| 波 2005年9月号より |
沼地のある森を抜けて 梨木香歩『沼地のある森を抜けて』 梨木香歩
――そもそも「ぬか床」に興味をもたれたきっかけは、何だったのでしょうか? 実際にぬか床をつくっていて、不思議な現象だなあ、と日々考えていたことでしょうか。 ――先祖伝来の「ぬか床」をめぐる物語がたて糸であるとすれば、酵母や微生物の世界がよこ糸になって織りこまれた作品だと思うのですが、この物語を裏打ちする生命科学の圧倒的な情報量は、梨木さんご自身が専門家なのでは、と思ってしまうほどです。本当によくご存知ですが、これらの知識はどのようにして得られたのでしょうか。また、実際の取材活動について、もしよろしければ、お聞かせいただけますか。 自然科学系統の本は好きでよく読みます。元々が人文系なので、自分に欠けている資質を補って何とかバランスをとろうとする、生体としての涙ぐましい努力なのでしょう。取り立てて取材、ということでは、白神山地の酵母を採集している秋田県総合食品研究所の高橋慶太郎さんや木村貴一さんのお話を聞きに行ったぐらいでしょうか。といっても、彼らは楽しく、尊敬できる方々で、(作品中の酵母研究家、風野さんのように)常識を踏み外すようなことは(たぶん)ありません。風野さんの「人となり」はすでに彼らにお会いする前に決まっていましたので……。 四年前、ちょうどこの小説の構想を練り始めた頃拝読した、『植物のこころ』が縁で、その著者の塚谷裕一さんに、校正刷りの段階で用語などのチェックをしていただきました(これは前出の高橋さんにも。が、もちろん、最終的な文責は著者にあります)。この本との対話は、私にとってある種の試練でした。この数千年人間社会で機能していたダイナミズムとは、全く離れたコンテキストをどう読み込むか、他に道はないのか、一つ一つ、自身に深く問う作業が必要でした。塚谷さんに見えているような、分子遺伝学の最前線から広がる地平、というのは、想像することはしても、結局私に正確に見えることはないでしょう。このことについては今も考え、これからもずっと問い直し続けていくだろうと思います。そういうことが即ち、「生物的」なのであろうとも。 ――「ぬか床」をめぐる物語と並行して進んでいく「かつて風に靡く白銀の草原があったシマの話」をとてもおもしろく読みました。このシマは何なのか? 想像がふくらむところだと思うのですが、梨木さんはどのようにお考えですか? どのようにも考えられると思うのです。ただ、今、理解している世界とは全く違う位相の世界があり、そこで運行されている、異質なシステムや異質な存在と、この宇宙の其処此処に、何か響き合うものが発生すれば、と思っています。 ――化学メーカーの研究室に勤める独身女性久美ちゃん、男であることをやめた酵母研究家の風野さん、ぬか床から生まれるカッサンドラ、かつて風に靡く白銀の草原があったシマに生きる僕をはじめ、個性的な登場人物がたくさんでてきて、本作品の魅力のひとつとなっていると思うのですが、なかでも梨木さんが思い入れのあるキャラクターがいたら、お聞かせいただけませんか。 秘密です。 ――性とはなにか? 普段とりたてて考えることがなかったものの、この本を通じて改めて考えさせられることが多くありました。そういう意味で、この物語自身が、ひとつの生き物のように、読者のなかで増殖し、ときに眠りまた蘇り、変異をくりかえし生きつづけていくのではないだろうかと感じました。まさに、この本が「ぬか床」なのではないかと。 そのように感じ取っていただけたら、本当に、嬉しいです。それが生命の本質、及至は本質に近いものだと思いますから。 (なしき・かほ 作家) →【書評】〈緑〉の生命観(塚谷裕一) |