新潮社

試し読み

読んでいただく前に鈴木からひとこと

『発酵野郎!―世界一のビールを野生酵母でつくる―』をこのたび上梓いたしました、伊勢角屋麦酒の鈴木なりひろです。

 440年続く伊勢の餅屋の21代目として生まれた私が、なぜクラフトビールの世界に身を投じたのかといえば、その答えは明快で、生きもの好き。話はそこから始まります。

 内容はといえば、酵母3、ビール3、経営4、という割合でしょうか。担当編集者の方に「研究開発型発酵が生み出す、超遠回りサクセスストーリーですね!」と言われましたが、その通りで遠回りしまくっておりまして、今思えばもう少しうまくやれたのかもしれません。

 ただ、その遠回りのあいだに、さまざまな人に出会え、発酵や酵母の知識も深まりました。エラそうに言えば、「超遠回り」にこそ人生の醍醐味はある……のだと思いたいところです。ここでは、そのダイジェストとなる序文をお届けいたします。起業したい人やビール好きにぜひ読んでいただきたい一冊です。本の最後には付録として、角屋のビール造りの工程詳細や、ビールのスタイルの説明、角屋のビールが飲める店の紹介も加えました。

 本を読み、思う存分学んで働いて、愉しくビールを飲む――今日も走っていきましょう!

冒頭の部分をお送りします

 鏡のように磨かれたタンクに、そっと耳をつける。
 わが子のように育ててきた酵母の息づかいに耳を澄ませる。
 大丈夫だ。「声」が聞こえる。


 伊勢市の中心部から車で10分ほど離れた工業団地の一角にそのビール工場はある。麦芽やホップの香りがほのかに漂う空間で、私はほぼ毎日、酵母との対話を繰り返す。

 1997(平成9)年、酵母好きだというだけの私が製造を始めたクラフトビール「かど麦酒ビール」は、今では毎年のように世界的なビール品評会で賞を受賞するようになった。ここ数年でブランドも全国に浸透し、おかげさまで注文も急増。需要に生産が追いつかなくなった。ついに2018年7月には、ここ伊勢市しも町に新工場を構えた。クラフトビールメーカーとして日本最大の製造量を狙えるよう、新工場には充分な空きスペースも準備した。


 私は伊勢の餅屋の21代目だ。お伊勢参りの参拝客にきなこ餅を振る舞う茶店として1575(天正3)年から商いをしている。この年、伊勢から100キロほど北東では織田信長と徳川家康が武田勝頼と合戦をしていた。ながしのの戦いである。自分で言うのもおこがましいが超老舗だ。もちろん今も餅屋は繁盛しているし、母からは今でも「あなたの本業は餅屋です」と口を酸っぱくしていわれている。

 今では川船は姿を消し、店をはさんで反対側の道路では車が行き交うが、古い木造の店のたたずまいは当時を彷彿とさせるようだ。「(創業時の)戦国時代にタイムスリップしたような気持ちになる」とおっしゃるお客さんも少なくない。家業として味噌・醤油事業も続けており、最近では珍しくなった100年ものの樽を使って、昔ながらの醸造方法による味が自慢だ。

 小さいころから店の跡継ぎであることを強く意識し、「ほかの何かをするのは許されない」と思っていた私は、東北大学農学部を卒業するや、実家に戻り、毎朝餅にきな粉をまぶしていた。それがいつのまにか、麦汁に酵母を混ぜるようになり、「うおー! 酵母達の声が聞こえるぜ!」と人けのない早朝の工場で叫んでいるのである。人生はわからない。

 私は、94年に酒税法改正でビールの製造免許取得の要件が緩和されたのを契機に、調査を始め、97年にビール事業に参入した。自前でビールをつくること自体が考えられなかった時代だ。「夏餅は犬も食わん」と言われるほど夏場の餅は売れ行きが落ちるため、新しい事業を模索していた、とメディアなどにはビール事業に乗り出した理由をもっともらしく語ってきたが、それはあくまでも建前だ。

 正直、会社の経営などほとんど頭になかった。大学で微生物研究に寝食を忘れ、没頭していたのだが、家業を継いでも、その楽しさが忘れられず、「ビールをつくれば、酵母という微生物とまた遊べる!」と不純な動機で始めたに過ぎない。大学卒業時に一度は葬り去ったはずの酵母愛は私の中でむくむく膨らみ、抑えられなくなったのだ。「そんなノリで始めて、事業がよくうまくいきましたね」と思われるかもしれない。

 その通りだ。まったくもってうまくいかなかった。大学時代に微生物研究以上に没頭したかもしれない空手部で学んだ「やってみれば世の中なんとかなる」精神で始めて、痛い目に死ぬほどあった。それが現実だ。「空手部の練習に血尿を出しながらも耐えたのだから、根性で何とかなる!」と心底信じていたが、残念ながら血尿はどうにかなっても、なんともならないものもあることを30歳を過ぎて知った。

 クラフトビールには明確な定義はない。一般的に規模の小さな醸造所(ブルワリー)がつくる個性的なビールがそう呼ばれている。かつては「地ビール」と呼ばれたが、大手メーカーも参入してきたことや、職人らがこだわってつくるという意味も込めて「クラフトビール」の呼び名が定着しつつあるのだ。

 日本のビール市場では、大手が得意としてきたのどごしの良さが特徴の「ラガー」が主流だったが、小規模醸造所が全国に広がったことで、風味や香りを重視する「エール」を中心に多くの種類のビールが親しまれるようになってきた。すでに世界では100以上のビールのスタイルがあり、毎年、新たなビールが生まれている。長年、海外のコンテストで審査員を務めている私でも全てを把握できないほどだ。

 このように、ビールの種類は多様だが、「ビールは生きもの」が私の持論だ。「いや、ビールは飲み物でしょ」と反論されそうだが、ビールは数千、数億の微生物の力によって生み出される。私たちは生きものを飲んでいるのだ。このことを肝に銘じれば、ビールを一気飲みしたり、飲みすぎて吐くような愚行も世の中からなくなる、とそんなことも思う。ビール大国であり、ビールをこよなく愛するドイツのビールの祭典「オクトーバーフェスト」では、開催期間は毎日数万人が盛大に酔っぱらうが、会場で酔いつぶれた人を見たためしがほとんどない。

 ビールが生きものであることはビールの製造工程をみれば明らかだ。詳細は後述するが、ビールの製造工程を簡単に説明すればこうなる。


①仕込み釜に麦芽とお湯を入れ、麦汁を作る。
②麦汁にポップを加えしゃふつし、苦みを出す。
③酵母を投入して、寝かせ、全体をなじませる。


 どんなホップと麦芽を使い、どの酵母を組み合わせるか。そしてそれをどう仕込むか。ここが醸造家(ブルワー)の腕のみせどころだ。ホップの量やタイミングで香りや苦みが変わるし、発酵のさせ方で味も変化する。麦汁を発酵タンクに送っても、しっかりと酵母が呼吸音を立てるまで、安心はできない。必ずしも発酵が始まるかはわからないので、不安定なときは発酵タンクに耳を傾けてきた。新工場ではタンクが大きすぎてできなくなったが、彼らの息づかいの聞き分けもブルワーの大きな仕事のひとつだ。

 ビールの製造工程はオートメーション化が進む。温度調整や工程管理をコンピューターで制御しているが、おもしろいことに、同じ条件でも同じものはできない。科学的なアプローチは欠かせないが、同時にビールは自然の原料や生きものを相手にしたモノづくりであり、日々の繰り返しをノウハウとして蓄積するしかない。

 最近は、酵母愛をあらゆるところで喧伝しているせいか、ビール業界の関係者にも、「なんでそんなに酵母に熱心なんですか」と聞かれる。私に言わせれば、なんで面白いと思わないんですか、酵母を採取しないんですかと聞きたい。登山家がそこに山があるから山に登っているように、醸造家の私はこの地球に酵母があるから、拾ってきて慈しむのだ。多様なんていう言葉では足りない世界だ。面白いビールを生み出してくれる酵母と劇的な出会いがあるかもしれない、とはいえそんなことを考えると、今でも時おり仕事も何もかも放り出して酵母を探しに行きたい衝動に駆られる。自然の酵母の採取にのめり込むあまり、社長業の傍ら、40歳を過ぎてから三重大学大学院に入学し、博士号まで取得してしまったほどだ。誰に頼まれたわけでもないのに。

 とはいえ、ビール造りを始めた動機があまりにも不純すぎたのか、ここまでの道のりは平たんではなかった。無謀な20代の決断は、暗黒の30代の入り口だった。経営が軌道に乗らず、自分に給与が払えない時代も長かった。妻と貯金を切り崩し、出張は夜行バス、散髪は妻のバリカンの日々が続いた。私は伊勢一、いや、三重県一の愛妻家を自認していて、日本愛妻家協会の初代伊勢支部長を務めたこともあるが、それは、かつて妻に辛い思いをさせたことへの贖罪の気持ちがないといえば嘘になるだろう。

 永遠に続くと思われたトンネルを抜けたのは40代。なんとか軌道に乗せ、「ビール界のオスカー」とも呼ばれる英国のインターナショナル・ブルーイング・アワーズ(IBA)で金賞を頂いた。50代になった今、ようやく世界のクラフトビールの頂上を目指せる体制が整いつつある。

 51年の人生をふり返ると、どんなときも傍らにいたのは微生物だった。微生物に人生を導かれていると言っても過言ではない。彼らが私の人生をどのように「発酵」させてくれているかを知れば、あなたの発酵愛も目を覚ますかもしれない。

著者プロフィール

鈴木成宗(すずき なりひろ)
 伊勢角屋麦酒社長。1967年、伊勢市生まれ。東北大学農学部卒業後、20代続く家業の餅屋の仕事に。この「二軒茶屋餅角屋本店」の創業は1575年の長篠の戦いの頃にさかのぼり、18代目から100年にわたって、味噌・醤油の醸造事業も続けている。1994年の酒税法改正で可能となった小規模醸造、ビール造りに「伊勢角屋麦酒」として97年に創業。レストラン経営にも乗り出すがうまく回らずどん底に。それでもビール世界一(大会優勝)を目指し、創業まもなく大会の審査員資格を取得。2003 年、日本企業初の「Australian International Beer Awards」金賞を皮切りに数々の賞を受賞、世界で最も歴史あるビール審査会「The International Brewing Awards 2019」で「ペールエール」が2大会連続で金賞に輝いた。審査員として海外から招かれることも多い。2004 年頃から学んだMGやランチェスター戦略等が経営に活き、近年は毎年増収増益だ。2009 年より海外への輸出も始め、現在アメリカ、カナダ、シンガポール、オーストラリア、台湾に輸出実績がある。日本商工会議所青年部の中地区副会長を務めた経験もあり、地元との結びつきも強い。 https://www.biyagura.jp/ec/

イラスト:大嶋奈都子
写真提供:伊勢角屋麦酒
写真:菅野健児(著者のみ)

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