ホーム > 書籍詳細:西田幾多郎―無私の思想と日本人―

日本的精神の核心を衝く。知的興奮あふれる警世の書。

西田幾多郎―無私の思想と日本人―

佐伯啓思/著

842円(税込)

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発売日:2014/10/18

読み仮名 ニシダキタロウムシノシソウトニホンジン
シリーズ名 新潮新書
雑誌から生まれた本 新潮45から生まれた本
発行形態 新書、電子書籍
判型 新潮新書
頁数 255ページ
ISBN 978-4-10-610589-0
C-CODE 0210
整理番号 589
ジャンル 哲学・思想
定価 842円
電子書籍 価格 648円
電子書籍 配信開始日 2015/04/17

考えに考え抜き、自分の底を突き破った先にあるものは――。世の不条理、生きる悲しみ、人生のさだめなどを、歩きながら沈思黙考し、「日本人の哲学」を誕生させた西田幾多郎。自分であって自分でなくする「無私」とはどんな思想なのか。その根源にある「無」とは何か。純粋経験、理性と精神、死と生、論理と生命、根本実在……難解な言葉をかみくだき、「西田哲学」の沃野を、稀代の思想家が柔らかな筆致で読み解く至高の論考。

著者プロフィール

佐伯啓思 サエキ・ケイシ

1949(昭和24)年、奈良県生まれ。社会思想家。京都大学名誉教授。京都大学こころの未来研究センター特任教授。東京大学経済学部卒。東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。2007年正論大賞。『隠された思考』(サントリー学芸賞)『反・幸福論』『日本の宿命』『西田幾多郎』『さらば、資本主義』『反・民主主義論』など著作多数。

目次

序章 西田幾多郎の「道」
「哲学の道」/西田、心痛の種/常に権威は海外に/京都だからこそ生まれた
第一章 「無の哲学」の誕生
言語道断な「コクサイカ」/進歩か、退行か/唯一の日本発の哲学/根源の「無」
第二章 「純粋経験」とは何か
「日本的な」答え/かくて「私」は存在する/西田の観点/「私」とは何か
第三章 「絶対無の場所」について
決して「慟哭せぬもの」/「場に過ぎない」/つまり、それは「無」/「心の底」とはどこか
第四章 「死」と「生」について
日本精神とは何か/「さだめ」とは何か/「生者」と「死者」/「無私」という「隠遁」
第五章 特攻精神と自死について
選びとられた自死/「あきらめと覚悟」の哲学/日本版「実在主義」/「永遠の今」
第六章 日本人の宗教意識
罪の意識と恥の意識/西田幾多郎の宗教観/「永遠の死」/悪魔的世界
第七章 「有の思想」と「無の思想」
死の国の入口/「表」と「裏」/我と理想と精神と/「無」から「無」へ帰ってゆく
第八章 「日本文化」とは何か
「おもてなし」と神/「ろくでなし」の時代/日本文化の核心とは/「今ここに」
第九章 大東亜戦争と西田哲学
「思想の戦い」/まったく特異な国体観/「ポイエシス」とは何か/根本に「誠」
第十章 絶筆「私の論理について」
「生きている」と「死んでいる」/「根本実在」とは/「行為的直観」/論理と生命
第十一章 「永遠の今」と無始無終の時間
文明進歩の意志/無限が生み出す「負荷」/日本の思惟とは/「無常」と「刷新」
終章 西田哲学の毒
秘境的で謎解き的/悲しき運命/絶対的矛盾の「無」/「はかなさ」と「美」
あとがき

担当編集者のひとこと

「日本人」を考え尽くす

『西田幾多郎―無私の思想と日本人―』は、日本を代表する哲学者の、日本一“難解”とも評される西田哲学に、社会思想家の佐伯啓思氏が挑んだ一冊です。
 西田哲学に「その悪名高い文体に気後れし、敬して遠ざけていた」という佐伯氏が、実際に読んでみると、どんどんと惹きつきられ、連夜、西田の著作を読み耽ることになってしまった。その産物が本書です。
 難解で読みにくい西田哲学に惹かれ続けるのは、そこに「日本的なもの」へ向かう明らかな志向があるからで、その面白さや重要さは、西洋哲学の影響を受けながらも、「日本的な」答えを与えようとしていた点にあると佐伯氏は述べています。
 この「日本的なもの」への志向が、実は、人間の真理(存在)へ肉薄していく、と西田は考えており、「日本的なもの」を「世界的なもの」にしようと、「日本」および「日本人」を考え尽くしています。
 日本人に根ざす「無私」とはどのような思想なのか。
 その根源にあるという「無」とは何なのか。
 純粋経験、理性と精神、死と生、論理と生命、根本実在、日本文化と神、宗教意識、情の特性、行為的直観、根本実在、論理と生命……難しい言葉や概念を、佐伯氏が柔らかく読み解いています。
 その思想に秘められた精髄は、今を生きる日本人への箴言や警句に満ちています。
 ぜひご一読ください。

2014/10/24

蘊蓄倉庫

「純粋経験」とは何か

 西田哲学の重要な言葉に、「純粋経験」があります。
 たとえば、ある朝、公園に行ってみると、桜の花が一気に満開になっていたとします。美しさにアッと息をのみます。少しして「何と美しい花だ」といいます。これは「私はきれいな花を見た」という経験です。
 しかし、よく考えてみると、これは「何と美しい花だ」という時には、「この花は美しい」という事実が対象化されています。
「私」が「美しい花」を「見た」ので、これは「認識」であって、「経験」ではありません。
 しかし、最初に桜を見た時、「私」はある経験をしています。この時には、「私は桜を見ている」ということさえもできず、「きれいな桜だ」と考えたりもしません。明瞭な認識はありません。この一瞬には、ただ「経験」があるのみです。
 ここでは、「私」もなければ、「桜」も対象化していません。いわば両者が融合したような経験があるのです。
 西田は、こうした経験を「純粋経験」と呼んでいます。
「ややこしくてよくわからない……」と思われる方は、本書でさらに詳しく知っていただければ幸いです。
掲載:2014年10月24日

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