ホーム > 書籍詳細:博士の愛した数式

世界は驚きと歓びに満ちていると、博士はたった一つの数式で示した――。著者最高傑作。

  • 受賞第1回 本屋大賞
  • 受賞第55回 読売文学賞

博士の愛した数式

小川洋子/著

1,620円(税込)

本の仕様

発売日:2003/08/29

読み仮名 ハカセノアイシタスウシキ
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 255ページ
ISBN 978-4-10-401303-6
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家、数学
定価 1,620円

彼のことを、私と息子は博士と呼んだ。そして博士は息子を、ルートと呼んだ。ルート記号の中に数字をはめ込むとどんな魔法が掛かるか、三人で試した日のことはよく覚えている――。記憶を失った天才数学者と幼い息子を抱えて働く私の出会いと幸福な一年。小説の奇跡とも言える、上質でせつなく知的な、至高のラブ・ストーリー。

著者プロフィール

小川洋子 オガワ・ヨウコ

1962(昭和37)年、岡山県生れ。早稲田大学第一文学部卒。1988年「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞を受賞。1991(平成3)年「妊娠カレンダー」で芥川賞受賞。主な著書に『ホテル・アイリス』『沈黙博物館』『アンネ・フランクの記憶』『薬指の標本』『夜明けの縁をさ迷う人々』『猫を抱いて象と泳ぐ』『琥珀のまたたき』等。2004年『博士の愛した数式』で読売文学賞、本屋大賞を受賞。『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞、2006年『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞、2013年『ことり』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。翻訳された作品も多く、海外での評価も高い。

書評

波 2003年9月号より Nの秘密  小川洋子『博士の愛した数式』

堀江敏幸

 一九九二年三月、語り手の「私」は、所属している家政婦紹介組合から、ひとりの風変わりな老人のもとで働くよう命じられる。義姉の敷地の離れで暮らしているこの老人は数学者で、大学でも教えていたのだが、十七年前に交通事故で脳を強打し、わずか八○分しか記憶が持続しないという障害に見舞われていた。確実に覚えているのは一九七五年までの出来事と専門分野の数学にかかわることだけで、現在の日々の細部はたちまち忘れてしまうから、「私」は仕事に出向くたびに自己紹介をし、求められるまま靴のサイズや生年月日を反復しなければならない。数字にとりつかれた六十四歳のその男は、やがて「博士」と呼ばれることになる。
ところが「私」に十歳の息子がいると知り、学校帰りに立ち寄らせて、頭部が平らでルート記号に似ているからとの理由で彼をルートと命名し、三人で夕食を共にするようになってから、博士の態度に微妙な変化がうまれる。これまで他者とのまじわりを妨げてきた数字への過度な愛情が、今度は「私」やルートとの親密さを保つための大切な道具になっていくのだ。つめたい抽象の世界に血がかよい、専門用語がほとんど詩のような響きをもって、「私」のなかで息づきはじめる。
博士はルートに、初歩的な数学の概念を、じつにやわらかくかみくだいて、数に対する愛と畏敬の念を芽生えさせた。家事を片づけながら、「私」はその様子をとてもおだやかな気持ちでながめている。これはなにかに似ていはしないだろうか? そう、家族に似ているのだ。それも、本名では呼ばれず記号として登場する母子が、縁もゆかりもないもうひとりの老人と、擬似家族を形成しているのである。「私」は高校三年で未婚の母となり、ルートは父親を知らずに育った。「私」自身の母親も妻のある男性を愛し、女手ひとつで娘を育ててきたひとだから、母娘はここで相似の関係にあるのだが、父の不在という線をひけば、「私」とルートも線対称になる。さらに博士は、「私」にとって父であり、夫であり、ルートの友だちとして身近な知己ともなっている。彼ら三人は、一と自分自身以外には約数をもたない正の整数、すなわちあの孤独な素数の親族にほかならず、たった一本の命綱をたぐりあって奇跡的に出会った、本当の家族よりも家族らしい家族なのだ。
しかし、頼りなげな家長の役を振られている博士は、そのつど疑似家族の記憶を消去し、更新していかなければならない。数字をめぐる楽しい会話も、ルートの怪我をまえにした動揺も、料理をしている「私」が「好きだ」という、そこだけ突出した印象をあたえる告白めいた言葉の艶も、すべて八○分の制約のなかで反復される芝居のひとこまになってしまう。芝居の台本を支えるのは、数字と野球だ。博士は実際の野球場へいったことも、ラジオ中継を耳にしたこともない、もっぱら新聞と野球カードのデータを中心にしたいびつだが純粋な野球愛好家で、阪神時代の江夏豊の熱烈なファンだった。
一九七五年で記憶が途絶えている博士の頭のなかで、この稀代の左腕の背番号は28のままだ。二一球のドラマを演じた広島時代の26はありえないし、おなじ28番でもその二年後あたりから活躍しはじめた巨人の新浦も存在しない。疑似家族にとって、一九七五年以後の江夏豊は禁忌の主題であり、不在でありながら確実に存在しているゼロに等しい重みを持っている。そればかりではない。全盛期の江夏の背番号28は、自身を除くすべての約数を足していくと28になる「完全数」だというのだ。輝かしい記録をつぎつぎに樹立し、「数字」を塗り替えていった男に、これほどふさわしい背番号があるだろうか?
博士の記憶容量はやがて飽和し、疑似家族の幸福は、きれいに消失する。完全数を背負った男の影が、彼らのその後にどんな影響を及ぼしていくのか、それをここで明かすわけにはいかないけれど、博士が若き日に本気で愛し、いまもすぐ近くから遠巻きに見守ってくれている女性のイニシャルがNだということにだけは触れておこう。Nはすなわち、NUMBERの略号だ。これなくして美しい数式は成り立たない究極の文字。しかしNにはどんな数字だって入れられるのだ。記憶をなくした空っぽの頭脳のやさしさと、それはまったく同義なのである。

(ほりえ・としゆき 作家)

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