interview 8
伊丹十三ロングインタビュー
われわれは映画を半分しか作れない
問 これはもう随分何度も訊ねられたことだと思いますが、まずこの映画を作られたきっかけからお話しいただければと思います。
答 ええ、これはね、もう、百回は聞かれました(笑)やはりみんな、原因があって結果がある、というふうに単純化して考えたいらしいんですが、僕としては、むしろ自分のこれまでの人生のあれもこれもが、うまくこの映画に流れこんでるという感じが強いので――。
問 ということは、つまり、これまでの全人生がすなわちきっかけであるト――。
答 ええ、まあ、そういういい方をすればもちろんそうでしょうね。
問 今までいろんな仕事をしてこられましたよね、絵を描いたり、文章を書いたり、俳優をやったり、テレビを作ったり――。
答 ええ。もちろんその前に、本を読んだり、映画を観たり、人と話したり、女房子供とごく真面目に、あるいは出鱈目に生きたり、ということがあって、それは全部僕の表現です。そういう僕の表現の多様体を、全部丸ごとすくいとってくれる有機的な生命体といいますかね、小宇宙といいますかね、そういうものとしてこの映画はあるわけです、僕にとってはね。
問 この映画はどこで輪切りにしても全部伊丹十三であるト――。
答 そう。ある意味でね。ある意味で、この映画は僕の全人生の煮こごりのようなものではあるね。
問 そういう、自分の人生の煮こごりのようなものを求めて、人は表現形式をまさぐる、そういう意味では確かに人生全部きっかけなんでしょうが、もう少し卑近な意味でのきっかけというのもあったわけでしょう?
答 そりゃあります。たとえば俳優というのは仕事に関していいますと、これは仕事を与えられる存在ですからね。いくらいい仕事だけ選んで仕事しようと思っていても、そもそも選ぶべき仕事が充分にない状態じゃどうにもなんない。現実には面白い脚本なんてものは一年に一本来るか来ないかですよね。ですから、その、来るか来ないかの一本の他に、なんていいますか、脚本は駄目だけど、自分の役だけはなんとかできそうだ、というのを混ぜて、なんとか仕事を続けてゆく。
問 じゃあ俳優というのは基本的には不平不満のかたまりみたいなものですか?
答 そうなんです。ただね、大の男が来る日も来る日も、ああつまんない、なんでこんなにつまんない仕事しか来ないんだろう、面白い仕事さえ来りゃ、俺だってこんなもんじゃないんだが、なんて嘆いているのはあまりみっともいいもんじゃない(笑)ある芝居の時、あんまりつまらないので観客が「つまんないぞ」と野次ったら、舞台の上の俳優が「そんなにつまんないなら、自分でここへ上がって面白くしろ」と怒鳴り返したという話がありますが、まさにそうなんです。面白くなきゃ自分で面白くするべきだ。そういう思いは僕にはずっとありましたね。そういうこともきっかけの一端でしょうし、あるいはまた、これ、俳優だったら誰でも思うことでしょうが、真面目にやればやるほどおかしいという、そういう喜劇を一度でもいいからやってみたい、そういう思いも原動力の一つとしてあるでしょう。あるいはまた、私の女房は宮本信子といいまして非常にいい女優なんですが、どうもいい役に恵まれない。実力はあるのに主役がこない。というより、主役の女優という幻想性が不足している。よし、それなら、まず主役という既成事実を先に作れば幻想はあとからついてくるのではないか、とかね、それから、ウン、そうだ、こういうのもあったね、女房は芸者がちゃんとできる数少い女優の一人なんですが、どうも芸者の役がこない、じゃあ、ついでにこの映画の中で芸者もやらしちゃおうとかですね(笑)。
問 例のコマーシャルの中で巨大な芸者さんになるとこですね。
答 ええ。ともかく私としてはなんとか女房に出世してもらって早く楽隠居になりたいという(笑)まあ、そういう個人的な動機は山ほどあったわけです。 |
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