波 2006年12月号より

獣と人が恋する話

上橋菜穂子『狐笛のかなた』

上橋菜穂子


 幼い頃から、私の心の底には、人も獣も虫も土くれも、実はたいして変わらないのではないかという気分があって、そういう気分が、ときおり、ひょいと頭をもたげてくる。『狐笛のかなた』は、そういう気分の中で、一気に書き上げた物語である(書籍版のあとがきのせいで、十年かけて書いたと思われた方が多いようだが、あれは『狐笛のかなた』の発想が頭に浮かんだのが十年前であったという意味で、「物語の種」が芽吹いてくれずに十年経ち、ある日、突如芽吹いてからは、三ヶ月程で書き上げたというのが実情である)。
 人と獣はたしかに違う。違うが、結局は同じ地平にあるものだ、という感覚は、私ひとりのものではなくて、多くの日本人の心性の奥底に、昔から、脈々と息づいてきた感覚ではなかろうか。そうでなくては、人と獣が出会い、結ばれ、子までなすような昔語りが生ずるはずもない。
 私は、祖母の膝に頭をつけて甘えながら、たくさんの昔話を聞いて育った。祖母が語ってくれたのは絵本になっているような昔語りではなくて、出生地の下関や、嫁いだ先の福岡で、耳で聞いて覚えたのであろう、いわゆる土地に伝わるお話の類であったが、その中にも、獣と人が同じ地平で触れあってしまう話があって、私の中にある気分というのは、この祖母の話によって培われた部分が多分にあるにちがいない。
「山猫に育てられた子どもの話」と、私が勝手に名付けていたお話も、そういう話のひとつだったのだけれど、あるとき父に、この話をしたとたん、「ちょっと待て、おまえが覚えている話は、まちがっているぞ」といわれて、驚いた。そして、父が覚えている話と、私が覚えている話をつきあわせてみると、確かに随分と違ったのである。
 私が覚えていたのは、農家のお嫁さんが、農繁期に赤子を畑の傍において野良仕事をしている間に、山猫が赤子をさらっていき、山奥の岩屋で育てていた、というお話だった。大きな山猫が、かわいがって赤子を育て、その子はヨチヨチ歩きをするくらいにまで成長するのだが、山に入ってきた猟師が、山猫が幼子を抱いている姿をみて、「化け物め!」と撃ち殺してしまう……そういうお話として、心に刻まれていたのである。私はすっかり山猫の方に感情移入してしまっていたのだろう、山猫が撃たれてしまったとき、ワーワー泣いた記憶さえあるのだ。
 ところが、父が聞き覚えていたのは、それとは随分印象の違うお話であった。なにしろ、それは「昔話」ではなく、「本当にあったお話」だというのである。畑の傍からいなくなった赤子を村の衆が鉦や太鼓を鳴らしながら探し、山奥まで探しまわった。すると、冬枯れの木々の、枝の上の方に、赤い着物の切れ端がみえたので、登ってみると、ごく普通の家猫が巣を作っており、その巣の中に、いなくなった赤子が眠っていた。いったい、どうやって猫がここまで赤子をひっぱりあげたやら、不思議なこともあるものだ……という、まるで『遠野物語』のような語り伝えだったのである。
 日々の暮らしの中に、ふっと異界が立ち現れる瞬間があることを語り伝えてきた人の心がみえて、大人になった私にとっては、こちらの話の方が興味深い。
 しかし、そうやって「興味深い」と思っている私は、すでに「お話」の外に立っているのだ。
 子どもの頃の私は、話を聞くうちに、お話の中に入り込み、猫に育てられた子どもの気分になっていたのだろう。だからこそ、猫は自分を抱けるほど大きい山猫の姿となり、私はその猫の背にかばわれて、猟師が育ての親に向けた銃口をみていたのだ。
『狐笛のかなた』の最後の部分を書いていたとき、私は小夜となり、狐である野火をみていた。――あの物語のラストは、だから、小夜であった私が下した決断なのである。


(うえはし・なほこ 作家)