はじめに
中野信子
三浦瑠麗さんはとにかく目立つ人で、容姿の美しさがまず人目を惹くのだが、むしろ強いインパクトを与えるのはそのユニークなコメントだろうと思う。
私とは、大学こそ一緒だけれど専門分野も異なり、関心領域にもどうも重なるところが少ない。互いに自分の好きな方向のベクトルをそれぞれに持って、あまり干渉し合わずに仕事を進めている感がある。
もちろん、別々の人間であれば誰であろうと、「どの意見も完全に一致する」ということは論理的にあり得ない。あるとしたらどちらかが妥協して、あるいは心的負担というコストをかけて、関係性を優先することを主たる目的に、自分の意見をゆがめている可能性が大いにある。けれど、そんなことをしなくても、互いに違う意見を持っているからこその面白さ、刺激、また内省につながる発見を得られるという喜びを味わえる能力自体が、知性というものだろう。三浦さんは、違う意見を持っていることを豊かさと捉え、是とできる人であると思う。
世の中で話題になっている問題を淡々と腑分けし、冷静にコメントする姿が印象的な三浦さん。彼女の切り返しの妙を見聞きするのが楽しみでTVをつける人も多いのではないか。一風変わったロジックで場を盛り上げるのが彼女の持ち味でもあり、時には挑発的に見えるコメントも果敢に発していく。
何より私と違う点は、私が極めて怠惰であるのと対照的に、三浦さんはあらゆることに手抜きをしない、まじめな努力家であり、しかもその努力や舞台裏を人にはあまり見せないというところだろうと思う。些細な日常の一場面も美しく整え、ライフスタイルの発信にも手を抜かず、何事にも行き届いた配慮をしている。これは、私には逆立ちどころか何度生まれ変わっても絶対に真似できないだろう。自分でこういうことを言わなければならないのは実に恥ずかしいことだが、私はもう、使う労力は極限まで減らしたいのである。怠惰という言葉をもし人間の形にするとしたら私以外にはいないだろうというくらい、可能な限りエネルギーを使わず、エコに過ごしたい。明日できることは、今日やりたくない。
これはポリシーというような高尚なものではなく、単に体力がないのである。体力がないというのは、脳も体の一部であるので、つまり脳にも体力がないのである。いわば、努力のできない脳なのだ。言い訳がましいが、遺伝的にほぼ決まっている資質だから仕方がない。この、努力のできない脳というのは、わかりやすいインセンティブがなければ、まったくやる気を出してくれないという脳であり、それと連動する形で体もぜんぜん動いてくれないのである。努力できる脳の人にとっては1のハードルを越えれば済むようなことでも、努力できない脳のタイプにとっては10の負担に感じられる、というほどの違いがあると思ってもらえば当たらずとも遠からずであろう。
そうした違いのある我々ではあるが、一方で、恋愛に関する話題については意見の一致する部分があり、かなり面白いと感じた。彼女は冷静で淡々としているように見えながらとても情緒的な面も持ち合わせている。そして意外にも、それをあまり隠そうとはしていないようでもある。
人間の自然な感情を、非合理的な社会通念で不必要に縛るのはナンセンスではないだろうか。こうした問題提起を、個人の事情やルサンチマンといったものを離れて、社会に一石を投じてみるつもりで書籍化するのは非常にエキサイティングで面白い試みであると思った。
本書を手にされた皆さんが、時間依存的に変化し続ける倫理や社会通念によって思考停止させられることなく、これから先のあなた自身の生を救う一助として、本書を活用していただけたら望外の喜びです。
第1部 不倫とバッシング
増える不倫
中野 ここ10年くらいですかね。不倫が原因でそれまで活躍していた世界を去ることになったり、謝罪会見をすることになったり、いわゆる「世間」から指弾されて社会的制裁を受ける有名人が増えた気がするんですよね。
三浦 そうですね。
中野 それってなんでなんだろう? というのが私にはずっとあって。不倫はもちろん、配偶者から訴えられれば法的な問題になりますけど、姦通罪があった昔とは違って今は違法行為ではないですよね。コンプライアンス意識が強くなったとか、ネット社会で相互監視が厳しくなったから見つかりやすくなったとか、いろいろな要素があるとは思うのだけれど、なぜそんなに不倫が注目されるんだろうと思ってたんです。
三浦 一方で、不倫をしている「有名人でない人」はけっこう多そうですが。
中野 あはは。そうね。昔ながらの既婚男性と若い未婚女性という組み合わせもあれば、W不倫もあれば、既婚女性と若い男性の組み合わせもある。職場内不倫もあれば、かつての同級生や恋人との焼けぼっくい不倫もあれば、出会い系での不倫に幼稚園や保育園の送迎から親同士や先生と発展する不倫なんてのもあるらしい。パパ活、ママ活といった金銭を伴う関係までを不倫と言っていいのかわからないですけど、出会いの数だけ不倫があると言ってもいいくらいに思いますし、「実際にはすごく多いんじゃない?」というのが実感なんですよね。それなのに、有名人となると社会的地位を失うまでに叩かれる。
三浦 2020年の「ジェクス」ジャパン・セックスサーベイによれば、現在パートナー(恋人や結婚相手)以外の人とセックスをしている割合は、セックス経験者のうち男性の41・1%、女性の31・4%にのぼったそうです。すべてがいわゆる「不倫」というわけではありませんが、想像より多い数字ですよね。20〜30代が高いので、付き合っているカップルの状態での「浮気」が多いんでしょうけれども。一方で、パートナー以外としたことがないと答えた人は60代女性が最多で70・2%。年代もありますよね。私たち以下の世代で不倫したことがある人の比率は実はこの数字とそんなに変わらないんじゃないかと思います。
中野 ですよね。だからなおさら思うんですよ。なんだろうこのギャップはと。私は脳科学者ですから、脳科学的に考えれば不倫しやすい人がいたり、実際にしてしまう脳の仕組みがあること、あるいは人が人を非難するときになぜ快感を覚えるかといったことも理解できる。でも、実際にしている人が多い割に、非難の声があまりに大きいように思えるんですよ。そのギャップが気になっていて、これは瑠麗さんとお話してみたいなと思ったんですよ。私とは別の角度から人間社会を俯瞰して見てる国際政治学者の瑠麗さんなら、社会的、文化的側面から解説してくれるんじゃないかって思って。
三浦 いやいや、恐縮です。私はよく「不倫を擁護するな」って叩かれるんですけど、違法行為でもなし、擁護も否定もする気はないんですよね。かといって、ロマンティックな見方を持っているかというと、そうでもない。そもそもそれ以前に、なぜ他人様の家庭に口を突っ込むんだ? と思って報道に不快感を示すコメントをしたりします。でもそういうことを口にすると「不倫を擁護するのか」「お前も旦那に不倫されてみろ」などと言われる(笑)。
中野 そういう人って瑠麗さんが不倫する可能性は考えないんですかね?
三浦 そうねえ。不倫は男がするものだっていう社会通念があるんでしょう。ただ、興味深いのは、それぞれはどこまで正確な数字かわからないですけれど、働いている既婚女性の方が専業主婦よりも不倫している率が高いという各種アンケート結果があること。不倫する女性の圧倒的多数は「働く女性」だということですよね。
中野 そういうことになりますね。
三浦 最近言われている不倫の増加は、女性の社会進出と密接に関係があるんではないかと私は思っているんですね。女性の地位が上がって、ある程度男女が経済的に対等になったり、場合によっては格差が逆転したりということにも関係があるんではないかなと。
専業主婦は望むと望まざるとにかかわらず、夫の収入に依存せざるを得ません。一方で、結婚したら専業主婦という道も選べる、という経済的に余裕のある男性と結婚できる人の割合はどんどん少なくなってきています。働く女性に自由度が生まれたというだけでなく、結婚にオールインできるという楽観もそこなわれた可能性がありますね。既婚男性が浮気をしても、妻は養われながら貞淑に家庭を守る、というモデルは成立しにくくなっている。私たちがなんとなく「最近、女性の不倫が増えてない?」と思っているのはあながち的外れでもないんではないかと思います。
バッシングの過激化
中野 その一方で、「不倫騒動」は相変わらず多いですよね。あえて名前は挙げませんが、何かというと報道されている。
三浦 多少の知名度があれば、本来プライバシーにあたるものが報じられてしまうのが今のメディアですよね。週刊誌報道の内容に多少脚色や不正確な部分があっても、褒められた行為ではないがゆえに反論すればするほど傷口が広がる。従ってほとんどの人がプライバシー侵害で訴えずに泣き寝入りしています。まあ、ある意味「書き放題」ですよね。
中野 イメージダウンして仕事は外され収入は減る、CMは降ろされて違約金は払わねばならない、出演していた番組は放送中止になって関係各所に迷惑がかかる……ミュージシャンならコンサートに出られなくなるし、俳優が映画に出ていれば下手すればその映画はお蔵入り、というそこまでの社会的、金銭的制裁を受けながら、あげく復帰もできないという人もいるわけですよね。あまりに「世間」と「有名人」で受ける反応が非対称です。
三浦 職場不倫がバレれば、会社に懲戒解雇はされないにせよ、配置転換されてしまうことはありうるでしょう。でもそこまでの「社会的制裁」は受けない気がしますね。もちろん、パートナーから離婚されたり、慰謝料を請求されたり、さまざまな人間関係がおかしくなるということはあるでしょうけど、それはあくまで「私」の部分ですよね。
中野 もちろん、イメージを売ることで報酬を得ている芸能人の場合、不倫に代償が生じるのはやむを得ないんでしょう。夫婦円満、家庭的なイメージでCMに出演している俳優さんとかね。CMを降ろされても仕方がないかもしれない。だけど政治家だったら政治、ミュージシャンだったら音楽、お笑い芸人だったらお笑い、みたいな本業にまで差し障りが出るとなると、それはどうなんだろうとは思います。
三浦 芸人さんがスキャンダルを起こした場合、「笑えないなあ」というのはあるかもしれないですけど、でも「あいつが番組に出てると不快だから出すな」とかとなるとね、ちょっとヒステリックすぎないかなと思いますよね。昔の“不倫スキャンダル”は夫の浮気を妻が「芸の肥やし」として認めるパターンもありましたけど、今ではちょっと考えられない。仮に平穏を守るために奥さんが我慢するという選択肢をとりたくとも、世間にバッシングされるので婚姻関係が壊れてしまう事例だってありえます。
中野 歌舞伎役者なんかずーっと歴史的にそういうことが許容されてきた土壌があったと思うんですけど……現代はどうも、ちょっと、芸能を生業とする人には大変だなと思いますね。噺家さんとかもすごくもったいないなと思う。いろんな女性とおつきあいしたほうが芸のためにはいいこともあるでしょう? そういうチャンスを奪われているとも言えるし。
三浦 不倫の善し悪しは脇に置いて、短期的な関係の積み重ねをストレスに感じず、それを肥やしにするタイプの人たちも世の中にはいるわけですよね。だけど社会的には、そういう人々はノーマルからの逸脱として罰を受けやすい状況になっているという感じはしますね。
中野 そもそも芸能をやる人はノーマルから逸脱してるもんなんじゃないのかって思うところもあるんですけどねえ。
ちょっと前に話題になったオリンピアンの不倫報道でも気になったことがあって。
三浦 どんなことですか。
中野 いくつか情報番組で「順風満帆な人生過ぎて調子に乗って不倫をしたのではないか」といった指摘があったんです。でも私が思ったのは、「そもそも、調子に乗ると人は不倫するのか?」という疑問で。
三浦 人間、その時調子に乗っているかどうかで不倫するものなのかと。
中野 別の不倫報道でもやっぱり、「調子に乗っていた」みたいな言われ方をしていたんですよね。あるいは、「あんなにできた奥さんなのになんで?」と。それを聞くと女からしてみると「なのに」ってなによ? って思いません?(笑)。じゃあ「できた奥さんじゃなければ不倫してもいい」ということになるのか? とかね。世間の反応は私にしてみたら疑問だらけなんですよ。
性行動を分ける2つの脳のタイプ
三浦 中野さんはすでに不倫で1冊本を書いてらっしゃいますよね(『不倫』、文春新書、2018)。人はなんで不倫をするんですか?
中野 詳細はそちらの本に譲りますけど、前提としてまず申し上げておきたいのは、一夫一妻型の種って哺乳類では3〜5%とされているんですね。そもそも圧倒的に少数派なんです。その上、多くの人が誤解していると思いますが、人間は生物としては一夫一妻型ではないんです。一定の発情期もないから、いつでもパートナーを探すことができる。そして、同時に複数のパートナーを持つことが可能な脳を持っている。一夫一妻型の種ではそれができません。
人間が、決まったパートナー以外のパートナーを探すという仕組みに関しては、複数の遺伝的な素質が関わっているので一概には言いにくいんですけれど、ある脳内物質に注目して、複数のパートナーに目移りしやすいタイプか、そうでないかの2つのグループに分けてみると、大体その割合は半々ぐらいになるみたいですね。
三浦 ある脳内物質。
中野 アルギニンバソプレシン(AVP)という物質なんですが、脳内ホルモンの一種であるバソプレシンにアルギニンというアミノ酸がくっついたものです。バソプレシンは血管を収縮させて血圧を上げる作用や利尿を抑える作用などで知られていますね。このAVPはオキシトシンという「幸せホルモン」とも呼ばれる脳内物質に非常によく似た構造を持っています。恋人や親子同士の安心感をもたらしたり、不安を減らす働きがあるオキシトシンに対して、バソプレシンは親切心を高めたり、特に男性においては女性や家族に対する親近感や愛情を高めるとされています。
このAVPの受容体のタイプによって、性行動に違いが出てくることが知られているんです。1人のパートナーといるのが心地よいタイプなのか、それともたくさんの人と薄く浅く関係を結ぶのが心地よいタイプなのか。後者はまあ「稼ぐ人」ですよ。
三浦 「稼ぐ人」とは?
中野 遺伝的な要素も関わってきます。ある遺伝子を持っているタイプの人では、未婚率、離婚率、不倫率が高くなる。この遺伝子の持ち主は、身内にはやや冷たい行動を取りがちになるためではないかと考えられています。一方で、外づらはいい。そのため、社会経済的地位も上がりやすくなる。で、「よく稼ぐ」です。1人にこだわる気持ちが薄いからか、人脈を形成するのも得意で、その場限りの雰囲気を作るのも上手です。
そういう人を夫に選ぶことは特段に悪い選択じゃないと思うんですけど、今の不倫を叩く風潮からすると、世の中の人はあまり稼がず、貞淑な夫を望んでいるんですかね。よく稼ぎ、よくばらまく人もいて別にいいんじゃないのと思うのですけど。
三浦 「ばらまく人」っていうのは不倫が上手な男性って言っていいんですか。
中野 不倫に向いている人というか、たくさんの女性とつき合うのに向いている人ですね。やっぱりいるんですよそういう人。で、そういう人は経済的にも優位に立ちやすい。不倫という関係によってそれが証明されているということだけだとは思うんですけど。
三浦 経済的なプレデター(捕食者)気質みたいなのと関係しているということですか?
中野 それはあります、あります。まず説明しておくと、新奇探索性という有名な形質があるんですね。ドーパミンという神経伝達物質の動態に特徴があるんです。
仕事ができる男ほど浮気する?
中野 ドーパミンは快楽をもたらし、意欲を高める脳内物質で、性愛の楽しみと関連の深いものです。さっき「芸の肥やし」って話をしましたけど、クリエイティブな仕事で独創性が求められたりする場合、ドーパミンによって駆動される脳機能がいい方に作用することがあるんですね。
三浦 作家とか音楽家とかで、恋愛をしていた方が創作できるっていう人がいますよね。
中野 創造性とドーパミンの関係はとても興味深いものがあるんですが、ここで深堀りするともう一冊、別の本ができてしまう量になるのでまたいつか……。新奇探索性の高い人というのは、一言でいうと、ドーパミンの要求量が高い人です。新しい刺激がないとドーパミンが得られないので、いつもいつも、新しい何かを探している。この人たちの、性的な振る舞いには特徴が3つあって、1つは浮気をしたことがあるかないか。もう1つはその人数。もう1つはワンナイト・アフェアの回数。その3つでデータを取ると、ドーパミン要求量の高い人って、そうでない人の大体倍ぐらいなんですね、どの数値も。有意差があるどころじゃない。
三浦 かなり特徴的なタイプの人ってことですね。
中野 それからもう1つ、テストステロンの多さというのがあって、男性ホルモンが高い人の方がより積極的にリスクを取るという行動をする。
ロンドンの金融街であるシティで、唾液中のテストステロンの量を測った研究があったんですね。すると、テストステロン濃度の高い人の方がその日のトレードの成績がよかった。ハイリスク・ハイリターンの勝負ができる人の方が金持ちになりやすいですし、テストステロンの高い人の方が性的にもアクティブ。英雄色を好むみたいな話ですけど。
つまりは脳のタイプがすごく違うんですよね。浮気を繰り返す人が「病気だ」とかって言われますけど、病気でも何でもない。もともとそういう形質なんですよね。目が青いとか、髪が黒いとか、そういうレベル。
三浦 仕事ができる男ほど浮気する、とかそういう話ではないと。ある特徴があって、それがその人の欲望の種類を変えてしまっていることがある。
中野 そうそうそう、そういう脳のあり方で「ばらまく」タイプの不倫もあれば、あるいはそうではなくて、家庭で居場所がないから癒やされたい……みたいなタイプだったり、1人に対してずぶずぶはまっていくような不倫というのもあるでしょう。ただ、不特定多数の人とたくさん性的にアクティブというタイプは、ちょっと機序が違う。
三浦 今思ったのはね、そういう派手に恋愛する芸能人が時々報じられたりしますけど、芸能人ってそもそも、相当自分のことが好きじゃないとできないと思うんですよ。成功している人であればあるほどね。
中野 それはそうかも。
三浦 自己愛が際立って強い人は、私の感触からすると、いわゆる純愛と見なされるような、ひたすら相手に尽くすような恋愛との親和性がない人もけっこう多いんではないかと。早い話が恋愛を気軽に「楽しむ」ことができちゃうのかもしれない。楽しむだけならいいんでしょうけれども、実際に不倫が報じられるってことは、大方の場合、「被害者」が存在するからですよね。プライベートな話って、誰かが告発しないと載りませんから。他のタイプの恋愛はなかなか週刊誌にすっぱ抜かれるような派手な話にはならないんじゃないか、と思うんですよね。
誰が誰と何をしようがいいんですけど、清潔感みたいなことも大事なのではないかという気がします。ワンナイト・アフェアと言っても、避妊対策をしてるのかと。「ちゃんとしとけ」と思いますもの。
中野 そこで大分印象が違いますよね。
「稼ぐ人」は「ばらまく人」か
三浦 「ばらまく」タイプの人っていうのは、そもそも欲望の量が多いというよりは、それに快感を感じるという作用機序になっちゃっているんでしょうね。同じ人間でも、テレビに出るようになるとか政治家になるとかだとちょっと変わりますし。
中野 それはどういう意味で?
三浦 注目や、パワーの源が手放せなくなるというか。プレッシャーが大きいし、それを1人で背負わなければならないからかもしれない。株のトレーダーみたいな瞬間的判断の連続も、同じようなストレスなんでしょうね。そのはけ口を求めるというのはあるのかなと。
中野 そうか、それは。
三浦 リスクテイクに向いている脳であるとかそういう面もきっと関わっているんでしょうけど、でも、それがすなわち浮気性につながるとも言えない部分がある。
恋愛にはリスクを取らない人も多いじゃないですか。うちの夫なんかは完全にそういうタイプだと思いますよ。投資で様々なリスクテイクはしているから、プライベートでリスクなんか取りたくない。そういう人もけっこういるんじゃないですかね。
中野 仕事で充分ハラハラしているのに! みたいなことね。
三浦 はい。
中野 そうなんだ。
三浦 ロムニーさんみたいに、おそらく家庭でも、その他の人間関係でもリスクテイクはしないけれど、投資ではリスクテイクをするという人たちっているわけですよね。先ほどの『ハスラーズ』は、ストリッパーに群がり、彼女たちを踏みにじって欲望のままに生きる男たちを利用し、大金を奪おうとする女たちの物語。だけど、そういう、仕事でも私生活でもリスクを求めるような人って実は一部ではないかって気もするんです。
中野 「ばらまく人」は「稼ぐ人」でありうるけど、「稼ぐ人」がすなわち「ばらまく人」とは言いづらいんではないかということですよね。性行動に関する遺伝的資質が1種類じゃないというのが問題を複雑にしているんですが、さっき言ったように、ドーパミンの要求量が多分経済力と相当関係あるところだと思うんですね。いわゆる新奇探索性。もう1つ、パートナーに対して誠実であるかどうかに関係するAVP。これは人との絆を作るオキシトシンという脳内ホルモンとペプチドの数が同じで、すごく化学構造が似てるんですけど、その中で2個だけアミノ酸の種類が違うんです。
そのAVPの受容体で、人間の場合、百五十何番目だったかな、1ヶ所だけ遺伝子の塩基配列が変異してるレセプターを持っている人がいるんですね。このタイプの人は、浮気行動をとるんだけれども、同時に、人に親切でなくなるんですよ。
三浦 へえ。
中野 このAVPをうまく受け取れないタイプの脳の人は、3つの特徴があって、未婚率が高い、結婚しても離婚率が高い、結婚が続いても、奥さんの不満度が非常に高くなりやすい。この人たちは、だから、パートナーを持つ生活に向いてないということなんでしょうね。
三浦 男性でも女性でもそういう脳のタイプはある?
中野 女性がこの遺伝子を持っている場合は離婚にはならないんですよ。結婚生活を続けたままよろしくやる。夫をATMにしたまま、自分は楽しく過ごす、という行動をとりやすいんですね。AVPが少ないと、人に対しての共感性が下がるのかもしれない。オキシトシンと似たような物質なので、人との絆をあまり求めないタイプの人になるという感じでしょうかね。
三浦 なるほど。そうすると、そういう人たちは、一見魅力的だったとしても、結婚してみると意外と情が薄いと感じたりするような人なんですかね。だけど、異性関係にそんな消極的とかというわけでもないなら、浮気行動を繰り返すことになる。
中野 そういうことです。ただその逆のパターンもあり得るわけですよね。ドーパミン要求レベルが高い一方で、AVPの変異もない場合。そういう人は自分のパートナーをすごく大事にするし、金銭的にも豊かという組み合わせになる。家庭の中ではリスクテイキングはしないけれども、経済活動ではリスクをとれるというのはそういう人かもしれないですね。
脳も違えば制度も違う
三浦 極端なことを言えば、脳のタイプで性的な行動が自然に2つの方向に分かれてしまうと。
中野 そういうことになりますかね。だから、片方のタイプの脳の人がもう片方のタイプの脳の人を「そんなの人間としておかしい」とかあれこれ言ってみてもあまり意味がない。それぞれの機構で「自分の感覚が普通だ」と脳が処理しているから。それなのに「生まれたからにはいろんな人と付き合いたい」だとか「1人の人と添い遂げるのが本当の幸せ」などと言い合っても話がかみ合わないわけです。あなたの茶色い目はおかしい、いやあなたの青い目こそいかがなものか、と言い合っているようなものです。
三浦 倫理観の違いだけで片付けられるものではないということでしょうかね。
それともう一つには、社会のシステムの違いによっても受け止め方は変わってきますよね。性というのは人間にとって非常に強い衝動ですから、宗教でも政府でも、支配の根本手法に性の抑圧と管理が使われてきた一面があります。どういう条件でなら性交渉をしてよいかを縛ることで秩序を保とうとしてきたわけですね。
結婚について言えば、近代になって平等が観念され始めた過程で、まずは健常者の男性が等しく妻をめとることができるのが望ましいという考え方はあったと思うんですよ。そして女性が子育てをする存在としてはある程度守られると。結婚は子どもを作る権利を意味しますし、人口を増やすことができるから。
中野 結婚というシステムの根源に迫る話ですね。
三浦 ただその後、女性の側も平等な権利が認められていく過程で、性交渉や婚姻に関して個人の自由選択が基本になっていく。そうすると、そこに残った「倫理」とか「規範」って何なんだろうということになる。
夫婦間関係は特殊な扱いです。国家が認めるある一定の形態のみが認められるので、完全な自由契約ではありません。それに、妻や夫が浮気を許したり、始めから許可していたとしても、世間から介入されるわけですからね。
ある英国人の友人が面白いことを言っていたんですが、英国の旧い貴族のファミリーでは、1〜2世代前までは、2人男子を産んだあと、まだ夫婦間で性交渉が続いていると、物好きだと好奇の目で見られていた、と。1人は後継ぎ、もう1人は保険というかスペアの概念ですよね。領地を確実に相続できるように。しかし、財産を散逸させないためには、それ以上子供を作らない方がいい。性交渉はほかでやってくれ、と。だから、浮気には寛容でも私生児の地位というのはすこぶる低かった。変なものですが、それがその時代背景としては合理的に思えたからこその風習でしょう。
中野 これは面白い。かつてのフランス貴族も、恋愛は結婚のあとで、というのが常識だったといいますね。つまり彼らにとっては、結婚は恋愛の末に行われるものではなく、そのファミリーないしは階層の社会経済的地位の保持を目的として行われる、半ば公的な活動の一環だった。
三浦 つまりは恋愛も、結婚相手とするのではなくて、婚外交渉が普通だったと。
中野 そうだったそうです。のちにルイ15世の公妾として政治にも積極的にコミットしたポンパドゥール夫人という人がいますね。ロシアの女帝エリザヴェータやオーストリアのマリア・テレジアと一緒になって「3枚のペチコート作戦」を仕切ったりした。
三浦 フランスとオーストリアとロシアによる対プロイセン同盟ですよね。ペチコートは女性がスカートの下に穿く下着のことですが。
中野 マリー=アントワネットがフランスに嫁いでくるきっかけをつくった張本人です。彼女がまだジャンヌ=アントワネット・ポワソンだった頃、結婚していた相手の男性は、彼女が王に近づいていくのに耐えられず「妻のことを愛している無粋な男」と揶揄されていたとかいう話もありますけど、実際どうだったんでしょうね。
三浦 無粋な男よばわりですか(笑)。
中野 逆に、ルイ16世は公妾を持たなかったために、政治に対する不満や非難が王妃に集中し、王権が転覆する遠因となったという説もあるようです。キリスト教では側室を持つことを禁じているそうなんですが、欲求の抜け道として公妾という制度をつくり、それがひいては社会を維持するための枠組みとして機能したというのは面白いですよ。社会の安定のためには生贄的な存在が常に必要とされてきたのかもしれない。これは人間社会の業なのかなと思うことがあります。
三浦 ホンネとタテマエの使い分けということですね。
中野 ポンパドゥール夫人は5年で身を引くんですね。ルイ15世の愛人から友人へと自らその関係のあり方を変えていくんです。ですが、その後も王の目に留まりそうな女性を探して次から次へと紹介していた。いろいろな解釈ができますけど、彼女は王の精神的な部分や、政治的なあれこれのバランスを保とうとして、本能的にそうしたのかもしれない。
不倫の「定義」
三浦 つまりは、社会のあり方の違いでも、不倫の捉えられ方は変わってきたんだと思うんですよね。何をもって不倫と言うのか、何がその社会の倫理から外れているのかというのは、時代背景によっても異なる。
そういう意味では、つれあい以外の人に関心を持たない状態が当たり前で、そうでない人が異常だとするのも実態としてちょっと違う。中野さんがおっしゃるように、脳のタイプをとってもいろんな人がいるわけだから。
中野 そういうこと。生物が次世代を生み出す仕組みという観点だけから見れば、それぞれの生物が適応的な生存戦略を採っているだけなんですよね。だから、倫理で縛るというのはその点ではナンセンスだなと感じる。ただ、人間が社会的な生物だというところまで解像度を上げていくと、人間の社会は制約を設けることでうまく回ってきたという事情も恐らくある。
だからまずはざっくりと、今は何がバッシングの対象となるのか、不倫の「定義」みたいのがあるなら土台を確認しておきたいですね。
三浦 さらに言うと、自分がその立場に置かれたかのように、裏切りとして責め立てる人がいますけど、それはなぜかっていうことですよね。
中野 なぜ裏切りと感じるのかというのも、それ自体がすごく面白い問題ですよね。社会的規範に沿わない、ということが、バッシングをする際の「正当な理由」として語られるのだけど、それ以上に、自分の不満とかルサンチマンを上乗せしていたりする。あれは不思議な現象だというか。
三浦 「自分事化」されてしまっているわけです。
中野 あなたは実際には、この事件で何の不利益も被っていないよ……と引いてしまったりもするんだけれど、そういう人が少なくない数でいる。
じゃあその場合の社会的規範って何かっていうと、まず結婚という制度がある。不倫ってそこに対する不義という定義はありますよね。同時に、そことはちょっと乖離があるけれども、不倫には今、私たちの感情が揺さぶられるような部分がある。例えば二股交際も週刊誌報道でバッシングされたりする。結婚という制度の問題だけでなく、そうした関係性にも現代の私たちは不快感を覚えているわけですよね。
三浦 家制度に関係がある部分は、子どもが作られる可能性とか子どもの父親認定の問題でしょうね。まあ、昨今ではDNAを調べることができるから本当はそんな必要はないんだけども。
「浮気」は幅広い意味で、他に気を移したというイメージでしょう。実際にセックスまでいかないと「不倫」じゃないだろうと思いますが。私自身は、周りを見ていても肉体関係うんぬんよりパートナーに対するリスペクトの欠如の方が気になりますけどね。けんかばかりしていようが、相手を軽んじていようが、他の人とセックスさえしてなければいいのかと。
中野 そういうご夫婦もいますよね。
三浦 ただ、不倫の定義を性行為に特化すると、身体が物みたいでなんだかいやですねえ。考えを詰めていけばいくほど即物的になる。最近の教育では、子どもに身体的な自己決定権を教えているでしょう。“No means No”(ノーと言ったらノー) だけでなく、“Yes means Yes”(イエスと実際に言ったときだけイエス)と。明示的な同意がない限り、相手に対して性行為をしてはならないし、婚姻関係にあっても相手の欲求を叶えなくてよい。これは昔とはだいぶ違う常識ができたとみていいわけですが、不倫の認定のときだけは、お互いの身体は配偶者の専有物なんですかね。
中野 例えば不倫の裁判ではやっぱり性行為があったかどうかが問われると聞きます。そういう意味では瑠麗さんの仰るとおりなのかも知れない。不貞行為でもめて裁判になった友人の話だと、何回挿入しましたかとかそういうことまで聞かれるんだと。そういうところが争点になる枠組みがあるわけだけれど、この本で扱いたいのはそこではなくて……。
三浦 一夜限りでないかとか、金銭的報酬が生じていないかとかそういうことではなく。
中野 うん。パートナーが別の人と関係性を築いてしまうことを、多くの人が嫌がるみたいだねっていうところですかね。1対1の関係をよしとする倫理観と言えばよいのかな。