新潮社

試し読み
一章全文公開

壱、倒叙ミステリにはならない

 つまらない。つまらない人生だ――。
 世間にはつまらない話というものがある。聞かされる機会は多いものの、まったく興味を持てない(たぐい)の話だ。他人の(のろ)()話や昨夜見た夢の話、愚痴、素人(しろうと)の考えた物語の構想、様々あるが、中でも最もつまらないのは、老人の自慢話だろう。特にそれがスピリチュアルな要素を含む話ともなれば、愛想笑いを浮かべることさえ苦労する。
「お前たち若造には、まだ、詳しいことは教えられねえが、この町は(すげ)えんだぞ。この町にはな、死人を生き返らせる秘術があるんだ」
 町内会長、()()()(ごん)(ぞう)は笑った。ガハハと、()(れい)な発音のガとハとハでだ。
 なんて下品な笑い方だ――。
 と、殺人犯A、正確には殺人予定者Aである(ささ)(もと)(たけ)(やす)は、思う。
「さすがは (しな)()(ちょう)ですね。それで、会長、その秘術ってどんなものなんですか?」
 そんな()(ろん)な話を信じてはいない。しかし、権造の機嫌をとらなければならないため、健康は笑みを(たた)えて興味深げに尋ねてみせた。ところが、
「おい、タケ。俺は、若造には教えられねえって言ったよな?」
「あ、はい、言いましたね……」
「じゃあ、なんで、秘術について聞くんだ? 俺に歯向かうのか!」
 突然、権造は殴りかからんばかりに怒鳴り声をあげた。
 不満を飲み込んで即座に頭を下げる。
「すみませんでした。歯向かうつもりはないです」
「だいたいな、男のお前が、なんで酌をしてんだよ」
「ホントにすみません、気が()かなくて……」
 そう言って健康は、殺人予定者B、(にい)()()()()に、視線を送る。
 座卓の上を忙しく片付けていた由佳里は、健康の意を察し、滑り込むように権造の隣に座ると、空いたグラスに酒を注いだ。
「もー、会長、大きな声でビックリさせないでくださいよ。楽しく飲みましょう」
 長い髪を横に垂らして、しなを作っている彼女は、上下ジャージ姿という服装にさえ目を(つむ)れば、上等なホステスに見える。もちろん本人にとっては不本意だろうが。
「おお、由佳里。お前も女らしくなったな」
 権造が、禿()げた頭を赤らめて、()れなれしい手付きで由佳里の肩を抱く。
 すでに七十歳を超えている権造は、(いま)だ、お盛んだ。権造の日常は色と欲にまみれている。そんな人物にもかかわらず、職業は住職。いわゆる(なま)(ぐさ)(ぼう)()というやつだ。
 その権造自身が、つまみの用意と片付けは女の仕事だ、と言っていたため、由佳里があくせくと働き、健康は太鼓持ちを務めていたのだが、生臭坊主の気分は変わったようなので、意気揚々と席を立ち、由佳里に代わって座卓の片付けを始める。
 汚れた食器を運びつつ、ちらと二人に目を向けると、由佳里が、権造に気付かれないように横を向き、舌を出して、オエッ、と吐くジェスチャーをした。
 その様子を見て、含み笑いしながら(あい)(づち)を打ち、冷やかしを口にする。
「良かったな、由佳里。会長にお酌できるなんて名誉なことだぞ」
 由佳里は引きつった笑顔を作った。
「……うん。とっても光栄」
 声を出して笑いたいのを(こら)え、健康は、障子を開けて台所へ向かった。
 食器を流しに放り込むと、勝手口の扉が開いた。
「お待たせ、言われたもの買ってきたよ」
 殺人予定者C、(かま)()(しょう)()が、買い出しから戻ってきたのだった。
 小柄で丸い体型の昇太は、大きなビニール袋を床に置くと、額の汗を(こぶし)(ぬぐ)った。
「お疲れ昇太。間に合って良かったよ。酒がなくなりそうだったんだ」
「ええ? もう? まるまる一升あったよね?」
 驚いた表情を浮かべる彼に、健康はそっと近付き、しゃがみ込んで声を潜める。
「あのジジイ、底なしの酒豪だ。頭だけじゃなくて内臓もイカれてんだよ」
 昇太も健康に(なら)って声量を抑える。
「じゃあ、これを買ってきて、ちょうど良かった」
 彼は袋から酒瓶を取り出した。

次のページ 

 それを受け取って、ラベルに目を走らせる。
「なにこれ、ウォッカ? 度数八十って、もはや消毒液だな」
「やり過ぎたかな?」
「平気平気。だいぶ酔ってはいるみたいだし、もう自分が何を飲まされているかなんて分かっちゃいないよ」
「そっか、それなら良かった」
 昇太が(あん)()の息を()らす。そのタイミングで居間から聞こえてくる。
「……お酒のお代わりを持ってきますね」
 由佳里の声だ。しばらくすると、由佳里も台所にやって来た。
「ちょっと、買い出し終わったなら、すぐ戻ってきてよ。わたしとあのジジイを二人っきりにしないでくんない?」
 小声で愚痴をこぼす彼女に、健康は酒瓶を差し出した。
「つまみを盛りつけたらすぐ行くって。それより、ほら、もっと飲んでもらえよ」
 健康、由佳里、昇太の三人は、権造の晩酌に付き合わされていた。
 権造の妻は、先日、実家に帰ってしまった。いわゆる別居状態。その上、息子は寺の本山で行なわれている研修に参加中。一人きりになった権造に、三人は自宅まで呼び出されたのだった。権造は、この信津町の権力者だ。町内会青年団に所属する三人は歯向かえない。日頃から、嫌々、命令に従っている。ただし今夜だけは例外だ。今夜だけは、積極的に晩酌に同席した。
 酒瓶を受け取った由佳里がラベルに目を走らせる。
「なにこれ、ウォッカ? 度数八十って、もはや消毒液だね」
「それ、タケちゃんも、まったく同じこと言ってたよ」
「え、こいつと発想が同じなんて嫌だなあ」
「うるせえな。さっさと名誉あるお酌をしに戻れよ」
 言うと、由佳里は舌を出し、不服そうな顔をしながらも居間へ引き返していった。
 無難な会話が、二、三、聞こえ、再び権造の下品な笑い声が響く。
 大丈夫。予定通りにいくはずだ――。
 ビニール袋からミックスナッツとドライサラミを取り出しつつ、健康は頭の中で計画を(はん)(すう)した。大丈夫。大丈夫。
「ねえ、タケちゃん、ホントにヤるの?」
「当たり前だ。さんざん話し合っただろ……」
 不安げな昇太に淡々と応じた。
 それから、適当なつまみを皿に盛り、自分たちが飲んでいる振りをするための度数ゼロの酒、というより単なる水を、空いた酒瓶に詰める。それらを盆に載せ、
「これが、あいつの(さい)()(ばん)(さん)だ」
 誰に言うでもなく(つぶや)いて、健康は、権造の待つ居間へと歩きだした。

 陽が沈むより前から飲み始めていた。
 そうして、いまは午後十時をまわっている。
 宴もたけなわ。強い酒のお陰か、いよいよ権造は(めい)(てい)している。羽織った()()()は着崩れ、目は半開き、加えて、何やらぼやいているが、まったく聞き取れない。
「たまたまな……あえがあうから……」
 ()(くう)に向かってくだを巻く権造のことを、殺人予定者たちは、冷やかに見つめた。
 やがて、エステン作曲『人形の夢と目覚め』のメロディが流れ、直後、お()()が沸きました、というアナウンスが響いた。三人の間に、(かす)かに(けん)(せい)の気配が漂う。
 最初に動いたのは健康だった。
「さあ、お(じい)ちゃん、お風呂の時間ですよお」
 お()()た調子で言いながら両手に薄手のビニール手袋を装着し、健康は権造に肩を貸した。一歩遅れて由佳里と昇太も権造を支える。
 浴室は台所の向こう側だ。三人は、権造の身体(からだ)を引きずっていった。
 脱衣所に入ると同時に、その身体を床に転がし、衣服を脱がしていく。下着に手をかけたとき、一瞬だけ由佳里が顔をしかめたが、気にせず作業を進める。酒をしこたま飲ませたものの、自律神経は正常に機能しているようで、失禁などの形跡はない。
 下調べの通り、洗濯機の横にランドリーバスケットは置かれていた。そこに()いだばかりの衣服を放り投げる。日頃は畳んで入れているのか、丸めたままなのか、そこまでは分からないが、(でい)(すい)状態で入浴したという設定だ、脱ぎ散らかしていたとしても不自然ではないだろう。
 自身の(そで)をまくる。(すそ)をまくる。

次のページ 

 前のページ

「由佳里、そっち持ってくれ」
 権造をバスタブの傍らに立たせ、頭を押さえて、一気にお湯に突っ込んだ。
 ちゃぷん、と、思いのほか地味な音が鳴った。
 気泡がいくつも浮かんでくる。すると突然、権造が暴れだした。(とっ)()に腕を後ろへ(ねじ)り上げるが、制止できそうにない。火事場の()鹿()(ぢから)だか死に物狂いだか知らないが、高齢者とは思えないほど、権造の力は強い。
「昇太、足だ、足。踏ん張れないように足を持ち上げるんだ」
 (いら)()ち気味に訴えると、昇太が手押し車を扱うように権造の両足を抱えた。
 権造の上体が湯船の奥深くへと沈んでいく。それでも、(わる)()()きは止まらない。
「由佳里、頼むよ、もっとしっかり押さえてくれ。あ、いや、内出血の(あと)が残るとマズいから、あんま力を込めるな。弱く、それでいて力強く押さえてくれ」
「無茶言わないでよ。精一杯やってるって……あっ」
「なに?」
「腕時計を着けたままだ」
 見ると、権造の左手首にシリコンベルトの腕時計が巻かれていた。老人にもかかわらず液晶ディスプレイを備えたいまどきのものだ。おそらくスマートウォッチだろう。
「どうせ防水だから気にするなよ。それより……」
「はいはいはい、弱く、強くでしょ」
 気泡が消えていく。抵抗する力も弱まってきた。窒息による確実な絶命までは、およそ十五分。ただし意識不明になるだけならば五分もあれば足りる。しかし、いまの健康たちにとって、その五分は恐ろしく長く感じられた。
 浮いてこようとする頭を押さえながら思う。
「マズいな。急に部屋が静かになり過ぎかも知れない……」
 権造の自宅は寺から少し離れた住宅街にある。近隣の家に権造の笑い声などが届いていた可能性もあり得る。
「昇太、こっちは俺と由佳里でやる。お前は居間に戻って笑ってろよ」
「ええ? 一人で?」
「お前はやればできる子だよ」
 戸惑いながらも昇太は居間へと向かった。
 もう権造は動かない。もはや放っておいても死ぬ確率は高いだろう。それでも震える両手で懸命に頭を押さえ続ける。死んでくれ、死んでくれ、願いながら。
 やがて、由佳里が肩を(たた)いてきた。
「もう死んでるよ」
 すでに十五分を過ぎていた。権造の心肺は停止していた。手を離すと、その上体はうつ伏せのまま水面に浮き上がった。
 腹の奥底から込み上げてくる笑いをどうにか堪えて、(ささや)く。
「ざまあみろ。二度と世間に浮かんでくんなよ」
 それから、由佳里と共に(いっ)(たん)お湯から遺体を引き上げて、入浴中に(でき)()したと思われるよう、しゃがんだ姿勢にして浴槽に戻した。
 ()れた手を薄手のパーカーで拭いながら居間に戻ると、昇太が一人で手を叩いて笑っていた。その様子が面白かったので、黙ったまま眺める。
 しばらくして、ようやく昇太がこちらに気付いた。
「なんで二人して突っ立ってるんだよ。終わったなら声かけてくれよ」
「いや、良い演技だと思ってな」
 柔和に笑みを浮かべると、昇太も微笑(ほほえ)んだ。
「で、()()くいったの?」
 その問いに答えたのは由佳里だった。
(かん)(ぺき)
 スマートフォンを取り出して時刻を確認する。まもなく午後十時半だ。
 明日は友引で寺が休みな上に、妻も息子も不在、権造の消息を気にかける者はいないだろう。そのため遺体が発見されるのは明後日(あさって)以降と思われる。死亡推定時刻には数時間の幅が生じるはずだ。とはいえ、出来るだけ早くここを()ったほうが良い。

次のページ 

 前のページ

「さて、家に着くまでが遠足だ」
 急いで戸締りを確認して明かりを()けたまま外に出る。それから殺人犯たちは、開け放たれた引き戸のほうを振り返り、誰もいない玄関に向かって声を(そろ)えた。
「会長、ごちそうさまでしたー」
 健康だけは、さらに一言付け加える。
「良い夢を……」
 そうして、あらかじめ用意しておいた(あい)(かぎ)で戸を()(じょう)し、その場を離れた。
 これで、町全体を(おお)う封建的な体質と、()(れい)のような日々から、解放される。大きく歓喜の声をあげたいほど心は高揚感で満たされていたが、(うわさ)(ばなし)が一瞬で広まってしまう町だ、下手なことは言えないので黙って歩いた。
 しかし、川沿いの通りに差し掛かったとき、いよいよ我慢ができなくなった。
「ラジオ体操だ」
 一言、洩らした。隣を歩く昇太が首を(かし)げる。
「ん? 明日の朝もラジオ体操の集会だね。それがどうしたの?」
「違う違う。ラジオ体操の歌だよ……」
 そこまで言うと、すぐ後ろでタバコを吸っていた由佳里が、言わんとしていることを察したのだろう、話の続きを引き取った。
「新しい朝が来た、だね」
 健康は振り返って、後ろ向きに歩きながら深く(うなず)いた。
「そそそ。希望の朝だ。明日から新しい人生が始まるんだよ」
 時刻は午後十時半。三人は、笑顔を交わし、それぞれ帰路に就いた。
     △
 深夜十二時のことである。
 町の外れに暮らす(やま)(ふじ)(えい)(さく)は、不審な音で目を覚ました。どうやら何者かが玄関の戸を叩いているようである。客人であろうか。だが――。
 数年前にインターフォンが壊れてしまい、以降、そのままにしてあった。子供が巣立ち、妻が先立ち、飼い犬もいなくなり、独りになったがゆえに呼び鈴の類がなくとも不便を感じなかったのである。栄作は信津町町内会の副会長を務めてはいるものの、その肩書きを取り払ってしまえば、ただの老い先短い男やもめである。彼の家に客が訪ねてくることは(まれ)であったし、ましてや深夜に訪問してくる者などあろうはずもなかった。
 (いぶか)しく思いつつも栄作は()(とん)から抜け出し、恐るおそる廊下の電球を点けて玄関を(のぞ)き見た。(こう)()状の引き戸に()められた()りガラスの向こうに人影が揺れている。
「……どなたですか?」
 静かに尋ねると、少し間があってから()()みのある声がした。その声を聞いて胸を()で下ろし、栄作はネジ式の内鍵を解いた。
 からからと引き戸を開けると、訪ねてきた人物が、暑いというのに人目を(はばか)るようにフードを()(ぶか)(かぶ)り、ひどく申し訳なさそうな顔をして立っていた。
「こんな遅くにどうしたんだい?」
 その問いに対する答えは、預かって欲しい物がある、というものであった。
 訪問時刻もさることながら、その要件についても、まったく意図が(つか)めない。栄作からしてみれば、自分が預からなければならない物など心当たりがない。その心情を伝えるために彼は大仰に首を傾いだ。
 ところが、訪問者は何も言わずに手提げから何かを取り出すと、それを、押し付けるかのように栄作に差し出した。有無を言わさぬ唐突な行為に不意を突かれて、栄作は反射的にそれを受け取ってしまった。
 手の中の差し出された物、それは、(げん)(こつ)(だい)の丸い石であった。
「これは……(しな)()(でら)の宝じゃないか……」
 その言葉には答えず、訪問者は何やら唱え始める。
 ――あまねく金剛に()()(たてまつ)る、
 (じゅ)(ごん)である。
 秘術の仕組みならば知っている、いますぐ石から手を放さなければならない、と栄作は考えた。しかしながら行動に移すより先に詠唱の最後の文言が発せられる。
 ――――。
 彼は胸を突き出すように一瞬だけ身体を大きく震わせ、そうして、その場に崩れた。
 訪問者は、動かなくなった肉体を見下ろし、持参したロープを取り出した――。

次のページ 

 前のページ

     ∴
「ウェーイ」
「ウェ、ウェーイ……」
 権造を殺害した翌朝、健康と昇太は(あい)(さつ)代わりにハイタッチをした。周囲には首からスタンプカードを提げた小学生たちが走り回っている。時刻は午前六時。場所は信津寺の、すなわち権造の寺の、すぐ横にある公園だ。
 二人はラジオ体操の集会に参加していた。信津町では、夏休み初日からお盆のころまでの平日、小学生のためのラジオ体操の集会が行なわれている。その運営を(にな)っているのは、健康たちが所属する町内会青年団だった。
「いやあ、今日は(すが)(すが)しい日だな。すでにクソ暑い」
「ああ、うん、そうだね。タケちゃんはいつも通り清々しいよ……」
 軽口を叩く健康に比べて昇太は歯切れが悪かった。
 昇太の気持ちも理解できなくはない。日をまたいで不安が頭をもたげ始めているのだろう。計画に抜かりはなかったと思うものの、完全犯罪になり得たか(いな)かの正式な結果については、遺体が発見されるまで分からないのだ。いうなれば、いまは受験の合格発表を待っているような状態だ。とはいえ、
 悩んでも仕方がない――。
 健康は何も言わず、肩をすくめて周囲へ視線を移した。
「……おいおい、そこのクソガキ、ちゃんと並べよ。スタンプ押さねえぞ」
 二人の間に漂う気まずさなどお構いなしに、()(わい)いチビッ子たちは(にぎ)やかだ。少子化が進んでいるとはいえ、町内の小学生がすべて集まれば収拾がつかない。ただし今日に限っては、その状況は雑念を払うのにおあつらえ向きだった。青年団の一員として健康は、加えて昇太も、しばらく子供たちの誘導に専念した。
 その後、ようやく整列が済んで、ラジオ体操の放送が始まるのを腕組みして待っていると、昇太が(かに)のように横歩きしながら近付いてきた。
「ねえ、タケちゃん、知ってる?」
「え、知らない。なんの話?」
「他の町内会だと、ラジオ体操の集会ってやってないんだって」
「そうなの? いつから?」
「僕らが子供のころからやってなかったみたいだよ。お母さんから聞いたんだ」
「マジかよ。俺たちはガキのころから(しいた)げられてたんだな。まあ、でも、これからは町内会のルールを自由に変えられる。来年からはラジオ体操の集会はなしだな」
「新しい朝か。そんなに上手くいくのかなあ……」
 昇太はつま先で足元の砂利をいじった。
「なあ、いい加減にしてくれよ昇太。ドンと構えてろって」
「だってさあ……」
「果報は寝て待て、って言うだろ。少しは由佳里を見習えよ」
 そう言って、健康は(あご)で由佳里のいる位置を示した。
 由佳里は、長机の前のパイプ()()に座って、放送の準備をしていた。スーツケースのように巨大なラジオチューナー付きスピーカーを、あくび混じりに操作している。どうやら集会直前まで寝ていたらしく、前髪はクリップで頭上にまとめているだけ、(まゆ)()も描かれていない。いつも通り、いや、いつも以上に気だるげだ。
「由佳里もタケちゃんも肝が据わり過ぎだよ。絶対ね、僕のほうが普通だよ」
「なに言ってんだよ。お前は(すご)(やつ)だ。普通だなんて(けん)(そん)するなよ」
「そういう意味で言ったんじゃないよ……」
 昇太は(あき)れたように長く息を吐き出した。
 ザザザ、ザザザと、ノイズが流れ、おはようございまーす、というアナウンサーの陽気な声が響く。まもなくラジオ体操の始まりだ。
「ほら昇太、ぶつかるからもっと離れろよ。大きく腕の運動ができないだろ」
 言ったとき、せっかく(なだ)めた子供たちが再び騒がしくなった。
 子供たちは寺のほうを向いていた。寺のほうを向いて、口々にこう言っていた。
()(しょう)さん、おはようございます!」
 全身に鳥肌が立った。健康は咄嗟に子供たちの視線の先に目を向けた。そこには、布に包まれた拳骨大の丸い物を持った、作務衣姿の老人が立っていた。
 紛れもなく、殺したはずの長谷部権造だ。
「なんで、生きてんだよ……」
 その健康の囁きを()き消すように、スピーカーから、大音量の歌が流れ始めた。

  ♪新しい朝が来た 希望の朝だ
   喜びに胸を開け 大空あおげ……

 前のページ