その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側はだいたい晴れていた。海から南西の風が吹いてくるせいだ。その風が運んできた湿った雲が谷間に入って、山の斜面を上がっていくときに雨を降らせるのだ。家はちょうどその境界線あたりに建っていたので、家の表側は晴れているのに、裏庭では強い雨が降っているということもしばしばあった。最初のうちはずいぶん不思議な気がしたが、やがて慣れてむしろ当たり前のことになってしまった。
まわりの山には低く切れ切れに雲がかかった。風が吹くとそんな雲の切れ端が、過去から迷い込んできた魂のように、失われた記憶を求めてふらふらと山肌を
家は小さくて古かったが、庭はずいぶん広かった。放っておくと庭には緑の雑草が高く
家は山のてっぺんに建っており、南西向きのテラスに出ると、雑木林の間に海が少しばかり見えた。見えるのは洗面器に張った水くらいのサイズの海だ。巨大な太平洋のちっぽけなかけらだ。知り合いの不動産業者によれば、たとえそれくらいの大きさでも海が見えるのと見えないのとでは、土地の価値がかなり違ってくるということだったが、私としては海が見えても見えなくてもどうでもよかった。遠くから見るとその海の断片は、くすんだ色合いの鉛の塊みたいにしか見えなかった。なぜそれほど人々が海を見たがるのか、私には理解できなかった。私はむしろまわりの山の様子を眺めている方が好きだった。谷間の向かい側に見える山は季節によって、天候によって、生き生きと表情を変えていく。その日々の変化を心にとめるだけで飽きなかった。
その当時、私と妻は結婚生活をいったん解消しており、正式な離婚届に署名
どのような意味合いにおいてもわかりやすくないし、原因と結果との結びつきが当事者にさえうまく把握できないその経緯をあえてひとことで表現するなら、「元の
九ヶ月あまり――それが別離の期間として長かったのか、それとも短かったのか、自分ではうまく判断できない。あとになって振り返ると、それは永遠に近い時間だったようにも思えるし、逆に意外にあっという間に過ぎてしまったようにも思える。印象は日によって変わる。よく写真に写された物体のわきに、実寸をわかりやすくするために
といっても、すべての私の記憶がそのように
この時期のできごとを思い返すとき(そう、私は今から何年か前に起こった一連の出来事の記憶を
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