新潮社

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画家とモデル―宿命の出会い―
138~139頁

妹の顔のオイディプス

クノップフと《愛撫》

 ベルギーが国家として独立したのは驚くほど遅く、一八三一年。かつてフランドルに属し、スペイン、オーストリア、フランス、オランダから立て続けに占領された末の独立宣言だ。民族の混成により、フラマン語(オランダ語の一方言)、ドイツ語、フランス語と言語も混成となるが(「ベルギー語」は存在しない)、アントウェルペン(=アントワープ)などの商業都市には資本蓄積があり、南部は石炭や鉄といった天然資源に恵まれて、イギリスに次ぐ速さで産業革命を達成した。
 フェルナン・クノップフ(1858–1921)は、国家建国五十周年を二十二歳の時に祝っている。先祖はウィーン貴族で、十六世紀にはポルトガルの王族とも婚姻関係を結んだという。ただしベルギーにおけるクノップフ家は、上流階級とはいえ貴族ではなかった。
 父親はアウデナールデ州司法官を経て、ブリュージュ裁判所判事、最終的には首都ブリュッセル裁判所判事となった。クノップフは一歳から六歳までブリュージュで過ごしたが、この地で妹マルグリットが生まれたことで、特別の思い入れを持ち、後年、《見捨てられた街》をはじめとした不思議な魅力のブリュージュ風景を何点も描くことになる(拙著『怖い絵』参照)。
 十七歳でクノップフはブリュッセル自由大学法学部に入学した。父親の希望に沿っただけだったのだろう、学業に興味を持てず、入学翌年に早くも退学し、美術アカデミーへ通う。十九歳で最初のパリ旅行、二十一歳の第三回目では数カ月も滞在して大いに刺激を受けた。
 両親との関係は良好だった。父親は彼が四十一歳、母親は四十八歳の時に亡くなるが、それまでずっと同居し続けた。このあたり、クノップフより一世代前の、同じ象徴主義の、都市隠遁いんとん画家ギュスターヴ・モローとよく似ている。ただクノップフには弟と妹がいたし、生前はモローよりはるかに人気画家だった。貴族や富裕層からの肖像依頼が多く、また国内だけでなくロンドン、ミュンヘン、ウィーンなどの展覧会に出品し、クリムトら新進画家たちから熱狂的に迎えられている。
 では人づきあいが良かったかと言えば、そうでもない。モローとは別の意味でひどく変わっていた。いや、一家全員がどこか他人をこばむ雰囲気だったと言ったほうがいいようだ。自身、ブリュージュ時代の一家は孤立していて弟以外に遊び相手がいなかった、と書いている。謹厳きんげんな判事の家族であり、物静かで冷ややかで、血筋を誇るブルジョワ一家だった。はたからはプライドが高すぎると思われたかもしれない。
 
 クノップフは長身ですらりとした体つきを終生維持いじした。小さな鋭い目と尖り気味のあご、冷笑的な口元、赤毛。ダンディーな英国紳士風の写真が残されており、実際にいつもきちんとした服装で礼儀正しく振舞っていたという。特段ハンサムだとか魅力的だったとの証言はない。
 貴族趣味、芸術至上主義、秘密主義、神秘学への傾倒、俗世間に対する侮蔑ぶべつ、そして妹マルグリットへの偏愛が、クノップフという人間を形作っていた。少なくとも形作っていると思われていた。
 六歳下のマルグリットが彼のミューズだった。そのイメージは――モデルが別人の場合でさえ――画面に繰り返し立ち現れる。スリムな姿態や強い目力、真っ直ぐな鼻筋と薄い唇が、兄妹の外見に共通した点だ。しかしマルグリットの顔の大きな特徴は、えらの張った、四角く、がっしりした顎で、それはクノップフのやや女性的な細い顎の線とは対極にある。
 女性的な部分を持つ兄と、男性的な部分を持つ妹……補完関係にあるのだろうか?
 それについては後述するとして、まずは二十三歳のマルグリット像[139頁]を見てみよう。高襟の、体にフィットした白いドレスを身につけ左腕を後ろにまわして右腕をつかむ。背筋がのび、高貴さが増す。背後の扉は祭壇めいた効果をもたらし、彼女を聖女のごとくイコン化する。
 この作品をクノップフは死ぬまで大切にし、自ら設計した奇妙な自邸の「青の間」の壁に飾り続けた。つまり亡くなるまで三十年以上、彼は本作とともにあったのだ。彼の死後、マルグリットが本作を手に入れ、自分の家に「青の間」に似た部屋をわざわざ作って飾ったという。テニスのラケットも置いたかどうかは不明だが。
 なぜラケットかと言えば、クノップフは本肖像画のそばにラケットも飾っていたからで、それは大型パステル画《記憶》と結びついている。
 薄明りの緑の野で、女性七人が当時の角型テニスラケットを手に思い思いのポーズでたたずんでいる。互いに無関心で、誰も目を合わせない。左端に肖像画と同じ白いドレスのマルグリットがいる。彼女だけが帽子をかぶっておらず、ラケットも持っていない。
 だがよく見ると、他の女性たちも皆、同じ顔だ。つまり全員マルグリットだ。クノップフは妹にさまざまな服を着せ、さまざまなポーズを指定して、何枚も写真に撮った。それから画面上で複数の彼女を合成したのだ。きっと兄妹にとって、その日のテニスが何らかの強烈な「記憶」として残っていたのだろう。他人にはそれがどんなものか、想像もつかない。だがその時には、翌年マルグリットが結婚して遠くリエージュへ引っ越すことが決まっていた。彼はかなり落ち込んだので、もしかするとそのこととラケットは何か関わりがあるのかもしれない。
 クノップフはある意味、夢の世界の住人だったから、マルグリットにいろんな仮装をさせ、シチュエーションを説明して沈黙劇を演じさせた。彼女もまた嬉々ききとしてその夢に入り込んだのだろう。二人は秘密を共有し、ささやくような声で数少ない言葉を交わし、妹は要求をただちに理解し表情を作り、ポーズを決め、兄は見つめて見つめて彼女を自分のものとする。
 結婚した後も(たぶん里帰りした際に)、二人が新たな夢をつむいだことがわかっている。黒魔術の巫女みこめいた黒っぽいヴェールをかぶったマルグリットが、クノップフの制作した眠りの神ヒュプノスの仮面(実はこの顔もマルグリット)に手を触れる《秘密》という作品がそれだ。《記憶》と同じように、先立って撮られた写真が残されている。このころ三十代後半になっていた実際のマルグリットは頰がたるみ、少し太って、老けた印象だ。ところが絵の中の彼女は若き日の夢の女のまま。画家は見たいものしか見なかったのだ。
 すでにもうクノップフには別のお気に入りのモデルができていた。ただ彼女らもやはり顎の四角い顔立ちで、どこかマルグリットの面影を宿し、彼女の呪縛じゅばくからは抜け出せなかったのがうかがえる。
 
 他の世紀末画家と同じように、クノップフも人間と動物のハイブリッド型怪物スフィンクスに惹かれていた。彼の代表作《愛撫あいぶ》[142〜143頁]は、オリジナル・タイトルを《芸術(愛撫、もしくはスフィンクス)》と言った。もちろんここにもマルグリットの顔。

画家とモデル―宿命の出会い―
142~143頁

 細長の画面に、赤土が拡がる。父を殺し、母をめとるとの神託を受けた王子オイディプスが、一人旅の途上、出会った怪物がスフィンクスだ。彼はスフィンクスの謎かけ(「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足の動物は何?」)に、正しく「人間」と即答して怪物退治をするわけだが、クノップフが表現した怪物との出会いは異様だ。頬ずりする両性具有のアンドロギュノス(andro=男、gyne=女)的スフィンクス、困惑するオイディプス。彼はスフィンクスの死の誘惑に、揺れているのか。
 スフィンクスは通常、女の顔と胸、そこから下が獅子という姿だが、チーターへと変更された。これに関してはクノップフ自ら、チーターは蛇に最も近い、なぜなら這いつくばって襲う動物だから、と言っている。ファム・ファタールを喚起かんきさせる蛇(=チーター)とスフィンクスを重ねたわけだが、しかしこの顔は「男性化したマルグリット」(「クノップフとマルグリットの合体」との説あり)になっている。しかも青年オイディプスの身体に載っているその顔は、「本来の性である女性マルグリット」なのだ。
 こういうねじれた性の変換は自然界ではゆるされないと無意識に感じているからか、画面に死の気配が漂う。オイディプスが握る杖は、二匹の蛇が巻きつき、上部に翼のついたカドゥケウス、つまりヘルメスの杖だ。ヘルメスは神々の使者であると同時に、死者を冥界めいかいへ導く神でもある。補強するように、背後には墓地の木、糸杉が林立している。その横の石の建造物も霊廟れいびょうを思わせる。
 クノップフはこうしたややこしい作品を描くことで、妹への愛は自己愛でもあることを吐露とろしたのだろうか。彼は男に生まれたが女性的な面をもち、妹は女に生まれたがその相貌そうぼうに男性的な面をもっていた。自分たちはアンドロギュノスのように本来は二つで一つのものだったのに、その理想の形は二つに割られてしまった。そう感じていたのだろうか。
 もしそう感じていたのなら、マルグリットも同じだったろう。でなければどうして彼の死後に「青の間」を再現して自らの肖像画を飾るだろうか。
 クノップフは四十九歳で、二人の子のいる未亡人と結婚したが三年後には別れた。死も突然だった。秘密主義を貫いていたので病名もわからない。入院して手術を受け、急死したという。六十三歳。精魂込めて建てた彼の神殿たる邸宅は、十数年後に解体されてしまった。もう少し長生きしていれば、モローのように個人美術館にできたかもしれないのに惜しまれる。

「妹の顔のオイディプス」 了

密かに紡がれた愛情、過酷な運命の少女への温かな眼差し。
名画に刻印された知られざる関係と画家の想いを読み解く!

中野京子
『画家とモデル―宿命の出会い―』