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二〇一〇年十二月二十二日 水曜 那覇・桜坂

 はじめは神棚かと思った。
 バーカウンターの背面の高い位置に小さな戸棚がある。その上に鎮座する小ぶりのボトルは泡盛だろうか。赤くあやしげな光につつまれた店内で、そこだけは神々しく輝いて見える。混沌や猥雑といった言葉を用いて語られることの多い、きってのディープな歓楽街・さくらざかのソウルバー『ダイ』の雰囲気にはそぐわないものだ。

 わん市の沖縄コンベンションセンターで開催されたタレントコンテストの審査員を務めたみつやすさとるに、市役所職員たちで編成された事務局スタッフはみなうやうやしく接した。
 司会者から「東京からやってきたクールなプロフェッショナル」と紹介された通りの役回りに徹してコンテストを盛り上げた悟への、感謝や敬意が込められているのは明らかだった。
 クールなプロフェッショナル。
 口の中で復唱すると、どうしても笑ってしまう。実際の自分といえば、来春四月から始まる民放テレビ局UBCの連続ドラマ『カムバック 飛翔倶楽部ゼロ』の主題歌制作が思うように進まず、このところいらちだらけの日々を過ごしているのだから。
 ドラマを統括するのは、UBCのしゅんすけだ。『飛翔倶楽部』シリーズは事実上このプロデューサーの独裁状態にある。多田羅には独特のこだわりがあるようで、悟が作ったデモはすでにもう三曲もNGをらった。音楽プロデューサーを名乗るようになって十年以上たつが、テレビドラマ主題歌のデモに三回もNGを出されたのは初めての経験だ。
 悟は直感していた。『カムバック 飛翔倶楽部ゼロ』の主題歌をプロデュースするのは、音楽キャリアだけではなく、これからの人生に大きな意味を持つことになると。

 コンテストはさすが芸能王国オキナワとうなるほどの充実ぶりだった。
 米軍勤務の黒人アフリカン・アメリカンの父親を持つミックスの美少女がビヨンセになりきって歌う“Listen”は圧巻だったし、島のかんれきを過ぎた男性がさんしん一本で歌う島唄にも鳥肌が立った。ジャスティン・ビーバーを歌う男子小学生へしんらつなコメントを寄せた悟に観客から大きなブーイングが起こったのも、首都圏ではまずお目にかかることのない反応だろう。
 結局、グランプリを獲得したのは、Kポップ調のオリジナル楽曲を歌い踊る十代男子三名のグループだった。
 全国デビューできるほどの魅力が彼らにあるかどうかは、悟には判断がつきかねる。プロデュースしたいかと訊かれても正直困る。でもはるばる沖縄まで来たのだから、この先、万が一彼らが大きなブレイクを果たした暁には、少なくとも「発掘者」として自分の名が必ず出てくるだけのつめあとは残しておきたい──。
 思案の末、悟の口から出てきたのは「音楽の未来を見た!」という歯の浮くような賛辞だった。何のことはない、若きブルース・スプリングスティーンのライブを観た評論家ジョン・ランドウの名文句「ロックンロールの未来を見た」の身勝手な引用である。
 ところが、その言葉は観客に刺さった。パクリ寸前のは熱烈に支持されたのである。客席から次々に沸きおこったエイサー仕込みのゆびぶえはいつまでも鳴りやまず、しまいには事務局スタッフが舞台から頭を下げてなんとか事態を収拾したほどだ。客が熱狂すればするほど、悟はバツの悪い思いをつのらせる始末だった。
「南国のありがたみをいちばん感じるのは、真夏よりも今日みたいな冬の夜さぁ」
 恋人を追いかけてニューヨークで三年間暮らした経験があるというヘアメイクのロナルドが、コンテスト前に楽屋でなにげなく口にしたフレーズが、本番を終えても頭に残っていた。造作の整ったその男は、ちゃたんでヘアサロンを経営しているらしい。長い上まつげと濃い下まつげにはさまれた、こぼれ落ちそうな大きな黒目。父親はフィリピン人だといった。ロナルドに飲みに誘われた悟は、四曲目の歌詞も多田羅のことも束の間忘れたくなり、ふたつ返事でオーケーと答えた。

「ママ、あれって貴重なお酒なのかな」
 悟はまなざしを戸棚の上に向け、大音量で流れるアイズレー・ブラザーズの“Between The Sheets”にかき消されぬよう、思いきり声を張ってたずねた。
「貴重かっていえば、この店にあれ以上貴重なものもないわね。誰も飲みやしないけど」
 ママのダイちゃんはカウンターの中で目を閉じて小首をかしげた。
 そんなとしたぐさも、ハイヒール着用で一七五センチはあろうかという長身の美女のものとなると、色気を帯びたユーモアが自然と生まれる。十五席ほどのカウンターの客全員がクスッと笑う気配があった。真ん中あたりに座る本土からの観光客らしい女性ふたり以外は、人種を問わずすべて男たちであることに悟は初めて気づいた。
 ドレープがボディラインの美しさを引き立てるラップドレスは、ダイアン・フォン・ファステンバーグだろう。このシルエットになじみがあるのは、妻がいっとき取り憑かれたかのように買いあさっていたからだ。
 ショートボブの髪は、赤い光の下でもからすぬれいろとわかる。細長い両手をもち、美しく鎖骨が浮き出ているダイちゃんに、ダイアンのつやっぽいデザインはよく似合う。とりわけ、基地の米兵向けガイドブックにGhetto’s best kept secret(ゲットーの穴場)と紹介される桜坂の古びた飲み屋街では、収まりが悪いほどのオーラがあった。
 店に入ると同時にロナルドは知り合いにつかまり、悟はカウンター席でひとりで飲む羽目になった。ダイちゃんおすすめの泡盛〈菊之露VIPゴールド〉の二杯目を飲み干すころには、猛烈な眠気と尿意が同時に襲ってきたが、三杯目を注文してから用をたすと眠気も収まった。
 席に戻るとき、止まり木の端に座る総白髪の男性と目が合い会釈した。老人は戸棚のボトルを指差し、「あれは何だと思いますか」と訊ねてきた。
 さっきとは逆の方向から見たら、ボトルの底に白い実のようなものが転がっている。
「ラッキョウですか」
 首を横に振ったあと、悟の耳元に口を寄せた老人は小声でささやいた。
「コーガン。ダイちゃんのコーガン」
 酔いでぼんやりとしてきた頭に「睾丸」の二文字が明朝体で浮かぶ。
「あっ」とらした悟は、喉元に酸っぱい液がこみ上げるのを感じて、両手で口を押さえた。いつのまにか背後にいたロナルドが、音楽に埋もれないよく通る声で話しかけてくる。
「ダイちゃんって、九〇年代はコザのBボーイのカリスマだったんだから。You know what I’m sayinマジっすよ’? ISSAだってうらだいだってMARIOだって、みーんなダイちゃんに憧れてダンス始めたさぁ」
「やだロナルド、そんなに話盛らないでよー」
 客たちからわいな歓声が上がった。

「音楽プロデューサーさんに、あたし、初めて会ったわ」
 席に戻ってきた悟に、好奇心を隠そうともせずにダイちゃんが話しかける。
「まあ一応ね」
「プロデュースの領域って無限大だと思わない? 役立たずの睾丸だってエンターテインメントの具にできるのがプロデュースでしょう?」
 そう聞かされては悟も熱くなる。
「ぼくにとってプロデュースのきもは、まずポップであるかどうかだな」
「じゃあプロデューサーさんからみた理想の『うた』って、どんなもの?」
「うーん……勢いで言っちゃうと、頭の中ではアイディアの爆発をくり返しながら、作品はすっきり整理されて疑問なく楽しめるもの、かな」
「ふーん。頭いいのね。難しすぎて、あたし、よくわかんない」
「なんだかエラそうなこと言っちゃったかな。ごめん」
 ダイちゃんは、悟が照れる様子にはまったく興味がなさそうだ。
「そこまで考えて作ったうたも、すぐに忘れられてしまうこともあるわけでしょう?」
 酔いが一気に醒める。親しい仲間からさえこんなぶしつけなことを訊かれた経験はない。
「ぼくは安っぽいラブソングにこそ、奥行きのある何かを織り込むべきだと思ってる……いや、逆だ。深いことを伝えたければ安い流行歌を作れ、ってこと」
「悟さんって、ちょっとお子ちゃまなところがあるのね」
「えっ」
「おかしなものや場違いなものを見つけても、その場では口にしないのが大人でしょう。なのに悟さん、ぜーんぶ言葉で説明しようとしてるみたい」
「でも、炭鉱のカナリア的な機能だって必要だよ。声を上げなければ伝わらないことも多いのが、プロデュースの仕事なんだから」
 疲れと酔いとダイちゃんへの緊張とで、やわらかい笑顔を作る余裕もない。悟の右目の周りの筋肉はけいれんし、瞬きさえスムーズにできなくなっている。
「ほーら、理屈っぽいのよ。あと、好きなものに対して潔癖すぎるんじゃない?」
「潔癖すぎる?」
「あたしもさんざん見てきたけど、潔癖性の人ほど不幸な人はいないって。不潔な世界にいるって嘆きながら一生を過ごすんだから。トイレに行って手も洗わないような人は、自分が不潔だなんてちっとも思ってない。こんな皮肉な話ってあると思う?」
 さんざんな言われようだ。いっこうに収まらない右目周りの痙攣とあわせて、不愉快の虫が騒ぎ立てる。
「じゃあぼくが潔癖性だとしてだよ、それを治す特効薬はあるの?」
「さあどうでしょう。あたしは知らない」
 そっけなく言い放ったダイちゃんは、女性ふたり客の追加注文を取り始めた。
 言葉を失って、悟は気がついた。
 水が飲みたい。無性に水が飲みたい──。

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第I部 虚勢

第一章

二〇一一年三月九日 水曜 東京・鉢山町

 喉がかわいて、目がさめた。
 洗面所に向かって歩いていたはずなのに、冷蔵庫の前にいる。扉に手を伸ばして、紙パックの牛乳を取りだす。
「ひと口ぶんしか残ってないなら、全部飲めばいいだろ。何度も言わせないでよ」
「あ、ごめーん」
 テーブルからのんな反応が返ってくる。どうやら、妻のに悟の苛立ちはつゆほども伝わっていないようだ。
 たかが牛乳の話だ。朝の食卓につく前にここまでくどくど言う自分は、みっともないほど精神的な余裕が欠けている。わかっているけれど、言わずにはいられない。
 渋谷区と目黒区の区境近くにある築二十年のビンテージマンションを購入して五年になる。
 ローンも使わずにキャッシュで購入したことを旧友の公認会計士に言ったら、いちばん頭の悪いカネの使い途だとあきれられた。そんなことは百も承知だが、音楽人がそういうカネの使い方をしなくてどうする、と反発したい気持ちが悟にはいつもある。
 きょうというには大げさだ。しょせんただの虚勢かもしれない。だがそんな虚勢を必死に手放さずにきたおかげで、自分はフリーランスの音楽制作という不安定極まりない仕事を続けることができたとも思う。世間は虚勢の効用を見くびり過ぎだ。
 入居にあたっては、紗和の理想をほぼ完璧にかなえる形でリノベーションをほどこした。ときどき仕事仲間を招いてもよおすホームパーティーで、そのポテンシャルをかんなく発揮するリビングルームは、なかでも彼女がデザインに心を砕いた空間だ。キッチンと洋間を仕切る壁を取りはらって作ったスペースは、合計三十畳ほどの広さになるだろうか。
 アイランドキッチンをはさんだ先のソファに座る妻の紗和は、飲み残しの牛乳から始まった悟の小言を、iPadを手にずっと黙って聞いている。
 自分が言葉を聞きたいときにかぎって紗和が口を開かないことが、最近とみに増えてきた。無言をつらぬくことで何かをアピールしているようにも感じられる。手先だけは動いているのが見えるから、夫の言葉は聞き流しているのかもしれない。
 レコーディングスタジオでの作業は明け方にまでおよぶことが多い。結婚して九年、慣れっこのはずの紗和は、面と向かって悟に不平を言ったことはない。そのことに悟は心から感謝している。でも、徹夜明けの高揚感を共有できぬもどかしさを自分だけが抱えていることに気づくたび、夫婦も所詮は他人というちんな結論にいつもたどり着く。
 短いちゅうちょのあと、紙パックに直接口をつけてひと口ぶんの牛乳を飲み干した。紗和のとがめるような視線には構わず、パックをことさらに高く持ち上げる。
 注ぎ口を下の歯に当ててトントンと音をたてた。少しでも大きく聞こえるように。自分が身を削りながら音楽の仕事をして買った牛乳、その最後の一滴まで無駄にしてはならないと見せつけたい。

 いつもなら悟に「朝ごはんは?」と訊ねる紗和だが、今朝はいっこうにその気配がない。どうやら自分は先にひとりで朝食を済ませたらしい。といっても手製のスムージーを飲んだだけだろう。iPadで読んでいるのは女友達とのメールかフェイスブックか。
 結婚がきまったとき、紗和は悟にも家族にも相談することなく、すぐに退職届をしたためた。悟に事後報告する際に「だってほら、結婚と仕事の両立なんてあり得ないでしょう」とことも無げに言い添えた紗和が、「うなぎと梅ぼしは食い合わせが悪い」と信じて疑うことのなかった祖母と重なった。そのことは、趣味を突きつめてなりわいにした悟にとって、少し意外に感じられただけではなく、自分はまだ妻の性格を理解していないという現実を強く認識させた。
 生まれ育った仙台から結婚を機に上京してきた当初、東京に親しい友人がほとんどいなかった紗和の交友関係を大きく変えたのは、半年ほど経って通い始めた料理教室だった。悟と懇意の輸入車ディーラーの妻が紹介してくれた教室で、主宰者は長らくサンフランシスコで過ごした大手商社駐在員の妻である。帰国後にしまやまの自宅で開いた料理教室はサロン的な意味合いも強く、経済的に余裕のある専業主婦ばかりが集う。
 教室に行くようになってからは、それまで縁もなかったグルテンフリーのファラフェルのような新しいメニューがテーブルに並ぶようになったし、夫には無理強いしないものの、紗和は一日に一度はローフードと呼ばれる非加熱食材の料理を口にしている。
 料理だけではない。ファッションブランドやセレクトショップのファミリーセール招待にはじまり、ワインの試飲会、紹介制の高級洋菓子、高級マンションの新築計画、名門幼稚園の実態、ときには未公開株にいたるまで、いま紗和が持っている富裕層向けのさまざまな情報は、ほぼすべてこの教室のコミュニティを通して得たものである。特に気の合った生徒二名とは、ヨガのクラスにも一緒に通っているほどだ。
 不必要な介入はしないと決めている悟だが、紗和が生徒仲間たちと毎日何かしらの連絡を取り合っていることを、苦々しく思うこともある。生徒仲間との付きあいの先に、大切な学びや有意義な時間があるようにはみえないのだ。とはいえ、自分が紹介したのである。まあ浮気しているわけでも散財しているわけでもないし、と考え直して心のバランスを取るのだが、炎が消えてもげついた臭いだけは残るように、もやもやとした気持ちは完全には消し去れない。
「大声だしてごめんね、紗和」
 悟は極力やさしく言葉をかけた。だが自分がテーブルに着いても、真正面の紗和は生返事だけでiPadから顔を上げようとはしなかった。この無愛想な態度には我慢ならない。
「ちょっと、いいかげん、何か言ったらどう」
 声を荒らげてしまった。無理して装ったやさしさの反動はいつも早い。だが紗和はさほど動じる気配もなく、ゆっくりと顔を上げた。堂々たるさまにされそうになりながらも、目をそらさないように、悟はへそのあたりに力を込めた。
「悟さん、いまわたしの話を聞いてくれる?」
 紗和は悟が拍子抜けするほど穏やかな笑みを浮かべ、やさしい声で言った。
「話って……」
 会話をさえぎるように、悟の携帯電話がくぐもった振動音を発した。発信者の名前を確かめた悟は、紗和に聞こえるように「よしからだ」と言い残してベッドルームへと向かった。仕事に関する通話を妻に聞かれたくないのは、結婚したときからずっと変わらない。

 電話をかけてきたのは、新ドラマ『カムバック 飛翔倶楽部ゼロ』の主題歌を歌うくし義人だった。一昨日ドラマ側に提出した新しいデモの反応を確認したくて仕方がないのだろう。
 十年前は音楽業界の頂点に君臨していた義人も、現在の位置づけを考えれば、メガヒットを記録したドラマ『飛翔倶楽部』の続編の主題歌を歌うのは、明らかに分不相応である。
 裏を返せば、極上のタイアップ案件ともいえる。ろうかいさで知られる所属事務所シュガー&スパイス社長のしもかわりゅうぞうが、寝技でも使ってもぎ取ってきた好機かもしれない。いま与えられた情報だけでは真相はわからないが。
 ただ、これだけは言える。
 この主題歌に義人はカムバックを賭けている。

 ここ数ヶ月というもの、義人は毎日のように悟に電話かメールをよこしてくる。わずらわしさを感じることもあるが、その電話が人恋しさや気まぐれからではないとはっきり判断できる場合は、いくらでも付きあうことにしている。いい歳をした大人のただのエゴに付きあうほど暇ではないが、それが「アーティスト・エゴ」と呼び得るものであるかぎり、プロデューサーは誠実に向きあわなければならない。
 そういうときに悟が心がけていることはただひとつ、いたずらに期待を抱かせるような内容を口にしないことだ。
「義人、ごめん。まだ反応が戻ってきてないんだ」
「そうですか。わかりました。オレに手伝えそうなことがあったら、どんなに小さいことでもいいんで、即教えてくださいよ」
「うん。わかってるって。ありがとう……あ、ごめん、キャッチ入っちゃった。じゃあここで切るから、またね」
 キャッチホンは、UBC音楽出版、通称Uユーおんの社員プロデューサー、さわぐちおとからだった。主題歌の制作コーディネイト担当者である。
「いつもお世話になっております。U音の澤口です。今、よろしかったでしょうか」
「はい」
「お取り込み中にすみません。一昨日いただいた新しいデモについて、お話しさせていただこうかと」
 この種の連絡は、普段なら義人の所属レコード会社であるラッキーミュージックを介して悟のもとに届くようになっている。だが今日はその手順を端折はしょるほど急を要するらしい。
 無理もないことだ。もう三月も上旬が終わろうとしているのに、主題歌がまだ決まっていない事態は、異常といっていい。
 ましてやUBCの金看板である土曜夜十時からの名門ドラマ枠「サタジュウ」だ。今回のように四月スタートの場合、主題歌は遅くとも二月には仕上がっている。前年のうちに完成していることもめずらしくない。澤口が焦りを隠さないのも当然だろう。
『飛翔倶楽部』は、社会現象とまで言われた大ヒット作である。昭和二十三年に東大生によって起業された闇金融「光クラブ」をめぐる人間模様を描き、一昨年の春期にUBC開局以来最高の視聴率を記録した。人気に火がついたきっかけは、番組宣伝で使われた「世界よ、これがニッポンの実力だ」というコピーに、野党の四十代女性議員がみついたことだ。
 さえない俳優業から政界に転身して三期目の彼女は、金融犯罪集団を美化するものとしてこのコピーを問題視し、メディアのモラル欠如、またUBCの右傾化の象徴として国会で取り上げた。
 メディアパフォーマンスであることは明らかだったが、ワイドショーのヒマネタとしてはちょうどよかったのだろう。ライバル局はこぞって彼女の国会発言を面白おかしく伝え、開始時十パーセント弱の視聴率は三週目にして一気に二十パーセント台まで上昇した。いったん上昇気流に乗った視聴率は、ストーリーが佳境に入った八週目以降は三十パーセント台を一度も割ることなく、最終話でついに四十四・四パーセントという異例の数字を叩き出したのだった。
 続編『カムバック 飛翔倶楽部ゼロ』は、今春のテレビドラマ業界最大の話題だ。前作の視聴率が二十パーセントを超えたあたりから、続編が実現するかどうかに大きな注目が集まっていた。
 主人公を演じるなかざとたけるは当初、続編への出演とNHK大河ドラマ主役を天秤にかけていたらしいが、昨年五月、彼の主演続投で『カムバック 飛翔倶楽部ゼロ』が作られることが報じられた。その翌月に発表された二年後の大河ドラマの主役は、中里が俳優に転向する以前のモデル時代に、人気男性雑誌の表紙の枠を競いあったよこゆみひこだった。
 マスコミがこの因縁に目をつけるなか、中里が「出演料ギャラこそ役者のくんしょうでしょう」と発言したことで、横手とのライバル関係とともに『カムバック 飛翔倶楽部ゼロ』への注目もさらに高まった。ヒットは確実視され、マスコミの興味は目下その視聴率が大河に勝てるのか、そして前作『飛翔倶楽部』を上回ることができるかに集まっている。
 ドラマ視聴の習慣がない悟は、『カムバック 飛翔倶楽部ゼロ』の主題歌プロデュースを依頼されるとすぐに、前シリーズ『飛翔倶楽部』全話のDVDを取り寄せた。類型的なギリシア悲劇に濃口醤油をジャブジャブふりかけたような安手の作劇術にうんざりしながらも、これも音楽プロデュース業務のうちと、何回もくり返し観た。
 簡明な世界観や平面的な人物造形は、多田羅が視聴者の知性やリテラシーに一切の信頼を寄せていない証拠だと、悟には感じられた。一方で、そんな批判さえ百も承知と言わんばかりの予定調和オヤクソクシーンの連発に、これこそ視聴者の欲しがるものでしょう、という多田羅の揺るぎない自信がけて見えたのも事実だ。「誤読の余地のなさ」はテレビドラマとしての優秀さでもある。どのシーンを切りとっても多田羅イズムと呼べる何かがあった。
 どんなにドラマのテーマやトーンに同意しかねるところがあっても、上質な主題歌を作ることで、何物にも代えがたい人生のほうしゅうが得られるはずだ。悟はかたくなにそう信じて、昨秋からプライベートスタジオの光安スタジオミツスタこもって制作を重ねてきた。
 一昨日出したデモはすでに六曲目。神経を研ぎ澄ませて一ヶ月近くを費やした力作である。五年前にこの国で最も権威ある音楽賞とされる日本ミュージックアワードのグランプリを獲得し、悟の名声と評価を決定づけたストーリーテラーズのバラード「トゥルー・ロマンス」に、勝るとも劣らぬ強い手応えがあった。
 だがドラマのプロデューサー多田羅は、またも首を縦に振らなかったらしい。
「私は今回はとりわけ大傑作だと思うんですけどねえ……UBCサイドがどこか違うって言うんですよ。今のまんまじゃドラマの絵も映えないし、歌詞のコトバも立っていないからぜんぜん入ってこないと。いや、あくまでドラマのトーンとのバランスって意味ですよ。個人的には光安さんプロデュースならではの珠玉のバラードだと思ってますから」
 曲の不出来を責める澤口のいんぎんながらねっとりとした物言いに、悟はいいかげんしょくしょう気味だ。自分よりひとつ年上のこの音楽業界人は、音大生のころにキーボード奏者として参加していたバンドでメジャーデビューし、アルバムを一枚出した経歴の主である。
 テレビ局系音楽出版会社の社員プロデューサーの業務は、悟のようなフリーランスの音楽プロデューサーと似て非なるものだ。とりわけ澤口の仕事は、UBCの番組や出資映画の主題歌や挿入歌の制作に特化している。
 テレビドラマだと、番組プロデューサーと音楽家の中間でさまざまな調整を求められることが大半だ。もちろん音楽出版会社の社員プロデューサーにも、自発的なアイディアを次々に繰りだすタイプがいるにはいる。だが、ことドラマの音楽となると、ほとんどは番組プロデューサーの代弁者、いや伝令役であることも少なくない。理由はいたって単純。音楽出版会社はテレビ局の子会社だからである。ドラマの威光にすがりついてタイアップを欲しがるのは専ら音楽家のほう、という事情がそこに加わる。
 テレビ局系音楽出版会社にとっては、ドラマの主題歌や挿入歌を新たに作ることで与えられる出版権で大きな利益を生みだすことが基本業務となる。この手順で作られた新曲は、ドラマで何度使おうとも著作権使用料は免除される。反対に、人気アーティストの既存曲をドラマに採用するとなると、楽曲権利者にばくだいな使用料を支払わねばならない。
 悟は語気を強めて訊ねる。
さんは具体的にはなんと言ってます?」
 自分が声に出すことを避けてきた番組プロデューサーのフルネームを聞いた澤口が、あからさまに口ごもった。

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 去年十一月の第一回主題歌プレゼンテーションに、悟はデモを二曲提出した。タイトルはシンプルに「Comeback」とし、1と2のナンバリングを打った。いずれも義人が自らかりうたを入れ、歌詞にも義人のアイディアをふんだんに織り込んだ。
 二曲ともかなりの完成度と断言できるもので、どちらが選ばれても驚かないほどの自信があった。先方から求められているのはあくまで主題歌一曲だが、残るもう一曲も挿入歌として採用をわれる可能性が高いと踏んだ悟は、義人の所属レコード会社ラッキーミュージックのごんどうまさに、二曲とも会心の作であることを強調するメモを付してデモを送ったのだ。
 ところが、多田羅は二曲の「Comeback」にOKを出さなかったどころか、どちらがいいとも、どちらが自分のイメージに近いとさえも答えなかった。悟が無理を言って転送させた澤口のメールには、権藤の「気を悪くしないでくださいよ」というメッセージとともに、多田羅の回答が記されていた。

 二曲のデモを提出してきたところに、櫛田義人とスタッフのダメさ加減が象徴されている。これぞ自信作という決定的な一曲があれば、二曲も送ってくるなんてそくなことはしないはず。その程度の参加意識で楽曲を送れるなんて『飛翔倶楽部』シリーズもナメられたものだと悲しくなった。それでも仕事だから二曲とも試聴したが、さらに悲しい気持ちになった。どこかでボツになった曲を使い回しているのでは?

 腹が立った。多田羅がデモにNGを出してきたからではない。確かに残念ではあるが、それだけならばプロフェッショナル同士のやりとりとして、まだ受け止めることができる。
 しゃくに障るのは、デモの提出形式になんくせをつけて、肝心の楽曲内容には触れていないところだ。本当に試聴したのかも怪しい。デモを作った悟と義人に対してこれほど敬意を欠いた文言を、ふたりに近い権藤に送りつける澤口のりょの乏しさにもあきれる。
 人気ドラマをプロデュースすることのじゅうせきなら、これまで何度も主題歌作りに関わってきた悟は十分に理解しているつもりである。今回もプロデューサーの多田羅は相当なストレスを抱えながら仕事に向きあっているはずだ。それが容易に想像できるから、自分も主題歌「Comeback」のプロデュースには力の限りを尽くしてのぞんでいる。
「うた」を作るには、すべてを出しきって、ほとんど捨てる。それでも残るものにこそ普遍的な価値がある。遠回りこそが王道だ。
 だからこそ、自分に降りかかってくる無礼には全力であらがう。

「あ、ええ、ですから多田羅さんというより、UBCサイド全体の意向としてですね……」
 澤口のろうばいは収まるどころか増幅していくばかりだ。身内の多田羅に「さん」付けするのがそのあかしだ。
「あのね、澤口さん。ぼくは多田羅ピーねらいを正確に知りたいだけです。だってドラマのほかのスタッフは何も言わないんでしょう?」
「いや、何もってことは」
「じゃあそれもぼくに教えてくださいよ」
「……」
「要するに今回も多田羅PがNG出してるって理解で間違ってないですよね。よくわかりました」
「じつは今日、緊急ミーティングが」
「ほらやっぱり。多田羅Pも出席するんでしょう?」
「もちろんです」
 そう話す澤口の語尾は消え入りそうに弱々しい。
「何時からですか」
「十四時からです」
「多田羅Pがぼくの参加をご希望なんですね」
「はい。いや、いいえ」
「どっちなんですか」
「おそらく希望してるんですが……ですから、UBCサイド全体の意向としてですね」
 もうこれ以上この男と話してもらちがあかない。
「わかりました。参加させていただきます。UBCに行けばいいですね」
「あ、はい。このあと詳細をメールで送ります。光安さんのお車の情報は以前に伺っておりますので、そのまま地下駐車場にいらしてください」
「スタジオに立ち寄るんで、十四時には少し遅れると思いますが、なるはやで行きます!」
 電話を切った悟は、右の奥歯を強く噛みしめていることに気づいた。かかりつけの審美歯科医にいつも注意される悪いくせだ。
 自分が悪いんじゃない。仕事相手が悪すぎる。音楽のことなら自分がいちばん知っている。

「電話長くなっちゃってごめん」
 紗和はさっきからどうだにせずに同じ場所にいた。
「それはいいの。悟さん、あのね」
 とくだん責めるそぶりは感じられない。
「どうしたの?」
「お腹に赤ちゃんがいます」
 言葉が出てこない。吸いつけられるように妻の顔を見る。
「お腹に赤ちゃんがいます」
「マジで」
 悟はふだん滅多に使わない言葉を発している自分に羞恥を覚えた。
「マジです。やっとウチにも来てくれたみたい。うれしい?」
「うれしい、って?」
「……うれしくないの?」
「うれしい。うれしいよ。マジか。うれしいよ。超うれしい」
「大げさねえ……でも、うれしいって言ってくれて、わたしもうれしい」
 くもりのない笑顔を見せた紗和はゆっくり立ち上がり、キッチンへ向かった。
「もう、牛乳パックはちゃんと捨ててよね」
 どこまでも愉快という調子で悟を叱りつける。
「ま、今日は謝らなくていいけどね」
 悟は両の手のひらを合わせた。温かさのなかにひんやりと湿った感覚があった。

第二章

二〇一一年三月九日 水曜 東京・鉢山町

 リビングをつつみ込む香りで、紗和がコーヒーをれていることを知った。
 父親になる。この自分が父親になる。
 幸せだ。幸せには違いない。
 だが、心の視界はに欠け、薄いにゅうはく色のまくがかかっている。
 その理由が、終わりの見えない主題歌制作であることは明らかだ。もし予定通り主題歌を作り終えたあとにこの吉報が届いたなら、どんなに晴れやかな気分が味わえたことだろう。
 いや待てよ、それはぜいたくというものではないか。フリーランスの身の上としては、仕事のない状態で子どもができることを知るのはもっとつらいはずだ。実際、そういう境遇になってから、仕事も家庭も放りだして失踪したミュージシャンを何人か知っている。取り残された家族は、今どうやって暮らしているのか。
 しかし──。
 自分より確実に不幸な者を思い浮かべなければすんなりと受容できない「幸せ」なんて、本当の幸せと呼べるだろうか。
「朝ごはんは?」
「今日は大丈夫。このモカ、おいしかった。ごちそうさま」
 コーヒーを飲み干した悟は、車のキーを手にして外に出た。

      ☆

オリガミ完全復活しましたね。たまにはパーコー麺どうですか。

 レコード会社ラッキーミュージックの権藤雅樹から六年ぶりにメールが届いたのは、昨年十月下旬のことだ。
 悟の心のうちに波が立った。だが、自分以外の誰も気づかない古い傷跡をでられるような、甘い感覚がわずかにあった。
 この十年の間に昇進を重ねた権藤は、今ではラッキーミュージックのナンバースリーの地位にいる。斜陽が叫ばれる音楽産業にあって、社内に自分の頭文字をかんしたレーベル「Gストリート」を作ったことで、しぶとい存在感を際立たせた。
 彼のサクセスストーリーの起点は、悟がプロデュースしたヴァイブ・トリックス、通称ヴァイブスというのはこの業界の常識である。A&R(エーアンドアール)と呼ばれる、制作と宣伝と販売促進を一手に担当する業務で権藤は名を上げた。
 日本で最も多くのCDが売れたのは一九九八年である。その年をピークとして音楽市場が縮小傾向に入ってからリリースされたにもかかわらず、ヴァイブスが二〇〇一年に放ったデビューアルバム『ファースト・トリップ』は三百万枚を上回るセールスを記録、その年一番の大ヒットとなった。男性アーティストのデビューアルバムとして史上最高となるこの数字は、今後の音楽ソフトの行く末を考えてみれば、この先もまず塗り替えられることはない記録だろう。同様に、担当A&Rの権藤の名声が損なわれることもないはずだ。
 アルバムのプロデューサーである自分の名声も、その数字の上に成り立っていることを、悟は自覚している。当時まだマニアックな存在だった悟に、アルバム丸ごとのプロデュースを託してくれたのは権藤だ。感謝の念を忘れたことはないが、この六年ただの一度も会っていないのには、それだけの理由がある。
 その権藤が、たっての願いがあるという。待ち合わせに指定してきたのは、永田町にオープンしたばかりのザ・キャピトルホテル東急のダイニング『ORIGAMIオリガミ』。そのセレクトには心憎い配慮が感じられた。前身のキャピトル東急ホテル時代のオリガミは、悟が権藤と親密に接していたころ足繁く通った店だからだ。
 ビートルズの一九六六年の初来日で宿泊先として選ばれたこと、あるいは人気絶頂時のマイケル・ジャクソンが愛猿バブルスと泊まったことでも知られるキャピトル東急は、音楽を生業にする者にとって特別の意味をもつ。深夜のオリガミで、ラーメンの上にげた厚切りの豚ロースをのせた名物メニューのパーコー麺を食べながら、悟はこれでいっぱしの音楽業界人になれたとえつったものだ。インドネシア風フライドライスをナシゴレンと呼ぶことも、この店で初めて知った。
 当時、オリガミの夜食によく付きあわせたのが権藤である。悟は自分のことは棚に上げて「睡眠不足だろ。みんざい飲んで少しは寝ろよ」と忠告するのがおきまりだった。しかし権藤はそのたびに皮肉っぽく笑い、別のテーブルに陣取る若い代議士のグループにも聞こえる大きな声で、「無理に寝ても夢ん中でずっと仕事してますし。夢には残業代つかないから、俺はせめて会社の経費でうまいもん食うことにしてるんです」とうそぶいた。
 二〇〇六年にキャピトル東急ホテルが閉館したときには、すでに権藤とは縁遠くなっていた。その後赤坂見附の東急プラザで移転営業をしていたオリガミには、一度だけ行ったことがある。パーコー麺もナシゴレンもおいしかったが、店の雰囲気は別物で、場所も味のうちと痛感した悟の足は遠のいた。やはりオリガミは永田町でなければ。
 権藤と再会を果たすには、今がよいタイミングなのかもしれない。その日の夜に、悟は早速会うことにした。

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「店のレイアウト、すっかり変わっちゃいましたね」
 久しぶりの再会なのに、権藤は目も合わさず挨拶の言葉もなく話し始めた。このそっけなさこそは照れの裏返しと思いあたると、悟の胸にはなつかしい感触がよみがえった。
「ここくまけんでしょ。いかにも、らしいデザインだよね」
「隈研吾といえば、光安さん、去年できた新しい根津美術館はもう行きました? 庭園にカフェがあるんですけど、ランチで結構使えますよ。駐車場たいがい空いてるし。かわいい女の子も結構見かけます」
「相変わらずその手の情報に詳しいね。いくつになったんだっけ?」
「今年ほんやくです。まだ独身でやばいですよ。ふとったでしょ、俺」
 権藤の口調に往時の軽薄なトーンが顔をのぞかせる。
 パーコー麺とナシゴレンが運ばれてきた。
「ナシゴレンも頼んだっけ?」
「昔みたいに分けあいましょうよ」
 ナシゴレンにのった目玉焼きをフォークとナイフを使って手際よく切りわける権藤を、悟はじっくり見つめた。六年の歳月なんて、あっという間だという気がしてくる。変わったのは体形と服の趣味くらいだろうか。
 悟がヴァイブスをプロデュースしていたころ、権藤は太いデニムとティンバーランドのイエローブーツでスタジオに現れ、Bボーイの名残りを見せることがあった。神奈川のマンモス私大のダンスサークルで部長だったと聞いたことがある。
 いまテーブルをはさんで目の前にいる四十男は、仕立ての良いエレガントなウールジャケットに身をつつんでいる。ピークドラペルのホールにフラワーをあしらったデザインは、昨年からセレクトショップでよく見かけるラルディーニだろう。社内でのポジションがめざましく上がったからといって、ハイブランドではなく、適度な現代性と高いコストパフォーマンスを両立した新しめのメーカーを選ぶあたりが、世知にけた権藤らしい。あのころ背伸びして買ったはずのオメガ・シーマスターのブラックフェイスも、ほどよく腕になじんでいる。
 感傷を振りはらうように、悟はパーコー麺に手を伸ばした。スープを少し飲み、別添えの白ネギをたっぷり麺にのせる。権藤がなつかしそうに目を細める。
「そうだ、そうだった、光安さんってネギたっぷり派なんだよなあ」
 呑気な反応にしびれを切らした悟は、たまらず本題を切りだした。
「で、権藤。たってのお願いって何だよ」
 一瞬で笑みを消した権藤は、フォークとナイフを手に持ったまま訊きかえしてきた。
「光安さん、俺が去年社内に新しいレーベルを立ち上げたのはご存じですか」
「もちろん知ってるよ。Gストリートだろ。このご時世にすごいよなあ」
「光安さんのおかげです。けっしてお世辞じゃなく」
 いつのまにか悟をぎょうしている権藤は、次に発する言葉を慎重に選んでいるようだ。シリアスな展開は回避したい。悟は自分から先に訊ねた。
「また新人プロデュース?」
「違います。もっと大きな話です。『飛翔倶楽部』ってドラマ知ってますよね」
「そりゃあ知ってるよ」
「あのドラマの続編が春から始まるんです。その主題歌を……」
「ちょっと待って。誰が歌うんだよ。失礼な言い方になっちゃうけど、そんな大きなタイアップつけて歌う大物ってGストリートにいる? 新人ばかりじゃなかったっけ」
「じつは、このタイミングでGストリートに社内移籍するんです」
 悟は自分の顔がにわかに火照り始めたのを感じる。激しくなる心臓の鼓動が権藤に聞こえはしないかと恐れながら、精いっぱい平静を装って訊ねる。
「誰だよ。権藤、まさか……」
「そのまさかです。櫛田義人です」

 シンガーソングライター、櫛田義人。
 ヴァイブ・トリックスの元メンバーである。悟にとっては今でもYOSHITOという表記がしっくりくる。ヴァイブスがデビューして三年後、人気絶頂時にグループ活動休止を発表してからはソロに転じて成功を収めた。
 ヴァイブスは友情ありきで結成されたグループではない。帝都テレビの番組『スターサーチン』でボーイシンガー・オーディションの審査員だった悟が、最終審査に残った応募者四人のうち、敗者となった三人を束ねてデビューさせたR&Bボーカルトリオである。
 審査員長は、「ミスターJポップ」と称される人気音楽プロデューサーしまざきただ、通称ザッキーだ。島崎は八〇年代に一世をふうした人気ロックバンドXYZ(エックス・ワイズ)のベーシストだった。尼崎の幼なじみ三人で結成され、メンバー同士の仲の良さでも定評があったXYZの活動が途絶えたのは、ボーカル兼ギタリストのくろしゅうが薬物所持で逮捕されたからである。グラマラスなフロントマン黒須と控えめな盟友ふたりという図式で見られていたXYZは、これで音楽シーンから消えるかと思われた。
 しかし、それこそが新たなサクセスストーリーの始まりとなった。本人いわく「最後の一手で」プロデュース業に転身した島崎と、「やむを得ず」彼の個人事務所の社長におさまったXYZのドラマーよしたくが二人三脚で成し遂げたことは、「Jポップ史上最高の錬金術」として伝説化している。
 吉野が見つけてきた歌手志望のあかけない女の子たちが、島崎のプロデュースを受けてきらきらと輝きだし、次々にスターの階段を駆け上がっていく。ザッキーガールズと呼ばれる彼女たちはスターになっただけではなく、島崎との恋愛が噂されもした。豪勢な暮らしぶりや、女性同士のかくしつはスキャンダラスに報じられ、それがまたザッキー人気を過熱させた。

 ぶっきらぼうに権藤が言う。
「まあ義人もピークは過ぎてるし、いまさら失敗しても失うものは何もないですから」
「何もない?」
「ええ。だから光安さんにご迷惑かけることもないんじゃないかと」
「やめてくんないかな、そんな言い方」
「すみません、生まれつき言葉が足りないもんで」
「歌手にとって傷を伴わない失敗なんてないよ。この歳になったら、たとえまわり道に見えたことにも意味があったと思わないか」
「まあ、おっしゃることはわかりますよ」
「この世に『無意味』ってものはない」
せつごもっともですけど」
 とげを含んだ言い回しだ。気のせいか。いや──。ふっしょくできぬ疑いが頭をもたげる。きっと自分が六年前に友好的な別れを選ばなかったせいだ。人生の困難は、蒸発して消えるようにはできていない。
 あのとき、自分は櫛田義人の発したある言葉にすさまじくいきどおった。一刻も早くヴァイブ・トリックスのチームから離れたかった。別離は避けられなかったと思うが、つらくても難しくても、できるかぎり丁寧に別れるべきだった。向きあうことからうまく逃げうせたというあんは、きっと幻に過ぎなかったのだ。
「エラそうなこと言える立場じゃないけど、ぼくだから言えることもある」
「なんですか」
 悟は問いには答えず、権藤をまじまじと見つめかえした。目が慣れてきたせいか、いくぶん後退した生え際、やけに乾いた質感の頬骨付近、そして首との境目があいまいになった両顎のあたりで視線が止まる。
「やるよ。櫛田義人、やる」
 権藤が両目を大きく見開いたのを確かめて、悟は言葉を続けた。
「やる前に、ひとつだけはっきり言っておきたい。これに失敗したら、すべてを失う」
「すべてを失うって、いくらなんでも、大げさじゃないですか」
 にこりともしない悟に、権藤は茶化した口調をすぐに整えた。
「いや、それだけの大きなチャンスだよ、これは。少なくとも義人にはそう自覚してほしい。まあぼくに言われなくても、さすがに思ってるか」
「だといいんですけどね、あのバカ」
 きつい言葉を放つのは、歌い手と近い距離をずっと維持してきた社員A&Rの自負からだろう。この男のプライドは自分とは違うかたちをしている。
「ぼくもその覚悟でやるよ」
「俺も言っておかなきゃいけないことがあるんですが」
「……なんだよ」
 会話の主導権を奪われて不機嫌をあらわにする悟から視線を外すように、はめ殺し窓のむこうのライトアップされた庭木に目をやりながら権藤が言う。
「ドラマのプロデューサーっていうのがちょっとやっかいな人物らしいです」
「厄介? そんなの関係あるもんか。音楽の力でねじ伏せてやるよ」
「言いましたね。戦線離脱も泣き言もなしって約束ですよ」
「そっちこそ、ぼくが作る義人の歌で泣くんじゃないぞ」
 しばらく悟を注視していた権藤は、何かを観念するように息を長くいたかと思うと、ぺこりと頭を下げた。
「光安さん、最近俺よく思うんっすよ。日本人って音楽聴かない民族だなって」
「大発見みたいに言うなよ、今ごろ。音楽なんて別に必要ないって連中だらけなことくらい、音楽を仕事にする前から知ってただろ。映画や絵画とおんなじだ」
「ま、そりゃそうなんですけど」
 権藤もまた久しぶりの再会に感傷的になっているのかもしれない。
「人は音楽でお腹がふくれるわけじゃない。ぼくたちだって、音楽でかせいだ金で食うメシで腹を満たしてるだけだ。そのどこが悪い」
「いや、悪いなんて言ってません。すみません、余計なこと言いました。忘れてください。パーコー麺、いま食べるとかなりヘビーっすね」
「年相応だよ。若いころは食べ過ぎてただけ。音楽もね」
 感傷過多なのは自分のほうか。悟はテーブルに両肘をつき、手を組み合わせた。
 だが権藤は気にするふうでもなく、丼を抱え上げたかと思うと、「俺も歳くったな……今夜は特別だし、ま、いっか」とつぶやき、たっぷり残ったスープをひと息に飲み干した。

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第三章

二〇一一年三月九日 水曜 東京・駒場

 悟が代表をつとめる『有限会社 東京光安製作所』は、妻の紗和を形ばかりの社員に据えた夫婦だけの会社にすぎない。経営者としてただひとつだけ掲げる目標は、「光安悟」の単価を上げること。それ以外にはない。
 若いアシスタントをやとって事務や雑務を担当させ、自分はクリエイティブな作業に集中すれば、ビジネスの能率は上がるかもしれない。でもそれは悟のスタイルではない。スタッフの人生を背負って、その責任をまっとうするために仕事を回していくような事態は回避したいし、できれば「前年比」というプレッシャーとも無縁でありたい。
 だから事務所のさいな雑用を含むすべてが悟の仕事だ。掃除やゴミ出しはもちろん、自分の鞄は自分で持つ、自分の車は自分で運転する。この流儀を変えるつもりはない。
 車の運転は嫌いではない。二十代でカラダに染みついてしまった。そのころ出張を重ねたロサンゼルスやアトランタといったアメリカの都市では、空港に着いてまずレンタカーを借りないことには仕事が始まらなかったという事情もある。
 社用車のトヨタ・プリウスのほかにも、個人名義の車を持っている。一九六八年製のジャガー420Gだ。七年前、ヴァイブスの仕事に自ら終止符を打ってラッキーミュージックの会議室を飛びだした三十分後に、駒沢通り沿いの中古車屋で衝動買いした。ビンテージカー愛好者の間で有名なその店の前を通るたびにいつも気になっていた、自分の生まれ年製の車だった。
 ボディカラーは黒だ。それは黒人ソウルシンガー、アイザック・ヘイズが歌う七〇年代の黒人映画ブラックスプロイテーション『黒いジャガー』の主題歌を聖典とあがめてきた悟のこだわりだ。特別な気分のとき、あるいは、特別な気分になりたいときに乗っている。この車にはハンドルを握る者の気分を変えるだけの効能が、いつもある。

 420Gがこま公園近くのマンションに着いたときには、やはり一九六八年製のパテック・フィリップ・カラトラバは左腕で十一時半を指していた。
 重い防音扉を開き、調光スイッチをオンにし、エアコンやコンピュータに電源を入れる。アーロンチェアに腰をおろした悟は、とみのフレッシュネスバーガー第一号店で買ったライムソーダを飲みながら、システムが立ち上がるのを待つことにした。
 クラブミュージックのクリエイターに強く支持されるフィンランドのスピーカー、ジェネレックの小さなランプが、通電状態をしめす緑色の光をおごそかに放ち始める。あとさらに数分、機材が温まるのを待たねばならない。
 自宅ほどではないがこのしょうしゃな集合住宅の築年数も結構なものである。先月ヘアサロンで何の気なしに手にしたインテリア誌には、「築二十年オーバーの都心ビンテージマンションBEST20」にここと自宅のマンションの両方が選出されていた。
 その最上階、三階の南西角にミツスタはある。主にヴァイブスのヒット曲で得た印税で3LDKの物件を購入したのが七年前。ゆっくり一年間を費やして空間に手を加え、仕切り壁を取りはらい、ミツスタは完成した。
 年配の職人たちが素朴さを残しながら丁寧に塗り上げた乳白色の内壁は、いつも穏やかな気分をもたらしてくれる。床に張った木材はもともと船舶用の耐水性に優れたもので、これも同じ職人たちが古代船を思わせる仕上げを施してくれた。
 中央に配置したラグは、最後に会ったときに島崎がプレゼントしてくれたオールドキリムだ。半世紀前に作られたものと思えぬほどダメージも少なく、何より裸足で歩くときに指をつつみ込む感触がたまらない。
 島崎によればプライベートスタジオの質感を決定するのはラグで、なかでもキリムがお奨めだという。理由を訊くと「誰かの受け売り」ととぼけた。彼がそう言う場合、まず十中八九ロックの偉人レジェンドの実例にならっていることを悟は知っている。

 ミツスタには、悟が信頼を寄せるスタジオエンジニアが見さだめた機材をひと通り導入してはいる。だがデモの伴奏制作トラックメイキングはMacBook Pro一台で済ませている。
 きょうび、アマチュアや学生でも悟より高価な機材を揃えている音楽クリエイターはざらだ。でも自分には多くの機材は必要ないと割りきれるのは、実際にアレンジを作り込んでいくときは、チーム光安と呼ばれる親しいミュージシャンたちの協力を得る態勢が整っているからだ。悟にとっては統括的な意味でのプロデュースが本分なのである。
 この仕事を始めたころは、打ち込み、つまり自らの手でサウンドをプログラミングする作業に、気の遠くなるような時間と体力を費やしていた。しかし、そもそも悟はミュージシャンやアレンジャーとしての達成感や名声を欲したことがなかった。自分よりアレンジやプログラミングに長けた人材がいることがわかっているなら、そして能力と実働にふさわしい対価を保証できるなら、彼らに打ち込みをゆだねることについては一片の躊躇もない。むしろ演奏や打ち込みから自分の体感を排除することで、仕上がりの音に対する判断の客観性が担保されると考えているほどだ。
 ここにある楽器らしい楽器といえば、作曲の頼もしい相棒、一九六八年製のヤマハのアップライトピアノU2Cだけだ。自分と同じ年に世に生みだされたこのU2Cは、幼稚園に入園したときに両親が倹約を重ねて中古で購入したものだ。
 作曲のために弾くと、何かの拍子に幻想に襲われることがある。ゆうの支度をする母親の後ろ姿が立ち上がり、九州特有の甘辛い醤油を煮詰めた香りが漂ってくるのだ。そんなこと、あるはずがない。だがこの幻想に出くわすうちは、自分はまだ音楽の魔法を信じることができる。下取りに出しても十万円に満たない安ピアノだが、ずっと手放せないだけの理由がある。
 つまりミツスタは本格的なレコーディングを目的としたスタジオではなく、悟が作詞と作曲を含むコンセプトづくりに専念するための極私的空間アトリエと呼ぶにふさわしかった。

 スタジオのシステムが立ち上がってから、まずやることは決まっている。前日までの作業分の最新音源データを小さな音量ですべて試聴するのだ。
 どんな曲でも、大きな音で聴けばそれなりにいいものに聞こえてしまう。悪くはないと感じてしまう。これほど危険なことはない。
 島崎直士が『スターサーチン』ボーイシンガー・オーディション優勝者へ提供したデビュー曲は、熱心な視聴者には酷評され、番組を知らぬ世間には黙殺された。楽曲制作の最終工程であるミキシングをチェックするときのモニタースピーカーの音量は、のではないかと、今の悟はにらんでいる。あの問題点の多い曲の仕上がりには、「精査」という工程の存在が感じられなかった。
 本当に大切なことこそ、小さな声で伝えるべきではないのか。いや、小さな声でも伝わるものを「たいせつ」と呼ぶのではないか。
 島崎にしても、プロデュースの仕事を始めた当初はきっと、複数のモニタースピーカーを使い、異なる音量で数えきれないほど試聴を重ね、微調整を加えていたに違いないのだ。
 音楽プロデューサーを名乗って十年も経てば、誰もが感じるはずだ。この仕事の業務のなかで刺激的な部分はせいぜい二割か三割で、残りは単調とさえいえる地道な工程を根気よく積み重ねることだと。だがその工程なしには、くり返しの鑑賞に耐え得る楽曲なんて仕上がるわけがない。
 おそらく、島崎は地道な工程の積み重ねに飽きてしまったのだろう。単調さから目をそらさないだけの辛抱強さを、もう放棄したくなったのかもしれない。生理に忠実にふるまった結果が音楽業界の最前線からの離脱であるなら、本人も納得済みということだ。周囲がどうこう言うことではない。
 幸いなことに、四十代になった今もまだ、自分はそんな「飽き」に屈服することなくプロデュースを続けている。だがは、こちらが少しでも気を緩めようものならば、単調な業務の過程で生じた心理のしわや切れ目に、容赦なく沁み込んでくる。そのしぶとさは年々増していくばかりだ。遠くない将来、自分も観念して白旗を掲げるのではないかという恐怖は、常にそばにある。現時点で「飽き」を遠ざける最大の理由になっているのが、多田羅や澤口に対して抱く怒りの感情というのは皮肉なことだが。
 そんなことをぼんやりと考えながら、悟は一昨日U音の澤口に提出した最新デモを、五回にわけて試聴した。初めの二回は小さな音で。三回目は少し音量を上げて。四回目は自分のため息がかき消される大きなボリュームで。そして五回目は最初の小さな音量に戻して。
 義人の熱のある歌が入ったこの六曲目にたどり着くまで、いろんな経緯があった。だが今のところ、悟と義人の間に、権藤が心配していたような一触即発の事態は発生していない。権藤の細やかな配慮のおかげもあるが、デモにNGを連発する番組プロデューサーの多田羅を仮想敵として共有することで、義人との間に強い連帯感が芽生えているのだと悟は思う。
 悟よりちょうど十歳下の義人は、ヴァイブ・トリックスがデビューしたときの悟と同じ三十三歳だ。義人が甘えたような口ぶりになると、悟はふたりの年齢差を思いだし、義人がふんべつらしきものをみせると、彼の実年齢を痛感する。

     ☆

「相変わらず光安流ですねえ。スタジオっていうより、ぶっちゃけめいそうルームじゃないすか。へへっ。オレ好きっすよ、こういう空間」
 昨年十月末のこと、ミツスタに足を踏み入れるなり、櫛田義人が言った。悟と義人の六年ぶりの再会の場所にここを指定したのは、ラッキーミュージックの権藤だ。
「シンガーの義人は俺なんかとは違って、『音』で光安さんとつながってる。ホテルや会議室なんかより、スタジオで会うのがいちばん自然でしょう」
 権藤の言い分に理を認めた悟は、『カムバック 飛翔倶楽部ゼロ』の主題歌の制作に着手するにあたり、その場に義人を呼んだのである。
 現場マネージャーも伴わず権藤とふたりだけでミツスタにやってきた義人のたたずまいは、悟の目には六年前と同じように輝いて映った。年相応の落ち着きが加わったぶん、魅力が立体性を獲得したようにも感じる。
 久しぶりの再会にあたっては、義人がかつての輝きを失っていたとしても、けっして態度には出すまい……あらかじめ自分に説き聞かせていた悟は、それがゆうだったことを心から嬉しく思った。これならいける。このプロジェクトには勝算がある。そう直感した。
「さっき銀座の東映本社で打ち合わせがあったんで買ってきました。さあ食べましょう」
 権藤はそう言うや、手土産のくうもなかを自ら立て続けに三個たいらげ、「俺の仕事はもう終わり」と言ってそそくさとミツスタを出て行った。

「あっという間にふたりぼっちにされちゃったね」
 悟がつぶやくと、義人が無防備な笑顔で言った。
「いいじゃないっすか。まあ主題歌打ち合わせも大切ですけど、今日は久しぶりに光安さんと音楽の話ができるの楽しみにして来たんです。なんでそんなにブラックミュージック好きになったのか、聞かせてもらっていいですか」
「ドラマチックな話があるわけじゃないよ」
「べつに話を盛る必要ないですから」
「親父がジャズ好きでね。福岡の普通のサラリーマンだったんだけど、日曜になると、晴れたら海釣り、雨が降ったら仏間で煙草吸いながらレコードをひたすら聴いてるわけ」
「お母さんもですか?」
「いや、母親はジャズにぜんぜん興味なし。だからこそ、ジャズに抗う気配がない息子のぼくを、親父はやたら可愛がってくれてさ」
「お父さん、家の中で派閥を増やしたかったんですかね」
「弟と妹は母親側についちゃったから、こっちは野党だったけどね。本当かどうかわからないけど、小学校に上がる前から、ぼくが反応するのはいつも黒人のジャズメンだったみたい。マックス・ローチとかソニー・ロリンズとか」
「シブいガキっすねえ。白人と黒人の音の違いなんてわかったんですか」
「だよねえ。で、ぼくも小学校二年か三年のころ、訊いたんだよ。『白人と黒人ってどう違うと?』って。そしたら親父は、なんと答えたと思う?」
「譜面で説明されたとか」
「腕組みしてひと言、『グッとくるとが黒人たい』って」
「やっべぇー」
「あのさ義人、こんな話を聞いてて面白いかな」
「はい。こんな話って言いますけど、昔はまったくしてくれなかったじゃないですか」
 悟は苦笑しながら首を縦に小さく振った。
「けど、ほんと、やばいよね。こっちはガキだからね、もう舞い上がって勘違いしちゃったんだ。自分はグッとくるかどうかがわかる、特別な人間なんだって」
 楽しい様子で話に耳をかたむけていた義人が、急に真剣な表情になった。
「勘違いじゃないです。光安悟は特別な人間です。オレにとって、光安さんが特別じゃなかったことは一秒もありません」
「おいおい、大げさなこと言うなよ。重すぎるって」
「でしたか。すみません」
「謝ることでもないけど。じゃ、ありがとう。そんなことより、とりあえずのデモ作ったから聴いてみない? 一応ラフでメロディ入れてるけど、まだ固めてないから、気づいたことがあればどんどん言って」
「はい。じゃあ聴かせて……あ、ちょっと待ってください」
 悟はマックブックの画面をクリックしかけた手を止めた。
「島崎直士さんって、いま何やってるんですか」
「ザッキーさんか。プロデュースの仕事はほぼリタイア状態みたい。一昨年XYZがシークレットで再結成ライブやったのは知ってる?」
「ほんとに? 知りませんでした」
「あれだけ人気のあったバンドだから、武道館とか国際フォーラムでやっても満員になるはずなんだけど、あえて町田の小さなハコでやったらしい。アマチュア時代のホームグラウンドで……喉が渇いたな。あ、ごめん、水も出してなかったね」
 悟は立ち上がり、ハワイアンウォーターのサーバーに向かった。アンバーカラーのデュラレックス・ピカルディ二個に冷水をたっぷり注いで、ひとつを義人に差しだす。
「あ、いただきます。……最後にザッキーさんに会ったのはいつですか」
 悟はピカルディをテーブルに置いて天井を見上げ、両腕を組んだ。
「ヴァイブスの『ファースト・トリップ』ができたとき、CDを持って事務所にお礼を言いに行ったんだ。ぼくを表舞台に引っ張りだしてくれたのはザッキーさんだから。ザッキーさんはニコニコしながら『悟、おめでとう。ヒット間違いないよ。おまえの時代だ』って言ってくれた……うん、あれが最後だった」
「じゃあオレと最後に会ってたころには、ザッキーさんとはもう会わなくなってた」
「ってことになるな」
「オレ、ザッキーさんが審査員だから『スターサーチン』に応募したんですよ。拾ってくれたのは光安さんでしたけど」
「ぼくで悪かったな」
 やさぐれを装って悟が言う。
「いやいや、そんな意味じゃないです。誤解しないでください」
 義人はまた真剣な表情に戻ると、まばたきもせずに悟を見て言った。
「あそこまでの人が、どうして急に表舞台から姿を消したんですか」
「ぼくは急だったとは思わない。オーディションがはじまる前から、ザッキーさんのモチベーションは下り坂だった」
「マジっすか。オレ、素人しろうとだったな。ぜんぜん気づかなかった。さすが、光安さん」
「あのころのザッキーさんとぼくは、心が通じあっていたから」
「ふたりともイケイケだったから?」
「その逆。ぼくたちは、幸せじゃなくて悩みでつながっていた」
 瞬間、義人はけんに皺を寄せたが、同調も反論もせずに小さく頷いた。

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