新潮社

『奈落』古市憲寿 試し読み4万字

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 62番目のみの隣には、小さなくぼみがある。ピアノ教室を休みたかった私が、メトロノームを天井に叩きつけた時にできた跡だ。あんなに嫌だったピアノなのに、今では鍵盤を叩く感触を思い出すと泣きそうになる。
 63、64、65、66。四つの染みは、カーテンレールのすぐそばに星座のように並んでいる。偽十字座という名前をつけたのは、目を覚ましてから2066日目。今日から4073日前。暗算ばかりが上手になってしまった。
 いびつな偽十字の隣では、色褪せたレースのカーテンが風に揺れている。施された花柄の刺繍ししゅうが、一層デザインを土臭く見せていた。こんなに長く眺める羽目になるのなら、母が自慢げに買って来たその日に引き裂いてやれば良かった。当時から我慢できないほど野暮ったいと思っていたのだから。
 情けないのは「かわいいでしょう」と笑う母に思わず「ありがとう」と返事をしてしまったことだ。中学生の頃の私は、センスも知性もない母に何を伝えても無駄だとあきらめていた。どうせ数年で出て行く予定の、親から与えられた部屋に権利を主張するのも馬鹿らしいと思っていた。
 67、68、69。中学校の卒業アルバムの隣には、ピンクの背表紙の文集が並んでいる。70、71、72。高校三年生の三月で止まったままの壁掛けホワイトボードの上には、丁寧に額縁に納められた大学の合格証書。それがまだあの人たちにとっては大切なのか。73、74、75、76。真っ黒いテレビデオの横には、無造作に置かれたたくさんのビデオテープ。きっとほとんどが当時の出演番組なのだろう。77、78。アンモニアの消毒液と、排泄物はいせつぶつの混じった臭いには今でも慣れない。79。いくらそれが自分のものだったとしても。80。あの人たちは何も思わないのだろうか。
 79、80、81。数字を数えるのはピアノを弾くのに少し似ている。ミソラソラ。何気なくピアノで弾いていただけなのに、ラの音が鳴った時に自然と涙が出そうになって、その勢いで一曲を作ってしまった。私が生まれて初めて作った曲は、今でも頭の中で急に響き出す。
 間違いない。天井の染みの数は今日も81だった。起きるたびに、必ず81を数えるようになって、もう何千日が経つだろう。鍵盤の数には7つ足りないけれど、何度も私を救ってくれた魔法の数字。
 そういえば子どもの頃は、頭を打った時、自分が正常であることを確かめるために、よく九九の七の段を復唱していた。奇数が多くて、法則性に乏しい上に、リズムの取りにくい七の段。しちいちがしち。しちにじゅうし。「しち」ではなく「なな」だっただろうか。なないちがなな? なないちはなな? やっぱり、しちいちがしち?
 すぐに思い出せないことはたくさんある。サザエさんに出てくる伊佐坂いささか先生の娘の名前。島根県の県庁所在地。1は煙突、2はアヒルで始まる数え歌の3。逆立ちをすると軽くなる生き物。うみくんの電話番号。気になったことをすぐに調べられないのは、いつまで経っても慣れない。姉や母が持つあの小さな板を使ってインターネットに接続すれば、答えはすぐにわかるはずだ。
 子どもの頃から、図鑑で調べものをするのが好きだった。もう題名はおぼろげにしか思い出せない。毎日のように何度も読んだはずなのに。あの黄色い背表紙の本は何だっただろう。表紙にドーナツ型のスペースコロニーが描かれた小学館の図鑑。写真のようにこびりついているページならいくつもある。観光用のスペースシャトルで宇宙旅行を楽しむ人々。4・3光年離れた恒星こうせいへ向かう光子ロケット。
 この部屋からさえ抜け出せなかった私にとって、途方もない規模で語られる宇宙の物語は胸が躍った。いつか大人になったら、この家やこの街どころか、地球さえも脱出できる。しかもその日は、あまり遠くない未来。そう思うたびに早く大人になりたいと思った。それがまさか大人になってからまた、この部屋に閉じ込められることになるなんて。
 だから、やたらこのベッドで宇宙の夢を見てしまうのだろうか。一日に何度も朝が訪れる地球周回軌道上のホテルから、無数の光が明滅する地上を眺める夢。
 女の子なのに宇宙が好きなのね。そう言ったのは祖母だったか。手を伸ばすことができれば、図鑑はすぐそこにあるはずだ。金属の本棚の二段目。きっと卒業アルバムの二冊隣。それにもかかわらず、もう一生、そのページをることはできないのだろう。だけど、その程度のことならあきらめるのは容易たやすい。図鑑で得た知識や、抱いた感情はとっくに自分の一部になっているはずだから。
 今日も時間通りにインターフォンが鳴る。月曜日の朝だから清水くんだろう。小太りで猫背の上に、歯並びが悪いせいでまるで垢抜あかぬけない見た目だが、痩せれば悪くない外見をしている。整形と矯正でもすればいいのに。
 整形手術をするにしても、目と鼻と口の位置を動かすことはできない。清水くんの顔は整形向きだ。整形といえば、去年まで来ていた山崎はひどかった。プロテーゼを入れて尖らせた鼻に合わせて、おでこや頬にヒアルロン酸を注射したせいか、顔全体が球体のようになっていた。介護の仕事だけで整形費用がまかなえるとは思えないから、夜はきっと西小岩や葛西あたりで働いていたのだろう。
 仕事も雑だったので、彼女が結婚を機に辞めると知ったときは嬉しくて仕方がなかった。頼んでもいないのに山崎は結婚相手の写真を見せてきた。彼女と同じく、鼻とあごからプロテーゼが飛び出しそうになっている金髪の男。お似合いだと思った。結婚相手を探す時に、イメージをよくするためのアリバイとして介護職にいているのだろうという見立ては外れたけれど。
「香織さん、おはようございます」
 大きくウサギがプリントされた格好悪いエプロンをした清水くんが部屋に入って来た。エプロンの下には長袖のスウェットとデニム。縫製は悪くないものの、サイズが身体と合っていない。清水くんは足が細いのだから、スキニーでも穿けばいいのに。パンツさえ絞れば、誰でも多少はお洒落に見せることができる。
 できれば腕まくりもさせたい。手首をきちんと露出させたほうが、バランスがとれて痩せて見えるから。太った人のファッションは、首や手首、足首といった細い部分をきちんと見せるのが基本だ。家庭科の教科書にでも載せれば、この国から見苦しい人の数が少しは減ると思う。
 今日も外は暑いのか、うっすらと汗をかいている。中年男性の加齢臭は問題外だけど、若い男の子の汗の匂いは嫌いじゃない。まだ大学を卒業して間もないはずだから20代前半のはずだ。
 遅れて父も部屋に来る。着古したポロシャツと、随分と高い位置でベルトを締めたスラックス。美術館通いが好きなはずなのに服のセンスは皆無だ。
 清水くんと父は手際よくスリングシートを身体の下に敷き込み、リフトを使って私を車椅子に乗せる。清水くんの汗がシャツ越しに私の肌にもにじんだ気がした。唐辛子のような匂いがする。まるで父の臭いをかき消してくれるようで嬉しい。腕には、安いカシオの時計が巻かれていた。物価が変わっていなければ1200円くらい。私が車椅子に乗ったのを確認すると、父は自室へ戻っていった。
 清水くんに押されて玄関前の廊下を通りリビングへと向かう。昔は玄関には大きな姿見が置かれていたのに、今では私のポスターが貼られている。ロンドンのバタシー発電所の前で、真っ赤な服を着て、おもちゃの銃を構えていた。白い大きな文字で「KAORI FUJIMOTO」「1998.8.5 in stores」と書かれている。CMとプロモーションビデオの撮影を兼ねて行ったイギリスでは、結局予定の映像を撮りきれなくて、足りない部分は川崎の工業地帯で何とか補った。もともとセピア色の写真だから、今でも色褪せて見えないのが嬉しい。きっと清水くんの年齢だと、私をリアルタイムで観たこともないのだろう。
 リビングでは姉がテレビを眺めていた。どこに行く予定もないだろうに、真っ赤なサテンシャツを着ている。この数年、好んで着ているグッチのはずだ。えりから首の肉がだらしなくはみ出ている。世界一不幸なグッチだと思った。彼女は私を一瞥いちべつすると、テレビに視線を戻す。朝のワイドショーでは、東京オリンピックまでついに二年を切ったというニュースが放送されていた。
 8畳のリビングには無造作にいくつもブランドのバッグが置かれている。その高級品とは不似合いなインテリアは、私が子どもの頃から変わっていない。ビニール製の安いテーブルクロスの掛かった平井の島忠で買ってきたテーブル。明るいだけが取り柄の真っ白な蛍光灯。ピンクの食器棚。日に灼けた壁紙。天井から吊された黄土色のハエ取り紙。調和という概念が一切存在しない部屋。
 服やバッグに使うお金があるなら、家をリフォームするなり、インテリアを買い換えるなりすればいいのに、姉たちにその発想はないらしい。金遣いは荒いくせに保守的な人々。彼らは最も資産を残せない。
 この家を出て一人暮らしをしていた頃の私は、部屋に一つとしてセンスの悪いものを置きたくなかった。マイケル・ヤングのソファに、ペインティングしてもらったイームズのシェルチェアを並べて、壁には奈良美智よしともの絵やロバート・フランクの写真を飾る。もちろん、何が格好よくて、何が格好悪いかなんて主観でしかないし、時代と共に移り変わってしまうけれど、あの時の私の部屋は間違いなく素敵だった。
 なぜなら、私がいいと思うものを、少なくない人々がいいと思ってくれていたから。雑誌では、私が選んだファッションやインテリアの特集が何度も組まれた。ヘルムートラングのシャツとかコズミックワンダーのデニムとか、流行させたものは一つや二つではないと思う。
 できたばかりの恵比寿のタワーマンションの32階。東京中のビルが見渡せそうな部屋で、毎晩のように友達を呼んでパーティーを開いた。朝方まで飲んで、寝ないで現場に向かう。仮眠は移動中に済ませて、プロモーション期間中は膨大な収録や取材をこなす。どんなに仕事が遅くまでかかっても、夜を一人で明かすのは嫌だった。よく体力が持ったものだと思う。
 今から思えば、全てが夢のようだった。四六時中けたたましくて、とにかく色鮮やかだった日々。私が閉じ込められた江戸川区の片隅の民家とは、信じられないくらい隔たった場所。初めて海くんと会ったのも、そんな慌ただしい夜の中の一日だった。
 いじわるじじいのような司会者がスポーツについて熱弁していたワイドショーからCMに変わり、今夜放送される歌番組の宣伝が流れ始める。平成ヒットソング特集と聞いてそわそわした。SMAP、安室奈美恵、ポケットビスケッツ、globe、ZARDと平成をいろどった新旧のアーティストの映像が次々に現れ、消えていく。
 その中に一瞬、私の姿も映った。
 40㎏にも満たない華奢きゃしゃな身体に、真っ黒いディオールのワンピースを着ている。よく手入れされた金髪は胸元まで伸びていて、顔が小さい分だけ黒いアイラインの引かれた目が大きく見えた。高音のロックバラードは最もセールス的に成功した7枚目のシングルだ。私が作詞作曲をしたことになっているけれど、半分くらいは海くんに手伝ってもらった。
「清水くん、観た? 今、一瞬だけ香織が映ったの」
「台所に行ってたんで、観てなかったです」
 清水くんはストローのついたペットボトルを持ってきてくれた。それをゆっくりと私の口に入れてくれる。息を吸うように、水を飲み込む。医者に指示された通りに、清水くんは律儀に15分ごとに水分補給をしてくれる。画面の中にいた私にはまるで関心がないようだ。それでいいと思った。
「テレビ局から連絡が来てたけど、二曲も流してくれるんだって。覚えてた? 今年は香織のデビュー20周年なのよ。最近はサブスクもあるから、テレビの効果って馬鹿にできないの」
 信じられないほどの時間が経ってしまった。
 あの事故がなかったとしても、現役を続けられたかどうかが怪しいほどの期間だ。実際、テレビで観なくなってしまった知り合いは多い。海くんも、とっくに現役を退いてしまって、今では裏方の仕事が多いのだという。
「清水くん、おせんべいでも食べない?」
 姉は自分が食べていたサラダせんべいを清水くんに勧める。どうせ太るのならば、もっといいものを食べればいいのに。サブスクというもののおかげで、この前も数百万円の印税収入があったらしい。
「まず香織さんの朝ご飯を作っちゃいますね」
 清水くんは台所へ行き、私のためにご飯を作ってくれる。本当は久しぶりにおいしい中華でも食べたいが、今の私には望むべくもない。去年、海くんが来た時に教えてくれたFurutaなんて、きっと一生行く機会なんてないのだろう。私には、年に一度だけ来てくれる海くんとテレビしか情報源がない。あれからどれだけの新しいお店が誕生したのだろう。せめてインターネットを自由に使えたらいいのに。
 白いご飯と焼き鮭、そして味噌汁。20年前の私なら絶対に食べなかったものばかりが食卓に並べられる。毎日、メニューは代わり映えしない。昨日は焼き鮭の代わりに卵焼き、その前はスクランブルエッグといった具合だ。
 清水くんは私に料理の匂いを嗅がせた後で、食事をミキサーにかけていく。ドブ水のようになった液体をお椀によそい直して口の奥に入れてくれる。だけど、ご飯だったものを二口と、鮭だったものを一口だけ食べて、もう口を閉じてしまった。清水くんは少し悲しそうな顔を見せたが、それ以外の意思表示ができないのだから仕方がない。ただの流動食では味気ないと攪拌かくはん前の食事を見せてくれるのは清水くんの優しさだ。だけどそもそも私は焼き鮭も味噌汁も好きではない。
 嚥下えんげもできなかった事故直後に比べて劇的な回復だと医師や看護師は言うが、それならばこの口を使って話せるようになりたい。さすがに歌うことはあきらめたから。
「香織、またこんなに残したの? 食べなくちゃだめよ」
 二階から母が降りてくる。姉よりも太った母は、白いTシャツに水色のジャージを着ていた。片付けでもしていたのだろうか。本当なら老人が必要以上に食事を摂る方が身体に悪いと言いたいところだ。
 母は、山崎に教わったのか、おでこにボトックスを入れ始めた。おそらく山崎と同じ美容整形外科に通っているのだろう。美容整形は医師の好みや癖が出やすい。顔は一ヶ所でも手を入れると、それに合わせて他の部位もいじりたくなってくる。もしも私が母の顔だったら、頬をリフティングして、鼻にヒアルロン酸も入れたい。
 自分の顔が気に入って若返りを望む人間の整形は、ボトックスから始まることが多い。次第に歯止めがきかなくなると、あごや鼻先にヒアルロン酸を入れたり、フェイスラインに脂肪溶解注射も打ち出す。最終的には、顔が膨らんでしまうか、あごが縦に伸びすぎてしまう人が多い。美容整形の技術は20年間で大きく進化したはずなのに、テレビを観ている限り、顔をいじることにはまってしまった人々の末路は、大きく変わらないようだ。
「夜の歌番組、香織も出るんでしょ。ほら、ここにちゃんと名前出てるじゃない。藤本香織って。ねえ、お姉ちゃん、録画予約したの?」
 母は新聞のテレビ欄を指差しながら姉に尋ねる。テレビは画質も大きさも20年ですっかり変わったのに、新聞だけはそのままだ。薄くてざらざらした紙に、必要かどうかもわからない情報がびっしりと書かれている。その時代に取り残されそうな紙に、同じくすっかり時代から置いていかれた藤本香織の名前が記されていた。
「どうせVTRなんだからいいじゃん。後からCXの人にいえば、DVDも送ってくれるだろうし。ママは香織が好きね」
 普通にフジテレビって言えばいいのに。姉はぶつぶつと文句を言いながらリモコンをいじる。母は私の隣に座り、ミキサーにかけなかった残りの味噌汁を飲み出した。
「薄味ね。香織はもっと濃い味が好きなんじゃないの」
 不正確だった。私は味噌汁が嫌いだ。本当は清水くんが作った料理は、私以外が食べるべきではないのだが、彼は何も言わずに笑って何度か頷く。
 母は小言を言いながら、すっかり泥水のようになった焼き鮭と味噌汁も完食してしまった。その後、冷蔵庫からコーラを出してきて、大きなマグカップで一気に飲み干す。母の行動を観察していると、一つ一つの細かな選択肢の積み重ねの結果が、今の体型だということがわかる。
 人はある日、急に太り出すわけではない。太ると太らないという選択肢があると、常に太るほうを選んできた人が太るのだ。概して整形にはまる人というのは、首から下に無頓着である。夜の銀座みたいな顔を目指すにもかかわらず、首から下は埼玉のイオンモールでいいという感覚がいまいちわからない。
 ワイドショーが終わると、もう一度、今夜の歌番組のCMが流れた。さっきとは違う瞬間を切り取った映像が画面に映る。大きな目で真っ直ぐとカメラを見据えて、自信たっぷりに歌う私の姿。おそらく、事故の数週間前の姿だ。力強くて、凜々しいと思った。もう戻りたいわけでもないし、戻れるとも考えていない。ただ、そう客観的に受け止められるくらい、時間は流れた。
 清水くんが水を飲ませてくれる。その時、ちょっと首が前に傾いてしまって、自分が着ている服が見えた。しわしわになった黄色い花柄のシャツ。グッチとは言わないから、せめてユニクロの無地のシャツでも着させてくれたらいいのに。
 ある日、急に太ることはできなくても、ある日、急に人生が変わることはあり得る。今から6172日前、17年前の夏、私は奈落へと落ちた。

 *

 夜眠る前、香織の部屋をのぞくことを日課にしている。身体中がチューブにつながれていた事故直後と比べて、娘は信じられないほどの回復を見せた。何せ今では自分で呼吸をして、ちょっとした食事までができるというのだから。
 部屋に入り、少し開いたままになっていたカーテンを閉める。香織が中学生の頃に買ったものだから、もうさすがに色褪せてしまった。だけど彼女のお気に入りなのだから新調はしたくない。私が生協のカタログで選んだカーテンを、香織が嬉しそうに何度も眺めてくれたのを昨日のことのように覚えている。感情表現が苦手で無口な娘だったから、余計に「ありがとう」と言ってくれたのは嬉しかった。
 思春期に入ってから私を口汚く批判するようになった彼女が口にした、たった一度だけの感謝。香織にとっても私にとっても、大切なカーテンだ。
 うつろな目をした香織の頬にそっと触れる。まるで赤ちゃんのような表情をしている。私にそっくりのかわいい娘。ぽとりと汗が彼女の顔に落ちた。エアコンの設定温度を高くしてあるせいだ。顔の汗を香織に着せたTシャツでぬぐう。部屋を出ようとすると、カーテンがかすかに揺れた。窓が少し開いたままだったようだ。夜風が部屋に入り込んで来る。夏の蒸し暑い空気が肌にまとわりつくのが不愉快で仕方がない。

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