 | 24:10 虎ノ門-新橋 |
|
「覚えがないんだ」 拳を握りしめながら、徹矢は、念を押すように同じ言葉を繰り返す湯川をにらみつけた。 「申し訳ない。もしかしたら、オレ、君に勘違いをさせるようなことを言ったのかもしれない。だとしたら、悪かったと思うよ」 「ジュン……」 みどりがすがりつくような眼で湯川を見上げているのを見て、徹矢は心臓を鷲掴みにされたような気持ちになった。 そんな目を向けてやる価値なんて、こいつにはなにもない。唾でもひっかけて、蹴飛ばして、ひっぱたいてやればいい。 まだわからないのか？ この野郎は、今、本性を見せているんだぞ。これが、本当のこいつの姿なんだぞ。 「オレ、君と結婚するつもりなんてない。今まで、一度もそんなこと考えたことないんだ。君にしてみれば、勝手すぎるって思うかもしれない。でも、一昨日だって、オレ、結婚なんてこれっぽっちも考えてなかった。魔が差したっていうか、気の迷いっていうか、そういうことなんだ。君だってそうなんだろうと思ってた。悪かった。ごめんなさい」 まくし立てるように言い捨て、湯川はいきなり身体を返して車両の前方へ歩き始めた。 すんでのところで、徹矢は、その湯川をひっつかまえ、殴りかかりそうになった。必死にその自分を抑えたが、次の瞬間に抑えたことを後悔した。 みどりは、去って行く湯川をしばらく目で追っていたが、そっとその眼を伏せた。 その姿を見せられて、徹矢は、たまらない気持ちになった。 どこへ、自分のこの感情を持っていけばいいのか、まるでわからなかった。 なにか言ってやるべきだ、と思った。 しかし、言うべき言葉が見つからなかった。 こんなに打ちひしがれたようなみどりの姿を見るのははじめてだった。みどりをこういう姿にした湯川に腹が立って仕方なかった。 「大丈夫か？」 隣で、奈良岡が言ったが、みどりは下を向いたままだった。 離れていった湯川を引きずり戻し、みどりの前に土下座をさせ、頭を床にこすりつけて謝らせたい。その汚らしい頭を、みどりとオレが蹴飛ばしてやるのだ。 オレのみどりをオモチャにして、ガムでも吐き捨てるように「魔が差した」などという一言で――。 許せない。 「みどり……おい」 もう一度、奈良岡が声をかけ、みどりはようやく顔を上げた。 その顔は、放心しているようにも見えた。 「大丈夫か？」 奈良岡の言葉に、みどりはコクンとうなずいた。 「あたし、ふられちゃったみたい」 自分のショックを押し隠すようにして、みどりはかすかに頬をゆがませた。 「あいつ、ぶん殴ってきましょうか」 徹矢は、喉に溜まっているものを押し出すように言った。 みどりが首を振り、徹矢は思わず眼を閉じた。 「なんか、びっくりしちまって、なに言ったらいいかわかんねえよ」 鏡が、軽薄な声を出して言う。 その鏡を奈良岡がたしなめた。 「だったら、黙ってりゃいいだろ」 突然、向こうで女性の悲鳴が聞こえた。 「やめてくださいって、言ってるじゃないですか！」 みどりが座っているシートの向こう端で、ＯＬ風の若い女性が前に立っている男をにらみつけていた。 なんだか、やたらにデカイ男だった。 |
 | 湯川 |  | みどり |  | 奈良岡 | |
 | 鏡 |  | ＯＬ風の 若い女性 |
 | デカイ男 |