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 ひょっとすると自分は、熊に食べられている最中なんじゃないか。
 仰向けでいる僕の身体は、腹のあたりで途切れている。カーテンで隠された向こう側の下半身に痛みはないが、左側の股近くの皮膚や皮下が時折強く引っ張られたりと、物理的な感覚はあった。熊に殴られ気絶したあと、神経がおかしくなった状況で下半身をそのままむしゃむしゃと食べられている──なにかでふれた熊の記事か動画からそんなことを夢想している僕の耳には、「Overjoyed」が聞こえている。スマートスピーカーから流れているスティーヴィー・ワンダーのプレイリストは既に二周目に入っていた。首と目だけ動かし掛け時計を見ると午後三時過ぎで、この手術台に横たわって半時間ちょっとくらいしか経っていなかった。
 せいさくじょうみゃくりゅう。精巣の上の精索部の静脈で血液が逆流し、静脈が拡張して静脈瘤ができ精巣の温度を上げてしまう。初診時の触診やエコー検査でわかったそれは成人男性の一五パーセントに認められるもので珍しくはなく、放っておいても死にはしない。僕の症状は三ミリ以上の太い静脈が二本以上あったものの軽度なほうで、四〇代とか五〇代とか、もう少し年がいってから手術を受けてもよさそうなものだった。しかし子供を授かりたいとかれこれ四年間も不妊治療を続けている僕ら三十代夫婦においては、少しでも不妊の原因になりそうなものを知ってしまえば、しらみつぶしにしてゆくしかない。特に自分の身体に関してのことは、僕自身が一番そう感じている。
 平日に仕事を休んで付き添い、手術前に先生からの話を一緒に聞いてくれた妻のおりは、今何をしているのだろう。術後に、ここ銀座の街のどこかで落ち合う予定であった。初診時からその印象は変わらないが、男の院長はしゃべり方にあまり抑揚がなく表情も読みにくいタイプの人だ。数人の女性スタッフたちに必要なことを言葉少なに淡々と伝え、逆流していた静脈を一本ずつ丁寧に糸で縛るという仕事を、一定のリズムを保ち進めている。それにより静脈の瘤は小さくなり精巣の温度も下げられ、精管を通る精子の状態も良くなる。
 スティーヴィー・ワンダーの歌声が、奇妙に伸び縮みしたように聴こえる。テープがよれたみたいに音程が揺らいだのは修正なしのライブ版の、フェイクなのか。しかしこれはデジタル配信だし曲もライブ版ではない聴き慣れたもののはずで、麻酔のせいで僕にはそう聴こえたのか、この部屋の音響やWi-Fiの環境が悪いのか。下半身の感覚に神経を研ぎ澄ませてしまうと、局所麻酔が効いているとはいえ、金属製の道具や糸でなにかされているその感触が、痛みであるかのように認識させられもする。意識を感触から逸らすため、曲を替えたい。手術が始まる前に先生は、聞きたい曲があったら伝えてくださいと言っていた。
 なぜだか直感的に、そしてそれ以外ないというように、ボン・ジョヴィのとある曲のイントロが浮かんだ。「Wanted Dead or Alive」。それを聞きたいと思い、「すみません」と声に出す。
「え、痛い?」
 静かに手術を進めていた先生が不意打ちをくらったかのように、わりと驚いたような反応を見せた。
「いえ、痛くなくて……曲を替えてほしくて」
 僕がそう述べると、先生や看護師たちの間で一瞬、なにを言っているんだこいつは、というような空気が流れ、それもすぐに消えた。
「曲ですね、わかりました。なにがいいですか?」
「ボン・ジョヴィの、ウォンテッドデッドオアアライヴをお願いします」
「え? ボン・ジョヴィの……?」
「ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ」
 ウォンテッデッドアライブ、ウォンテッデッダライヴ……先生はスマートスピーカーに対し苦戦しながら何回か曲名を伝えた後、「ボン・ジョヴィの、ウォンテッド・デッド・オア・アライブ、流して」と英語からかけ離れたカタカナ発音で言うとようやく受理され、アコースティックギターによるブルージーなアルペジオのイントロリフが流れだした。その瞬間、性器の付け根あたりを鈍く引っ張られる物理的な感覚と、ギターの鉄とナイロンの弦の響きがぴたりと共鳴した。まるで僕の血管や神経そのものが弦となって、弾かれているかのようだ。器具がトレーに置かれる金属音や、先生が助手たちに指示を出す声のタイミングまでもが、曲のリズムの一部となっている。局所麻酔が脳にも少しは作用しているのか。
 手術が終わると、僕は小学生の頃以来となる新品の白いブリーフパンツを穿き、丸めたタオルを陰囊の下に入れる。ゆったりめの裏起毛のカーゴパンツを穿き、諸々の事務手続きを済ませ、待ち合わせ場所へと向かった。外資系ブランドの路面店が密集している通りにある、ガラス張りの商業ビルに入りエレベーターで一二階に上がる。パンケーキ店の出入口前の椅子には誰も座っておらず、やって来た女性店員に「待ち合わせです」と言い広い店内を歩いていると、向かいのブルガリがよく見える窓近くのソファー席に座っている沙織を見つけた。
「ご苦労様。痛みとか平気?」
「大丈夫。ビルズにしたんだね」
 どうせだったら、中野にないものをと思って。開いたメニューに目を落としながら沙織が言う。たしかに、僕ら夫婦が住んでいる中野にもパンケーキ店はあるが、大きめのビルの上階に余裕ある空間の使い方をしているレストランというものが、ない。銀座の店と比べるのは酷だとしても、中野にはそもそもベビーカーを押して入れる店が少ない、らしい。人から聞いた話であり、僕たちにはまだ体感としてはわからないが。
 二人とも、既に何度か食べたことのある柔らかなリコッタパンケーキを頼み、互いにどう過ごしていたか口にし合う。沙織はデパート等を物色してまわり、服を一着試着したが、買わなかったという。僕が手術中にボン・ジョヴィの曲に替えてもらおうと先生に頼んだところ戸惑わせたことを話すと、「え、そんな発音ややこしい曲名、だめだよ」と沙織は笑った。
「アイマカーボーイ、オンナ、スティルホースアーイライド……知らない?」
 沙織は「知らない」と首を横に振り、僕も当然だろうなと感じていた。僕より三つ下の彼女どころか、僕の世代の曲ですらない。そんな曲を僕がなぜ知っていて、思い入れがあるのかといえば、大学を卒業し会社に入ったばかりの頃に五歳上の当時の上司から『ハーレーダビッドソン&マルボロマン』という映画のDVDを借りたからだった。
「それも知らない。好きな映画なの?」
 僕からの説明のあとにそうこぼした沙織に対し、僕は首を傾げる。
「うーん……仲間の店を救うためにバイカーたちが犯罪組織と戦うドンパチ映画で、映画の話の筋自体は、それほど好きというわけでもない」
「じゃあなんで? あれボン・ジョヴィは?」
「オープニングで、街がハッピーニューイヤーの花火で華やぐ中をミッキー・ロークがハーレーで走りだすんだけど、広大なアメリカの道を走り続ける中でその曲がかかってて、なんかいいんだよね。行き着いた先、飛行機が行き交うロサンゼルスの街中で、カワサキに乗る旧友と走ったり……。好き勝手に自由を謳歌してるぜって感じで、バイク好きとしては……。まあ、なんだかんだバイクは、たちさんたちと走って以来だけど」
 やがてパンケーキが供され、食事の間は味に集中するため言葉少なに食べ続け、食べ終わった僕がトイレへ行き慎重に用を足してから席へ戻ると、スマートフォンでなにやら見ていた沙織が口にした。
「ボン・ジョヴィ、つよが生まれた年に、サンプラザへライブしに来てたんだって。日本で初めて単独ライブした場所らしいよ」
「え、ボン・ジョヴィがサンプラザ? 中野の?」
「うん。でも、そのときだけだね。それ以降はもっと大きなところでやってる」
 沙織はさらになにかを辿ろうとしたらしいが、ブラウザの更新に手間取った挙げ句に通信量管理アプリを参照したうえで、「データ容量切れた」とこぼした。モバイル通信のプラン容量に達してしまったのは、賃貸マンションに引いているインターネット回線が不調になったためだ。プロバイダーに電話しようにも電話窓口がなく、チャットのみ受付可だったので問い合わせてみると、AIによる自動対応をたらい回しにされた挙げ句、振り出しに戻りどこにもたどり着けなかった。
「今日はもう帰っても間に合わないか……。明日、どうにか本気で問い合わせてみる」
「コールセンターまで繫がっても、そこからまたたらい回しの可能性もあるけどね」
 沙織がそう言うからには、その可能性も十分ある。なぜなら彼女は時に、たらい回しにする側、でもあるからだ。四ツ谷のビルに入っているコールセンターの会社の社員である沙織は今日、仕事を休んだ。自身が手練れのテレホンアポインターであると同時に、アルバイトの人たちを管理する立場でもあった。
「今日、沙織が休んで大丈夫だったの?」
「うなぎ蒲焼きの真空パックのラジオ広告が流れる日だから、電話が鳴って大変ではあるだろうね。福岡のセンターでも受けるから、パンクはしないだろうけど」
 様々な業者から委託される会社であるからして日によって扱う商品は違うらしいが、ラジオCMで食品が紹介された日は、業務がかなり忙しくなる傾向にある。沙織も、入ったばかりの二〇代前半の女性アルバイトの電話対応を心配してはいた。老人たち相手にうまくやりとりできるのか、と。
 ただ、今日は沙織も僕の手術に同行するほかなかった。不妊治療には、それぞれに秀でたところのある各分野の先生たちがいて、これまでに幾つかの病院を経て、今も三つの病院の三人の先生にお世話になっている。しかし、そこに横の統合的な繫がりはなく、各院を横断的に受診している僕らがどうすべきかの決定を下してくれる絶対的な監督がいるわけでもない。だから、常に夫婦互いの状態を精確に把握しておくため、精索静脈瘤の手術をしてくれた先生や看護師たちが話すことの委細を、僕だけでなく沙織も自分の耳で聞きに来たのであった。

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 銀座線から東西線に乗り換え、中野で下車すると、小雨が降っていた。買いたい生活用品があったため、駅南側すぐに位置するマルイ内の無印良品へ寄ってから、高架下の喫煙所横を通りつつ中野通りを北側へ歩く。少し右手に行けば中野通りと並行して、アーケードに覆われた中野サンモール商店街から中野ブロードウェイへと続く道がある。しかし雨の日は歩行者たちが皆、濡れない道を歩きたがるため、サンモール商店街は人で氾濫した河川のようになり、渋滞する。小雨くらいであればそこを避けようと、僕ら夫婦は中野通りを行く。左手に、閉館した白い中野サンプラザが近づいてきて、ここからの位置だと裏側にあたる部分が三角形のように傾斜しているその巨大な建物を、仰ぎ見つつ歩いた。
 僕より一八歳年長の立木さんに証人の一人をお願いして、中野区役所で僕ら夫婦と立木さんの三人で婚姻届を出したのも、もう四年弱前だ。立木さんは九〇年代初めにデビューした男二人バンドのギタリストのほうだ。デュオでの活動は五年ほどで幕を閉じたが、渋谷系と言われ、音楽雑誌の表紙を飾ったりするほどの人気を博していたらしい。その頃小学生だった僕もリアルタイムで聴いていてもおかしくはなかったが当時は認識しておらず、大学時代に、アコースティックギターを前面に押しだしたとある曲をものすごく気に入り、コピーした。それからしばらく経ち、社会人バンドのライブで度々利用しているスタジオでデュオ片割れの立木さんがワンマンライブをすることを知り、学生時代の友人一人と沙織も連れて観に行った。昔と違いソロで歌も歌える人になっていたが、さらっと弾くギターのシンプルなコードストロークなんかがとにかく上手く、やはりそのギター演奏こそがなによりもの魅力だった。僕はその後の飲みの席にもお邪魔し、初対面だった立木さんに、デュオ時代のあの曲をかつてコピーしたことがあると話したが、礼を述べた立木さんの反応はわりと素っ気なかった。五年で終わったデュオより、今に至るまで休止期間も挟みつつ続けている別のバンドでの活動や、ソロ活動のほうに重きをおいて久しかったからかもしれない。僕としても、実のところコピーした一曲しかほとんど知らなかった。その後、立木さんの趣味であるバイクの話のほうで盛り上がり、ツーリングに連れて行ってくれることとなった。以来度々、僕はバイクを立木さんの知り合いから借りたり店で事前にレンタルしたりしながら、一緒に走り、ライブが開かれれば顔を出すようになった。
 制作の仕事で外から呼ばれたり、自身で起ちあげたレーベルの新人をプロデュースしたりと忙しくしている人であるが、時間の融通はきくようで、ダメ元で僕と沙織の婚姻届提出への立会いをお願いしたら、平日の昼間にもかかわらず快く引き受けてくださった。中野サンプラザ横の区役所へ行き、婚姻届の証人欄に署名と捺印してもらう際、立木さんは印鑑を朱肉につけたあと口元へもっていき、「ハーッ」と息を吐きかけてから、捺印した。それを見た沙織は笑いだした。初めて目にしたようでなんのための行為かわからず、え、知らない? と問うた立木さんに対し、沙織は首を横に振った。その直後にも、僕ら二人が婚姻届を持った状態で、一時期沙織がハマっていたチープ・フィルムカメラで立木さんに撮ってもらった際、フラッシュを焚いたため、職員のおばさんから軽く怒られ、用を済ませると逃げるようにサンプラザ前の広場まで移動した。サンプラザを背景としたその場所で、僕ら夫婦だけでなく、沙織と立木さん、立木さんと僕というツーショットまで撮ったあと、昼食のためサンプラザ上階のレストランへ上がった。
 僕が初めて訪れたその高層階のレストランからは、南側にある線路を見下ろせた。中野という街がそれまでと違うように見えて面白く、また訪れようと思っているうちにほどなくしてレストランが閉店し、やがてサンプラザ自体が閉館した。
「“着膨れ”で、刺身買って行く?」
「そうだね。マグロとか平目の刺身、食べたい」
 沙織から訊かれ僕はそう返す。サンプラザを過ぎた所にある横断歩道を東へ渡ると、サンモール商店街の北端と中野ブロードウェイの南端の接続部分へと行き着き、そこから北側の中野ブロードウェイに入る。南北にのびる築五十数年の建物は、地下一階から四階までが商業施設で、それより上はマンションだ。竣工当時はセントラルヒーティングに屋上プールも備えたホテルのような暮らしができる最新マンションというふれこみで、芸能界のスターや政治家たちもわんさか住んでいたらしい。僕ら夫婦はマンション部分に足を踏み入れたことはなく、商業施設の中でももっぱら地下一階ばかり利用している。
「着膨れ」とは僕が勝手につけた呼称で、鮮魚を扱っている人気の魚屋の正式名称は「かつ商店」だ。一人で引っ越してきたばかりだった八年前の冬の当時、魚好きの僕が物色しようとした際、コの字を描くような動線の狭い店中に、ダウンジャケットを着た初老以上の年齢の人たちが密集していた。あちこちに発泡スチロールが積まれた狭い店内を、もこもこと着膨れた老人たちが自分のペースで買い物しようとしていると、物色しづらく、目当ての物も手に取りづらかった。それが最近になり、同じ地下一階の中で売り場を広げ、以前よりは多少買い物しやすくなった。
 地下の通路沿いの最も目立つ位置に、マグロや各種白身魚といった刺身用生魚のサクなんかが置かれ、賑わっている。僕が物色している間に、沙織には近くの八百屋と肉屋を見てきてもらう。中トロの大きなサクがだいたい二二〇〇円ほどで魅力的だが、骨近くの白い筋の入った脂ののった部位が三倍ほどの量で一一〇〇円といった破格で売られており、いつものように僕はそれに手を伸ばしそうになる。客層で多い老人たちはそんな量の刺身を食べないのか、あるいは筋をまな板上や口の中から取るのが面倒なのか、お買い得で数も少ないそれらが、店頭に出てすぐ売り切れるということもなかった。
 マグロのカマが出ているのは珍しく、鯨肉もいいなと思いつつも、包装ラップの上に「880」とだけマジックで手書きされている、開きにされた小さめの身数切れが並べられたパックが気になり、主にこのコーナーの番をしている数歳年上らしき女性に僕は訊ねた。
「これ、なんですか?」
 他の客とのやりとりを終えたばかりのお姉さんが僕からの問いに、よく通る声で三文字くらいの名前を答えてくれたが、馴染みがなかったため聞いてすぐ忘れた。
「どうやって食べればいいですか?」
「新鮮なうちにこのまま刺身でいけますよ。あとは塩焼き」
 どんな得体の知れない魚や部位であっても、訊ねれば色々な料理の仕方を教えてくれるこのお姉さんのことを、僕は声で覚えている。顔より、声の印象の方が強かった。
「じゃあ、これと、そっちの西京漬けを一パック。以上で」
「ありがとうございます。九五〇足す……一八三〇円です」
 無料かつ大きめの白いレジ袋にさっさと商品を詰めているお姉さんに僕が二〇三〇円を現金で手渡すと、すぐに二〇〇円と「ありがとうございます」という言葉を返され、僕は他の客たちに譲るようにその賑わいから離脱した。今時現金でしか買い物できないのは、ここくらいだ。同フロアの八百屋ですら、数年前に交通系ICカードには対応した。“着膨れ”で買い物をするためだけに、僕は現金を持ち歩いているといっても過言ではない。
 腕のリーチが長い方が買い物しやすい“着膨れ”で僕が魚を購入している間に、沙織が肉屋や八百屋での買い物を済ませ、最後に足りないものを同フロアのスーパー「西友」で揃えるのがいつもの流れだが、今日は沙織は肉屋で鶏の手羽と卵を買っただけで合流後二人でスーパーへは行かず、そのまま地下通路を北へ向かう。外国人観光客たちが一〇人前後、大きな淡い色のソフトクリームをベンチに座ったり立ったりしながら食べている一画を通過する。数十年前からある店で、観光ガイドやネットのレビューに載っているのかもしれないが、日本人の僕からしてもかなり薄いアイスの味に、外国人たちが満足するのかはわからない。日本人の子供が遊ぶことはなさそうな、ミニサイズのUFOキャッチャーがいくつか並んでいる壁沿い近くの上りエスカレーターで一階に上がりブロードウェイから出た僕たちは、早稲田通りを渡りさらに北側の、新井薬師のほうへと少し歩く。
 やがて帰り着いた築三八年の僕と同い年の賃貸専用マンションは、外張りのタイルに崩落している箇所があったり、エレベーターの昇降が異様に遅かったりと、古びた雰囲気がある。集合郵便受けはその最たるもので、二十数戸分あるダイヤル錠式扉のうち五分の一ほどが、閉まりきっていなかったり、扉が蝶番ごと歪んでいたり、バールのようなものでこじ開けた跡があったりした。僕らの部屋の郵便受けはダイヤル錠が緩いくらいですんでいるものの、オーナーによる管理費用のケチり方には辟易するし、結婚生活を行うには2LDKに狭さも感じているが、そのぶん相場からすると家賃は高くない。僕が今勤めている新聞社系列の広告代理店に転職した八年前、社屋のある大手町まで東西線の始発で通える気軽さと、学生時代から馴染みのある街ということで住み始め、今に至っていた。僕ら夫婦にとって便利な中野駅徒歩圏内は、ここ最近で家賃相場がぐっと上がってしまい、広い部屋にも引っ越せないでいる。


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 少し前に業者の人が来てケーブル工事を行い復旧したネット回線で、配信の映画を視聴していた僕は、午後三時半過ぎに家を出た。沙織は朝から仕事に行った。土曜の今朝の朝刊にクライアントが参鶏湯サムゲタン真空パックセットのチラシを折り込んだため、注文の電話が沢山鳴る日とのことだ。視線を上にやると、羽田空港への降下態勢に入っている飛行機の機影が大きく見える。友人たちとの集合場所である中野ブロードウェイを目指しつつ、僕はなまった身体を目覚めさせるべく歩こうと、いったん自宅マンションから西側にある中野通りへ出る。南に位置する駅へ近づくほど、幅の狭い歩道に人の流れが増え歩きづらくなってくるが、早稲田通りとの交差点の手前まではまだ、余裕をもって歩けた。並木道には、裸になった桜の木の太い幹や枝がオブジェのように並んでいる。
 冬の寒さによるのか、陰囊の左側の付け根の少し下あたりに、脈動に附随するような疼きをわずかに感じた。手術後の痛みなのか、あるいは精索静脈瘤の治りきっていない部分の痛みなのかはわからない。今まで僕は、こういう気候の条件下で感じていた小さな痛み未満の疼きに、気づいていなかっただけなのだろうか。術後二週間は経過し傷口も塞がっており、二枚の白いブリーフと一枚のボクサーブリーフを穿きまわす必要もなくなったが、それらの下着の機能性に気づき、ローテーションに組み込んだままだ。
 精索静脈瘤の手術に関し、保険適用だと神経も血管もまとめて縛ったりしてしまうところを、僕は問題のある血管だけを一本ずつ縛ってもらう自費診療を選んだから、五十数万円かかった。月給分がほぼ消えた。結婚して四年間のうちに何度も精子の検査を受けたが、所見だと、精液中の精子の濃度や運動率等、どれも平均よりかなり優れていた。ただ、静脈の一部が逆流し高温にさらされた精子は、DNAがダメージを受けている可能性もある。子供ができない原因はそれじゃないかもしれないし、本当の原因などわからないものの、結果として僕は、手術を受けて良かったと思っている。大変な思いをしている沙織と比べれば、股の部分に三センチほどの傷跡が残ったくらいで、僕が失ったものはない。一昨日には、久々にジムでの筋力トレーニングも再開した。
 早稲田通りの交差点を渡り左折すると、銀行ATMや一〇〇円ショップの横を通り、中野ブロードウェイの北側出入口へ近づいていく。三階にある書店で、大学の軽音サークル時代からの友人二人と待ち合わせていた。通っていた大学の場所的に、よく中野や高円寺、吉祥寺のスタジオを利用しており、飲む場所は新宿にも近く価格帯も低めな中野が多かった。毎度のように遅くまで過ごし、新宿乗り換えで埼玉県の大宮の手前に位置する与野の実家まで、終電ギリギリで帰っていた。当時から二〇年近くが経ち、どこで飲んでもよかったが、今日は中野で飲み以外の用もあったし、それに密集している様々な飲食店の中から選ぶのが楽だった。かといって中野は、入れ替わりの新陳代謝が激しいため、僕らが昔から通っている馴染みの店なんかはほとんどない。
 すぐそばを路線バスが二台、ほとんどたて続けに通る。中野は様々な道に囲まれており、新宿や渋谷といった都心の繁華街も近い。新宿へは車や電車でもすぐだし、南北をわたす鉄道路線こそないものの、南南東の渋谷へ直通のバスは多い。ただ、新宿から山手線に乗り換えられるため実際にはJR線に乗ってしまったほうが渋谷へも早く着くから、印象の問題だ。ともかく中野周辺は色々な方面に向かうための道が体内の血管のように複数確保されており、より西側の郊外にある吉祥寺みたいに、他に抜け道がないがゆえの交差点での糞詰まりのような渋滞は起きにくい。どの街に対しても、地続きで行けるという感覚だ。
 中野ブロードウェイ三階の書店へ入ると、ネイビーの細身のダウンを着た中背の男に目がいった。雑誌コーナーの前に立ちながらそれらを手に取るわけでもなく、それでいて興味深げに表紙を眺め回しているのは、なが正隆まさたかだ。僕が近づくと「よお水原みずはら」と、彼のほうも僕に気づいた。
「長尾が一番乗りとは意外。……アウディで来たの?」
「いや、バスだよ、西新宿から。今日飲むし」
 艶のある整髪料で黒髪をこざっぱりと整えている長尾は、西新宿の賃貸タワーマンションに一人で住んでいる。それモンクレールじゃん、僕がダウンジャケットの腕のあたりを触りながら言うと、長尾は笑みを浮かべ「服の印象は大事だから、モテに」と応えた。
「え、今日はこのあと、なんか予定入ってんの?」
「入ってないよ。マッチングの人と会うのは明日。だからあんまり顔がむくまないようにしないと」
 ヴォーカリストだった長尾は大学入学当初、僕らがいた軽音サークルとは別の、もっとハードロックやメタル寄りの、男しかいない軽音サークルと兼部していた。狭いながらも個室の部室があり、環境は良かったらしいが、人間関係がつまらず、男女比同じくらいでジャンルもごった煮の、僕たちがいる軽音サークルのほうへ一年生の後期には完全シフトしていた。大部屋を登山部やオールラウンドサークル等と分けた形の部室で、ドラムスを鳴らすと文句を言われることもあったし、楽器を置きっぱなしにしておくと夜中に勝手に使われたりもした。練習のため学内で教室の場所取りをするのも面倒だったので、バンドごとにスタジオを借りることが多かった。そのうちの一つ、中野駅南口すぐのところにある練習スタジオの近くに最近、見上げるばかりの高級賃貸マンションとオフィスが建った。
 店内に入ってきた男の気配に気づき見ると、いけだいらだった。僕らが店から出るように歩きだしてすぐ、長尾が、そして僕も気づいた。
「おまえら、なんで同じパーカー着てんの?」
 長尾が述べたとおり、僕と池平は大手ファストファッションブランドの、裏ボアパーカーを着ていた。池平のものは水色で、一昨年くらいに買った僕のグレーと比べれば表面の毛玉も少なく、「最近買った」ばかりだという。
「だって家の近所だし、パーカーでいいやって」
「俺も、荻窪からだから。近所」
 僕のあとに池平もそう続けた。そんな彼は、肩に大きな帆布のショルダーバッグをかついでいる。彼にとって思い入れのある音楽機材を、ブロードウェイ内にある機材屋の買い取り受付で売るのに付き添うのが、今日の優先的な目的であった。一行はここ三階にある買い取り店へ向かう。
「エフェクター売るんだっけ?」
 長尾の問いかけに、池平が「LINE6ラインシックスPOD2ポッドツーね」とうなずく。
「安値で買い叩こうとしてくるのに負けないように、二人とも励ましてくれよ。一人だと自信ないし」
 今時、中古品はネット上の個人売買でやったほうが、双方とも得をする場合が多い。池平がそうしないのは、マルチエフェクターが一応は精密機器であることから、買い手からクレームを受けるのを避けるためとのことだった。
「それ、そんなに価値ある物なの?」
 マイクプリアンプ等の機材関係のことも周りに任せていたためか、長尾はその手の知識には乏しい。
「今となっては、もっと音質が良い物が出回っていて俺も上位機材持ってるから、使わなくなったけど、まだ需要あるよ。ハードの一台完結シミュレーターとしては、つまみで直感的にできる音作りの幅が広いのよ。音質より演奏や作業のフィーリングを邪魔しない使い勝手の良さの方が大事ってある程度経験するとわかるから、中級者くらいまでの需要はまだある」
 池平はベースをやりつつ、部内で最もDTMの打ち込みにも傾倒していた。当時は、パソコンに繫げたオーディオインターフェース経由でMIDIキーボードや生音でのリアルタイム演奏を行おうにも、奏でている音とモニターから出る音の間におけるコンマ数秒単位での遅延対策が大変で、解消するにはパソコンや機材に金をかけたりDTMの設定にかなり精通しなければならず、金のない学生でそれをやっている人はあまりいなかった。ギタリストの僕も在学中、そして卒業後にも、池平の打ち込みを基にした曲作りに参加したことがある。機材を沢山持っていた彼から、それこそ今日売ろうとしているLINE6 POD2──赤い勾玉のような形をした親しみのもてる機材を、長めに借りたこともあった。僕はそれらのことを懐かしむように話した。
「そんなことしてたっけ? 知らなかった」
 長尾がこぼす。ただそんな彼も、池平が今でも曲作りを続けており、数年前にはマイナーな女性アイドルグループに楽曲提供したことは知っていた。池平の本業はシステムエンジニアで、新卒で入って以来業界大手の会社にずっと籍をおいており、最近は若手のエンジニアを連れての営業の役まわりのほうが増えてきたとは、年末に会ったときに話していた。
 池平が買い取りの査定を頼んでから、販売コーナーでリスニングオーディオ機器を眺める。
「池平って、なんかずっと荻窪住んでない? 卒業してから。……っていうか水原も中野長くね?」
 長尾が今気づいたというように口にした。
「そうね、就職してからずっと。丸ノ内線の始発で座って行きたいから、荻窪一択」
「池平と同じ理由。東西線で大手町まで座れるし。あと妻も四ツ谷に出社するから、中央線も使えて便利。でもさすがに結婚してからは、今の部屋じゃ狭くて。もう少し広い部屋がいいけど、中野は家賃高くなっちゃったからな」
 すると今度は池平のほうが、僕に対し不可解だというような顔をしながら口を開く。
「だったら三鷹は? 家賃中野より安いし、東西線直通の始発もあるから確実に座れるよ?」
「……まあ、座れるけど、片道で一五分くらい乗車時間増えるしなぁ」
「始発じゃなくなるけど隣の高円寺は? 中野より家賃下がるから広い部屋に住めるじゃん。……っていうか、荻窪のほうがいいよね。大手町だけじゃなく四ツ谷だって丸ノ内線で行けるし、沙織さんも通勤便利だよ。俺も一緒に三人で通勤しよう」
「そうだよ、っていうか、なんでずっと中野住んでんの? 中央線沿いだけど高円寺、吉祥寺みたいに古着屋、カレーとかストリートカルチャーのイメージもないし、特色ないんだったら、ベイエリアのタワマンでもよくね? 東雲とか、案外安い賃貸もあるぜ。っていうか、買いなよ」
 たしかに、高円寺や吉祥寺に遊びに行くという人はいるが、コンサート等の特定の目的をもった人以外で、中野に遊びに行くという人はいない気がする。中野ブロードウェイがあるものの、僕自身オタクでもない。なぜ、三鷹、吉祥寺、荻窪、高円寺、はたまた東雲なんかの東京の東側だったりではなく、中野なのか。二人に問われた僕は、理由をすぐには見つけだせなかった。

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 査定を頼んでから一〇分ほど経ち、三人で買い取り受付へ戻る。査定額は四五〇〇円と、個人売買アプリでの相場より低かった。当惑した池平が算出の根拠を店員に訊ねると、各パーツの傷や劣化具合、それと独自の査定基準により、ほとんどシステマチックに算出されたようだった。やめとく? 長尾が軽い口調で池平に訊く。しかし、池平は首を横に振りもせず、かといってうなったまま、提示額での売却を呑みもしない。僕は店側の査定額は概ね正しいのだろうなと推察した。新品時の価格や買った際のときめきを知っている者にとっては、年月が経ったうえで当時より価値が下がっていると指摘する者、値下げを要求してくる者は、悪人のように思えてしまうというのは多々ある。しかし往々にして、中古の査定額が、他者から見たそれの今の価値に対する正当な値付けである場合は多い。僕から見ての客観的な評価を下そうとすれば、たとえば七〇年代のヴィンテージプリアンプNEVE1073なんかのようなアナログ機器で、もう廃番となってしまったトランスを搭載しているからなんたら等々の蘊蓄が付随するようなものであれば付加価値も生まれるものの、LINE6 POD2はそのような代物ではない。発売されたその頃に弦楽器に向き合っていた初心者たちにとっては買いやすい価格帯の名機であっただけで、もっと上の世代や、ましてや今の若者たちにとっては名機でもなんでもない、ただの中途半端に古いデジタル機器だ。
 結局池平は、大学四年生のクリスマス・イヴの日に渋谷の楽器店で買った、彼にとって思い入れのあるマルチエフェクターを、提示された額で売った。
「手元にあっても仕方ないし、いっか」
 店をあとにした池平はそう言いはするものの、納得しきってはいない様子だ。今の彼の稼ぎからすれば、さっきのように安値で売ろうが、金銭的にはどうでもいいはずだ。ただ、気持ちはわかった。三階をゆっくりと歩いていたとき、「時計見て行こう」と長尾が呼びかけたので、僕らも続く。
 いつの間にか、中野ブロードウェイのテナントは高級中古時計店だらけになり、そうなってから数年は経ち、今や定着していた。時計好きな長尾は各店のショーケースへ目を向けるも、さっと流し見るだけで、物珍しそうに見たりはしない。三年前に転職し、中野の四季の森公園エリアにある大きな白い板状オフィスビルに通勤するようになったため、会社帰りにもたまにチェックしに来ているのだという。
「こういうの、新品はどこで買うの?」
「銀座だよ」
 池平からの問いに対し長尾が、そんな当たり前のことをなぜ訊くのだというような、怪訝そうですらある顔で答えた。銀座だけに限定されたことに僕は妙な驚きを感じつつも、自分が精索静脈瘤の手術を受けたクリニックのことや外資系ブランドの店舗を眺めながら食べたパンケーキのことを思いだす。最新の時計や、自費の最先端医療といった新しいものは、ぜんぶ銀座に集まるのか。僕と池平が時計に特に興味を示さないためか、長尾による巡回が終わると、階段を下り始めた。
「下の“着膨れ”の立ち食い寿司、君ら食べたことある?」
 二人には、“着膨れ”で通じる。僕が訊ねると、共にまだとのことであった。店舗改装して以来始められた立ち食い寿司は一五〇〇円と気軽に食べられるしおいしいという僕のすすめに、二人はのった。人気の鮮魚店の一角、通路沿いに設けられたカウンターには三人が並べるスペースが空いており、僕らは握りのセットを頼んだ。出てきた寿司は、どれもうまい。立ちながら黙々と食べつつ、今日で三回目くらいの僕は、握ってくれている僕らより数歳年上くらいの男性が寿司職人ではなくおそらくただの鮮魚店の店員であろうことに対し、専門性とはなんなのかと思った。
「あれ……寿司三人分の値段とさっきの買取額が、同じだよ」
 ほぼ食べ終えつつある段階で、真ん中に立っている池平がそうつぶやいた。長尾が彼の肩を軽く叩きながら口を開く。
「でも、寿司うまいしいいじゃん。こんだけの満足感あるもの三人前と、あのエフェクターが同じ価値っていうのは」
「まあ……たしかに」
 ブロードウェイの南側出入口から外に出た僕らは、目の前から駅のほうまでのびているサンモール商店街には入らず、左の路地に入る。車が入ってこない、二~三階建ての古い低層雑居ビルばかりが並ぶ中野五丁目の飲食店街を歩いた。夕方の早い時間ではあるが、ビニールの暖簾で暖気を確保していたりする各店の外席にまで人があふれ賑わっている。僕らは、今となっては唯一と言ってもいい、学生時代から度々通ってきた台湾料理店へ入り、丸テーブルに座る。毎週のように来ていたわけではないし、言語の壁やそもそも店員の入れ替わりもあるから、馴染み感のようなものは不思議とほとんどない。
「沙織さんは?」
 一通りの注文を済ませたあと、長尾から訊かれた。
「今日はコールセンターの仕事。参鶏湯の注文が入るんだって。もうすぐ仕事終わる頃だと思うよ」
 僕と沙織は社会人バンドで出会った。彼女はキーボードを弾く。数年前にやった複数組の合同ライブに、長尾と池平にも客として来てもらったことがあり、何度か一緒に食事もしている。最近、僕ら夫婦は社会人バンドへの参加を中断していた。社会人たちは忙しいので、そんなことは全然珍しくない。子供ができて中断するという人たちはよくいた。
 長尾は大学時代、少しハスキーなハイトーンヴォイスと秀でたルックスをあわせもったヴォーカリストとして、大学の内外でそれなりに人気を博していた。彼は本気でプロを目指し、二三歳までにデビューできなかったら無理だ、と度々こぼしつつ一人でオーディションを受けたりもしていた。言葉通り、就職した年には、歌で食べていく夢はきっぱりと断念し、今では飲みの後にカラオケで歌うくらいだという。
「俺、もうそろそろしたら、コンサル会社の面接受ける。今より条件はいいから」
 空心菜炒めや水餃子といった皿料理にジンジャーエールという組み合わせを食しながら、長尾が言った。大学時代、一時期バーでアルバイトもしていた彼は、飲み屋の雰囲気こそ好きであるが、酒は強くなかった。今籍をおいている飲料メーカーからの転職となったら報酬が上がるぶん、かなり忙しくなる可能性が高いそうだ。
「そういえば、あきの婚約相手も、コンサルなんだよ」
「はっ? 知秋ちゃん、結婚するの?」
 口の中に含んでいたビールを飲み込んだ僕が訊ねると、池平はうなずいた。
「俺たちの知秋ちゃんが? マジで? 電話だよ電話」
 長尾も声を大きくして言う。池平の妹である知秋ちゃんとは、池平自身が出演したライブやその後の飲み、花見の席などで、何度も会ったことがある。昔、子役俳優として芸能プロダクションに所属しており、小学生の頃に超有名ドラマに出演し、国民的男性アイドルと共演したこともあった。中学以降はヴォーカルとダンスのジュニアアイドルグループでも活動していたが、大学時代には芸能活動から引退していた。
「知秋ちゃんに釣り合うコンサルって、どんな奴? 外資のチャラい奴だったら許せん。俺は認めないよ」
 長尾の言葉に、池平は目尻が細くなるような苦笑をみせ、首を小さく横に振った。
「認めないよ、ったって、知秋だってもう三四だよ」
 池平の返しには、長尾も僕も、大げさに騒ぐような反応もせず、妙に静まった。
「……そっか、知秋ちゃん、三四だったか」
 口にした長尾とたぶん同じことを僕も感じていた。若い頃は、友人より四歳年下の妹というと、年の離れた子供みたいな女子という感じがした。それをずっとひきずってきたが、知秋ちゃんはもうとっくに大人の女性で、自分たちはそれより四つも上なのだ。
「どこで知り合ったの?」
「マッチングアプリ」
 僕の質問に池平が答えてすぐ、「マッチング? 俺も出会ってたかもしれないじゃん」と長尾が述べた。
「今時、マッチングで出会うのも普通だしいいんだけどさ、気懸かりなことがあって。婚約相手、友だちがゼロらしいんだよ。夜景の綺麗なホテルのレストランで知秋、プロポーズされて、オッケーして早速結婚式の話なんかもしたら、彼のほうが乗り気じゃないんだって。理由聞いたら、呼ぶ友だちが一人もいないから、って」
 友だちが一人もいない。それはマズい奴なんじゃないかと僕らも同調しつつ、いっぽうで長尾は、友だちが全然いないっぽい人とマッチングで出会うのは、珍しいことでもないと添える。
「俺らだってさ、周りの皆に子供いたりして、遊べなくなっていってるでしょ。努力しないと友だちづきあいが減っていくのは、まあ普通だよ」
 長尾が言うとおりでもある。今の僕たちには、手のかかる年齢の子供がいないから、こんなふうに貴重な休みの日にも気軽に集まることができている。
「でも長尾だって、結婚式を開くとなったら呼べる友だちはいるでしょ? 知秋の相手にはそれがいないんだ。異様だよ」
「よっぽど難儀な性格してるか、後ろめたい過去でもあるか、どっちかか……。俺の場合は前職と、大学、中学高校の友だちもそれぞれの卓に分けられるくらいは呼べるしな。今は全然会ってなくても」
「カードゲームのオタク仲間達も呼ぶ?」
 僕が訊くと、「さすがにもう疎遠」と長尾は答えた。大学に入った時点でこそそれなりに垢抜けていた長尾も、中学時代まではカードゲーム好きのオタクだったようで、なにかの機会で彼が見せてくれた丸縁眼鏡少年時代の写真がひきあいに出され、たまに揶揄されていた。

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 知秋ちゃんの結婚についてしばらく話し、僕の結婚生活についても軽く触れたあと、他にもう四人いた年末の忘年会の、池平を含む三人が残った三次会の話になった。場所は中野のビール専門バーだったが、僕と長尾は二次会までで帰っていた。
「日満電信ケーブルが今も生きてるって話、聞いたことある?」
 日本と満州か、という僕からの問いに対し池平がうなずいたものの、それが生きてる、という話どころか、ケーブルの話自体知らない。池平は年末の三次会で、バーに居合わせた、カーキ色の古風なつばつき帽子をかぶった男性客から教えられ、自分でも少し調べたのだという。
「長尾の会社のビルがある四季の森公園って、綱吉つなよしの生類憐れみの令で犬たちが住んでた場所かつ、陸軍中野学校があった場所でしょ」
「なにそれ?」
 長尾の問いに対し、池平がまずは陸軍中野学校についての説明を始める。
「戦争が終わる七年前だから……一九三八年にソ連の諜報を警戒して設立された、諜報防諜の特殊任務を遂行する情報戦士を育てた機関。一九三九年に中野区囲町に移転して……長尾のオフィスがある、四季の森公園周辺ね。後期になると、卒業生たちは諜報だけでなくゲリラ戦にも対応できる要員として、満州とか世界各地の戦線に送られて、潜伏任務についたんだよ」
「ソ連を警戒するってのは、ずっと変わらないんだな」
「地理は、変わらないからね」
 いささか見当違いの感想を口にした長尾に対しても、池平は丁寧に返答する。
「で、戦前はそこから、福岡を経由して海を渡った満州にまでケーブルが引かれて、満州と電話ができたんだって」
 海底ケーブルみたいなものか、と長尾が問うも、池平いわく、似ているがもっとローテクノロジーで違うものだという。
「満洲電電っていう会社が、電話やラジオとか、満州国や関東州すべての通信事業を掌握してたんだけど、長さ三〇〇〇キロの無装荷ケーブルを海底に敷設したんだって。ただ、その後で光ファイバーの海底ケーブルも引かれたし、今では衛星経由でしょう。満州自体がなくなって、電信ケーブルは戦後、とっくに解体されたけど……それも表向きの話らしいよ。実は今も電信ケーブルは隠されていて、四季の森公園のあたりから、戦前の幻の大陸に残された人々に、繫がってるんだってよ。それこそ、満州に派遣されて取り残されたままの中野学校の卒業生たちが、存在しないあっちの世界から今も、状況報告の電話をかけてくるとか」
「満州って、終戦後に日本人が何十万人も見捨てられて、死んでいった場所だよね? そこと繫がってる?」
 僕が訊くと池平は少し神妙な顔で頷きつつ、そこから逸らすような微笑を見せた。
「……まあ、ケーブルが時を超えられるかどうかは話半分としても、電磁パルス攻撃とか太陽フレアに備えて、衛星に頼らない戦前のローカル技術は強いから今も密かに保全されてるってのは、本当らしいよ。要所にある中継所に、減衰するケーブルの電圧を上げる管理人が配置されてるんだって」
「ふうん。……っていうか、相当調べたんだね、池平」
 僕が言うと池平は「実はさ」と続けた。
「最近、LINE6を売る前に色々な音を聞いて動作チェックしてたらさ、よくわかんないけど中国語とかドイツ語みたいな喋り声が聞こえた気がしたんだよ。それで余計に気になって。荻窪は中野学校の跡地からまだ近いしさ、NTTドコモビルもあるし、そこ経由でなんか飛んでるとかさ、仮定してみたのよ」
「どっかのトラックが強い無線機積んでて、混信したんじゃないの?」
「中国語とドイツ語だよ?」
「うちの父親とも話せるといいな、そのケーブル」
 唐突ともいえる感じで、長尾が口にした。軽妙さを装った発言かのように聞こえた僕が、「お父さん、亡くなった?」と訊くと、長尾は「ううん」と首を横に振り、二杯目として頼んだプーアル茶を飲んだ。
「報告なんだけど……うちの父親、失踪した」
「はっ?」
 池平の反応に対し、長尾は困ったというような笑い顔になった。僕も訊ねた。
「いつだったかの正月に、寿司おごってくれた、あのお父さん?」
「あったな、髙島屋で。そう、あの父親」
「警察には? もう七十何歳とかでしょう?」
 僕の問いに長尾はかぶせ気味にうなずく。
「七三。一応警察にも相談したけど、本人直筆の、しばらく家を出ます、っていう書き置きもあったし、それっぽいことも母親に言ってたんだよね。だから事件性はなくて。かれこれもうすぐ一ヶ月になる」
 なんで今さら失踪したのか。母親に言っていたそれっぽいこととはなんなのか。僕らが訊ねると、長尾は数秒考えた様子の後、「することがない、って」と口にした。
「することがない、とは、もう二年くらい前から度々言ってたんだよ。定年退職して、嘱託で働いてたのも喧嘩別れみたいにして辞めて。目黒の家も持ってて年金も入って、しばらくは好きな酒ばっか飲んでたけど胃を壊しちゃったから、そこからはほとんど飲まなくなって」
 その話は以前、なんとなく聞いたことがある。
「で、俺に対して、することがないから、なにか指示をくれって言ってきたんだ。そのときちょうど俺、ロレックスのデイトナが欲しかったから、デイトナマラソンしてきて、って頼んだんだよ。デイトナはロレックス正規店で二〇〇万くらいで売ってるんだけど、物がなくて全然買えないんだ。転売された中古品は倍以上の値段がついてるし。で、買うにはロレックスの店員から、売ってもいい客だと認められなくちゃいけなくて。繰り返ししつこく店に行って、デイトナありますか、って、訊き続けては断られるのを二〇〇回くらい繰り返さないと、買えない」
「それを、長尾のお父さんはやってたの?」
 池平からの質問に長尾はうなずいた。
「最初は、勝手がよくわかってなくて、中古店にも行ってたんだけどね。それこそブロードウェイにも。そのうちに都内の散歩コースの一部にロレックス正規店を組み込んで、ありません、って言われるのにも慣れだして。中古店で自分用にGMTマスターIIを買ったりしながら楽しんでたよ。良いものは良いな、って。GMTマスターIIつけながら、あちこちの店舗に行っては、デイトナありますか? って訊ねて、失踪直前までたまに俺に報告くれてた」
 じゃあ、ロレックスの店で張り込んでれば、見つかるんじゃ? 言ってきた池平に、そうだよな、と長尾が答える。
「でも、最後にした電話で、なんだか声が妙に軽かったんだ。時間がどうでもよくなった、みたいなことも言っててさ」
 時間がどうでもよくなった。それは、子育てや長い間勤めていた会社から解放され、社会的に課せられた目的や任務から解放されたことからくる、緩慢さということなのだろうか。そしてふと気になったことが、僕の口から出た。
「……っていうか長尾さっき、そのこと言おうとしてやめた? 時計店で」
 わずかに気まずさを隠すかのような表情になった長尾を見て、僕は自分が野暮なことを言ったとすぐに反省した。
「ああ……。なんとなく、言いそびれた」
 彼にとってそれだけ、実のところは大きな問題なのだろう。
「中古店も見て回ってるからさ、ブロードウェイの時計店にも寄るかもしれないし……。水原はここに住んでるんだからさ、思いだしたときにでも、たまに探してみてくれよ」
 わかったと返事をした僕は、最近の父親の写真を見せてくれとも長尾に頼まなかったことに、しばらくしてから気づいた。長尾と父親は似ていたから、その顔を見ればすぐにわかるだろうという自信があった。
 早めの時間に集まりはお開きとなり、僕は二人を駅前まで送ったあと、家路の途中でブロードウェイを再び散策する。そして立ち寄った古本屋で、陸軍中野学校についての本をたまたま見つけ、買って帰った。

続きは本書でお楽しみください。