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第19回 日本ファンタジーノベル大賞

主催:読売新聞社 清水建設 後援:新潮社 発表誌:「小説新潮」

 第19回 日本ファンタジーノベル大賞 受賞作品

大賞

厭犬伝

弘也英明

優秀賞

ブラック・ジャック・キッド

久保寺健彦

 第19回 日本ファンタジーノベル大賞 候補作品

大賞 厭犬伝 弘也英明
優秀賞 ブラック・ジャック・キッド 久保寺健彦
 カラクリ猫と時間旅行代理店 和田吉里
 菊香忌 藤田真幸

選評

荒俣宏

荒俣宏アラマタ・ヒロシ

同じトーンからの脱却を望む

 第十九回目の選考である。これだけ回を重ねると、新鮮な作品が出にくくなるものだろうか。四作品とも底に流れるトーンが同一だったのが、すこし不満だった。そのトーンとは、ファンタジーの要素を色づけにしか用いない傾向である。それも、甘い色、淡い色、やさしい色をエアスプレーで吹きかけた感じ。きれいに塗れているが、それ以上でも以下でもない。淡い色でもいいのだが、せめて墨絵の自在さや諦観のような「大人」の渋みを望みたかった。
 候補作四本のうち、いちばん大人の色遣いが見えたのは、皮肉にもコミックの主人公になりたかった少年の日常を描いた「ブラック・ジャック・キッド」だった。なんでも『ブラック・ジャック』の決め台詞や名シーンになぞらえてしまうほどのマニアが、やがて「つまらない大人」への成長を迎えるまでの話。勝手な妄想が「堅実な目標としての夢」にとって代わられる。ただ、ファンタジーの色づけが安易で、作品に登場する堅実な女の子「泉」の迫力に完敗するため、「夜の夢こそ真実」といった意味でのファンタジーとしては、中途半端に終わった。ところが、この敗北には読者を共感させる力があるので、小説としては十分に読めるという逆転を果たしている。かつて、アンチロマンというジャンルがあったが、アンチファンタジーの萌芽をすこし期待させる。
 わたしが一番の完成度と評価した作品は「厭犬伝」だが、他の三作とそれほど開きは感じていない。ファンタジーの王道をストレートに歩もうとした気力と異世界構築のヴィジュアル性の高さを買った結果である。この作家は、「異世界に名を与えること」という重大な仕事に専心し、さまざまな造語に手塗りの色を熱く塗ってくれた。いちばん傑作なのは、「仏」と称する戦闘用器械の材料となる「汚れ木」である。仏をつくる木なのに「汚れ」とするこの矛盾が、周到な設定によりみごとに解き明かされる。とはいえ、すべてがウーンと唸らせる出来ではない。「皇木」をはじめとする各部族のネーミング、また犬千代など「犬」を冠する名の因縁などをもっと深く展開してほしかった。それよりもっと食い足りなかったのが、主人公厭太郎の復讐心を代表とする、人物たちの「相関関係」だった。いちおう、複雑な人間模様が解説されているけれど、その因縁の深さが伝わらない。ひどい目に遭っても、怨みが湧いてこないのでは、他人事だ。いや、そのほうが現代的で、ヒーリング効果もあるかもしれないが、たとえばY君を冒頭に設定した意図がまるで見えない。Y君がその異常な世界の話を打ち明ける日本人の位置もはっきりしない。その弱点は、「合」という独創的な戦闘の設定にも見られる。あの戦いは、いったい何勝すれば勝ち越しになるのか分からない相撲のように思えた。
「菊香忌」は語り口で勝負を決めようという分かりやすさはあったが、話の中身が平坦すぎた。骨董品の場合、馬琴も書いているように、嘘かホントか分からない由来が興味を誘うから、おもしろくなる。そこに「因縁」が語られる必要がある。しかし作品中には、出会いや偶然のつながりはあっても、濃厚な因縁がないから成仏も軽くならざるを得ない。「カラクリ猫と時間旅行代理店」はさらに寛大なプロットをもつ物語で、フリーボタンひとつ押せば因縁と成仏の両方をクリアーできる設定。それでも登場人物は悩む。この作品には、母のようなやさしい救済でなく、「悩みのまっただなか」にある妹と兄とによる妄想持続力とそのエネルギー爆発のほうをこそ描いて欲しかった。次の第二十回に期待する。

小谷真理

小谷真理コタニ・マリ

仮想現実とキャラクター

 すぐれた構築力でリアリティを獲得しているのが「厭犬伝」だった。そこに展開されている異世界は、海外から伝来した宗教や風俗が風土に適応しながら変質し奇妙な風物として観察される日本文化の本質を、えぐりとったかのような内容だった。ひさしぶりに、ハイファンタジーというメインストリームの鉱脈にあたったような気がした。
 どこか東北地方を思わせるような中世世界は描写力に富み、ありありと情景が浮かんでくるかのよう。異種族間に生をうけた男子がまだ幼いうちに去勢されてしまう光景が無気味きわまりない一方、エロティックな感触もあり驚かされた。庶子として叔父に育てられるこの厭太郎は、社会に敷かれたレールからの落伍者となり、生きる目的を喪失した虚脱感の中で、「合」という奇妙な試合にのめりこむ。周縁に位置する人々が、サブカルチュア的な熱狂の虜になり、おのが人生を賭けることにもなるわけだが、物語全体は、そのグロテスクな競技自体の不思議さ、それに夢中になって人生を賭けていくゲーマーの様子などを迫力ある筆致で描いていて、その勝負のプロセスが独特のおもしろさを伝えていた。競技自体の内容は、自分自身のアバターを使って闘うため、ヒトの情念を結晶化した身体性をもつアバターが独特の魅力を持ち、それがキモになっている。そのへんはバーチャファイター等のアーケードゲームを彷彿とさせる。参加者自身が肉体をかけて闘争する格闘技のリアリティとは、手応えがずいぶん異なり、仮想現実性が強く、フィギュアを使ったミニチュア世界におけるキャラクターに関する思弁性に溢れていた。将棋やチェスとも異なり、身体性やキャラクター性を駆使して成立する現代のゲームが、どのような幻想性を可能にしたかについて一石を投じる作品と思う。
 他三作は、現実世界を舞台にしたもので、そこで非現実的な現象が起きるといったローファンタジー作品。この場合、幻想的な事件には、なにかしら現実世界との因果関係というか、ルールが見えないと、説得力を持ち得ない。
 藤田真幸「菊香忌」は、香炉に取り憑いた憑き物と香炉の持ち主との、幻想的事件を介した因果関係がはっきりせず、説得力にかけるきらいがあり、和田吉里「カラクリ猫と時間旅行代理店」も、兄妹間のシリアスなコミュニケーションの問題と、時間旅行代理店の関係が、今ひとつうまくからんでいない。ともに中途半端に思われた。特に「カラクリ猫と時間旅行代理店」はむしろファンタスティックな要素を削り、兄妹間の関係性回復の話題に集中して再構築した方がおもしろい「小説」になるのではないか。
 久保寺健彦「ブラック・ジャック・キッド」は、手塚治虫『ブラック・ジャック』を好きで好きでたまらない主人公の青春回想記で、どこにも「非現実的な不思議」は登場しない。にもかかわらず、そうした実人生を語る言葉として、『ブラック・ジャック』がディテールゆたかに用いられる。『ブラック・ジャック』によりかかりすぎという面もあるが、人が『ブラック・ジャック』をどう読んだかという批評的な要素が子供の生活と絡み合っていくという点で、メタフィクション的であり、なによりも、ファンとしての情熱が気持ちがよく、それこそ浄化にみちた持ち味が好ましかった。
 というわけで、本年は、「厭犬伝」と「ブラック・ジャック・キッド」を推した。

椎名誠

椎名誠シイナ・マコト

やや粒落ちか

「菊香忌」は読みやすい文章とストレートなストーリーで、香炉にすみついた霊魂のようなものとの奇妙なつきあいの日々を語っていく。
 おしゃべりな香炉の住人が軽い江戸言葉で夜な夜ないろんなことを主人公にかたりかける。これが女の霊魂だと簡単に怪談噺になるのだろうけれど、江戸のあんちゃんみたいなキャラクターなのでそうはならない。しかしそれだけに単純で飽きてくる。長く香炉の中に住み着いているので、現代生活との文化や価値観のギャップのおかしみなどを技巧的サービスとして軽い江戸言葉で随所にちりばめるなどの工夫がほしかった。
「カラクリ猫と時間旅行代理店」はそれなりにライトファンタジーのガジェットがいろいろ混入してきて、まあいかにもありがちな現代の屈折家庭を舞台にあえて話の錯綜化や日常生活の意図的混乱などを小道具にしていて巧みだけれど、話のもっていきかたに若干腰がひけている感じで、読者をこの人のファンタジー世界にいっきに誘いこんでくれるという、こういうジャンルに必要なセンスオブワンダーがなかった。
 時間旅行を題名でうたっているのだから少なくともSFの基本素材のひとつである「時間」と「空間」が有機的に物語に入り込んでこないと羊頭狗肉である。沢山の応募作品から勝ち抜いてきたのだからぼくは読者として全作品を楽しんで読みたいと常に思っているのでとても残念。
「ブラック・ジャック・キッド」は話の展開と、主人公の語り口がうまくマッチして、ずんずん読んでいけるし、都会的な、社会の規範とギリギリのところでなんとかあぶなっかしく成長していく少年の内面をうまく掴んで巧みに描写している。ブラック・ジャックに全身で傾倒した少年の、頭の中の理想図と現実社会のもどかしい乖離をうまくとぼけ、作品の「味」としてとりこんでいるところなどなかなかのものだが、ひとたびこの賞の根幹である「ファンタジー」というのをあらためて概観すると、これでよかったんだっけ、とこの賞の事務局に聞きなおさなければならない初歩的な疑問をもった。
「厭犬伝」はこの賞のストライクゾーンを突く作品で、最初からその感覚で読んでいった。この種の異世界を舞台にした小説が、作品背景や存在基盤などを愛想よくそしてしたり顔で紹介しない、というところがまずいい。説明は読むものが勝手にそのディテールやエピソードでじょじょに掴んでいけばいいのだが、この作品の主軸をなす仏の「合」の場面があまりにも長すぎて激しさのわりには飽きる。その筆力を認めるものの、作品世界に入り込めなかった読者にはこのへんが致命的かも知れない。しかしかずかずの場面にちりばめられる造語のセンスもいい。とくに樹木と生体の末世的融合などは、この作者の筆術中のものになっている。ただし最近のSF傑作、二十年に一度というダン・シモンズの『ハイペリオン』シリーズにある「イリアム」(ギリシャ神話の神々が闘う)のこれは四畳半的な和製エピゴーネンであるかもしれない、と指摘したのだが、選考委員はあまりそれを読んでいなかったようで話題にはならなかった。それでよかったのかもしれない。

鈴木光司

鈴木光司スズキ・コウジ

小細工はいらない

 今回の候補作は、「厭犬伝」以外の三作にはファンタジー小説の根本に関わる共通の問題があった。
「菊香忌」は、現実とファンタジー世界を結ぶ接点として、青磁の香炉を持ち出している。この小物から憑喪神であるキャラクターが飛び出すという展開は、これまでさんざんあったパターンであり、いかにも安易だ。なるほどと膝を打つ理由があって憑喪神になったのならともかく、人の手から人の手に渡っただけというのも弱い。落語調の台詞が書きたかっただけなのかと疑いたくなる。しっかりした、いい文章なのに、惜しい。
「カラクリ猫と時間旅行代理店」でもカラクリ猫の置き時計が、唯一のファンタジー的な色合いをつけるものとして登場する。昨今の日本に流れる「がんばらなくてもいいのよ」というほんわかとしたムードをうまく突いた作品といえるが、主人公の態度は「がんばるのか」「がんばらないのか」最後まで揺れたままである。明確に結論づける必要もないけれど、せめて決意表明ぐらいは出そうよ。作者自身、社会の風潮に乗せられているのではないか。文章表現とは本来勇気を伴うもの、新しい風潮を作り出そうという覚悟を持ってほしい。
「ブラック・ジャック・キッド」もまた、超能力者を登場させたり、「サンタクロースのおうち」といった劇中劇で、ファンタジーっぽい色合いを出そうとしている。
 このさいだから言っておこう。「ファンタジーノベル大賞」への応募作品だからといって、ジャンルにとらわれなくてけっこう。森見登美彦くんの『太陽の塔』は小細工もなにもなく、大賞を射止めたではないか。小物を出したり、劇中劇を使ったりと、小細工を弄してファンタジー色を出そうとすればするほど、作品もまた矮小化すると心得てほしい。
 そんな欠点を承知の上で、ぼくは「ブラック・ジャック・キッド」を優秀賞に推した。男の子はだれしも十歳の頃、他人からみればくだらないと思われるものに没頭することがある。漫画のキャラクターや、強いプロレスラーに憧れる。架空のヒーローを真似つつ、やがて成長して、自我を確立していく物語は、読後に爽快感が残った。理由をうまく説明できないが、ぼくはこの作品が好きだ。
 前三作と異なり、構造の中にしっかりとファンタジーが盛り込まれていたのが「厭犬伝」である。
 全くの異世界を小説の舞台とする作品はこれまで数多く見られた。中には、その世界の仕組みを冒頭で細々と説明されて、辟易させられたものもある。「厭犬伝」は、冒頭部分から澱みがなく、すっと作品世界に入っていくことができた。説明台詞抜きで、キャラクターや人物同士の関係が的確に描写されている。作者のイマジネーションは相当に豊かであろうと推察できる。架空の世界を、細部に至るまで明りょうに、真に迫ってリアルに、脳内に構築できるかどうかの可否が、読者をおいてきぼりにして独り善がりとなるか、読者を異世界に心地好く誘うかの別れ道となるとすれば、この作品は間違いなく成功している。文章は堂に入り、ストーリーはよく練られている。大賞に相応しい作品であることは間違いない。ただ、合(仏像同士の格闘)のシーンをもう少し減らして、その分、登場人物の関係に濃淡を出すべきであった。

選考委員

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