてきた人たちを祖先とするアルバレシュ共同体であり、カラブリアのなかでもとりわけ複雑かつ豊かな言語・文化的背景を持っている。そんな土地に埋もれている記憶を掘り起こし、物語として語り伝えるために、アバーテは聴く耳を持つものにしか理解できないアルバレシュ語やカラブリア方言をすくいあげてきた。彼の作品においては、カラブリア方言やアルバレシュ語だけでなく、移住先のドイツ語やフランス語までが、イタリア語で書かれた文章のなかに直接織り込まれている。それぞれの言葉の比重は、個々の作品ごとに異なる。たとえば、『帰郷の祭り』や『偉大なる時のモザイク』など、アバーテの生まれ故郷であるカルフィッツィを思わせる架空の村、ホラを舞台とした作品群では、アルバレシュ語が多用されている一方、本書では、カラブリア方言やドイツ語がところどころに登場する。ちなみに、本書の献辞は、イタリア語とドイツ語とアルバレシュ語が併記されたものだ。

「語り」もまた、アバーテ作品の特徴として挙げられる。もともと、アルバレシュ共同体には民謡や語りを重視する伝統があり、ラプソディアと呼ばれる叙事詩のような口承の物語によって、神話や武勇伝が代々語り継がれてきた。アバーテは、幼少期からカルフィッツィの村でそうしたアルバレシュ語の語りを聞きながら育った。そんな、小さな頃から身体にしみついている語りの妙やリズムが彼の作品の根底にあり、独特な中間話法によって流れるように物語が展開していく。とりわけ本書『ふたつの海のあいだで』の語り手は一人ではなく、フロリアンを軸としながらも、母や祖父の語りが織り込まれ、ときには父や祖母の声まで混ざりながら、あたかもポリフォニーのように幾重にも響きわたる。しかもそんな語りを促しているのは作家自身であるという、実に考え抜かれた構造になっている。
 完璧なバランスのもとで成り立っている抒情豊かな語りは、思い出にまつわる匂いや色までが伝わってくるほど鮮やかで、耳に心地よく、読者を物語世界に引き込む力を持っている。

 アバーテは、一九九一年に「サークルダンス」で長篇デビューし、続く一九九九年の「スカンデルベグのバイク」と、いずれもローマのファーツィという小出版社から小説を発表していたが、二〇〇二年に刊行された本書『ふたつの海のあいだで』が本国イタリアはもとより、フランスやドイツで高く評価され、〈フェニーチェ・エウローパ賞〉〈フェウド・ディ・マイダ賞〉〈ドメニコ・レーア賞〉などを獲得したことにより、名実ともにイタリアを代表する作家の仲間入りを果たした。その後、二〇一二年に発表した『風の丘』(拙訳、新潮クレスト・ブックス)で、権威ある〈カンピエッロ賞〉を受賞し、その地位を不動のものとした。これまでに長篇だけでも九つの小説を発表している。最新作の「婚姻の宴とそのほかの味」(二〇一六年)は、カラブリアやアルバレシュの料理にまつわる十六の思い出が収められた風味豊かな短篇集だ。
 アバーテの作品は、読み重ねていくにつれ、それぞれが補完し合い、カラブリアに生を享けた人々の全体像が徐々に浮かびあがってくる仕掛けになっている。さいわいなことに、二〇一六年、『偉大なる時のモザイク』と、『帰郷の祭り』(いずれも栗原俊秀訳、未知谷)が相次いで邦訳された。『風の丘』と合わせて、これで四作品が日本語で読めるようになった。

 様々な要因から、生まれ故郷を離れざるを得ない人たちが後をたたない昨今、「異なる人々や文化や言語の衝突=出会いが最終的には万人を豊かにする」という確信のもと、イタリアの最南端という過酷な境界を舞台に、旅立ちや帰郷、土地に根を張って生きる人々の姿を独特な語り口でわたしたちに届けてくれるアバーテの作品群は、社会の抱える問題を考えるうえで多くの示唆を含んでいる。

『風の丘』を訳していたときから、アバーテの巧妙な語りに魅了され、この『ふたつの海のあいだで』もぜひ日本の皆さんに読んでもらいたいと願っていました。その願いがこうして実現できたのは、なにより、アバーテの作品の魅力を理解してくださっている新潮社の須貝利恵子さんと佐々木一彦さん、編集の労をとってくださった同社の杉山達哉さんのお蔭です。また、同社校閲部の方々には、驚くほど細やかな助言をいただきました。皆さんに深く感謝いたします。
 そして、イタリア語の解釈や方言の理解の手助けをしてくれたマルコ・ズバラッリと、随所に織り込まれたドイツ語について教えてくれた市村貴絵さんに、心よりお礼を申しあげます。

 二〇一七年一月

関口英子

感想を送る

新刊お知らせメール

カルミネ・アバーテ
登録する
関口英子
登録する
文芸作品
登録する

同じジャンルの本

書籍の分類

ふたつの海のあいだで

全国の書店、または以下のネット書店よりご購入ください。

※ 書店によっては、在庫の無い場合や取扱いの無い場合があります。あらかじめご了承ください。
※詳しい購入方法は、各ネット書店のサイトにてご確認ください。

  • amazon
  • 楽天ブックス
  • 7net
  • e-hon
  • HonyaClub
  • TSUTAYA ONLINE
  • 紀伊國屋書店
  • エルパカBOOKS - HMV
  • honto