春になったら莓を摘みに


 ウェスト夫人のキッチンの窓からは、スイカズラやアイビーが絡まる生け垣を通して、サリーの家のサンルームが見える。
 サリーは真っ白の髪とブルーグレイの瞳が美しいアイリッシュで、長年パブリックスクールの数学の教師をしていたが、私が知り合った頃はすでに引退してアムネスティや反核運動などに忙しく走り回る毎日だった。文学にも造詣が深く、二十年前の当時も私にアイルランドの作家や詩人の本をよく貸してくれては彼らのどういうところが素晴らしいか、夢見る瞳で滔々と述べるのだった。彼女を介して私はイエイツが好きになっていった。
 彼女が唯一認めている英国の作家がシェイクスピアで、BBCでロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが演る夜は必ず彼女の家に呼ばれていっしょに観たものだ。ウェスト夫人の家にもテレビぐらいあったのだが、不肖の弟子がきちんと観劇しているところを確認せずにはいられなかったのだろうか。近くで劇があるときは必ず誘ってくれたし、シェイクスピア漬けになった私が、――ルック(見て)というべきところを、――ビィホウルド(見よ)とつい言ってしまったときは、白い顔をぱっと紅潮させ大喜びで笑った。

 そのように彼女は、多少アイルランド贔屓のところがあったにしても、異人種(私のような)に対する差別意識はまったくといっていいほどなかった。だから、ウェスト夫人がナイジェリアからの来客のために部屋を貸してくれと頼んだときの彼女の反応は、決して人種偏見によるものではなかった。
 そのナイジェリアン・ファミリーは、ウェスト夫人を頼って、町にある、Fスクールと呼ばれるパブリックスクールに子どもたちを通わせていた。そこは寄宿学校で、週末や祝日には生徒たちは保護者のもとへ帰る。ウェスト夫人の家はそのファミリーの英国での拠点のようになっていたのだ。

 ウェスト夫人自身、このファミリーがいかに尊大でプライドがありすぎるか、しょっちゅう愚痴を言っていたし、人の好意を当たり前としか受け取れず、人のものは自分のもの、自分のものは自分のもの、という人たちなのだ、と嘆くのだが、彼女の嘆きはどこか身内としてのそれのようでもあった。
 ナイジェリアンたちの武勇伝は後を絶たなかった。
 その頃はその姉妹の三番目か四番目の、ローラという女の子がFスクールにいた(彼女は後に、ある数学の試験で全英一位になり、ケンブリッジ大学に進んだ。ナイジェリアンたちのプライドはもともと何か理由あるものなのだろう)。
 私の入るすぐ前にも、ローラは下宿していた女の子に徹底してつらく当たった。例えば、――悪いわね、でもあなたの持っているカセットレコーダーを貸していただけないかしら、と慇懃無礼に見下したようにいうので、その子はびっくりして思わずうなずいたが、考えてみればそのカセットレコーダーは部屋の外へ持ち出されたことがなかった。なぜ彼女がそれを持っていることがローラにわかったのか。
 ――彼女が留守の時に、部屋に入って家探ししたのよ。たまたま彼女はそのとき部屋をひどい状態で散らかしたまま外出していたの。ローラは二重の意味で、つまり、自分はあのひどい部屋の有様を見たわよ、という嫌みと、盗まなくったって彼女の持ち物ぐらい自分が自由にできるんだ、という傲慢さを押し通すことで彼女に屈辱を与えようとしたのよ。
 ――でも、どうしてそこまで?
 ――彼女たちは白人が嫌いなのよ。彼女たちはスクールでも白人の友だちは一人もできなかった。連れてくるのは黒人の友人だけ。このあいだも長女のイヤビがオックスフォードから友だちを四人連れてきた。いつもの通り彼女らはリビングルームで彼女らだけの世界に入っていて、私はキッチンで彼女たちのために昼食をつくっていたの、そしたら急にイヤビはキッチンのドアを開けて、「これからケンブリッジに行くから車を出してちょうだい、今すぐに」っていうの。「でも、昼食を……」「今すぐよ」「でも、私の小さい車にどうやってあなた方五人のせていくの?」「行くのよ」結局、私のミニにはとても乗りきれないことがわかって、腹を立てて出ていってしまったわ。あの人たちは私のことを白人のメイドかナニーとしか思ってないのよ。建前では「イングリッシュマミー」と呼んでるけど。
 ――私は時々自分に言い聞かせるのよ。自分の国が(ウェスト夫人はもともと米国で生まれた)彼らの人種にしてきたひどいことの、これは償いの一つなんだってね。
 もちろん、ウェスト夫人は彼らからお金をとろうなんて少しも思っていないし、彼らもまた、一銭だって払おうとしなかった。すべてはウェスト夫人の「古い知り合い」だから、という好意からだったのだが。
 もともとサリーに限らず、ウェスト夫人の近所は揃って隣人愛にあふれた人が多く、家に客があふれてベッドが足りなくなったときなど、誰かが喜んで自分の家の客間を提供するのだが、このナイジェリアンファミリーに限っては、みんなさっと顔色を変えて、――残念だけれどそれはできないわ、と短く言い放ち、大急ぎで話題を変えてしまうのだった。

 ローラたちの父親はアダという名で、当時は世界を飛び歩いている裕福なビジネスマンだったが、ウェスト夫人が離婚前(今から四十年ほど前だ)、ヨークシャにいた頃はまだ大学に通っていた。
 アダと彼の夫人ディディは、両方とも誇り高い部族の首長の家に生まれた。何人もの召使いにかしずかれていた暮らしだ。そこではウェスト夫人曰く「ユーモアの欠片(かけら)もなく、長子は特に厳しく、上に立つものとして下のものに甘く見られないように振る舞うよう」躾けられるのが伝統だった。
 二人とも英国のヨークシャにある大学に進み、赤ん坊が生まれたが、勉学に専念するため預かってくれるクリスチャンホームを探していた。
 ――最初は貧しい学生たちなんだと思ったのよ、教会で話を聞いたときは。それで、うちの子どもたちに、黒人の赤ちゃん、預かる? ってきいたら、みんな目を輝かせて、わあい、赤ん坊が来る、ってそりゃ喜ぶの。
 ウェスト夫人には三人の子どもがあり、上二人が女の子でアンディとサラ、一番下がビルという男の子だ。
 ビルはまだ幼く、それまで黒人に出会ったことがなかった。英国の冬の夕暮れは早く、外から帰ってきて真っすぐリビングルームに飛び込んだビルは、暗がりにアダと彼の弟がすわっているのを見つけた。途端に火がついたように泣き叫んでパニックになった。ドラゴンなどの絵本を読むのが大好きで、豊かな物語の世界を自分の中に育んでいた彼は、その二人が彼の物語世界から追いかけてきた影の使者のように見えたのだ。
 けれど、それからしばらくして到着した生まれて間もない黒人の赤ちゃんに彼は夢中になった。
 ――イヤビがどんなに愛くるしくてかわいらしかったか。あの大きな目といったら。あの子を連れて外へでるたびにみんなが立ち止まって感嘆したものよ。ヨークシャの田舎の町でしょう。当時はまだ黒人なんか見たこともない、って人が多かったのよ。あの子に会った人はだれでも微笑まずにはいられなかった。あの子はみんなを幸せにしたわ。この写真を見て。
 彼女が差し出す昔の写真にはどれもくるくると大きな澄んだ瞳をした人形のような黒人の女の子が顔いっぱい笑顔にして写っていた。
 ――三年間、一番かわいかった時期、私たちのところであの子は過ごしたの。ビルなんかはどこへ行くにもあの子を連れて行きたがって……。隣人のR夫人は人種差別主義者で有名だったんだけれど、それがあの子に会ってからころりと変わったの。もう、どこかへいくたびにあの子に何か買ってくるようになって……。あの偏見で凝り固まっていたR夫人が、うちへくるとまず、あの子を探すようになったほどよ。
 ――これはアンディとサラのバレエのチュチュを欲しがったんで、あの子にも同じものをつくってやったときの写真。この大まじめな顔を見て。
 写真には六歳ぐらいのアンディ、三歳ぐらいのサラ、歩き始めたばかりのイヤビが両腕を高く上げて同じポーズをとっている。黒い肌に白いチュチュが鮮やかに映えて絵のようだ。
 ――でも、あの子の両親がアフリカに帰る日が近づいて、あの子は私たちの手元から離されたの。大声で泣いて、マミーって私に両手を伸ばして……私はとても耐えられなかった。あの子はものごころついてから黒人を見たことがなかったから、迎えに来た彼らにすごく怯えて……どんなにショックだったことか。彼らはとても厳格な育てられ方をしていて、自分たちの子どもにも笑いかけることすらしなかった。いわんやカドル(抱きしめる)なんてとんでもない。ところがあの子は、どこを向いても笑顔とカドル、愛情でいっぱいの暮らしをしてきたのよ。それが突然見慣れない厳しい顔つきの黒い人々の中に放り込まれて……最初にされたことは、髪をいくつものパーツに分けられてキリキリ涙が出るほど引っ張られて編み込みを作られたこと。それから一ヶ月後、まだ、アフリカへ帰る前だったのね、通りで偶然あの子たちが歩いているのを見かけたの。あの子も目ざとく私たちを見つけて、その途端ものすごい勢いで道の反対側から走ってきた、マミーって、目に涙をいっぱい浮かべて叫んで……。
 このくだりになるとウェスト夫人はいつも涙ぐむ。私もここの部分を想像するたびに、イヤビの全ての非礼や意地悪をきれいさっぱり許してあげる気になる。
 離婚後、ウェスト夫人は三人の子どもたちの教育のためにこの町に移り住んだ。ここにクウェーカー教徒の運営するFスクールがあるからだ(ウェスト夫人は熱心なクウェーカー教徒である)。
 離婚から十二年後、ウェスト夫人はアダから連絡を受けた。イヤビに英国の教育を受けさせたいから、里親になってくれという。ウェスト夫人はもちろん二つ返事で引き受けた。
 ――結局のところ、アダは私がヨークシャで一番幸せだった頃に知り合った人で、その変わったところも含めて私にとってのその時代の象徴だったのね。彼は私が離婚したと知っても変わらずに私に連絡を取ってくれた。それが少し、私を感動させたのよ。
 Fスクールは全寮制だが週末とかバンクホリデーには休みになる。外国から来ている学生はそうしょっちゅう帰るわけにもいかないので、ガーディアンと呼ばれる里親が必要になる。久しぶりで会うイヤビを、ウェスト夫人はどんなに胸をワクワクさせて待ったことだろう。が、イヤビにとって、幼い頃の別離の体験はウェスト夫人が考えるよりもっと深刻だったのかもしれない。
 ――あの子はまったく変わっていた。にこりともしないの。私たちのことも全然覚えていなかった。いつも頭をつんとそびやかして、私に話しかけるのは、用事を言いつけるときだけ。ビルはあの子が小さかったときそりゃかわいがっていたから、たまたまS・ワーデンに帰ってきたとき(彼は今ニューヨークに住んでいる)、あの子を車でヨークシャまで連れていったの。五時間のドライブの間、あの子はなんとひと言もビルに口をきかなかったのよ。ビルは帰ってきて、そのことを話し、「でもわかるような気がするよ」と真面目な顔で付け加えたわ。
 ――イヤビは、アフリカへ行ってすぐ、生きていくためにあなた方のことを忘れることを選択したのかもしれない。
 私がそう言うと、ウェスト夫人は真面目な顔で、私もそう思う、と言った。
 アダは子どもたちが十三歳になるとパブリック・スクールに入れるため次々に英国に送り込むようになった。若く誇り高いナイジェリアンたちが白人社会の英国でどんな学校生活を送ったのか、それでも幸せだったのか。
 私は一度、ローラから、
 ――見て、ふざけた写真よ、愉快でしょ?
 と、嬉しそうに彼女たちの学園祭の夜、部屋で写したという写真を見せてもらったことがある。
 そこには、楽しそうにふざけてポーズをとっている、絵の具で真っ白に自分の顔を塗りつぶしたローラが写っていた。

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