ホーム > 書籍詳細:騎士団長殺し―第1部 顕れるイデア編―

『1Q84』から7年――、
待ちかねた書き下ろし本格長編

騎士団長殺し―第1部 顕れるイデア編―

村上春樹/著

1,944円(税込)

本の仕様

発売日:2017/02/24

読み仮名 キシダンチョウゴロシダイイチブアラワレルイデアヘン
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 512ページ
ISBN 978-4-10-353432-7
C-CODE 0093
ジャンル 文学・評論
定価 1,944円

その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側はだいたい晴れていた……それは孤独で静謐な日々であるはずだった。騎士団長が顕(あらわ)れるまでは。

著者プロフィール

村上春樹 ムラカミ・ハルキ

1949(昭和24)年、京都市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1979年『風の歌を聴け』(群像新人文学賞)でデビュー。主な長編小説に、『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞)、『ノルウェイの森』、『国境の南、太陽の西』、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』、『1Q84』(毎日出版文化賞)がある。『神の子どもたちはみな踊る』、『東京奇譚集』などの短編小説集、エッセイ集、紀行文、翻訳書など著書多数。海外での文学賞受賞も多く、2006(平成18)年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、2009年エルサレム賞、2011年カタルーニャ国際賞、 2016年アンデルセン文学賞を受賞。

書評

謎の扉を開ける「カリントウ」

寺島哲也

 村上春樹さんの文字は、読みやすくて特徴がある。今月号の「」の表紙は、著者直筆による最新長編のタイトルとサインだが、安西水丸さんと和田誠さんの名対談を思い出す読者もいるかもしれない。
 安西 締め切りもきちっと守るし、字はカリントウみたいで読みやすい。春樹君の字を僕は「カリントウ」と呼んでるんです。油で揚げたような字でしょ?
 和田 たしかに読みやすくて、いい字だよね。
 安西 ただ、油で揚げてるんですよ、サッと(笑)。
(『村上春樹 雑文集』収録 解説対談「声はプラチナ、字はカリントウ」の項より 二〇一〇年十一月二十九日、青山にて)
 春樹さんの担当編集者になって三十年近く経つが、「カリントウの字」で印象に残る記憶が三つある。
 一つ目は一九八三年二月(春樹さんはネイビーブルーのダッフルコートを着て待ち合わせ場所に現れた)、新宿の喫茶店で初めて渡された手書きのエッセイ原稿五枚、二つ目は一九九五年春に神楽坂の新潮社クラブ二階で手渡されたMac用フロッピーディスクのラベルだ(モンゴルに取材旅行に向かう直前で『ねじまき鳥クロニクル』第3部「鳥刺し男編」と書かれ、長編一冊分のデータが入っていた)。「もしモンゴルの旅先で何かあっても、これが確定原稿だから」と真剣な表情でFDを託された時の情景は忘れられない。
 そして三つ目は二〇一六年の南青山。夏の暑さが残る月曜の夜だった(春樹さんは紺色のポロシャツを着ていた、と思う)。『騎士団長殺し 第1部/第2部』と書かれた封筒が目の前にあった(封筒の中には黒いUSBスティックが入っていた)。その瞬間、スリリングな「村上春樹の物語」が立ち上がってくるのを感じた。
「たぶん二〇〇〇枚くらいあると思うんだけど」、そう春樹さんに言われたが、言葉が出ないまま、数秒……。
『騎士団長殺し』!? 誰が誰を殺すのか、あらわれるイデアとうつろうメタファーとは何だろう……。それは、いるかホテルや一角獣の住む世界、世田谷の路地裏にある井戸、それとも青豆が降りた首都高速三号線の非常階段にも通じているのだろうか。少し滲んだその文字は、もはや「カリントウ」ではなく、謎に満ちた物語の一部に見えた。
      *
 翻訳作品について少し触れておきたい。今回の長編小説と並走するように、「村上春樹・柴田元幸」の二人による復刊・新訳シリーズ《村上柴田翻訳堂》が新潮文庫から刊行されているが、春樹さんはトマス・ハーディ著『呪われた腕―ハーディ傑作選―』(二〇一六年五月刊)の解説セッションで、この英国作家の細部の描写力に触れ、「風景描写がいい……ハーディを読み終えると、小説を書いてみたいなあという気持ちになる」とその魅力を語っている。
 そしてもう一冊。春樹さんの愛読書であるカーソン・マッカラーズの『結婚式のメンバー』(村上春樹新訳、二〇一六年四月刊)の訳者解説文を紹介する――。
「読者はこの小説を読みながら、普通の生活の中ではまず感じることのできない、特別な種類の記憶に巡り会い、特別な種類の感情にリアルタイムに揺さぶられることになる」
 たぶんこの文章は、『騎士団長殺し』という物語を読んでいる皆さんの気持ちにそのまままっすぐつながるはずだ。
      *
 二〇一三年五月、「村上春樹 公開インタビューin 京都 ―魂を観る、魂を書く―」(河合隼雄賞創設記念として京都大学百周年記念ホールで開催された日本では十八年ぶりとなる講演会)と題された講演会の最後に、春樹さんはステージの椅子で居ずまいを正し、意を決したように語りかけた。
「僕は朝早くから起きて、夜は早く寝て、小説のことだけを考えて生活しています。手抜きはしない。それが僕の誇りです。僕の小説が好みに合わない人がいるかもしれません。でも僕は、一所懸命手抜きなしで書いています。それを分かってくれると嬉しい……」
 小説家村上春樹のほとばしるような決意を感じた瞬間だった。聴衆は小説家に深く温かい拍手を送り、その余韻がステージに残った。
 それから三年半余り、『1Q84 BOOK3』刊行から数えて七年が経つ。騎士団長や謎を孕んだ奇妙ストレンジな人物があらわれ、新しい物語が生まれた。緑濃い森の樹々が枝を揺らし、どこからか鳥たちの声が聞こえる。

(てらしま・てつや 編集者)
波 2017年3月号より

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