新潮社

村上さんってどんな人?

高橋秀実

「村上さんってどんな人ですか?」
 と、これまで私は何百回となく訊かれてきた。『アンダーグラウンド』の取材に同行したこともあり、彼の人となりを間近に見た者として報告義務でもあるかのように問われるのだが、これは非常に答えにくい。そもそも人様をひと言で形容するのは難しいし、ましてや世界のムラカミである。下手に、電車に乗った時に切符を失くして改札口で体中をまさぐっていたとか、ビールを飲むと時々自分のことを「僕」ではなく「俺」と言って、その後「僕」に戻ったりする、などというエピソードを披露してしまうと、それにヘンな尾ひれがついてハルキワールドを損なうことになりかねない。とはいえ、「わからない」と答えるのも能がないし、彼がまるで人間味のない人に思われても困るので、私は暫定的にこう答えることにした。
「その通りの人です」
 どの通り? と訊かれても「その通り」。一種のごまかしでもあるのだが、あながち外れてはいないだろう。実際の村上さんは、作品の文章と印象があまり変わらないのである。日常会話でも彼の言葉は一つひとつが屹立しており、ウソやごまかしがない。言葉の裏に作為のようなものが感じられず、「牡蠣フライが食べたい」と言えば、それは牡蠣フライを食べたいということしか含意していない。曖昧な時も曖昧さがクリアで、語尾も私のように「○○なんじゃないかと思ったりして......」などと濁らず、きっぱりと句読点を打つのだ。
 という意味で、本書は村上さんの実像を味わえる貴重な一冊といえるだろう。依頼に応えて書いた本の解説や雑誌記事、様々な授賞式や結婚式での挨拶、さらには未発表の超短編小説まで収録されており、読むとまるで村上さんの肉声を聞くようである。「雑文集」と名付けられてはいるが、文章はやはり雑ではない。それこそ長距離ランナーのように、リズムを崩さず着実に言葉を積み上げていく。そういえば『アンダーグラウンド』の時もそうだった。被害者のインタビューを終えると村上さんは規則正しく原稿を仕上げ、チェックする私が「ちょっと待ってください」と頼みたくなるほどだった。長距離走に譬えるなら、私が小休止する間に彼はどんどんグラウンドを回り、気がつくと50周くらい抜かれている感じである。しかしマイペースゆえに時として突っ込みを入れたくもなる。例えば授賞式での挨拶。「賞は作品が受けたのであって、僕個人がどうこう言う筋合のものではない」とか、「作家にとってのいちばん大事な賞とは、あるいは勲章とは、熱心な読者の存在であって、それ以外の何ものでもない」などと、なにもそこまで正論を語ることはないだろう。ボツになったという短編も「やっぱりそれは止めておいたほうがいいんじゃないですか」と忠言したくなる。もうちょっと適度な社会性のようなものがあってもよさそうな気がするのだが、いかなる場面でも変わらず走り続けられることが村上さんの特質であり、才能なのだろう。安西水丸さんや河合隼雄さんなどのことを書いた人物評も興味深い。私もそのひとりなので断言できるが、彼の描写は実に正確。正確すぎて否定したくなるくらいだ。なぜここまで正確なのかというと、本書冒頭「自己とは何か」にあるように、彼は「自分」自体は書けないが、牡蠣フライなど何らかの対象物についてなら書く。自身と牡蠣フライとの相関関係や距離について書くことでおのずと自分というものが描き出されるという。つまり人物描写は彼自身のことでもあり、観察眼は自分に向けられているのである。
 やっぱり村上さんにはウソがない、と私はしみじみ感心した。ウソをつかない小説家というのも形容矛盾のようだが、彼は頭に浮かぶ世界を正直に正確に言葉にしており、その揺るぎない姿勢が多くの読者をつかんでいるのだろう。
「村上さんはこの通りの人だと思います」
 と私は本書を読者の皆さんに差し出したい。この通りの言葉で生きている人です、と。参考までに村上さんの声は地響きを起こすような重低音で、チューバを思わせる。彼の人となりは詮索せず、調律の行き届いたひとつの楽器だと思って、これからもその作品世界を堪能していただきたい。

(たかはし・ひでみね ノンフィクション作家)
波 2011年2月号より

単行本

村上春樹 雑文集

村上春樹/著
発売日 2011年1月31日
1,540円(定価)

村上春樹メールマガジン登録

  • facebook
  • Tweet
  • LINEで送る