ハワイイ紀行


I 淋しい島

 最初に変だなと思ったのは、マウイ島カフルイ空港で
チェックインしようとした時だった。カウンターの横の
秤の上に荷物を置いて、航空券を出す。中に立っている
のは愛想のいいかわいい若い女性。色が黒く、丸顔で、
何割かはポリネシア系ということが見てとれる。つまり
本来のハワイイ人の相貌だ。彼女は航空券をしげしげと
見て、こちらの顔を見て、もう一度航空券を見てから、
ふっと笑った。
「あなた、モロカイに行くの?」
「そう、モロカイ」
「ふーん」
 そう言って、また人の顔を見る。どうも「ふふふ」と
いうような顔をしている。何がおかしいのか考えてみた
がわからない。だいたい日本人に比べると太平洋の島々
に住む人々は表情が豊かで、心の微妙な動きがすぐ顔に
出る。何か思うところがあったのだろう。それを聞き出
そうかと一瞬思ったが、こちらが口を開く前に彼女は搭
乗券を寄越して「いい旅を」とにっこり笑った。晴天の
午前九時のカフルイ空港にふさわしい美しい笑みだった。
一日の幸運を保証してもらったような気になる。ぼくは
相手の笑みに負けることを承知で、それでも精一杯にっ
と笑って、搭乗券を胸ポケットにしまい、その朝二度目
の朝食をとろうとカフェテリアに向かった。

 午前九時のカフルイ空港は空が抜けたようなよい天気
だが、その三時間前にぼくの目を覚ましたのは屋根を叩
く豪雨の音だった。場所は空港からは五十マイル離れた
ハナ。マウイ島の東の端である。日系のフサエ・ナカム
ラさんが経営するアロハ・コッテージという宿の気持ち
のいいベッドの上で、雨の音にうながされて眠りの中か
らおずおずと這い出したぼくは、ついつい日本での習慣
のままに「今日は雨か」と思った。それから自分がどこ
にいるかを思い出し、ハワイイだったと気付き、それな
らば雨はすぐに止むはずだと思いなおした。この島々で
は夜明けの前にひとしきり沛然たる驟雨がやって来る。
律儀な清掃者のように、新しい一日にそなえて風景全体
を洗ってぴかぴかにしてくれる。人々が起きた時には瑞
々しい木々の緑としっとりと湿った土の色が待っている。
 起き上がって、コーヒーとビスケットという簡単な朝
食を自分で用意し、手早く食べてさっさと食器を片づけ
る。シャワーはさぼって、荷物を車に運び、鍵をナカム
ラさんに言われたように部屋の中央のテーブルの上に置
いて、出発した。支払いは前の晩に済ませておいた。空
はもう晴れあがっていた。
 ハナはマウイ島の観光の中心からはずいぶん離れてい
る。静かな美しい村だ。もともとはサトウキビのプラン
テーションのために開かれた土地で、日系の人々も少な
くない。しかし、それ以上にここを有名にしているのは、
空港近くのカフルイとワイルクという双子の町からここ
に至る五十マイルの道の方である。島の北岸に沿って、
海と山の間の険しい斜面にしがみつくようにうねうねと
二車線の道が伸びている。急カーブが五百に、一車線の
狭い橋が六十五。広いまっすぐな四車線のハイウェイに
慣れたアメリカ本土からの観光客はそれだけで騒ぐ。
「俺たちはハナへの道を生きて通った」と書いたTシャ
ツまで売っている始末。しかし実際には、対向車にさえ
気をつければ、山道に慣れた日本人にとってはさほど悪
い道ではない。ぼくはその日曜日の朝、ハナからカフル
イ空港までを一時間五十分で走った。快適なドライブだ
ったと言っていいが、通勤者のいる平日ならば後続車に
気を使ってもう少しスピードを出さなければならず、そ
うなるともっとスリリングだったかもしれない。

 アメリカのローカル空港の常で、カフルイの空港の待
合室も行く先別にはっきりと区切ってない。それでも日
本の空港ほど雑然とはしていなくて、だいたい一つの便
に乗る客は大雑把な仕切りの内側に集まるようになって
いる。ぼくが指示された区画に行ってみると、すでに百
人あまりの乗客が搭乗の案内を待っていた。ぼくはその
中にまぎれこみ、隅のシートに坐って待った。こういう
時が最も人の顔を見るのに適している。そして、ハワイ
イほど多くの顔が見られる空港は世界でも少ないだろう
と思う。この州はアメリカ合州国でもいちばん多くの人
種が集まった土地である。まず、はるか昔に太平洋の島
々から最初にこの諸島にやってきた人々の顔があり、そ
こへアメリカの白人はじめヨーロッパ系の連中が来て、
アジア系の人々がたくさん来て、それに(アメリカ本土
よりは少ないが)アフリカ系の顔を見ることも特に軍関
係では珍しくない。かつてはこのような状況を人種の坩
堝と称した。しかし、それはあまりにも単純な言いかた
で、人々は一緒に暮らしはしても融け合って合金を作り
はしないことが次第に明らかになった。今ではこの状態
はサラダ・ボウルと呼ばれる。いろいろな素材が混じっ
てはいるが、それぞれは元の味を保っているということ。
たまにトウガラシが入っていたりすると大騒ぎになる。
 自分の体格にはいささか大きすぎるアメリカ・サイズ
の椅子に浅く坐って、いろいろな顔を見ながら飛行機を
待った。こういう時には気がゆるむ。どうせ案内があれ
ばみんな動くのだと思っているから、アナウンスをちゃ
んと聞いていない。何か言っているなと思ったが、誰も
席を立たない。何か視野の隅の方に僅かな動きが見えた
ような気がしたのをそのままほっておく。
 待てよ、という気がした。見ると、三人ばかりの乗客
がゲートを通って外へ出てゆく。大きなガラス窓を見て
も飛行機はいない。ボーディング・ブリッジの先は空っ
ぽ。
 しかし気になる。ぼくは念のためという気持ちでバッ
クパックを背負い、立っていって、ゲートの横にいたグ
ラウンド・ホステスにたずねた。
「モロカイ?」
「そうよ、お早くどうぞ」
 そうだったのか。ここで待っている人々の大半は別の
便に乗るのだ。ぼくはゲートを抜け、暗い通路を歩き、
階段を降り、前を行く数人の乗客に従って明るいエプロ
ンを徒歩で横切り、少し離れたところで待っていたプロ
ペラ機に乗り込んだ。そこできちんと数えたところ、客
は八人だった。機種はダッシュ7B、初めて乗る飛行機
だ。それだけで嬉しくなったが、それにしてもモロカイ
島に行く人は少ないのだと改めて思う。小さい島とは聞
いていたし、観光開発が進んでいないのも知っていたが、
それが実感として伝わってきた。
 飛行時間は二十分ほど。ジョギング・シューズを横か
ら見た形と言われるモロカイ島の北側の切り立った断崖
を左に見ながら飛んで、やがて島の中央からちょっと西
に寄ったところにある空港に着陸した。がらんとしてい
る。八人の乗客が降りたぐらいでにぎやかになるはずが
ない。エプロンの脇の方に自家用機が数機並んでいると
ころはやはりアメリカだと思う。遠くの方に風向を見る
赤い吹き流しが一旒なびいている。あれは英語では風の
靴下と言うのだったと妙なことを思い出す。
 暑い日射しを浴びながらターミナル・ビルの方へとこ
とこ歩いた。建物の中に入らず、脇を通って外へ出るよ
うになっている。そこに手荷物を受け取る台があった。
屋根はあるけれども風はいくらでも通るのだから屋外と
いうべきだろう。回転式のベルト・コンベアではなく、
ただステンレスの台があるだけ。こちら側に客がいて、
向こう側からおじさんたちがトラックで運んできた荷物
をよいしょと台に乗せる。バーター取引のように明快。
まるでミクロネシアの小さな島の空港のようだと懐かし
くなる。自分の荷物に手を伸ばすと、おじさんがひょい
とトランクを立てて持ちやすくしてくれる。目でありが
とうを言って、持ち上げる。トランクの重みを腕に感じ
てあたりを見回せば、空港周辺はただ赤茶けて乾いた丘
ばかりで、木もなければ人家らしいものも一つもない。
淋しい島だ。
 カフルイ空港のチェックイン・カウンターのお姉さん
の「ふふふ」の意味がようやくわかった。彼女は、「モ
ロカイに行ったって何もないわよ。誰も行かないんだか
ら」と言いたかったのだろう。しかし、来てしまった以
上はここを見られるだけ見るのがいい。それに、人が少
ないところはもともと好きなのだ。旅を目的主義的に組
み立ててはいけない。旅の値打ちを見たものの数や、名
所旧跡の数々、買物の量、撮った写真などで計ってはい
けない。旅はただ気持ちよく過ごした時間の長さでのみ
評価されると考えよう。この島がいい時間を与えてくれ
れば、それ以上望むものはない。
 このあたりで「ハワイイ」という表記のことを説明し
ておいた方がいいかもしれない。太平洋の真ん中、北緯
二○度周辺、西経一五五度から一六○度にかけて広がる
島々は普通の日本語ではハワイと呼ばれる。しかし英語
の綴りを見た人は最後にIの字が二つ並んでいることを
奇異に思うのではないか。普通の英語ではありえないこ
とだ。そして、この島々本来の言葉ではこの名は綴りの
とおりにハワイイと呼ばれる。
 ハワイイ語、すなわちこの島々に最初に来て住みつい
た人々の言葉は、母音は日本語と同じように五つだが、
子音が七つしかない。だからシラブルは一つ一つはっき
りと区切って発音される。母音が多くてそれがいくらで
も続くのだから、だらしなくつなげてしまっては聞き取
れないのだ。ホオイアイオイア(確認するという動詞の
分詞)というような綴りをどう発音すればちゃんと相手
の耳に伝わるか、やってみていただきたい。従って、ハ
ワイイもむしろ「ハ・ワ・イ・イ」と言うぐらいの覚悟
がいる。この島々本来の言葉に敬意を表して、ぼくはこ
の紀行の中では綴りをそのままカタカナにして用いよう
と思う。幸いなことに日本語とハワイイ語は実に相性が
いい。
 さて、ハワイイ諸島の話だ。地球で最も大きな海であ
る太平洋のほぼ中央に一連の島々が東から西へと伸びて
いる。端から端まで計れば二千四百キロに及ぶ。配列を
見ると、東の方には比較的大きな島々があり、実際最も
大きな島は最も東にある。人が住んでいるのも東から数
えて八番目の島までで、西の方の島々はみな無人島。島
の高さにも東から西へ下がってゆく傾向があるが、そう
いう話はいずれ詳しくするとしよう。
 これらの島々には、今言ったとおり、人が住んでいる。
それもずいぶん古い時代から住んでいた。世界には人が
住む島は珍しくないし、現にわれわれの国土を成す日本
列島も人が住みはじめてから久しい。しかしながら、日
本列島の場合は大陸から渡ってくるのにさほどの困難は
なかった。朝鮮半島から九州までは百キロほど、しかも
ちょうど真ん中に対馬があって、晴れた日には互いの山
々を見ることもできる。台湾と与那国島の間も同じぐら
いで、これまた年に何度かは見えるという。見えれば渡
るという発想も湧くだろう。遊び半分では行かないかも
しれないが、何か背後に圧力があったら人は海を渡る決
心をする。豪族同士の勢力争いに敗れた方が、屈辱の日
々を送るよりはいっそかすかに見える海の向こうの土地
へ渡って新天地を開拓してみようと考えるのはむしろ当
然である。漂着のような自分の意思に因らない渡海にし
ても、距離が近ければその分だけ到着率は高くなる。そ
うやって後に日本列島と呼ばれることになる島々に人が
住みついた。
 しかし、ハワイイでは話はそう簡単ではない。この諸
島は、いかなる大陸からも遥か遠くに孤立してあるのだ。
アメリカ大陸側から見れば、サンフランシスコから三千
九百キロ、アジアの方は東京からでさえ六千二百キロ、
シドニーからは八千キロある。見える距離ではない。も
ちろん大陸だけが移住者の供給地ではないのであって、
例えばマレー半島からニューギニアの東端までは小石を
撒いたように島々がつらなり、島の東の岸に立って沖を
見れば陸地の影が見えないことはない。これならば朝鮮
半島と九州の間や台湾と与那国島の間のように、目視し
た上で渡ることもできるだろう。ニューギニアから先だ
って、そう遠い距離をあてずっぽうで渡らなくても、ソ
ロモン諸島、バヌアツ、フィジー、トンガ、クック諸島
などを経由してソシエテ諸島やマルケサスに行くのは、
さほどむずかしいことではない。
 だが、そういう島々の連鎖からもハワイイ諸島ははる
ばると離れている。ここに挙げた南太平洋のいわゆるポ
リネシアの中心を仮にクック諸島とすれば、その中心に
あたるラロトンガ島のアヴァルアからハワイイまでは四
千七百五十キロ。全体としてハワイイ諸島からおよそ四
千キロ以内に文化の中心と言えるような土地はないのだ。
 これは容易に渡れる距離ではない。古代的な航法で海
を渡る場合、距離が増えると困難はそれ以上に増える。
近いところならば海流も風も一定していて、うまくそれ
に乗れば目的地に着く。しかし距離が増せば、その間を
支配する海流や風は次々に変わる。そのたびに変位を算
出し、正しい方位を探しだし、そちらへ舟を進めなけれ
ばならない。四千キロにわたってそれを行うための航海
術の蓄積はわれわれの想像を絶する。
 しかし、実際にハワイイには人が住んでいるのだ。考
古学的な資料によれば五世紀には既に人が渡っていた形
跡があるという。これは単に幸運に恵まれた漂着だった
かもしれないが、十二世紀にはタヒティ島から一つの社
会全体が渡ってきて、多くの人口を擁して栄えた。それ
がまず驚くべきことだ。もう一つしつこく逆の例証を試
みるならば、小笠原諸島は本州から一千キロしか離れて
いないのに、つい最近まで人が住んでいなかった。日本
人による発見そのものが一五九三年と遅く(その前にス
ペイン人が見つけていたという説もある)、その後の開
拓の試みも失敗、十九世紀になってからアメリカ人が上
陸したり、イギリスが領有を宣言したりしている。アメ
リカ人に率いられたハワイイ系の人々が実際に住んだこ
ともある。その後は一応日本領となったが、移民は定着
せず、明治に入ってからようやく定住が実現した。亜熱
帯気候の中にあって山も多い百平方キロの面積は決して
小さすぎはしない。自給自足は不可能ではない。しかし、
人は住まなかった。住める土地のすべてに人が住むわけ
ではないのだ。これを考えると、ハワイイ諸島にあんな
に早くから人が住んだというのはずいぶん不思議なこと
に思われる。
 彼らの最初の移住の意図が何であれ、ここに特異な歴
史が実現したことは疑えない。タヒティとの行き来は約
百年間続いた後、唐突に途絶えた。ハワイイ島民は独立
した社会を作って、自足の状態で何百年かに亘って生き
てきた。そして、十八世紀になって西洋人がやってきて
開国を余儀なくされ、遂には併合されて、今はアメリカ
という大国の一州となっている。この歴史全体が特異性
と普遍性の両方の面で実に興味深い。この紀行でぼくが
見たいと思うのはこのような土地の歴史と今の姿、そし
てそれらの背後に見える人間の営みの意味である。ヒト
は地上に生きて、子孫を生み、土地を拓き、栄え、今見
るようなグローバルな文明を築くにいたった。しかしそ
れをそのまま肯定して喜んでいられた時代は終わった。
神がヒトという種だけを特別にかわいがってくれるとい
う妄想はもう捨てなければならない。そういうことを頭
の隅に置いた上で、この美しい島々を歩いてみたい。
購入