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幕末史

半藤一利/著

1,980円(税込)

発売日:2008/12/18

  • 書籍

はたして明治は「維新」だったのか? 大ベストセラー『昭和史』の著者が、激動の幕末を語り下ろした待望の書。

多くの才能が入り乱れ、日本が大転換を遂げた二十五年間。黒船来航から西南戦争まで、大混乱の時代の流れを、軽妙な語り口で平易かつ刺激的にひも解いてゆく。はたして明治は「維新」だったのか。幕末の志士たちは何を成し、また成さなかったのか――。独自の歴史観を織り交ぜながら、個々の人物を主人公に活き活きと描いた通史。

  • テレビ化
    半藤一利が語る『幕末史』(2009年12月放映)
目次
はじめの章 「御瓦解」と「御一新」
第一章 幕末のいちばん長い日 嘉永六年(一八五三)ペリー艦隊の来航
◇米国大統領の国書 ◇天理にそむく罪 ◇阿片戦争のショック ◇幕府はないないづくし ◇「宜しく衆議を尽くすべし」 ◇「なぜ湾内深く進むのか」 ◇「白刃一閃などとんでもない」 ◇歴史的な儀式 ◇「アメリカ様にそつと言ひ」 ◇江戸っ子たちの珍案妙策 ◇近代日本のスタート
第二章 攘夷派・開国派・一橋派・紀伊派 安政五年(一八五八)安政の大獄
◇下田、箱館の二港を開港 ◇長崎海軍伝習所の二百人 ◇ハリスの名演説 ◇舞台は江戸から京都へ ◇橋本左内の新国家構想 ◇井伊大老の強行突破作戦 ◇安政の大獄の死者たち ◇桜田門外の変の狂句
第三章 和宮降嫁と公武合体論 文久二年(一八六二)寺田屋事件
◇咸臨丸が太平洋に乗り出す ◇勝は船酔いで役立たず? ◇「尊皇攘夷」という時の流れ ◇和宮を将軍の御台所に ◇和宮の東下りと大赦令 ◇テロが正義になる時
第四章 テロに震撼する京の町 文久三年(一八六三)攘夷決行命令
◇ハッスルする島津久光 ◇慶喜と春嶽コンビのやったこと ◇大久保と勝の献策 ◇将軍、“臣”に下る ◇テロの嵐が吹きまくる ◇英国公使館焼き討ち ◇「粗末ながら攘夷の血祭り」 ◇攘夷実行の期日は五月十日 ◇いよいよ攘夷決行のこと
第五章 すさまじき権力闘争 元治元年(一八六四)蛤御門の変
◇下関戦争と薩英戦争 ◇八月十八日のクーデタ ◇六人の賢人会議 ◇池田屋事件と蛤御門の変 ◇勝海舟と西郷と龍馬 ◇長州のつらい事情
第六章 皇国の御為に砕身尽力 慶応二年(一八六六)薩長連合成る
◇高杉晋作の「たった一人の反乱」 ◇中岡慎太郎と土方久元 ◇薩長連合の基礎固め ◇開国が日本の国策となった日 ◇薩長同盟成る ◇余話、「皇国」について ◇寺田屋で龍馬奮戦
第七章 将軍死す、天皇も死す 慶応二年(一八六六)慶喜将軍となる
◇将軍家茂の突然の死去 ◇第二次長州征伐は失敗 ◇勝つぁんの奮闘、水泡に帰す ◇王政復古という言葉 ◇孝明天皇、暗殺される? ◇「ええじゃないか」狂騒曲
第八章 徳川慶喜、ついに朝敵となる 慶応四年(一八六八)鳥羽伏見の戦い
◇「船中八策」の発案者 ◇討幕の密勅が下った ◇大政奉還の建白書 ◇いよいよ決戦の準備 ◇坂本龍馬、暗殺さる ◇王政復古の大号令 ◇小御所会議の大論戦 ◇のるかそるか、鳥羽伏見の戦い
第九章 勝海舟と西郷隆盛 慶応四年(一八六八)江戸城の無血開城
◇将軍江戸に逃げ帰る ◇徹底抗戦派の大落胆 ◇京都の西軍側の金集め ◇慶喜、大慈院に蟄居恭順 ◇山岡鉄太郎、駿府へ走る ◇西軍が出した降伏条件 ◇勝の独自の迎撃作戦 ◇勝・西郷の二度の会談
第十章 戊辰戦争の戦死者たち 明治元年(一八六八)会津若松城開城
◇西郷隆盛、大いに走る ◇勝は単身で敵陣へ ◇慶喜のイギリス亡命案 ◇「万国公法」の重要性 ◇江戸開城と彰義隊の反抗 ◇悲劇の戊辰戦争 ◇五箇条の御誓文の意義 ◇すったもんだの東京遷都
第十一章 新政府の海図なしの船出 明治四年(一八七一)廃藩置県の詔書
◇幕臣の大移動 ◇やることはあくびにタバコ ◇版籍奉還の荒療治 ◇大久保、大いに策謀する ◇西郷を引っぱり出そう ◇世界史に類をみない大事業
第十二章 国民皆兵と不平士族 明治六年(一八七三)征韓論に揺れる
◇海舟、しぶしぶ新政府に入る ◇人材登用と宮廷改革 ◇徴兵令発布のてんやわんや ◇「征韓論」騒動の果てに
第十三章 西郷どん、城山に死す 明治十年(一八七七)西南戦争の勝者
◇岩倉右大臣襲われる ◇江藤新平に梟首の刑 ◇台湾征討というガス抜き ◇「朝命に逆らっての行動なり」 ◇大阪会議で決めた方針 ◇皇国は西洋諸国の奴隷たらん ◇反乱そして反乱また反乱 ◇たまった痛憤のマグマ ◇「西郷、もう大抵にせんか」
むすびの章 だれもいなくなった後 明治十一年(一八七八)参謀本部創設
◇大久保利通の無残な死 ◇破壊者と建設者 ◇先行した統帥権の独立

あとがき
参考文献
「幕末史」関連年表

書誌情報

読み仮名 バクマツシ
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 480ページ
ISBN 978-4-10-313271-4
C-CODE 0095
ジャンル 日本史
定価 1,980円

書評

「昭和史」につながる「幕末史」

中村彰彦

「あとがき」によると、本書は「慶應丸の内シティキャンパスの特別講座として」おしゃべりしたところをまとめたものだそうだから、一種の語り下ろしである。「張り扇の講談調、落語の人情噺調の、杜撰きわまりない一席であった」と著者は謙遜しているが、難しく語ろうとすればいくらでも難しくなるところをざっくばらんに述べる手法は本書の魅力のひとつといってよい。
 ガチガチの攘夷論者だった前水戸藩主徳川斉昭が、老中阿部正弘に黒船対策を語る場面を半藤さんはつぎのようにいう。
「『いいか、交渉するとみせかけて、白刃一閃、敵将の首をとり、乱入して船も人も奪ってしまおうではないか。そうすれば難問一挙に解決し、軍艦四隻も手に入る。(略)』そんなことをしたら大変です。阿部さんは慌ててとめます」
 斉昭は、たしかにこの程度の人物でしかなかった。その「程度」をひとつの会話に事寄せて、巧みに浮かびあがらせるところに半藤さんの芸がある。
 しかもこの人、昭和史が専門かと思っていたらとんでもない。カメラでいえば、とても深い被写界深度で幕末維新史をよく見ておられる。
 たとえば、幕末史の重要なヒストリカル・イフ(歴史上のもしも)に、一橋慶喜・松平春嶽・松平容保・伊達宗城・山内容堂・島津久光が参予会議という名の合議制を取り入れていたら共和政治を実現できたのではないか、そうすれば戊辰戦争は起こらなかったのではないか、という問題がある。
 これはまことに熟考する意味のあるヒストリカル・イフではあるが、簡単には話しにくいことなので、私などはたまに講演してもこの問題ははしょってしまうことが多い。半藤さんはこの点もちゃんと論じているばかりか、陰のプロデューサーとして勝麟太郎の名を挙げているのは炯眼であろう。
 なお本書は全十四章にわかれていて、第九章で最後の将軍慶喜が風を食らって大坂城から逃亡して以降は、維新史の話になる。というのに本書を『幕末維新史』とはせず、『幕末史』としたところにも半藤さんの目配りのよさがある。
 私個人も何度か書いたことだが、佐賀の乱から西南戦争に至る不平士族の乱は明治という名の幕末に起こった事柄だった、と考えた方がよい。半藤さんがこの時代について、
「まさに権力奪取の戊辰戦争はまだ終わってなかったのですね」
 と述べているのは、その意味で気持がよかった。
 さて、終わりが近づくにつれて話は山県有朋にしぼりこまれる。この人物の最大の罪は、「参謀本部条例」を制定して参謀本部長の統帥権を政府から独立させたことにある。
「天皇の親裁をえた参謀本部長の軍令事項命令を、その意向がどうであろうと、陸軍卿はただちに実行しなければならなくなるわけです。ということは、陸軍卿を閣僚のひとりとする太政大臣も、軍令にかんするかぎり天皇の親裁をえた参謀本部長からの命令に従わなければならないことになったわけです」
 これが明治11年(1878)12月のことだから、「国の基本骨格のできる前に、日本は軍事優先国家の道を選択していた」というのが、半藤さんの結論である。明治日本は健全だった、しかしその後どこかでおかしくなって亡国の道をたどったなどという講釈は、史実を見ていない。本書のように、日本は幕末がおわるや早くも亡国の因子を育てはじめていた、と考えるのが正しい歴史観なのだ。
 長く昭和史を研究してきた半藤さんが、維新史ではなく『幕末史』を一冊にまとめねば、と思い立った理由もおそらくここにある。読んで面白い幕末談義が、成功裡に完結したことを喜びたい。

(なかむら・あきひこ 作家)
波 2009年1月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

半藤一利

ハンドウ・カズトシ

1930(昭和5)年、東京生れ。東京大学卒業後、文藝春秋に入社。「週刊文春」「文藝春秋」編集長、専務取締役などを経て、作家となる。1993(平成5)年、『漱石先生ぞな、もし』で新田次郎文学賞、1998年、『ノモンハンの夏』で山本七平賞を受賞する。2006年、『昭和史 1926-1945』『昭和史 戦後篇 1945-1989』で、毎日出版文化賞特別賞を受賞。『決定版 日本のいちばん長い日』『聖断―昭和天皇と鈴木貫太郎―』『山本五十六』『ソ連が満洲に侵攻した夏』『清張さんと司馬さん』『隅田川の向う側』『あの戦争と日本人』『日露戦争史1』など多数の著書がある。

判型違い(文庫)

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