新潮社

村上龍『MISSING 失われているもの』

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第1章「浮雲」

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「おれは、お前が、キーボードに打ち込むことは、何となくわかる。なぜかと言えば、おれが生まれてからずっと、お前のデスクの上にいたからだ。おかげで、キーボードの音とか、場所とかで、いろいろとわかるようになった」
 そんな声が聞こえてきた気がして、わたしはびっくりした。猫のタラが床に寝ていて、こちらを見ている。
「何をびっくりしてるんだよ。お前には、昔から、おれの声が届いてたはずだけどな」
 だいいち、メス猫なのに、言葉は男だ。
「猫だから、関係ないんだよ」
 わたしは本当に猫の声を聞いているのだろうか。どうしてわたしが思うことがわかるのだろうか。さっき、こいつは、キーボードを打ち込むことで、理解するのだと言った。いや、口を開いて話しているわけではないから、「言った」というのは正確ではないが、そう伝えてきた。今、わたしはキーボードを打っているわけではない。なのに、こいつは、どうしてわたしが考えていることがわかるのか。
「こいつ、って言うな。せめて、この猫は、って言え」
 わたしは、非科学的な人間ではない。無神論者というわけではないが、あの世とか、幽霊とか、霊魂とか、前世とか、あとはスピリチュアル系とか、いっさい苦手だ。だが、こいつは、いや、この猫は、誰か、たとえば死者とかの言葉を仲介しているわけではなさそうだ。

「何をバカなことを言っている。おれは、巫女みこじゃないぞ」
 どうして猫が巫女などという言葉を知っているのか。
「まだわからないのか。案外鈍いんだな」
 猫の目が赤く光っている。
 だいたいこの猫は、もう三歳で、子猫のころから、わたしの書斎でいっしょに過ごしてきたが、言葉を発することなどなかった。いや、今も、言葉を発しているわけではないのだが、要するに、交信してくることなどなかった。まだわからないのか、案外鈍いんだなと、さっき聞こえた。正確には、伝わってきた。ひょっとしたら、と思った。
「そうだ、その、ひょっとしたら、ということだ」
 猫は、何も発信していないのかも知れない。おそらくリフレクトしているのだ。わたしが思っていること、考えたことが、猫に反射される形で、わたしに返ってきている。猫の言葉ではない、わたしの言葉なのだ。
「やっと気づいたか。よくあることだよ。別に、おかしくなったわけじゃない。無意識の領域から、他の人間や、動物が発する信号として、お前自身に届く。とくに、思い出したくないこと、自身で認めたくないこと、意識としては拒んでいて、無意識の領域で受け入れていることなど、そんな場合に、お前は、誰か他の人間や動物や、あるいは樹木、カタツムリやミミズでもいいんだが、それらが発する信号として、受けとって、それを文章に書いたりしてきたんじゃないのか。表現者の宿命だ。表現というのは、信号や情報を発することじゃない、信号や情報を受けとり、編集して、提出することだ」
 猫のくせに、よく知っている。わたしの考えのリフレクションだから、当然と言えば当然だが、それにしてもロジカルだ。それでは、わたしの無意識の領域で何が起こっているのだろうか。
「ミッシング。まさにそれだ。お前が、探そうとしているのは、ミッシングそのものなんだ。何かが失われている。ある世界から? お前自身から? おそらく両方だろう。お前は、今、何が失われているのかを、知りたいと思っている。確かに、何かが失われている。そして、何が失われているのかを、誰も知らないし、知ろうともしない。それで、お前は、どうすればそれがわかるのか、どこへ行けばいいのか、誰と会えばいいのかも、本当は知っている。以前、お前の背後霊について、どうのこうのと言った女がいただろう。まずあの女を捜すんだな。若い女だった。確か、女優だったかな。風俗嬢だったかな。どちらでもないし、どちらでもあるかも知れない。そのあたりは、お前の専門だ。お前が好きな公園を巡り、いつものように超高層ビルが林立する景色をじっと眺めて、どこへ行けば、あの女に会えるか、考えるんだ」
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 猫からアドバイスを受けた、そう告白したら、友人たちは何と言うだろうか。おそらく心配して、カウンセリングなどを勧めるかも知れない。だが、わたしは精神のバランスを崩しているわけではない。数年前、体力の衰えとともに、漠然とした不安を覚えるようになり、知人の紹介で若い心療内科医に会った。病気ではありません、と彼は言った。病気ではないと言われると、逆に、それではどうしてこんな漠然とした不安と、憂うつと、疲労と、理由がわからない感傷を抱えるようになったのだろうかと、不可解だった。加齢による体力の衰えとともに、精神力も衰えます、おそらくあなたは普通よりも心身ともに強靭だったために、あるいはあまりに刺激的で、かつ強い動機付けがなされていることをやり続けてきたために、三〇代、四〇代では、衰えていることに気づかなかったのだと思われます、五〇代後半で、急激にそれが訪れたために、とまどっているんですね、ゆっくりと、少しずつだったら、比較的対応も楽なんです、でも、繰り返しますが、うつ病、それにパニック障害など、そういった病気ではありません、他の人と違って、あなたは自身の感情の変化について、自分に嘘をついたり、ごまかしたりしないで、客観的な判断ができてしまうので、不安になる、とも言えるわけです、つまり、強靭さが生む不安というわけです。
 そういうことなのかと、とりあえず納得したが、不安や抑うつなど、ネガティブな感情が消えたわけではなかった。ただ、確かに仕事が滞ることはなかった。わたしは、以前と変わらない量と質の文章を書き、作品を作ってきた。仕事の仲間や関係者は、誰もわたしの不調に気づかなかったはずだ。
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 公園が、わたしのもっとも好きな場所になってから、すでに長い時間が経過した。
「どこへ行けば、あの女に会えるか、考えるんだ」
 猫からは、そういった信号が伝わってきた。あの女、あのときそう聞いて、誰なのか、すぐにわかるような気になったが、特定できない。たくさんの女と出会ってきたし、関係性も違った。わたしは公園を歩きながら、記憶を探ろうとしている。木立の間を歩いていて、ふいに何か、匂いが漂ってきた。樹木とか、花とか、枯葉とか、公園内の匂いではない。現実とは切り離された匂いだ。そういったことには、もう慣れた。十数年前に聞いた音楽が、朝起きて顔を洗っているときに突然鮮明に耳の奥で聞こえてきたりする。料理の味や、触感を反芻することもない。音楽と匂いだ。
 それにしても、これはいったい何の匂いだろう。性的な匂いではない。ふと地面を見ると、鳥の羽が落ちていた、茶系の色の羽で、泥で汚れてしまっている。羽を眺めていて、匂いの正体に気づいた。少年時代の、夏の匂いだった。正確に言えば、夏の野原で捕まえた昆虫が放つ、鼻を刺すような匂いだ。匂いは、記憶を呼び寄せる。あの女というのは、彼女のことだろうか。彼女が、わたしの背後霊について何かを語ったかどうか、そのことについては思い出せない。だが、彼女は、女優だった。確か、最後に会ったのは三年ほど前で、いっしょに部屋で映画を見た。映画は、成瀬なるせ巳喜男みきおの『浮雲』だったと思う。そうか、とわたしは木洩れ日を浴びながらつぶやいた。あれは、喪失感だけで成立している映画だった。

続きは本書でお楽しみください。

{ 著者からのメッセージ }

短い「あとがき」ただし、連載

(不定期更新)

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