ホーム > 書籍詳細:白洲次郎の流儀

白洲次郎の流儀

白洲次郎/著 、白洲正子/著 、青柳恵介/著 、牧山桂子/著 、他

1,540円(税込)

発売日:2004/09/23

  • 書籍

セクシーでダンディ――。20世紀を駆け抜けた無類のカッコよさ。

若くしてイギリスへ渡り、カントリー・ジェントルマンとしての素養をたくわえ、同時にブガッティやベントレーでオートレースに参加した稀代の「オイリー・ボーイ」にして、スポーツマン。帰国後は自らのプリンシプルをたてに昭和史の危機を乗り越えた。この“風”のような生涯を、愛娘の回想を中心にグラフィックに甦らせる。

目次

武相荘に来たベントレー
撮影=野中昭夫


結婚直前の頃の次郎
アルバム
白洲次郎、誕生ス

グラフ
白洲次郎のダンディズム
撮影…………野中昭夫

グラフ
オイリー・ボーイの精髄
撮影…………野中昭夫

グラフ
英国 カントリー・ジェントルマンへの変貌
撮影…………奥宮誠次

同級生交歓 白洲次郎

娘からみた白洲次郎 牧山桂子

主人のきものと福田家千吉 白洲正子

白洲次郎のヴィンテージ・ベントレー 涌井清春

義父、白洲次郎と車 牧山圭男

白洲次郎のいる風景 青柳恵介

〔コラム〕はがき大の名刺 小林淑希

白洲次郎年譜

附 武相荘の四季
撮影…………野中昭夫

書誌情報

読み仮名 シラスジロウノリュウギ
シリーズ名 とんぼの本
発行形態 書籍
判型 A5判
頁数 144ページ
ISBN 978-4-10-602118-3
C-CODE 0395
ジャンル 自伝・伝記、歴史・地理、教育・自己啓発、趣味・実用
定価 1,540円

書評

次郎さんの想い出

細川護煕

 白洲家と私のところとは、いつ頃からのつきあいか私にもはっきりわからないが、戦前からのつきあいであることは間違いない。次郎さんは戦後吉田内閣とマッカーサー占領軍との交渉役として活躍されたが、その前に私の父が近衛文麿の秘書官として、あるいはその後も終戦に向けての水面下での工作に走り回っていた時、次郎さんとはさまざまな形で接点があったと聞いている。
 年もそれほど離れていなかったし、当時政治の中枢で、スタッフとしてその補佐にあたった牛場友彦さんとか、岸道三さんとか、いずれもケンブリッジなどをでた俊秀の人たちで皆親しい仲間だった。
「メイド・イン・イングランドの日本人」といわれた次郎さんは晩年第一線を退いてから軽井沢のゴルフクラブに長い間君臨していて、その次郎さんと父が冗談を言いあっているのを何回も見聞したことがあるが、実に楽しそうにやりあっていたのを覚えている。
 ある時、次郎さんが「クラブの中に商品の広告がチラチラするのはけしからん。広告にはすべて絆創膏を貼ってしまえ」と言い出して、理事会でもそれが決まり、〇〇電気の冷蔵庫も〇〇食品のアイスボックスもみな紙で隠された。そんなことがあってほどなく、父が同クラブにプレーしに出かけたところ、まさに次郎さんが1番のティーグランドからスタートするところで、いたずら心を出した父が、つかつかと次郎さんのところへ行って、「ちょっと待った、待った」といったところ、明らかに次郎さんは気勢をそがれて「なんだ!」と不快気な顔をした。そこで父が笑いながら「あなたは商品の広告に全部絆創膏を貼れといわれたが、あなたのそのボールにも私が絆創膏を貼ってあげましょう」というと「バカ野郎」といって上機嫌でスタートしていかれたという。何回か父から聞かされたエピソードだが、「メイド・イン・イングランド」人らしく、その類のユーモアやウィットを解する人に対しては誠に好意的であった。その反面、私のような若僧から見ても、肩で風を切って歩く大臣や官僚ら権威主義的人間に対しては真っ向から立ち向かっていくその姿勢が痛快であった。
 次郎さんは祖父とも近く、戦後祖父が白洲さん夫婦が住んでいた東京郊外の鶴川に農家を買って、週末などによく出かけるようになったのも、戦後の食糧難ということもあったろうが、白洲さんご夫婦や河上徹太郎さんが鶴川におられたことが大きな理由だったと思う。鶴川はいまはすっかり東京のベッドタウンになってしまったが、当時の鶴川は武蔵野特有の雑木林と芋畑のなだらかな斜面が入り組んだまさに国木田独歩の武蔵野に描かれているような風景が広がっていて、次郎さんもそこでお百姓さんの格好で、カントリーライフを実践されていたわけだ。
 イギリスにカントリージェントルマンという言葉があるが、それは単なる「田舎紳士」ということではなく、いつもは地方に住んでいながら、中央の政治にも目を光らせている人たちのことで、だからそういう人たちが集まれば当然政治の現状について鬱積した思いも噴出するし、それが昂ずれば直接中央へ乗り出していってやかましい御意見番ともなる。そういう種類の人たちのことだそうだ。白洲さんはそのカントリージェントルマンをもって任じておられた。
 若い頃からオイリーボーイと言われた車好きは八○歳になってもまだポルシェを運転し、またよくあちこち旅行にも出ておられた。よくもてるハイカラなオジサンだった。私とはもちろん親子ほど年が違ったわけだが、たまたま将棋の腕前は同じくらいで軽井沢で夏などよく「おい、ひろちょっとこい」といわれて白洲邸まで将棋をさしに出かけたものである。次郎さんは大変な負けず嫌いだったから、負けそうになると「おい、ちょっと待て」「お前、ほんとにそれでいいのか、いいのか?」と威嚇して相手の手を変えさせるのが得意だった。私はその手には乗らなかったが、私の祖父に仕えていた家令で、アダ名を田村将軍という軍人あがりの大男がいて、その将軍は図体に似合わずよく次郎流の脅しに屈して逆転負けを喫し、それをまた次郎さんは殊のほか楽しんでおられた。
 次郎さんとのつきあいはそんなところだったが、正子さんとは亡くなるまでもっとずっと親しくおつきあいさせて頂いた。正子さんは私が子供の頃から美術の蒐集家であった祖父のところに、まるで先生の所に通うようにしょっちゅう来ておられたが、なんとなくそのスタイルが魔法使いみたいにみえて「あ、また魔法使いのおばさんがきた」といってはやしたてたものだ。しかし、成人になってからは私もいくらかは美術や芸術に関心を持ちはじめ、正子さんのところを訪ねては仏像のことやらあちこちに生き残っている職人芸のことやら、回峰行のことやらいろいろ教えて頂きに伺った。京都、湯布院、飛騨と随分あちこち旅行のお供もさせて頂いた。今は亡きお能の喜多流の友枝喜久夫さんの最後の「弱法師(よろぼし)」にご一緒させて頂いたこともよき思い出として残っている。
 とんぼの本『白洲次郎の流儀』に寄せられた次郎さんの長女・桂子さんの文章を読むと、これらの私の思い出と重なりあうところもあり、収録された写真ともども、懐しく次郎さん、正子さんのことを思い起す。
 お二人が逝かれてもう結構時がたつが、そういうお二人の生き方も、私が今閑居という生き方をするようになった上で、あまり意識したことはないが、あるいは結構影響を与えているかもしれない。

(ほそかわ・もりひろ 陶芸家)
波 2004年10月号より

画像ギャラリー

Image
ポルシェ911Sと次郎
撮影=田澤進

担当編集者のひとこと

白洲次郎の流儀

 カッコいい男がいなくなってから久しい。カッコいいといっても、顔のことではない。生き方、スタイルが、である。そのように思っている人々にとって、白洲次郎という男はとても気になる存在となるはずだ。夫人である白洲正子が『白洲正子自伝』のなかで、次のように書いている。
〈そこへ忽然と現れたのが白洲次郎である。「ひと目惚れ」というヤツで、二十五歳まで遊ぶことも、勉強も、目の前から吹っ飛んでしまった。が、何といっても、十八歳のひと目惚れなのだから、当てにならぬことおびただしい。特に美男というわけではないが、西洋人みたいな身ごなしと、一八〇センチの長身に、その頃はやったラッパズボンをはいてバッサバッサと歩き廻っていたのが気に入ったのかも知れない。忽ち意気投合して、——といっても、その頃のことだから、せいぜい映画を見に行ったり、食事をいっしょにする程度で、無邪気なものであった。〉
「特に美男というわけではないが」とエクスキューズを入れてはいるものの、私が「ひと目惚れ」したのだから世に類なきカッコいい男だ、と言い切っているように思えてならない。ならば、そのカッコよさをグラフィックに構成したら、どうなるか。本書誕生の源である。この本がひろく読まれ、カッコいい男がふたたび出現する日がくれば、本書刊行の目的は達せられることになるのであるが。

2004/09/24

著者プロフィール

白洲次郎

シラス・ジロウ

1902(明治35)年、兵庫県芦屋の実業家の次男として生まれる。神戸一中卒業後、イギリス・ケンブリッジ大学に留学。帰国後は英字新聞記者を経て商社に勤務するが、1943(昭和18)年、日本の敗戦を見越して鶴川村(現・東京都町田市)で百姓となる。1945年、吉田茂に請われて終戦連絡中央事務局参与となり、日本国憲法成立などに関与。その後、貿易庁長官に就任、通商産業省を誕生させる。以後、東北電力会長などを務め、1985年逝去。妻は白洲正子。

白洲正子

シラス・マサコ

(1910-1998)1910年東京生まれ。幼い頃より能を学び、14歳で女性として初めて能舞台に立ち、米国留学へ。1928年帰国、翌年白洲次郎(1902〜1985)と結婚。古典文学、工芸、骨董、自然などについて随筆を執筆。『能面』『かくれ里』『日本のたくみ』『西行』など著書多数。1998年没。

青柳恵介

アオヤギ・ケイスケ

1950年、東京生まれ。成城大学大学院博士課程修了。専門は国文学。古美術評論家。成城学園教育研究所勤務。成城大学、東京海洋大学非常勤講師も務める。著書に『風の男 白洲次郎』(新潮社、1997)、『骨董屋という仕事』(平凡社、1999)、『柳孝 骨董一代』(新潮社、2007)、『白洲次郎と白洲正子―乱世に生きた二人―』(新潮社、2008)などがある。

牧山桂子

マキヤマ・カツラコ

1940年東京生まれ。白洲次郎・正子の長女。2001年10月に東京・鶴川の旧白洲邸 武相荘を記念館として開館。著書に『次郎と正子 娘が語る素顔の白洲家』『白洲次郎・正子の食卓』『白洲家の晩ごはん』など。

この本へのご意見・ご感想をお待ちしております。

感想を送る

新刊お知らせメール

白洲次郎
登録
白洲正子
登録
青柳恵介
登録
牧山桂子
登録
自伝・伝記
登録

書籍の分類