昭和三十一年、富山で中古車部品販売の開業を目論む高瀬勇次に共同経営を誘われ、熊吾一家は富山に移った。台風で浸水して使い物にならなくなった消火ホース修繕用接着剤の廃棄処分による事業撤退、食中毒の濡れ衣による中華料理店の閉店が重なった。失意の転居であった。
四年生になった伸仁は、高瀬家の三兄弟を子分に従え、富山弁も操るようになったものの、臨時担任のために心因性の発熱と蕁麻疹に悩まされる。
房江は雪国の風土になじめず、折からの更年期による気鬱も相俟って、重い喘息の発作に苦しむ。
鈍重な高瀬に見切りを付けた熊吾は、単身大阪へ戻り、関西中古車業会の設立と共同展示販売会の実現へと奔走する。
一方、旧知のヌードダンサー森井博美が頭部を大火傷し、事故現場に居合わせた熊吾は治療に尽力する。秘蔵の名刀、関の孫六を海老原太一に土下座して換金するが、その一部は治療費に消える。
全てを賭けて大勝負に出た熊吾だったが、頼みにしていた久保敏松が、集めた資金を持ち逃げしてしまっていた……。