新潮社

ランナー春樹さんとの旅

松村映三

 村上春樹さんとは、これまでいろんな所に旅をしたが、旅のあいだ、2人で一緒に走る機会が沢山あった。世界の果てを1ヶ月以上にわたって取材した長い旅から、マラソンレースを走るための個人的な日帰りの旅まで、ひとつひとつ思い出してみると、強烈だったはずの景色は所々記憶から無くなってしまい途切れてしまう。だけど土地の空気感や食べ物、香りや湿度は鮮明に浮かんでくる。視覚的なことを忘れてしまうのは、走ることにより、嗅覚や皮膚感覚のほうが敏感になるからだろうか。
 最初に声が掛かったのは1988年、ギリシャのアトス半島を歩いてまわり、トルコを車で一周する旅だった。僕はこの時期約一年、仕事に打ち込むことが出来ず精神的に悩んでいた。そんな時に、ローマから帰国中の春樹さんと久しぶりに会い、中国大陸を旅したスナップ写真を見てもらった。それから数ヶ月後、ローマに戻った春樹さんはギリシャとトルコの旅に誘ってくれたのだった。旅のあと、ローマで春樹さんが日課にしている川沿いのコースを一緒に走ってみた。小中学生の時にマラソンは校内でトップだったので足には自信があった。走り始めはペースが遅いと思っていたら、30分もしないうちに息が乱れて足がもつれはじめ、どんどん離されてしまう。春樹さんは速そうに見えないのに本当に速いので驚いた。(今ではこの省エネ走法のような春樹さんのフォームを真似して僕は走っているのです。)この時を境にして、ランニングを取り入れた僕の日常生活が始まった。
 春樹さんがローマを引き上げ帰国すると、神宮外苑や皇居の周りを一緒に走るようになり、いつの間にか僕もハーフマラソンに参加できるほどの体力が付いてきた。
 今度新装版が刊行される『辺境・近境』の取材に同行したのはそのあとのことだ。山口県の「無人島・からす島」へ行く前には、初のフルマラソンを春樹さんのペースで30キロあたりまでついて行けた。「イースト・ハンプトン」では、直前にニューヨーク・シティー・マラソンを走ったので足が重く走れなかった。「メキシコ旅行」は各地でピラミッドのような遺跡を登ったり降りたり、トレーニングのような毎日だったので、2人ともあえて走ることもなかった。そんなハードな旅でも、海沿いのホテルやプールがあるモーテルに着くと、春樹さんは泳ぎ始める。その泳ぐ姿を、泳げない僕はカメラに収めていた。香港の友人に「中国の街中を走っているのはドロボーと警官ぐらいだ」と言われたことがあるが、やはり「中国とモンゴル」では一度も走ることが出来なかった。
 ボストンマラソンに参加した1ヶ月後の「アメリカ大陸横断」は、『辺境・近境』の中で唯一走り込むことが出来た旅だった。早朝に起き直ぐ走り、シャワーを浴びて朝飯。そして次の目的地に出掛けた。トロント郊外のコッテージ周辺のアップダウン43分、インディアナ州ラポーテの湖に沿って42分、ウィスコンシン州スプリンググリーンのゴルフ場46分、イェローストーン国立公園内50分、アイダホ州リギンズのサーモン川に沿って1時間06分、ユタ州農園の急斜面を30分、ラスヴェガスの街42分、到着地ロスアンジェルスのロングビーチでは2回走って2時間37分。旅の中で春樹さんと一緒に走っていると、僕も驚くほど体力がついてきたのが分かり、ローマで走ったときのように離されることもなくなった。
 先週久しぶりにフルマラソンを一緒に走った。僕はこれまでに参加したレースで春樹さんに一度も勝ったことがない。いつも春樹さんの背中が見える距離で負けている。遠慮して抜かないのかと思われたこともある。今回、春樹さんが知ったらびっくりするほど走り込み、トレーニングを続けた。ところが25キロ過ぎると急に体が重くなり、太腿が震えだし、春樹さんの背中がどんどん離れてしまう。僕は歯を食いしばり、後ろ姿を見失わないようにピッチを上げた。

(まつむら・えいぞう 写真家)
波 2008年3月号より

単行本

辺境・近境〈新装版〉

村上春樹/著
発売日 2008年2月29日
1,760円(定価)

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