美しくさえなるのなら、
どんなにでも辛抱して見せましょうよ
谷崎潤一郎「刺青」
谷崎潤一郎 Tanizaki Junichiro 1886-1965
東京生れ。同人雑誌「新思潮」(第二次)を創刊。同誌に発表した『刺青』などの作品が高く評価され作家に。1949(昭和24)年、文化勲章受章。主な作品に『痴人の愛』『春琴抄』『卍』『細雪』などがある。
それはまだ人々が「
清吉と云う若い
もと豊国国貞の風を慕って、浮世絵師の
この若い刺青師の心には、人知らぬ快楽と宿願とが潜んで居た。彼が人々の肌を針で突き刺す時、真紅に血を含んで
「さぞお痛みでがしょうなあ」
と云いながら、
意気地のない男などが、まるで
「お前さんも江戸っ
こう云って、涙にうるむ男の顔を横目で見ながら、かまわず
「ふむ、お前さんは見掛けによらねえ
と、白い歯を見せて笑った。
彼の年来の宿願は、光輝ある美女の肌を得て、それへ
丁度四年目の夏のとあるゆうべ、深川の料理屋
清吉の憧れごこちが、激しき恋に変ってその年も暮れ、五年目の春も半ば老い込んだ
それは清吉が
「
と、娘は
その手紙には羽織のことをくれぐれも頼んだ末に、使の娘は近々に私の妹分として御座敷へ出る
「どうも見覚えのない顔だと思ったが、それじゃお前はこの頃
こう云って清吉は、しげしげと娘の姿を見守った。年頃は
「お前は去年の六月ごろ、平清から駕籠で帰ったことがあろうがな」
こう
「ええ、あの時分なら、まだお父さんが生きて居たから、平清へもたびたびまいりましたのさ」
と、娘は奇妙な質問に笑って答えた。
「丁度これで足かけ五年、
と、清吉は
それは
娘は
「この絵にはお前の心が映って居るぞ」
こう云って、清吉は
「どうしてこんな恐ろしいものを、私にお見せなさるのです」
と、娘は
「この絵の女はお前なのだ。この女の血がお前の体に交って居る筈だ」
と、彼は更に他の一本の画幅を展げた。
それは「肥料」と云う画題であった。画面の中央に、若い女が桜の幹へ身を
「これはお前の未来を絵に現わしたのだ。
こう云って、清吉は娘の顔と
「後生だから、早くその絵をしまって下さい」
と、娘は誘惑を避けるが
「親方、白状します。私はお前さんのお察し通り、その絵の女のような性分を持って居ますのさ。───だからもう
「そんな
こう云った清吉の顔には、いつもの意地の悪い笑いが漂って居た。
「親方、どうか私を帰しておくれ。お前さんの
と、幾度か繰り返した。
「まあ待ちなさい。己がお前を立派な器量の女にしてやるから」
と云いながら、清吉は何気なく娘の側に近寄った。彼の
日はうららかに川面を射て、八畳の座敷は燃えるように照った。水面から反射する光線が、無心に眠る娘の顔や、
やがて彼は左手の小指と無名指と拇指の間に
いつしか
「あの
と云われて追い返された。月が対岸の
一点の色を注ぎ込むのも、彼に取っては容易な業でなかった。さす針、ぬく針の
春の夜は、上り下りの
二つの人影はそのまま
「己はお前をほんとうの美しい女にする為めに、刺青の中へ己の魂をうち込んだのだ、もう今からは日本国中に、お前に
その言葉が通じたか、かすかに、糸のような呻き声が女の唇にのぼった。娘は次第々々に知覚を
「苦しかろう。体を蜘蛛が抱きしめて居るのだから」
こう云われて娘は細く無意味な眼を開いた。その瞳は夕月の光を増すように、だんだんと輝いて男の顔に照った。
「親方、早く私に
娘の言葉は夢のようであったが、しかしその調子には
「まあ、これから湯殿へ行って色上げをするのだ。苦しかろうがちッと我慢をしな」
と、清吉は耳元へ口を寄せて、
「美しくさえなるのなら、どんなにでも辛抱して見せましょうよ」
と、娘は
「ああ、湯が
娘は湯上りの体を
昨日とは打って変った女の態度に、清吉は
「この絵は刺青と一緒にお前にやるから、それを持ってもう帰るがいい」
こう云って清吉は巻物を女の前にさし置いた。
「親方、私はもう今迄のような臆病な心を、さらりと捨ててしまいました。───お前さんは真先に私の
と、女は
「帰る前にもう一遍、その刺青を見せてくれ」
清吉はこう云った。
女は黙って
