新潮社

 page 3奈落〔 page 4/5 〕

 *

 病院から出たらもうすっかり暗くなっていた。
 夫から何件も留守番電話が入っている。翼が泣き叫んで大変なのだという。今日は有給を取るから俺に任せろと言ってたくせに。母と地下鉄の駅で別れる。ここからだと一度、新宿駅で乗り換えるから最寄りの祖師ヶ谷そしがや大蔵おおくらに着くまでに一時間近くかかる。駅前のスーパーで買い物をして、夕飯を作っていたら、8時過ぎになってしまいそうだ。それだと夫にまたどんな嫌味を言われるかわからない。
 何だかどっと疲れて、たまたま目の前を通りかかったタクシーに乗り込んでしまった。やはり妹が植物状態だと宣告されたのは少なからずショックだった。あんな嫌いな妹だったのに不思議だ。
 ヴィーナスフォートで買ったトートバッグの中からガムを取り出す。最近は精神安定剤の副作用なのかやたら喉が渇く。薬はずっと止められていたのに、先週からまた手放せなくなってしまった。妹を心配する姉になるというのは、ただの演技のつもりだったけれど、本当に私は優しい人間になりつつあるのだろうか。くちゃくちゃとガムを噛む音が自分でもうるさい。

 33

 今日も母はお見舞いに来てくれた。病室に来ると、私の顔を確認もせずに、売店で買ってきたらしい『婦人公論』を読み始める。
 しかし落ち着きのない彼女は、数分ほどするとビニール袋をがさがさと探り、雪印のポテトチップスを食べ始めた。パリパリとチップスを割る音が耳障りだが、私が決して食べないようなお菓子でよかったと思う。
 雑誌に飽きた母はテレビをつける。9月にディズニーランドの隣に開園した新しいテーマパークが特集されていた。春に葛西臨海公園の大観覧車に海くんと乗った時、建設途中のアトラクションをゴンドラから見下ろした覚えがある。園内ではシンデレラ城に視線を集中させることで、徹底的に外部を隠そうとしている魔法の国も、遠くから見れば浦安の工場地帯との違いがあまりわからなかった。
 時間だけが経っていく。私はいつ治るのだろう? その疑問を頭の中で文字にしてみたら、急に怖くなってきた。
 だってもしかしたら、一生身体が動かないなんてことになるのかも知れない。意識だけは鮮明で、誰にも何も伝えられず、ただ朽ちていく。
 そんな人生は恐怖でしかない。
 まさか。ありえない。まだ事故から二ヶ月しか経っていないのだ。それにもかかわらず、これほど明晰な意識を取り戻せたじゃない。きっとすぐに身体が動くようになって、仕事にも復帰できる。今ならまだ年末の賞レースにもぎりぎり間に合うし、事故からの奇跡の復活となれば話題性も十分だ。
 私は治る。すぐに完治する。そんな言葉たちを頭の中で文字にしてみる。だけど、その言葉は何の重みもなく、脳みそに染み込む前に消えていった。なぜなら、あまりにも現実味がなかったから。あのジャガイモ顔の医師の言っていた一年や二年が聞き間違いであって欲しい。J-POPの歌詞と違って、奇跡なんてそう簡単に起こるものではないから。
 曲が作りたい。思わず浮かんだその願望に自分でも驚く。だって歌なんてとっくにもう好きじゃないと思っていたのだ。断続的に見るあの宇宙の夢のせいかも知れない。
 夢の中だというのに眠れなかった私は、部屋を出てホテルの中を散策していた。銀色の壁に赤絨毯じゅうたんの廊下を進んでいくと、小さなコンサートホールがあった。グランドピアノが一台と木製の椅子が二十脚ほど並べられている。調律がされていないせいで思い通りの音が出せないが、でたらめに鍵盤を叩くのは楽しかった。ホールには小さな天窓がついていて、かすかな星明かりがホールを照らしていた。曲を弾き終わると小さな拍手が聞こえてきた。振り返ると、青白い光に照らされた小柄な青年が立っている。最近はいつもそこで夢が覚めてしまう。
 私が音楽を始めたのは、実家から抜け出したい一心からだった。あの田舎くさくて、窮屈な家から少しでも早く自立したくて音楽を作り始めた。モデルを目指すほどにスタイルは良くなかったし、物書きに憧れるほど文学好きでもなかったけど、母からピアノを習わされていたせいで、基礎的な音楽理論だけは知っていた。
 作曲の手段がピアノというのは母の呪縛のもとで生きているようで悔しかったが、曲作りのために鍵盤を叩くのは、コンクールに向けてとにかく正確な演奏を要求される練習とまるで違った。
 曲を作るようになってからは毎日が少しだけ楽しくなった。つまらない授業を聞いている時とか、プールサイドで体育を見学している時とか、日常の何気ない瞬間にもフレーズやメロディーは思いつく。それを頭の中で覚えておいて、後でコードと共にピアノで弾いてみる。そうやって生活の断片を集めて、一曲に組み立てていく。
 通っていたのは進学校だったけれど、幸いなことにすぐに仲間は見つかった。みんなコピーバンドばかりをしていたから、作詞も作曲もできる私は重宝されたのだ。「ヤマハ・ミュージック・クエスト」だとか「TEENS’ MUSIC FESTIVAL」だとか何回かコンテストに出ているうちに、私だけが有名な音楽系の芸能事務所に呼び出された。
 今のバンドメンバーと音楽をやっていても学園祭レベルで終わってしまう。君には才能があるんだから一人で活動すべきだ。
 中目黒の雑居ビルの一室で大人たちに説得された。もともとバンドはただの手段だと思っていたから、バンド仲間とはすぐに切れた。
 それからは毎日、事務所に貸してもらった音源内蔵のシーケンサーといった機材で作曲をして、毎週レコーディングスタジオでデモ音源を作るという生活が始まった。大人たちに言われるがままコンクールにもたくさん出た。
 その時、少なくない音楽のコンクールというのは有望な新人にはくを付けるための出来レースなのだということを知った。
 受験はしたし、古文がなかったおかげで慶應の文学部にはうっかり合格してしまったが、大学には行かなかった。高校の卒業直前にデビューが決まってしまったからだ。卒業を前にして家を出た時は嬉しくて仕方がなかった。
 しかし念願の一人暮らしを始めてからは、書きたいことがすっかりと消えてしまった。幸いなことにストック曲はたくさんあったし、手癖てくせのように新しい曲は作れるようになっていたが、それにはつい一年や二年前までに自分が生み出した曲にあった切実さが圧倒的に欠けていたと思う。
「水場にいる時、よく音楽が思い浮かぶんです。シャワーを浴びている時や、トイレにいる時に不思議とフレーズが降りてくることが多いので、家の中にはいくつもメモ用紙や小さなテープレコーダーを準備しています」
 音楽雑誌にインタビューをされた時は、昔の自分を思い出しながら答えていた。さすがに宇宙の夢のことは、恥ずかしくて打ち明けなかったけれど。
 だけど今になって、たくさんのメロディーと、たくさんの歌詞が思い浮かぶ。なぜか優しいフレーズばかりが次々と溢れてきた。あの夢のおかげだろうか。でももう、それをメモに残すこともできない。自分が元気になる日まで、覚えていられるフレーズはどれくらいあるのだろう。
 ノックの音がする。回診だと思ったのか母は慌てて立ち上がる。しかしいつもと違って、今日は若い男の子が一人いるだけだった。私のファンだというジャガイモ顔の医師だ。なぜかやけに思い詰めた顔をしている。一体、何の用事だろう。よく見ると手には大量のパンフレットを抱えていた。
「実は、香織さんの転院先の病院についてお話があるんです」
 つい先日、老いぼれの主治医からも転院を考えて欲しいと言われていた。この急性期病院では患者を長期入院させることができないのだという。どうやら私はすでに命の危険がある状態を脱しているらしい。それならどうしてこの身体は少しも動くようにならないのだろう。
「主治医の先生から勧めて頂いた群馬県の病院じゃだめなんですか。空気のいい素敵な場所だって」
 初めてその話を聞いた時は、悲しいというよりも驚いた。まさか自分がそんな秘境で暮らす日が来るなんて思ってなかったから。たとえ売れなくなって、お金が稼げなくなっても、どんなに狭い部屋でもいいから東京に住む人生だと思っていたから。世田谷や品川まで行けば安い物件なんていくらでもある。
 だけど今の私には群馬が似合うというのか。空気がいいとか悪いとか全く興味がない。みんな私のことを馬鹿にしている。
 そんなことを考えている間も、若い医師はずっと黙っていた。何かを逡巡しゅんじゅんしているようだ。彼は一度、大きく深呼吸をしてから、覚悟を決めたようにようやく話し出す。
「その病院、僕らの間では老人病院って言われている場所なんです。ただベッドが並べられているだけで、治療らしい治療は受けられません。人工呼吸器をつけられて死ぬのを待つだけの患者さんが大勢並べられている病院です。あの人は藤本さんがどういう方かわかってないから」
 老人病院。群馬と聞いた時と違って今度は怒りで頭がおかしくなりそうだった。私は、もうちょっとやそっとじゃ治らない身体だと思われているのか。さじを投げられて転院させられるのか。死に囲まれた場所で、何年も天井を見て暮らす生活なんて想像もしたくない。
 今すぐ『フライデー』の記者でも誰でもいいから病室に忍び込んで、私が群馬の老人病院に送られようとしていることを告発して欲しい。ファンの中には一人くらいまともな医者がいるだろうから。
 私は今、信頼の置けない、頭の足りない人々によって全ての命運を握られている。こんなの、あの子ども時代とまるっきり一緒じゃないか。
「実はね、看護婦の桑野さんからもね、ちらっとその話を聞いたの。だけど正直、香織がこんな状態でしょう。群馬に月一回か二回、小旅行みたいに行くのも悪くないのかなって家族で話していたんですよ」
 どうせ母は悲劇のヒロインぶって病院に来ていただけだ。それが数ヶ月以上も続いて、そろそろその役割にも飽き始めているのだろう。つい三日前も看護婦とJRと地下鉄を乗り継いでくるのが大変だと自慢げに話していた。娘を自分の人生を彩る小道具に使うな。
「僕はリハビリテーションを専門とした病院に転院したほうがいいんじゃないかと思うんです。この新しい病院は自費治療がメインなので高いんですけど、業界でもいい先生が揃っていると評判です。もちろん公立の病院もあって、ここならうちの親父のつてをたどれば話をつけることができると思います」
 若い医師はパンフレットを広げて説明を始める。
「でも主治医の先生の話だと、いわゆる植物状態だって。私も信じたくないけど」
 母は私のほうを見た。私も憎しみと共に母をにらみ付けようとした。またいい母親ぶって。外面だけ取り繕うのは本当に上手だよね。精一杯の憎悪を込めたつもりだった。それなのに母は穏やかに微笑む。まるで感情が伝わっていないことに絶望する。こんなことなら、いっそ本当に植物人間になって、完全に意識もなくなってしまったらよかったのに。悲しみも喜びもない世界に行けたらよかったのに。
 若い医師はベッドの脇にしゃがみこんで、私の顔を正視する。
「僕には香織さんの眼球がきちんと動いているように見えるんです。眼球が動くということは、大脳皮質は生きている可能性が高い。つまり意識は保たれているんじゃないかと思うんです。遷延性意識障害と診断されても意識を取り戻すことはありますし、特にロックドインならば、国内でも何件か回復例が報告されています」
 若い医師の話を母は頷きながら聞くが、きっと半分も理解できていない。彼はまだ患者向けに話すことに慣れていないのだろう。私もいくつかの専門用語はわからなかったけれど、彼が熱心に私のことを考えてくれているのは理解した。こんな頼りない医師に望みを掛けないとならないのか。
 母は大きな溜息をついて、長い茶色の髪の毛を結び直す。
「先生に言うことじゃないかも知れないんだけど、実は香織と私は子どもの頃から馬が合わなかったんです。馬が合わないというか、何を考えているのかさっぱりわからなかった。私は人と会うのが好きなタイプなんですけど、香織は部屋に籠もって本ばかりを読んでいたから。
 だから香織がバンドを始めると聞いた時は本当に驚いたの。この地味な娘がまさかと思った。化粧っ気もなくて、美容院に行くのも三ヶ月に一度。服も古びたTシャツと破れたジーンズばかりを着回しているような娘だったのよ。でもね、ようやく自分の居場所を見つけてくれたんだって嬉しかった。バンド活動がうまくいくほど、余計に私は嫌われちゃったけど、それでよかったの。ねえ先生、家族って所詮は他人ですからね」
 母の問い掛けに若い医師は肯定も否定もしない。
「僕はそんな風には割り切れなかったです。親父のことは苦手だけど、今でも小遣いもらってるんです。研修医って給料が安いから」
 無理に医学部に入学させられたというジャガイモの彼は、恐らく親に対して複雑な感情を抱いている。
 母は病室の窓を開けた。吹いてきた風が、何の刺繍もされていない白いカーテンを揺らす。廊下へと抜けていく風にもう夏の面影はなかった。
「地味なカーテンよね。変えたらだめなんて規則が本当にあるの? なんで病室って高いお金を取るくせにこんな質素なのかしら」
 この病室がお洒落とは思えないが、不必要なものに溢れていた実家に比べれば随分とましだ。もしかしたら病室に不似合いなバラのポスターは、母が貼ったものなのかも知れない。母の言う通り、親子とは本当に他人なのだと思う。
「相性のよくない子どもなら、気心の合う友人と付き合ったほうが楽でしょ。だけど一つ屋根の下にいる限りはそうもいかない。どうしても一日のうちに何度かは顔を合わせてしまうから。あまりご飯も食べてくれないし、こっちから話しかけてもほとんど無視。だから高校を卒業する直前、香織が家を出て行ってくれた時は本当に嬉しかったの。これからは本当に他人として生きられると思ったから」
 少し意外な気がした。自分のクイーンダムから逃亡者が出たことに母は怒っていると思っていたから。ほとんど物も持たずに、夜逃げのように飛び出したあの日、私だけではなく母も嬉しかったなんて。母は私に向き直り、髪を撫でてみせる。
「だからね、事故に遭って、話すこともできなくなった香織との関係を考えあぐねていたの。彼女がこうなってしまった以上、相性がいいも悪いもないでしょう。母としてすべきことがあるんじゃないかなんて柄にもなく思っちゃったのよ。だからせめて、病室には顔を出すようにしているの。正直、こんなごみごみした都会は苦手なんだけど。ねえ、改めて向き合ってみると、娘って意外とかわいいものね」
 意外とかわいい。人前でいい格好をしたい人間特有の下手な嘘だと思った。口元は大きく微笑もうとしているけれど、目は見開いたままだ。私とよく似た大きな瞳は、冷たく私の姿を見据えた。子どもの頃から何度も見てきた、頭の悪さが滲み出た表情。強くなった風が、だらしなく彼女の髪をなびかせる。母は若い医師からパンフレットを受け取ると「ありがとう。考えてみます」と言って、軽く頭を下げた。

 *

 窓が一つもない池尻大橋のスタジオにいると時間の感覚がわからなくなる。外に出ると真夜中に大雪ということもあった。サーバーから紙コップに不味いコーヒーを入れているとマニピュレーターの大ちゃんからセブンスターを勧められる。「タバコは吸わないんです」と断ろうとしたけれど思わず受け取ってしまった。
 火を貸してもらって、恐る恐る煙を口に吸い込んでみる。だけどあまりにも奇妙な味ですぐにむせてしまった。「海くんはお子様ですねえ」と大ちゃんが笑っている。煙が立ちこめるスタジオで、タバコを吸わないミュージシャンは少数派だと思う。口直しに桃味のあめを手に取る。
 彼は俺と香織ちゃんの関係を知っていた数少ない一人だ。だから最近は余計こうやって俺に構ってくれるのだろう。他のがさつなスタッフと違って、お見舞いに行けとか言わないのがありがたかった。もっとも一年中サンダルの大ちゃんが、見た目でいえば一番にがさつなんだけど。
 俺はあの日以来、香織ちゃんの入院する病院へ行けていない。どうせ俺が行っても何ができるわけでもないし。そんな言い訳をしながら、シンバルの位置をどうしようとか、ベースのグルーブ感が納得できないとか、ねちねちと音楽の世界に沈み込む。少なくともその間は、あの腐臭を忘れることができるから。
 そうだよ、海くんは私になんか構わないで。自分のするべきことを続けなよ。頭の中の香織ちゃんは今日も俺に都合のいいことばかりを言ってくれる。