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まず架空を前提として 私は、具体的なことならわかるんですが、抽象化したり体系化したりする仕事はなれてませんし、だいたいその機能はもともとない上に未発達でありまして、こういう問題になると大変戸惑うのであります。ところが、とにかく出てこいといわれて、なんとなく無為無策なままここに坐っていますが、少しもまとまらないんです。 このあいだ、私はオーストラリアに、発作的に行ったんですが、まあなんのために行ったのか、行ってる途中もなんのためにここに来てるのか、ともかくオーストラリアというところは大変結構なお国だと思いました。大きな大陸にたくさんの資源があって、ひょっとすると石油も出るかもしれないというような国。われわれの方は明治以来一所懸命に基幹産業をこしらえ上げ、いろんな加工工業を興して今日に至った資源もなんにもない国、そのために人口が都市に集中したというような国です。ところがあちらは鉄をつくる会社一つなく、あり余る資源を売って二千万人ほどがのんびり暮らしています。個々の収入もわれわれよりはるかに上です。ただ、日本製品や西ドイツ製品というインフレ国の商品を買うから大変なインフレであります。インフレではありますが自動的に三ヵ月ごとに賃金がスライドするのでどの顔ものんびりしています。これほど膨大な数でストレスなしの人間の群れに出会うのははじめてだと、どの町に行ってもそういう感じがしました。 向こうはご存じのように日本語熱が盛んでありまして、小学校からやっているところもある。中学になると、正課で日本語かドイツ語、あるいはフランス語の、いずれかを選択するんですが、フランス語と日本語が一番選択の率が高い。つまり、日本にたくさん資源を売っているものですから父兄が「日本語を勉強せよ」というためにそうなったらしいんです。 ですから、日本にくる若者が多い。日本語科を出てお金をためて日本にくるのです。東京にきて、新宿で遊んで帰っていく。われわれからみると、新宿というのは雑然とした辟易する町のように思いますが、オーストラリアのいかにも都市らしい都市、大変美しい町に住むかれらは、新宿という過密の場所へきて、こんなすばらしいものがこの世にあったのかと思うらしいです。道を歩いているとどんどん人にぶつかり、安酒場に行くと酔っぱらいがいっぱいいてヘドを吐いてるというような、そういうものに対してすばらしさを感じて、熱に浮かれたようにして国に帰ります。帰ると友人に話すものですから、「じゃあ、おれも行く」といってまた出かけていく。そういう一種の新宿熱というものがオーストラリアの若い人たちの中にありました。 オーストラリアの人は、あの非常に秩序正しい美しい町と農村の国を脱却して、わざわざ猥雑な世界に入っていきたがるところがあるんですね。ご存じのとおり、ベトナム戦争のときなどたれも頼みもしないのに特派員として出かけたり、好んで冒険するところがあって、われわれと逆であります。そういうのをみますと人間というのはどこまでいっても不満なものだと思うのであります。 まあ、私などが住んでいるところは、なんでこんなところに住むんだという、ギョッとするようなところでありまして、まったくの場末であります。戦前の場末は東京の月島でも深川でもちょっとした秩序はあったんですが、秩序もなんにもない、樹木などというものもどこにもない場末です。もと布施市といった、近鉄の八戸ノ里という駅から南に一キロほど下がったところです。そのへんでも近鉄の学園前というあたりは、企業が地域づくりをして非常にきれいな町をつくったんですが、私どもの方は、明治以後一種の都市化をしていましたから、かえって手直しのしようのないところになったわけです。 農地解放というのはすばらしい改革だったのですが、これが人間の土地所有というものについて変な怨念のようなものを植えつけてしまった。それまでは、たれかによって田地を耕させてもらってるんだという意識があったんです。むろん土地は先祖代々の土地にはちがいないけど、天であるとか、おてんとうさまのおかげで稲を育てているんだという意識をわれわれは二千年来もってきたわけです。しかし、農地解放という上からの革命、まあ変な革命としかいいようのないもののおかげで、地球上の人々の中でも一番極端に異常な土地所有欲をもってしまいました。 私のところはその渦巻きのようなところであります。まだところどころに空き地があって、大根畑や水田をつくってる。一坪四十万円ぐらいのところで大根を五、六本つくっているということはこれはもう人間の荒廃、生産についての荒廃そのものなのであります。こういう大根のつくりかたには、生産の喜びはないし、農業でもなんでもない。そういう環境です。今は東大阪市という変な名前になって、これも市会議員が決めた名前だそうですが、もう実にいやなところです。 ところが一方で、私は気に入っているのであります。毎日一時間ずつ散歩します。散歩といいましても軽わざのような散歩でありまして、ときどき自動車にひっかけられそうになったりします。一回だけひっかけられたことがありますけれど。そういった中で、一番ほっとするのは、大体百戸ぐらい残っている旧村です。旧村の周りにアミーバ分裂のように、都市化ともいえない場末化した地域はありますが、旧村だけは依然として百姓の誇り、農村の誇りというものをもっています。例外を除いてはあまり家屋の改造もしていない。そして、自分たちのことを「村中」といって誇りに思っている。どこに誇りがあるのかよくわかりませんが、とにかく誇りに思っておりまして、そこは歩いているだけで気分がなごむんであります。ただこの農村は一坪の田地ももっておりません。自分の先祖の田地が宅地化しておりますから、その地主になって暮らしているようであります。 ご存じのように、明治以後は四民平等になりました。明治以前というのは家に欄間をつくりたくても、まず大名に献金してからでないとつくれませんでした。門構えをつくるにはさらに献金しなければならない。門構えをつくる献金をすると名字ももらえるんですが、それは大変な額の献金です。明治維新の非常な功徳は、たれでもが欄間をつくってよし、門をつくってよしというようになったことですね。 私どもの近所の村中というのは百姓の村で元禄時代にどこかから分村したのですが、格式がある村でもなんでもないのに門構えの堂々たる庄屋屋敷のようなものが並んでいます。これは明治維新の結果であろうと思います。 その後百年の秩序感覚だけで私どもの憩いになっているんですが、しかし、それが周辺の東大阪的、場末的都市化とのあいだになんの機能ももってないのであります。 |