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ありがとう西武大津店

島崎しまざき、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」
 一学期の最終日である七月三十一日、下校中に成瀬なるせがまた変なことを言い出した。いつだって成瀬は変だ。十四年にわたる成瀬あかり史の大部分を間近で見てきたわたしが言うのだから間違いない。
 わたしは成瀬と同じマンションに生まれついた凡人、島崎みゆきである。私立あけび幼稚園に通っている頃から、成瀬は他の園児と一線をかく していた。走るのは誰より速く、絵を描くのも歌を歌うのも上手で、ひらがなもカタカナも正確に書けた。誰もが「あかりちゃんはすごい」と持てはやした。本人はそれを鼻にかけることなく飄々ひょうひょうとしていた。わたしは成瀬と同じマンションに住んでいることが誇らしかった。
 しかし学年が上がるにつれ、成瀬はどんどん孤立していく。一人でなんでもできてしまうため、他人を寄せ付けないのだ。意図的にそうしているわけではないのに、周囲からは感じが悪いと受け取られてしまう。
 小学五年生にもなると、成瀬は女子から明確に無視されるようになる。わたしは同じクラスだったにもかかわらず、我が身かわいさに成瀬を守ることはしなかった。
 ある日、マンションのエントランスで大きな荷物を持った成瀬とすれ違った。無視するのも悪いかと思い、「どこ行くの?」と声をかけたところ、成瀬は「島崎、わたしはシャボン玉を極めようと思うんだ」と言って出ていった。
 その数日後、成瀬は夕方のローカル番組「ぐるりんワイド」に出演する。天才シャボン玉少女こと成瀬はお金持ちが飼っている犬ぐらい大きなシャボン玉を作って飛ばし、レポーターを務めるご当地芸人に「糊の割合が重要です」と説明していた。
 翌日、クラスの一部の女子は成瀬を取り囲んだ。放課後には成瀬のレクチャーによるシャボン玉教室が開かれた。
 中学二年生となった今でも、成瀬は他人の目を気にすることなくマイペースに生きている。違うクラスなので普段の様子はわからないが、目立ったいじめはないようだ。所属する陸上部ではひたすら走り込みをしているという。
 わたしは同じマンションに住んでいるという大義名分のもと、成瀬と登下校を共にしている。
「夏を西武に捧げるって?」
「毎日西武に通う」
 成瀬の言わんとすることはわかる。わたしたちが住む大津おおつ市唯一のデパート西武大津店は、一ヶ月後の八月三十一日に営業終了する。建物は取り壊され、跡地にはマンションが建つらしい。四十四年間の歴史に幕を閉じるとあって、地域住民は心を痛めている。
 わたしも小さな頃からたびたび訪れている。食品スーパーのパントリーや、無印良品、ロフト、ふたば書房といったテナントが入っていて、京都のちゃんとしたデパートと比べたら普段使いの商業施設という感じだ。自宅マンションから歩いて五分の距離にあり、小学生のときから子どもだけで行くことが許されていた。
 成瀬の両親はともに滋賀県出身で、西武大津店への思い入れも強いらしい。成瀬の母親はちょうど西武大津店がオープンした年の生まれで、彦根の実家からことあるごとに訪れていた。マンション購入の決め手になったのも、西武が近いという理由だったという。
 それに対してわたしの両親は県外出身だ。西武や平和堂や西川貴教にしかわたかのりに対する滋賀県民特有の情熱は持ち合わせていない。横浜生まれの母は露骨に滋賀を見下しており、「西武がなくなったら何もなくなっちゃうじゃん」と言う。西武の隣のオーミー大津テラスは商業施設にカウントされないらしい。
「八月になったらぐるりんワイドで西武大津店から生中継をする。それに毎日映るから、島崎にはテレビをチェックしてほしい」
 ぐるりんワイドは滋賀県唯一の県域ローカル局、びわテレで十七時五十五分から十八時四十五分まで放送している番組だ。毎日と言っても土日祝は休みだから、回数としては二十回程度だろう。
「別にいいけど、録画しないの?」
「こんな企てにハードディスクの容量を使ってはいけない」
 ハードディスクを使ってチェックすべき案件だと思うが、成瀬の基準はわからない。
「毎日は見られないかもしれないけど」
「見られる日だけでいい。よろしく頼む」
 義理堅いわたしは家に帰ってすぐ、テレビの番組表から月曜日のぐるりんワイドを視聴予約した。成瀬を見るのはわたしの務めだ。
 成瀬の言うことはいつでもスケールが大きい。小学校の卒業文集に書いた将来の夢は「二百歳まで生きる」だった。冷凍保存や人体改造など何らかの処置を施すのかと思ったら、素のおばあちゃんとして二百歳まで生きるつもりだと言う。
 わたしはギネス世界記録が百二十二歳であることを根拠に、さすがに二百歳は難しいのではないかと伝えた。すると成瀬は平気な顔をして「島崎も含め、その頃にはみんな死んでるから確かめようがない」と言った。わたしは成瀬あかり史を見届けられないことを残念に思うと同時に、できる限り成瀬をそばで見ていようと誓ったのだった。
 最近は期末テストで五百点満点を取ると宣言した。結果は四百九十点だったが、たとえ目標に届かなくても成瀬は落ち込まない。成瀬が言うには、大きなことを百個言って、ひとつでも叶えたら、「あの人すごい」になるという。だから日頃から口に出して種をまいておくことが重要なのだそうだ。それはほら吹きとどう違うのかと尋ねたら、成瀬はしばらく考えた後「同じだな」と認めた。

 中継初日である八月三日、視聴予約をしていたにもかかわらず、番組開始五分前にはソファに座り、テレビをつけて待機していた。
 ぐるりんワイドをじっくり見るのは小学五年生のとき以来だ。つまり普段から興味を持って見るような番組ではない。天才シャボン玉少女の回は学校も取材協力したのか、帰りの会で「今日の夕方、びわテレのぐるりんワイドに成瀬さんが出ます」と先生からアナウンスがあった。それでもわたしぐらいしか見ないだろうと思っていたため、翌日クラスメイトの反応を見て驚いた。
 十七時五十五分になり、ぐるりんワイドのロゴと安っぽいBGMで番組がはじまる。提供のテロップが出た後、さっそく西武大津店からの中継がはじまった。買い物客が自然な様子で行き交う中、成瀬だけはテレビに映るために立っていた。肩まで垂らした黒髪に、白い不織布のマスク、学校の制服の黒いスカートと白いソックスだけなら何の変哲もない女子中学生だっただろう。成瀬はなぜか野球のユニフォームを身につけていた。胸に書かれた「Lions」のロゴと、立っている場所から察するに、西武ライオンズのユニフォームに違いない。これまで成瀬が野球好きという話はまったく聞いたことがなかった。両手には応援グッズとおぼしきプラスチックのミニバットが一本ずつ握られている。
 店の前の電光掲示板には「閉店まであと29日」と表示されている。レポーターが「こちらで閉店までのカウントダウンをしています」と言うそばで、成瀬はまっすぐカメラ目線で立っていた。レポーターは成瀬を様子のおかしい人だと見なしたらしくスルーし、青と緑の目玉模様の紙袋を持って店から出てきたおばちゃんにマイクを向けた。おばちゃんは「何度も来てたので寂しいです」と誰にでも言えそうな、それでいてテレビ局の期待に一〇〇%応えるコメントを発した。
「以上、西武大津店から中継でした」とレポーターが締めくくり、画面はスタジオに切り替わる。
 わたしはタブレットを立ち上げ、Twitterで成瀬に言及している人がいないか代理エゴサーチを行った。「ぐるりんワイド」「びわテレ」「西武」「ライオンズ」といっためぼしいワードを検索にかけるが、それらしきツイートは見当たらない。
 その後も番組終了までぐるりんワイドを見続けた。幸運の女神による「サマージャンボ宝くじを買いましょう」のPR、滋賀県歯科医師会による「歯を大切にしましょう」の啓発、長浜に新しくオープンしたテイクアウト弁当店の情報、視聴者からのメール紹介で終わり、西武大津店にはつながらなかった。
 番組が終わった後、成瀬がわたしの家を訪ねてきた。録画してあげればよかったとも思ったが、成瀬がハードディスクの容量を使ってはいけないと言っていたのに、わたしが録画するのはマナー違反だろう。
「見てくれた?」
「ちゃんと映ってたよ。あれはライオンズのユニフォーム?」
「そうだ」
 成瀬はリュックからユニフォームを出して見せてくれた。背番号は1番で、KURIYAMAと書かれている。成瀬もネット通販でなんとなく購入しただけで、KURIYAMAが何者なのか知らないらしい。1番ということはそれだけ主要な選手だろうと判断したという。
「だいぶ怪しかったけど、目立ってたのは間違いない」
 忌憚きたんのない意見を伝えたところ、成瀬は「それはよかった」と満足そうだった。
 八月四日もリビングのソファでぐるりんワイドを視聴した。近くの歯医者で受付の仕事をしている母も、シフトが休みで一緒に見ていた。成瀬が画面に映ると「完全に不審人物じゃん」と言って大笑いした。
 母も成瀬を小さいときから間近で見てきた一人である。わたしの前で成瀬を悪く言うことはないが、どこか「こいつ変だな」と思っているんだろうなという雰囲気は出ている。最近では「あかりちゃんってほんとウケる」と、面白がるようになった。
「西武が閉店する日まで、毎日通うらしいよ」
「いいじゃん、みゆきも映ってきなよ」
 母の提案はわたしにとってまったくの想定外だった。
「でもわたしユニフォーム持ってないし」
「いや、別にユニフォームじゃなくていいでしょ」
 恥ずかしいからやめておくと言うと、母はサングラスを貸してくれた。

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 八月五日、わたしは西武大津店に向かった。成瀬はすでにユニフォームを着てスタンバイしている。わたしの姿を認めると「おう」と野球ファンのおっさんみたいな風格で右手を上げた。ソーシャルディスタンスを保つため、カウントダウン表示と館内案内図を挟んで二メートル程度の距離を空ける。
 わたしがサングラスをかけると成瀬はうれしそうに「みうらじゅんみたいだな」と言ったが、みうらじゅんが何者なのかわたしにはわからない。服装は無難なTシャツとデニムパンツで、成瀬の添え物であるよう心がけた。
 中継の裏側を見るのは新鮮だった。テレビで見る女性レポーターは高く通る声をしていたが、撮影現場では意外と声が響かない。レポーターが動くたび、カメラマンも連動して動く。レポーターはベビーカーを押した若い母親にマイクを向けた。ベビーカーにはアカチャンホンポの袋が提げてある。おそらく「西武大津店がなくなって不便になります」といったコメントを発しているのだろう。
 スタッフが持つライトが消えると、成瀬は速やかにユニフォームを脱いでリュックにしまった。
「録画しておいたから見にきなよ」
 わたしは自分の姿を確認するためにハードディスクを使った。成瀬を連れて家に帰り、ぐるりんワイドを再生する。
「思ったよりちゃんと映ってる」
 成瀬が言うとおり、カウントダウン表示のそばにいるわたしたちは頻繁に映り込んでいた。
「これがわたしだとわかるだろうか」
「成瀬を知ってる人ならみんなわかると思うよ」
 成瀬はそこにいるのが当然のようになじんでいて、サングラスとマスクで顔の大部分を隠したわたしのほうがよっぽど怪しい。
 Twitterでエゴサーチを行うと、ついに「西武大津からの中継、いつもいるユニフォームの人が気になる」というつぶやきを見つけた。タブレットの画面を見せると成瀬は大きくうなずき、「三回映れば常連だと思われるものだ」とわかったように言った。
 八月六日、七日も成瀬は西武大津店の入口に立ち、第一週目の放送を終えた。わたしも行こうと思えば行けたが、いかんせん暑いので懲りてしまった。エアコンの効いた室内でぐるりんワイドを見ていたほうがよっぽどいい。
「さて、一週目は島崎のおかげで無事に終わった」
 金曜日の放送終了後に成瀬がわたしの家に来た。同じマンションに住んでいるとはいえ、成瀬がこんな頻繁に我が家に出入りすることはなかった。共犯者にされていると思うと面倒くさいが、頼られていると思えば悪い気はしない。
 Twitterを見ると、新たにタクローという人による「ライオンズ女子、今日も映ってる」というつぶやきがあった。ぐるりんワイドや西武大津店といった表記はないが、つぶやいた時間的に成瀬のことだと思われる。
 さらに成瀬は現地でご婦人から「あなたいつも映っているわね」と声をかけられたらしい。少なくとも三人の滋賀県民の記憶に爪痕を残している。
「どうして毎日行こうと思ったの?」
 わたしが尋ねると、成瀬はマスクのワイヤーを直して答えた。
「この夏の思い出づくりかな」
 今年はコロナの影響で、学校行事が軒並み中止または縮小された。わたしはバドミントン部に所属しているが、夏の大会はなくなり、夏休みの練習は午前中だけ。さらに夏休みが八月一日から八月二十三日までの約三週間に短縮され、夏そのものが希薄になっている。西武大津店の閉店は中二の夏の大イベントだ。
「島崎もまた来る?」
 成瀬の思い出づくりに付き合いたい気持ちもあるが、この暑さではなるべく外に出たくない。
「行けたら行く」
 わたしが言うと、成瀬の顔が明るくなった。
「そのときにはこれを着てくれ」
 成瀬がわたしに西武ライオンズのユニフォームを差し出した。背番号は3番。番号の上にはYAMAKAWAと書かれている。
「わざわざ二枚買ったの?」
「万が一のことがあるといけないからな」
 一瞬だけ迷って、わたしはそのユニフォームを受け取った。

 三連休明けの八月十一日、わたしはYAMAKAWAのユニフォームを着て西武大津店の前に立った。サングラスをかけると成瀬より目立ってしまうおそれがあったので、かけないことにした。
 番組スタッフはわたしたちを見て見ぬ振りしているが、雲形の吹き出しの中に「増えた」と書いてあるのが見えるようだった。
 おそらく初日に成瀬を避けたことでスタンスが決まってしまったのだ。最初からフレンドリーに接しておけば、「今日はお友達も一緒?」ぐらいの世間話はしただろう。
 もっとも、成瀬がスタッフを避けた可能性も否定できない。あまり深掘りしないでおこうと思いながら、成瀬とソーシャルディスタンスを取って正面入口前に立った。
 今日のインタビュー対象は年配の女性だった。わたしたちのような若者より、西武大津店にたっぷり思い入れのありそうなお年寄りのほうが求められているに違いない。
 中継が終わり、わたしの家で録画を見る。あの場に立っているときはわからなかったが、買い物客がわたしたちを避けて歩いていた。これは迷惑なので、明日から成瀬は従来どおりカウントダウン表示の隣に立ち、わたしは位置をずらすことにした。
 次にTwitterをチェックしたところ、誰もぐるりんワイドに言及しておらず、がっかりした。誰かに見つけてもらうことを心のどこかで期待していたらしい。成瀬は「ぐるりんワイドを見てるのはたいていおばあさんだからな」と自信ありげに言った。
「ところで、マスクに何か書けないだろうか。広告とかメッセージとか」
 成瀬は定規を取り出し、装着しているマスクにあててわたしに目盛りを読むよう言った。縦十二センチ、横十八センチぐらいだった。
「うーん、たいしたことは書けないんじゃない?」
 ジャニーズファンが持っているようなうちわを持ってはどうかと提案したが、成瀬は小道具に頼ってはいけないと反論した。
「あくまでマスクを有効活用するのが重要なんだ。しばらくマスク生活は続くんだから、これを活かさない手はない」
 八月十二日、成瀬のマスクには黒いマジックで二行にわたって「ありがとう西武大津店」と書かれていた。顔の形に沿って歪んでしまい、西と店の文字はほとんど隠れているが、文脈を見れば推測できる。
 きのう話し合ったとおり、立ち位置を変えてソーシャルディスタンスを取った。小学校低学年ぐらいの男子が成瀬を指差し「ありがとうだって!」と騒ぐと、母親らしき人物は男子の手を取り、歩くスピードを上げて店内に入っていった。
 帰宅して録画を確認する。成瀬のマスクに何か書いてあるのは見えるが、書かれた文字までは読めない。
「この大きさじゃ二文字が限度じゃない? それかロゴマークとか」
 わたしが言うと成瀬はうなずき、「マクドナルドとかナイキとかアップルの広告ならいけるな」と言った。そんなワールドワイドな企業が成瀬のマスクに広告を出すとは思えないが、成瀬が世界を目指していることは伝わった。
 八月十三日、成瀬はマスクに「感謝」と書いた。後で録画を確認すると、画面の端で大きめに映るタイミングがあり、感謝の文字が読み取れた。
「二文字までなら入れられそうだね」
 しかし二文字では伝えられるメッセージが限られる。「感謝」というのも悪くはないが、成瀬がつけていると新興宗教チックな怪しさがある。マスクの有効活用についてはひとまず保留になった。
 Twitterをチェックすると、先日成瀬に言及していたタクローさんが「ライオンズ女子が二人になってる!」と書いていた。うれしいとも恥ずかしいともつかない気持ちで胸の奥がじゅわっと熱くなる。
「ネットに書く人なんてごく一部だからな。ぐるりんワイドの視聴率がめちゃめちゃ低くても、滋賀県民百四十万人のうち〇・一%でも見てたら千四百人が見てることになる。そのうち数人はわたしたちの存在に気付いているだろう」
 中継現場では意識していなかったが、テレビの向こうには視聴者がいる。その人たちの目にライオンズのユニフォームを着たわたしたちが映り込んでいると思うと、なんともいえない高揚感があった。
 八月十四日、道中で成瀬と合流し、番組開始五分前に西武大津店に着くと、いつもいる撮影クルーがいなかった。
「えっ、中継やめちゃったのかな」
 気温の高さと裏腹に、手足が冷えていくのがわかる。動揺するわたしをよそに、成瀬は無言で館内案内図を見ていた。
「たぶん一番上だろう」
 成瀬とエレベーターで七階に向かう。レストラン街を抜けると「西武大津店44年のあゆみ展」のパネル展示と撮影クルーが見えた。音声マイクを持ったスタッフがわたしたちの姿を認めて目をそらしたのがわかる。成瀬はユニフォームを羽織ると、素知らぬ顔でカメラに映りそうな位置に回り、壁に貼られた写真パネルと向き合った。

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 わたしもユニフォームを着て写真を眺める。色あせた写真を引き伸ばしたようなパネルは、西武大津店開店当初の様子を伝えていた。ゆったりした食品売り場、優雅な喫茶店、今はなき六階の多目的ホール、六階と七階をつなぐ巨大な琵琶湖形の吹き抜け、鳥が飛び回るバードパラダイス。どこもたくさんの人で賑わっている。わたしが知る西武大津店はいつも閑散としていた。イオンモール草津に客をとられたとか、ネット通販での流通が増えたためとか言われている。写真に写る人々はみんなうれしそうだ。わたしはこの先、商業施設でこんな顔をすることがあるだろうか。
 写真に見入っているうちに中継が終わっていた。成瀬はすでにユニフォームを脱いでいる。
「もうちょっと見ていく」
 わたしが言うと、成瀬は「そうか」と言って一人で帰っていった。薄情なやつだと思うが、このような行動は今にはじまったことではない。
 西武大津店44年のあゆみ展は、七階フロアの壁全体を使って行われていた。わたしが最初に見ていたのは開店当時の写真ゾーンで、そこから時代順に写真が並べられている。
 わたしが生まれた二〇〇六年は開店三十周年の節目の年だった。店内の様子はわたしの知る風景とほぼ同じだが、客のファッションが少し古い気がする。
「お嬢ちゃん、いつもテレビに映ってる子やね?」
 突然知らないご婦人に声をかけられて、ユニフォームを脱ぎ忘れていたことに気付く。勢いで「あっはい」と返事してしまったが、いつも映っているのは成瀬だ。人違いだと言いたいところだが、ライオンズのユニフォームで買い物に来る人はそうそういないし、間違えるのも無理はない。
「よかった、会えたら渡そうと思っててん」
 小池こいけ百合子ゆりこみたいなレースのマスクをつけたご婦人は、青い野球帽を取り出した。横を向いた白いライオンの顔と、「Lions」のロゴが入っている。
「これ、あげるわ。ちょっと古いけど、ちゃんと洗濯してあるし」
 やんわりとお断りしたが、ご婦人は「遠慮せんでええから」とわたしに押し付けるようにして去っていった。
 厄介なことになったと思いながら、わたしは成瀬の家に立ち寄った。
 インターフォンを鳴らすと成瀬の母親が出てきた。心なしか元気がないように見えるが、もともとこんなふうだった気もする。
「あぁ、みゆきちゃん。いつも付き合ってくれてありがとね」
 成瀬の母親はいつも無口で微笑んでいるイメージだ。教育ママという感じでもない。娘のやりたがることをすべてニコニコ受け入れてきた結果、今の成瀬があるのだろう。
「あの、あかりちゃんのお母さんは滋賀の出身なんですよね?」
「そうだけど」
 話しかけられたことが意外という表情である。わたしも成瀬の母親に話しかけた記憶があまりない。今だって「おばちゃん」と呼ぶには壁がある気がして「あかりちゃんのお母さん」を選択したぐらいだ。
「長年通ってきた人にとって、西武の閉店ってどんな感じですか?」
「そりゃ寂しいけど、今さらどうにもできないし、その日を待つだけかな」
 成瀬の母親は笑みを浮かべたまま言った。わたしの訪問に気付いたらしい成瀬が奥からやってくる。
「どうした?」
「成瀬に渡すものがあって」
 立ち話で済ませるつもりだったが、成瀬の母親に促されて部屋に上がった。
「あのあと知らないおばさんに話しかけられて、これをもらったの」
 もらった野球帽を成瀬に見せる。
「いつも映ってる子に渡してって。中古だけど洗濯してあるって」
 多少の脚色を加えて話したところ、成瀬は疑問を挟まずに野球帽をかぶった。
「月曜日からかぶって行こう」
 正直わたしはかぶりたくなかったのでほっとした。
「今後はどこに現れるかわからないから、早めに行ったほうがよさそうだ」
 正面入口前に撮影クルーがいなかったときには頭が真っ白になった。なぜわたしが取り乱したのかわからない。成瀬のほうがよっぽど落ち着いていた。
「まぁ、わたしは行くかどうかわからないけど」
 なし崩し的にユニットみたいになっているが、わたしはあくまで行けたら行くスタンスである。このプロジェクトは成瀬のものだ。

 週明けの八月十七日、お盆休みだった部活が再開された。朝九時から十一時半までの気楽なものだ。
「みゆき、この前テレビに映ってなかった?」
 同じ部活の遥香はるかが話しかけてきた。
「うん。成瀬に付き合ってる」
 遥香は「大変だね」と笑った。
「わたしも見たよ。金曜日だよね? 西武の写真展のやつ」
 瑞音みずねも話に入ってきた。
「え、わたしが見たのは入口の前だったけど。野球のユニフォーム着てたよね?」
 そうだ、わたしはなぜこのことに気付かなかったのか。日常的に見ていなくても、たまたまぐるりんワイドにチャンネルを合わせることはあるだろう。二人が見たのは一瞬ずつでも、パズルのように組み合わせればわたしのしていることがバレてしまう。
「ほぼ毎日行ってるの。成瀬と」
 成瀬に責任を押し付けようとしているが、ユニフォームを着て付き合っているのはわたしの意志である。ドン引きされるかと思いきや、遥香と瑞音は大笑いした。
「毎日中継してるなんて知らなかった! わたしも行ってみたい」
「わたしも行く」
 仲間が増えてうれしいはずなのに、わたしは気が乗らなかった。成瀬モードと部活モードでは力の入れ方が違うのだ。だからといって二人を拒絶するわけにもいかず、番組が十七時五十五分からはじまることと、中継場所はたいてい正面入口前だが、正確な場所は当日行ってみないとわからないことを伝えた。
 今週は適当にサボるつもりだったが、遥香と瑞音が行くとなればわたしも行かざるを得ない。少し早めに着くと、正面入口前に撮影クルーがいてほっとした。成瀬は宣言どおり、ライオンズの野球帽をかぶっている。これをくれたご婦人がテレビで見ているといいなと思った。
「さっき、また知らない人からこれを渡された」
 成瀬は左手首につけた青いリストバンドを見せた。
「めっちゃライオンズ好きな人みたいじゃん」
「西武ファンであることは間違いない」
 そう言ってミニバットを構える。
「今日、バド部の子が来るかもしれない。わたしと成瀬が毎日来てること話したら、行ってみたいって」
 成瀬は興味なさそうに「そうか」と言うだけだった。
 遥香と瑞音は中継の直前に店内から出てきた。成瀬はすでにカメラに集中している。
「ここでやってたんだ」
 二人がわたしのそばで足を止めたので、ソーシャルディスタンスを取るよう促した。ここで密になってしまっては明日以降の中継が打ち切られてしまう可能性がある。
 遥香と瑞音が少し離れた場所にポジションをとると、レポーターが二人にマイクを向けた。わたしは驚きを隠せなかった。全身から西武愛を発信している成瀬ではなく、私服姿の女子中学生二人組に話しかけるとは。遥香と瑞音は笑顔で質問に答えている。わたしと二人の間に分厚いアクリル板が出現したかのようだった。
 中継が終わり、帰り支度をする。遥香と瑞音は「話しかけられちゃった」と興奮気味に報告してきた。胃のあたりから嫉妬がせり上がってくるのがわかる。「よかったね」と素っ気なく言って、成瀬と一緒に帰路についた。
「成瀬のほうがインタビューされるべきなのに」
 わたしが本音を漏らすと、成瀬は笑った。
「そんなことない。テレビ局はああいう女の子のコメントが欲しかったんだ」
 強がりではなく、純粋に受け入れているようだった。その冷静さに腹が立つ。
「せっかくだからインタビューされたいとか、もっと映りたいとかないの?」
 成瀬は「ない」と即答する。なぜわたしがこんなにムキになっているのかわからない様子だ。わたしは成瀬を取り残し、早足で帰った。
 八月十八日、一晩寝たら気持ちが切り替わり、遥香と瑞音とはいつもどおり接することができた。きのうの顚末について「まさか話しかけられるとは思わなかったね」と話したあと、わたしが極力軽い調子で「また行く?」と尋ねると、二人は「もういいかな」と笑った。
 わたしも「もういいかな」に気持ちが引きずられ、その日は西武に行くのをやめた。なんとなく成瀬に会いたくない気持ちもあった。中継は正面入口前からで、成瀬は14と書かれたカウントダウン表示の隣にいる。当然インタビューのマイクは向けられない。

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 成瀬のように毎日通っているわけでもなく、遥香や瑞音のようにインタビューされるわけでもない。そんなわたしが行く必要はあるのだろうかと考えたら嫌になってしまった。
 八月二十一日、中継帰りの成瀬が訪ねてきた。
「どうだった?」
 成瀬に訊かれて、「テレビを見ていてほしい」という当初の依頼を思い出した。わたしが行かなくても、成瀬は気に留めていなかったに違いない。
「ちゃんと映ってたよ」
 例によってわたしも毎日見ていた。見なくていいかと思っても、十七時五十分になるともうすぐぐるりんワイドの時間だと気付くのだ。
 中継は六階からで、ロフトのファイナルバーゲンの様子を伝えていた。成瀬はほかの客の視線を集めながらしっかり映り込んでいた。
「金曜日は館内から中継するのかもしれない」
 その法則でいくと、来週の金曜日も館内からである可能性が高い。
「来週から学校だけど、部活ある日はどうするの?」
「間に合うように抜けさせてもらう。ユニフォームも全部持っていって、学校から直行する」
 おそらく成瀬は誰からも咎められずに最終日まで遂行するのだろう。
「大変だね」
 すっかり他人事のように感じる。部活は十八時までだから、途中で抜けてまで中継に行くつもりはなかった。
「わたしもリアタイでは見られなくなるけど」
「構わない。これまで付き合ってくれてありがとう」
 成瀬はそう言い残して帰っていった。自分から下りたはずなのに、成瀬に外されたような気持ちになる。
 日曜日の午後、テレビをザッピングしていると、西武対オリックスの試合が放送されていた。なんとなく見る気になって、リモコンを置く。父に「みゆきも野球見るようになったのか」と突っ込まれ、「今日だけね」と適当に返答する。
 西武の選手たちは成瀬とわたしが着ている白いユニフォームではなく、紺のユニフォームを着ていた。六回表、打席に立ったのは背番号1番の栗山である。ぐるりんワイドの中継に映り込む成瀬の姿と栗山が重なる。栗山のバットは初球をとらえ、打球は客席へと入っていった。野球のルールに詳しくないわたしでも、これがホームランであることはわかる。栗山は精悍な顔立ちで、サッカー部の杉本くんに似ていた。

 八月二十四日は二学期の始業式で、部活は休みだった。隣の席の川崎くんに「おまえ西武のユニフォーム着てテレビに出てたな」と指摘された以外、特筆すべきことはなかった。
「成瀬はクラスの人から『テレビ出てたね』とか言われなかった?」
「言われなかった。本人に言うのはごく一部だから、気付いてる人はいるだろう」
 たしかにわたしもあまり話したことがないクラスメイトがテレビに出ていてもわざわざ言いに行かない。
「今日、わたしも行っていい?」
 明日からは部活で帰りが遅くなるため、わたしにとっては最後のチャンスになる。許可を取る必要もないかと思いつつ尋ねると、成瀬は「もちろん」と答えた。
 代理エゴサーチを忘れていたことに気付き、帰宅してTwitter検索をした。最初にライオンズ女子と呼んでくれたタクローさんはその後も何度かわたしたちに言及している。草津に住む主婦の「西武ユニの子、私がぐるりんワイド見ると毎回出てるけど毎日来てるのかなw」というつぶやきもあった。
 番組開始十分前に西武大津店正面入口に着くと、成瀬は「あと8日」と書かれたカウントダウン表示を難しい表情で見ていた。
「このままだと最終日が『あと1日』になるが、本来『あと0日』になるべきではないだろうか」
 言われてみればそのとおりだ。しかしこんなに堂々と間違えているわけがない。仮に間違いだったとしても、明日いきなり二日減らすわけにはいかないだろうと話し合っていたら、五歳ぐらいの女の子が近づいてきた。
「野球のおねえさん、今日はふたりいるね!」
 女児はわたしに紙を差し出した。見ると、同じ服装の人物がふたり描かれている。片方は青い帽子をかぶっていて、片方はかぶっていない。母親らしき人物は「テレビでいつも見てるんです」と言う。わたしが反射的に「ありがとうございます」と応えると、女児は「ばいばーい」と手を振って母親と店内に入っていった。いつも見ていると言いながらこの時間に西武にいるのは変じゃないかと思いつつ隣に視線を移すと、成瀬の目が潤んでいたのでぎょっとした。
「こんなことあるんだな」
 わたしは成瀬にファンアートを渡した。成瀬はそれを大事そうにリュックにしまい、ミニバットを持って正面を向く。今日はファイナルバーゲンに来た母娘と思われる女性二人組にインタビューしていた。
 中継が終わってユニフォームを脱いだら、夏が終わった気がした。高校球児もこんな気持ちになるのだろうか。一緒にするなと怒られそうだ。
「これ、洗って返すね」
「いや、島崎がしばらく持っていてくれたらいい」
 また何か頼まれるかもしれないと思いながら、ユニフォームをバッグにしまった。
 八月二十五日、部活が終わって帰宅してから録画を確認した。
 成瀬は誰かにプレゼントされたのか、西武ライオンズのマスコットのぬいぐるみを持っている。マスク広告枠の計画は頓挫したが、西武ライオンズの広報に一役買っている気がしないでもない。事実、わたしは成瀬がきっかけで栗山を知った。
 八月二十六日もいつもの場所で映っていた。母は「もう景色みたいになじんでるね」と感想を述べた。
 計画がはじまったころ、成瀬を模倣する人が現れると思っていた。そんな暇人はいないのか、ぐるりんワイドの視聴率に魅力を感じないのか、カウントダウン表示の隣のベストポジションを狙う人は現れない。
 十九時過ぎに成瀬が訪ねてきた。
「新聞に載ったんだ」
 成瀬はローカル紙「おうみ日報」を見せてくれた。西武大津店の閉店に関する連載で、近隣住民を取り上げている。
 成瀬は複数の登場人物のうちの一人だ。写真も掲載されているが、野球帽とマスクで顔が隠れてよく見えない。
〈近くに住む中学二年生の成瀬あかりさん(14)は西武ライオンズのユニフォームで西武大津店に通っている。「今年の夏はコロナでやることがなくなったので、お世話になった西武大津店に通うことを思いついた。最後の日まで続けるのが目標」と話した〉
 記事の中の成瀬あかりさん(14)と目の前の成瀬が結びつかなくて笑える。
「あと三回だね」
 いくら自宅から徒歩五分とはいえ、同じ時間に暑い中通うのは大変だっただろう。残す平日はあと三日である。
「最後まで出られたらいいのだが」
 成瀬が珍しく弱気なことを言ったが、わたしは深く気にしていなかった。

 八月二十七日は木曜日にもかかわらず館内からの中継で、総合案内所そばのメッセージボードを紹介していた。約二メートル四方のボードが時計台を囲む形で三枚設置されていて、どれも来館者のメッセージカードで埋まりつつある。
 中継にはメッセージを書く成瀬が映り込んでいた。何を書いているか気になるが、あの中から探すのは至難の業だろう。
 八月二十八日の中継は法則どおり館内で、五階のはぐママセンターからだった。子ども向けのすべり台やおままごとセット、絵本が置かれた遊び場があるが、春先からコロナの影響で使用禁止になっていたという。子ども連れの女性が「ここは子どもが初めて歩いた思い出の場所なんです」とコメントする後ろで、成瀬はおもちゃ売り場に紛れて立っていた。
 中継の最後、レポーターが「次回放送は八月三十一日、西武大津店の営業終了日です。最終日ということで、ぐるりんワイドはまるごと西武大津店からお届けします!」と告げた。ぐるりんワイドの終了時刻は十八時四十五分。部活が終わってからでも十八時三十分には到着できる。思いがけず巡ってきたラストチャンスに、行きたい気持ちが湧いてくる。ユニフォームを返さなくてよかった。成瀬には月曜日の登校中に、最後の中継に行くことを伝えようと思った。
 八月三十日には母と西武大津店に行った。ファイナルバーゲンの商品棚はすでにスカスカで、レジには長蛇の列ができている。こんなに賑わっている西武大津店を見るのははじめてだ。母も「普段からこれだけ人がいたらつぶれなかったのにね」と閉店あるあるみたいなことを言う。
 中継ではよくわからなかったが、入口のメッセージボードには琵琶湖の形が描かれていた。琵琶湖部分にはブルーのカード、陸地部分にはオレンジのカードを貼るきまりらしい。ざっと目を通してみたが、成瀬のカードは見つからなかった。「大津に西武があってよかった」「初デートは西武でした」「たくさんの思い出をありがとう」「大好きな場所でした」など、一人ひとりの思いが伝わってきて胸が熱くなる。わたしもメッセージを残したくなって、「小さいときから何度も来ていました。今までありがとう」と書いて貼った。

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 八月三十一日の朝、いつもの時間に家を出ると、マンションのエントランスに私服姿の成瀬がいた。
「今日、学校休む」
 わたしは一瞬、ぐるりんワイドに備えて学校を休むのだと思った。さすが最終日、気合いが入ってるねと返そうとしたら、成瀬はいつになく沈痛な表情をして「おばあちゃんが死んだんだ」と言った。
「おばあちゃんって、彦根の?」
「そう。今から家族であっちに行く」
「ぐるりんワイドは?」
 不謹慎かもしれないと思いながらも、訊かずにはいられなかった。成瀬は黙って首を横に振った。そんなこと訊くなと言っているようにも見えた。
「島崎には一応伝えておきたかったんだ。それじゃ」
 成瀬はそう言い残してエレベーター方向に消えていった。
 通常どおり登校したものの、ずっと上の空だった。授業中も成瀬とぐるりんワイドのことばかり考えてしまう。こんな事情では仕方ないという気持ちと、どうにかならなかったのかという気持ちが渦巻く。成瀬から万が一を託された者として、せめてわたしだけでも番組冒頭から出ようと思い、部活は途中で切り上げて帰宅した。
 自宅で最後の中継に向けて準備をしつつ、Twitterで「西武大津店」を検索すると、閉店を惜しむ人たちの声であふれていた。今日も多くの人で混み合っているらしい。
 検索ワードを「ぐるりんワイド」に変えると、今日の書き込みがぐっと減る。早い時期から成瀬を追ってくれているタクローさんは、金曜日に「ライオンズ女子ももうすぐ見納めかー」とつぶやいていた。成瀬は身内の不幸で行けなくなったと伝えたいところだが、本人でもないのに個人情報を明かしてはいけないと習っている。マスクに「成瀬は欠席です」と書こうかとも思ったが、熱心な視聴者でもない限りわたしと成瀬の違いはわからないだろう。
 しかしせっかくだからマスクに何か書いておきたくなり、「ありがとう」と大きく書いた。
 番組開始十分前に正面入口前に着いて、失敗したと思った。すでにたくさんのギャラリーが集まっている。最終日だからと出かけてきた人たちが、テレビカメラを見て立ち止まっているのだろう。
 カウントダウン表示は記念写真を撮る人たちに取り囲まれている。人々はスマホで「あと1日」の表示を撮影していた。
 ひとまず態勢を整えるためユニフォームを羽織ると、ギャラリーの視線を感じた。
「一ヶ月お疲れさまでした」
 四十歳ぐらいの女性がわたしに近付き、西武ライオンズのタオルをくれた。さらには「一緒に写真撮ってもらっていいですか?」と問われ、なぜかツーショット写真を撮る。少しでも喜んでくれるならいいだろうと思っていたら、「そいつは偽者だ」という声がした。見ると、白髪の男性が厳しい目を向けている。
「いつも映ってる子と顔が違う」
 まさかこんなところに熱心な視聴者がいたとは。皆勤の成瀬と比べたらわたしは出席日数が足りない。成瀬の添え物に徹したのがあだとなった。
「あれは友達です」
「噓言え! そうやって誤魔化そうったってダメだからな! 帽子だってかぶってないじゃないか!」
 タオルをくれた女性はどうしたらいいのかわからない様子で立っている。成瀬の友達だと証明できるものはなにもない。成瀬の祖母が死んだ話をしても信じてはもらえないだろう。周りは関わり合いになりたくないような顔で見ている。しかももうすぐぐるりんワイドがはじまってしまう。
「島崎!」
 声がする方に目をやると、背番号1番のユニフォームを着た本物が横断歩道を渡ってくるのが見えた。帽子もリストバンドも身につけている。
 成瀬は「間に合った」と言いながらわたしに駆け寄った。成瀬のマスクにも「ありがとう」と書かれている。
「何かあったのか?」
 わたしは安堵で泣きそうだった。絡んできた男性はいつの間にか消えている。タオルをくれた女性もほっとした様子だ。
「あとで説明する」
 わたしは青いタオルを成瀬の首にかけた。
 中継がはじまり、レポーターがギャラリーにマイクを向ける。いつもは一組だけだが、二組、三組と声をかけた。成瀬にも回ってくるのではないかと期待したが、四組目でインタビューは終わってしまった。撮影クルーはぞろぞろと移動をはじめる。
「さっき、知らないおじさんに偽者だって絡まれたの」
「そりゃ災難だったな。遅くなってごめん」
 成瀬が謝るとは思わなかった。
「ううん。来てくれてよかった。おばあちゃんの件は大丈夫?」
「お通夜は明日なんだ。親戚みんな、今日も行ったほうがおばあちゃんが喜ぶって言うから」
 成瀬を送り出してくれた親戚一同に感謝した。
 撮影クルーは一階の食品売り場、二階の婦人服売り場、四階の紳士服売り場と、西武大津店を振り返るかのごとく上がっていく。ついていくのは成瀬とわたしと小学生グループぐらいだ。小学生から「なんで野球のユニフォーム着てるん?」と突っ込まれ、成瀬は「これがわたしの制服なんだ」と答えていた。
 番組の最後は六階のテラスからだった。西武大津店を背に店長が立ち、カメラに向かってレポーターと話をしている。わたしたちギャラリーは店長の後ろで密にならないよう間隔をあけて立っていた。
「夏でよかった」
 成瀬が言う。
「なんで?」
「暗くて寒かったら、今頃もっと寂しいから」
 こうして成瀬は中二の夏を西武大津店に捧げたのだった。

 九月三日、忌引明けの成瀬と、部活が終わってから西武大津店を見に行った。
 人のいない西武大津店は急激に老け込んだようだった。三日前と同じ建物とは思えないほど傷みが目立つ。入口にあったSEIBUのロゴは剝がされ、看板はシートで覆われていた。片付けのために店員が出入りしているようだが、そのうち解体工事がはじまるのだろう。
 病気で入院していた成瀬の祖母は、ぐるりんワイドを見るのを楽しみにしていたそうだ。八月二十八日の放送まで「今日もあかりが映っとる」と喜んでいたが、三十日の深夜に容態が急変し、八月三十一日の朝、息を引き取ったらしい。成瀬の定位置だった閉店へのカウントダウンが祖母の寿命になってしまった。
「成瀬はおばあちゃんのために西武に通ってたの?」
「多少は意識してたけど、一番の理由ではない。こんな時期でもできる挑戦がしたかったんだ」
 わたしは成瀬がもっとバズるところを見たかったのだが、そこまで盛り上がらなかった。びわテレとぐるりんワイドの限界を感じた。
 それでも何人かは西武大津店の閉店時の思い出として、成瀬を覚えていてくれるだろう。西武グッズをくれた人たち、絵を描いてくれた子ども、ツイートしてくれたアカウント、取材してくれた新聞記者、ぐるりんワイドの視聴者、すべてが成瀬あかり史の貴重な証人だ。
「将来、わたしが大津にデパートを建てる」
「がんばれ」
 成瀬の発言が実現するといいなと思いながら、わたしは元西武大津店になった建物を見上げた。

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