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贅沢の効用

 そのとき、私にはとても珍しいことだったが、岩手の花巻でタクシーに乗っていた。

 タクシーに乗るのがどうして珍しいことなのか?

 

 私は浪費家でもないが、りんしょく、すなわちケチというのでもないと思う。財布というものを持ったことのない私は、あればあるだけの金をポケットに突っ込み、ほとんど無造作に使い切ってしまう。要するに金の使い方に関してはかなり無頓着な方なのだ。

 しかし、タクシーに使う金に関してだけは別である。臆病、と言ってもいい。

 もっとも、つい最近まで、銀座や新宿の酒場で夜遅くまで飲み、家にタクシーで帰るなどということを日常的に続けていたが、そのときのタクシー代をもったいないと思ったことはない。臆病になってしまうのは、旅先に限るのだ。旅に出ると、ついタクシーを使うのをちゅうちょしてしまう。

 その臆病さは若い頃の貧乏旅行の体験に根差している。一日でも長く旅を続けるため、一ドル、いや一セントさえも惜しみ惜しみ使わなくてはならなかった。そのような貧乏旅行では、タクシーを使うなどということはよほどのことがないかぎりありえなかった。常に歩くか、公共の交通機関を使うかして、金を倹約しつづけていた。

 それから年月が過ぎ、いくらか旅費に余裕が持てるようになっても、旅に出ると、どうしても金を倹約したくなってしまう。タクシーに乗る前に、まずは歩こうと考え、次にバスはないかと探してしまう。

 その私が、花巻においてタクシーに乗るというだけでなく、一時間も借り切るなどというかつてないことをしたのはどうしてか。花巻で生まれ育った宮沢賢治にゆかりの場所を短時間で巡ってもらおうとしていたのだ。

 

 実は、私はつい最近まで、ほとんど宮沢賢治を読んだことがなかった。宮沢賢治に独特な言葉遣いがなんとなく苦手だったのだ。

 ところが、最近、盛岡に用事ができ、二、三日滞在しては帰ってくるということを繰り返すようになった。用事そのものは午後の早い時間で終わるため、夕方以降が暇になる。その時間をぼんやり過ごすようになって、宮沢賢治の作品を読むようになった。本は、その舞台になった土地で読むと、不思議なほど理解が深くなるということがある。

 盛岡は宮沢賢治の学びの土地だが、ある日の午後、ふと、宮沢賢治の生地である花巻に行ってみようかなという気持が起きた。

 花巻駅に着くとタクシーを呼んだ。私の若い友人が、花巻には宮沢賢治ゆかりの場所を巡ってくれるタクシーがあると話していたのを思い出したからだ。私は旅先におけるタクシー恐怖症を克服すべく、まさに三百三十八メートルのマカオタワーの上からバンジージャンプでもするような気持で、タクシーの時間借りをすることにした。

 来てくれたタクシーの運転手は、意外にも初老に近い女性で、宮沢賢治にまつわる「名所」に手際よく連れて行ってくれてはガイドのような名調子で説明してくれる。おかげで花巻という地名の由来も、花巻における宮沢という名の家の重みも、よくわかってきた。

 しかし、こういう旅の仕方に慣れていない私には、なんとなく面白みがなく、やはり自分の足で歩いたり、バスに乗ったりしなくては駄目なのだなと後悔しかかっていた。

 女性の運転手は、最後に、少し遠回りして県立花巻農業高校に案内してくれた。そこはかつて宮沢賢治が教鞭を執っていた花巻農学校の後身の学校だが、彼女が案内してくれたのは、その校庭の片隅に移築された宮沢賢治の住居だった。

 その家では、宮沢賢治の最愛の妹であり、最大の理解者でもあった妹のトシが、死ぬ前にも滞在して結核の療養をしていたという。宮沢賢治はトシが息を引き取ると、それを深く悲しみ、「えいけつの朝」という詩を書く。

 

  あぁあのとざされた病室の

  くらいびょうぶやかやのなかに

  やさしくあおじろく燃えている

  わたくしのけなげないもうとよ

 

 私は夕暮れの淡い陽光に照らされた古い民家の前にたたずみながら、これが宮沢賢治が住んでいた家だったのか、これがトシを看病していた家だったのかと、心の奥でひとりつぶやきつづけていた。

 

 たぶん、ひとりで気ままに動いていれば、観光客にとってあまりアクセスがいいとは言えないこの地に来ることはなかっただろう。貸し切りのタクシーに乗って運転手に行き先を委ねるという、私にとって前代未聞の行動を取ったおかげでここに来ることができた。

 私は、その「ちょっとした贅沢」が導いてくれた思いがけない風景との遭遇に、感謝したくなった。

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