女による女のためのR-18文学賞

新潮社

曇る母へ

白木凛

「明けましておめでとうございました」
「ございました。折角皐月(さつき)が来てくれたのにごめんねえ。今日人少なかったわぁ。それでも時給二千円やからね、いつもの倍よ、それで朝七時から夜九時やで、ウハウハ!」
「正月からお勤めご苦労様でございます頭が下がります」
「そんな、皐月もいつも働いてるやん。で、もう夜食べた? 何してたん」
「どん兵衛を食べました。あの特盛のやつ、ほんで、一日寝てました、時々漫才観て」
 そうお、と言い母は笑いながら立ち上がる。その尻が、昔より小さくなった気がした。
「皐月見てえ、オリオン座よお」
 母は昔から、星とか天体とかが好きだった。一人暮らしの狭いアパートのベランダから広い宇宙を見て、本のおまけにあった星座早見盤をぐるぐる回しながら、あれは冬の何座だとか今日は月食だとか、隣に立つ私によく教えてくれた。いつだかパート先の人ともプラネタリウムへ行った、と母は嬉しそうに言っていた。
「今日は雲出てへんのに、月が見えんなあ」
 食器を洗いに立つ母に背を向け、私はその日も大阪郊外のベランダから宇宙を眺めた。
「今日はあれよ、新月よ」
「新月?」
「月と太陽が重なって、地球からは見えへんのよ。段々三日月が欠けてくやろう。その最後よ。っちゅうか、始まりかな」
 学生時代受験前の詰め込み学習しかしなかった私は、地学の時間習ったような気もするそれがすぐに出てこなかった。その周辺の知識は、母のほうが絶対に詳しかった。
「新月の願いっちゅうのがあるんよ」
 母は洗い物を終え手を拭き、いつの間にかその声は私の隣にあった。
「新月の日に合わせて自分の願い事を宣言して書いてな、音読したら願いが叶うんよ。ロマンチックやろお?」
「へえ」
「信じてへんやろ? 皐月は昔から占いとかおまじないとか信じへんもんなあ」
「非科学的なことは信じませーん。神様もお化けも、見えへんもんは信じんよ」
 神様がいたら私達の家族は壊れなかった、というのを喉元でおさえた。
「冷めた子やわあ。信じて幸せ願ってるほうが、もうそれだけで幸せやねんで」
「母ちゃん財布もずっと黄色やもんなあ」
 家族で団地に住んでいた頃、「黄色い財布にしたらお金貯まるねんて!」と意気揚々とスーパーの二階の洋品店で買った安くて派手なその財布を自慢する母の笑顔が、夜空をキャンバスにしてまだすぐ近くにあった。窓枠に手を掛ける母の手は、何故か少し震えていた。
「そう思ったらやっぱ当たらへんやん。うちはずっと貧乏よ」
「ふん、宝くじも買うてるし、そのうち大金持ちになります! 今日かてパートの前に駅前の神社にな、朝五時から初詣行ってきてんから。誰もおらんくて、一番乗りちゃうかな」
 皺を寄せ笑う丸い顔がゆっくり戻り、手を擦り合わせ一心に神に祈る母が浮かんだ。
「何願ったん? 宝くじ一等二億?」
「そりゃあ、皐月の幸せよお。皐月の幸せが、母ちゃんのいっちゃん幸せやねんから」
「そこは宝くじやろ。当たれば私も幸せよ」
 照れて誤魔化す私と違い、母はそういうことを照れずに言う。明るく、太陽のような母。この日のことを、私は忘れるはずなど無かった。その陽は次第に、翳っていった。

 母の日に日傘をプレゼントした。昔よりは痩せてもまだふくよかな母は暑がりで、それでも外に出てほしいと思ってそれを選んだ。母に何か送るのに、理由が必要になっていた。
 祖父母の共同墓のあるお寺へ行き、近鉄百貨店の地下入口へ入りかけたところだった。
「あれ母ちゃん、持ってた袋は?」
 母に日傘が入る程度の紙袋ごと渡し、母はそこに自分のハンカチなどを入れて持ち歩いていた。しかし、気が付くとその紙袋ごと無い。
「え、あ、どこに置いてきたんやろ、あれ、どこかなどこかなどうしよう……」
 母の顔が、見る見る歪んでいった。焦って右往左往し、大汗をかき呟きながら下を向く。
 さっき昼食で入ったファミレスかもしれないからと店に電話をかけたが届いていなかった。来た行程を色々当たったが見つからず、途中の電車に置き忘れたのかもしれなかった。
 申し訳ない申し訳ない。母が呟く。仕方ないやんと言って私は自分のハンカチで母の汗を拭いた。でもせっかくもらったのに。それ皐月のお給料やのに。言いながら母の手は紙袋を探すように宙を泳いで震え、下を向き、子供のように今にも泣き出しそうだった。こんなことならプレゼントなんか贈らなければよかったとさえ思った。
 そのまま地下鉄に乗り、市内の私の一人暮らしの家へ寄る。
「うわあなに、これ壊れてるやないの」
 母が小さく驚いたように呟いた。玄関横の、洗濯機置き場を仕切るスライド式のドアが下のレールから外れてしまっていた。先週力の入れ過ぎか壊してしまって、何度レールへ戻そうとしてもドアが重くて上手くいかず諦めて放置していた。母はそれを見つけるなり、頼む前から懸命に修理しようとした。そういうときは、昔から母が助けてくれた。ジャムの瓶が開かないときも、掃除の為冷凍庫の中のガラス棚を取り外したらうまくはまらず元に戻せなかったときも、細かな生活力を母はいつも母らしく、私に与えてくれた。
 でもその洗濯機のドアは、母が肩を小刻みに揺らしながら力一杯何度も押し上げても、一時間格闘しても、元に戻らなかった。私が元々悪いのに、母は廊下にそのままへたりこんでまたごめんなあと呟く。母の体が小さく、床に沈んでいくように見えた。ただ静寂の中顔中汗を掻き、母の手はまた震えいた。
 顔に「今の私はこういうことで皐月の役に立たなければ何も意味がないのに」と書いてある気がした。母に汗拭きタオルを渡す。その文字が汗と一緒に消えてほしかった。けれど、帰るまで母の顔は変わらなかった。皺が増え、へたりこむと髪は真っ白だった。
 母は五十過ぎ、私が大学二年のとき離婚していた。一年前、パートも辞めてしまった。
 ──職場で大きいミスしてから、社員さんとかにいじめられてるねん。どうでも良い雑用だけさせられたり、悪口言われたり。ずっと我慢してたけど、ほんまに辛いねん。
 そのとき母のアパートで、座る母の声は出した先から死んでいった。母の弱っている姿を生まれて初めて見た。
 ──悪いけど、母ちゃん頑張って新しい仕事探すから、しばらく生活費貸してほしい。
 いつかこれを私に言わなくてはいけないと思っていたようで、予め決めていたことを一気に話した感じだった。声は乾いていた。その上床に染み入って消えそうだった。
 それから約三年、月十万仕送りをしている。二十八の私の手取りは、二十万程度だった。
 金は「親子」の関係を「使役」へと変えようとする。母の弱る顔と滴る汗が蘇り、ドアを一度思い切り蹴った。足はじんじんと滲んで痛む。埃だけが光の中で舞った。
 その埃は骨の隙間に止めどなく積もり、背の荷物はどんどん重くなる。
 母のアパートへ行っても、ただ部屋の隅で「ごめんなあ」と呟くようになった。部屋の角の求人のフリーペーパーの山に積もる埃が、まるで雪のようにこの部屋に降って冷やす。
 六畳の狭いアパートの張りつめた空気で、私はスマホゲームに熱中し聞こえない振りをしていることしか出来なかった。母は風呂にすら入ろうとせず、母の動く度皮脂の匂いもふわりと動く。懐かしかったそれは腐卵臭に近付き、そこにヤニの匂いが混ざる。まるで会話することも許されない狭い牢獄に、二人縛られ閉じ込められているようだった。
 電話でもその見えない縄に縛られていく。母は毎度、迷惑ばっかりかけてごめんなあと言った。
「家族なんやから、迷惑なんかじゃないよ。それより母ちゃん、最近どう?」
「うーんごめんね。まだ仕事見つかってなくて……」
「ううん。あのさ、前みたいにフルタイムとかじゃなくて、例えばお弁当屋さんで週二回とかでええんちゃうかな? お金稼ぐより、人と会って話すほうが今は大事やと思うよ」
「うーん……」
 母がちゃんと前の様にフルタイムで働かないといけないと思っているのか、ただ面倒な事を言われていると思ったのか、電話線を通じた声だけでは分からない。
「皐月?」
「うん?」
「……もう、死にたい」
「……え?」
 受話器の向こうで、母の呼吸が揺れた。
「母ちゃん、父ちゃんと離婚してから、もうずっと死にたい。皐月の幸せだけが母ちゃんの幸せやのに、邪魔ばっかりして生きてる意味無いわ」
 母の声は殆ど咽び泣き、受話器の奥で空気が軋む。私の意識は白く遠くなっていく。見上げる家の天井にシミがあった。それは足の指のように徐々に小さくなる斑点が並び、父の、あの日の逆立ちを思い出した。
 不仲で離婚したのではなかった。私が幼い頃から家族でたくさん出掛けた。旅行や誕生日など、家族写真でアルバムは溢れた。それを事あるごとに家族で見返した。父の運転は遅く旅行ではよく道を間違え喧嘩になり、でも結局母は父の安月給同様笑い飛ばした。
 母は後部座席で、運転席と助手席の間から顔をまるで顔はめパネルのようににょきりと出し、延々くだらないことを喋り続けた。行きのサービスエリアでは昼食の前から五平餅を買って毎回食べる。五平餅ほど間抜けに「食いしん坊」を体現する食べ物は無いと思う。丸顔の母と手に大事に握るそれがあまりに似合いすぎて、毎回私達は笑い合った。
 行き先は父の好きな寺社仏閣が多かった。京都や奈良に行けば一日に三つ四つも巡る。次第に神や仏の前で祈ることも無くなった。手を合わせた後、母が私に訊いた。
 ──皐月、神様に何お祈りしたん?
 ──何もないから、むにゃむにゃむにゃって言っといた。
 あの頃、私にはこれ以上何かを望むことなんて無かった。父も母も破顔した。
 誰かの笑い声が、いつも誰かに伝染する。それは悲しみも同じだった。
 元々気弱だった父は、私が高三のとき仕事をきっかけに躁鬱病に罹った。大体は家に篭り静かにしているのに、何がきっかけか興奮すると逆立ちをした。蛍光灯を割り、天井に足の指の形のシミができた。人がまるで変わってしまった。仕事もクビになって、大学に行く私と母自身を経済的に支える為の母の選択だった。父はその後、二年前に亡くなっていた。
「……死ぬなんて、そんなこと言わんといてよ。母ちゃん死んだら一番悲しいよ」
「ありがとう。皐月はいつもやさしいね。ごめんね、弱気な事言って」
 そうして切る流れになっても母はボソボソ聞き取れない声で何かを話していて切れない。呪詛のような何かが延々続く。最初は付き合っていたが、次第に面倒になり、薄ら怖ささえ覚えて、用件が終わると私からすぐに切ってしまった。切ると途端母が、ずるいような気がした。私の為のように言いながら、口にした瞬間からその「死にたい」は母の為に変わっていくように聞こえた。頬が熱くなる。日傘を失くした夏の光は薄れ、冬になった。
 次に電話したのは大晦日だった。ダイヤル十回でやっと出た。長い沈黙があった。
「ああ、皐月……。いつも正月にこっち来てたけど……家も汚いし今年は無理かなあ……」
「そうよね、じゃあね」
 滑り込むに言ってそこで私は電話を切った。そして人生で初めて、家族と一緒じゃない、一人の年越しを過ごした。テレビ越しで紅白の派手なセットが、けばけばしく目に染みた。

 年が明けて二月、昼休憩で地下の社員食堂に向かうエレベーターの中でスマホが震えた。見慣れぬ固定電話で、母の住む市からと画面に表示された。降りてすぐにスマホを自分の耳と肩で挟み、食堂のお盆に適当に皿を選び取りながら切れた電話に折り返した。
「曙ホームの田沢と申します。陽子(ようこ)様の娘様のお電話で間違いないでしょうか?」
 母の住んでいるアパートの管理会社からだった。
「ハイツ浦田にお住まいの陽子様が、今月の家賃をまだお振込みいただけてなくて……お電話しても繋がらないんです。娘さんからも一度お電話してみていただけませんか?」
 掛けても呼び出し音だけで、母は出なかった。胸騒ぎを追いやるように夜遅くまで残業した。
 翌日中々勇気が出ず、自分の家を出たのは昼過ぎだった。冬の真っ白な空で、のっぺりした雲は何か大きな生き物に見えた。そのとき何故か、墓参りのあとよく行った天王寺動物園の象を思い出した。私達の頭よりうんと大きな糞をたくさんする象を、母と私は二時間ぐらい飽きずに見てずっと大笑いしていた。それが今黒く重く脳に詰まって私の思考を腐敗させていく。それでも母のアパートの最寄駅に着くと、新しく出来たスーパーでおにぎりとプリンを二つずつ買った。昔の食いしん坊だった母を、必死に頭に描いた。
 駅からの十五分程度が、いつもよりうんと遠く感じられた。真冬の風が容赦無く顔に当たり、髪が舞い顔に打ち付け、烏が鳴く。その甲高い声はいやに耳に響き、愚か者、と言われているような気になった。
 古いアパートの一番上の四階だった。蜘蛛の巣だらけの階段を、一段一段ギシギシと骨に染み入る音を立て、ゆっくり登る。
 部屋の鍵は閉まっていた。合鍵でドアを開けると、玄関前の内扉の奥、テレビの音がした。平日の昼間によくあるテレビショッピングで、暗い部屋に明るい男の声が宙に浮く。
 内扉を恐る恐る開ける。電気は消えている。窓から暖かな日差しを受け、母は──
「母ちゃん、母ちゃん!」
 右手を伸ばし、顔を下に蹲り固まっていた。ゴミ溜めのような狭い部屋の真ん中、薄い布団の上で。
 母は返事をしない。靴も脱がず急いで部屋に入る。力一杯揺すっても降り積もった下層の雪のように母は冷たく硬い。スマホが手の中で滑りながら救急車を呼ぶ。意識より鼓動が速くなる。
状況や住所を叫びながら伝える。一度電話が切れる。すぐ折り返しがあった。
「救急車は既に派遣しました。お母さんは起き上がりますか? 仰向けにしてください!」
  もう一度思い切り揺すってみても、母は私の知っている重量じゃなかった。
「……とても重くて起き上がりません」
「あなたがお母さんを助けなければ他に誰もいないんですよ!」
 どこまでも正しい女の叫びが私の耳を穿つ。既に諦めているらしい私に窓の日が当たる。
 少しして、救急隊員の防護服を着た男性が五、六人狭い部屋に駆け込んだ。数人がかりで起こされた母は仰向けになり上着がはだける。でっぷりとしたお腹の一部分が腐敗で紫色に変色していた。その色が死、そのものだった。もうずっと前からパニックで泣き叫ぶ私を救急隊員は部屋から外のアパートの階段まで引き摺り出す。波の隙間で微かに見える歪んだ狭い背景では、ビニール袋やカップ麺の容器、煙草の箱などが大量に転がっていた。
 長い間階段の踊り場で声にならぬものを嗚咽していた。部屋から出た母は、ブルーシートに覆われ担架で運ばれていく。よくニュースで見るやつだ、と他人事みたいに思った。
 救急隊員の後、スーツを着たおじさんが三名ほど部屋に入った。後で警察だと分かった。
「お母さんは既に亡くなっています。恐らく二週間ほど経っています」
 その中で一番上司と思われる、ベージュのトレンチコートを着たいかにも刑事の男性はそう告げた。色々と訊かれ、父は二年前亡くなっていて私の他に兄弟や家族がいないことを伝えた。私より若い警官から親戚に電話するように言われ、十年ほど会っていなかった母の二人姉妹の姉に躊躇いながらも掛けた。待つ間、居ないと言えばよかったと思った。
「陽ちゃん、亡くなったって!」
 電話口の伯母は、恐らく近くの旦那さんに伝えたようだった。しばらく話して伯母は母の住所と最寄駅を尋ねた。伯母が今京都の北の方に住んでいると、そのとき初めて知った。母からも聞いたことがなく、きっと母と伯母はお互い今どこに住んでいるか知らなかったのだろう。伯母はすぐにそっちへ向かうからね、とメッセージを残した。
 二時間ほど経ち、後で連絡するので帰ってよいと警察に言われのろのろと立ち上がる。
 伯母と待ち合わせしている、最寄駅に向かった。既に宵闇で、ここは住宅街なのに街灯が一切無い。星も一つも出ず、暗闇に吸い込まれながら歩く。空き缶の、カラカラ転がる音だけがした。上から糸で釣る操り人形の様に、誰かに操作されている様な心持だった。
 伯母は昔と変わらず、近付くと祖母に似ていた。私に駆け寄り、ゆっくり笑った。
「皐月ちゃん久し振り。お母さんの家に戻ろうか? そこで話そう」
「……ううん、あそこは、その、まだ、汚れてるから」
 母以外風景にも化さなかったが、そこはゴミに溢れていたようだった。それに伯母に指摘されて初めて、自分のニットワンピースに血がついていることに気が付いた。部屋はどうやら血まみれでもあるらしい。とりあえず南海電車の大阪市内方面のホームへ向かった。
 電車を待つ間伯母は大きなため息を吐き、それは白く蒸気のように天に昇った。
「お母さん、弱いところ少しあったからねえ……。皐月ちゃんの所為じゃないよ」
 私は誰かに無理矢理後ろから押された様に頷いた。母の、私に生活費を借りたいと言ったとき付け足された言葉を思い出した。
 ──姉ちゃんに、父ちゃんと離婚したときお金借りて、それ返せてないから、姉ちゃんともあまりもう話せてなくて……。皐月に頼ってほんまごめんなあ。
 伯母はそれだけでなかった。私が大学合格するとパソコンを買ってくれ、その後も料理の出来なかった私の下宿先に、毎月段ボール箱一杯レトルト食品を送ってくれていた。
 母の辛さと強さを伝えたかったけれど、その不明瞭さと伯母への不遜さに声は出る前に枯れた。
「お母さんと食べよう思てね、おにぎりとプリン二つずつ買うたん」
 代わりに私がそう言うと、伯母は憐れむような声で「そう」とだけ答えた。
 伯母は母の少し前に結婚し、旦那さんと二人暮らし、いわゆる転勤族だった。私が中学生の頃伯母夫婦は千葉に住んでいて、母と伯母と三人でディズニーランドへ行った。夏の暑い中パレードの前での三人の写真が浮かぶ。白い日に照らされ、皆笑っていた。
 会う機会が一番多かったのは、祖父母の周忌やお盆などだった。供える花を頼まれたのに買い忘れた母を先に見越して伯母が買っておいてくれ、いつも「しっかり者で冷静な姉と、明るくて少しおっちょこちょいな妹」というイメージの姉妹だった。「陽ちゃんしっかりしいや」。伯母の口癖だった。その度「また言われてる!」と私と父は笑った。
「どこか近所に頼れる人は居ないの?」
「……うん、居ない」
「……じゃあ結構遠いけど、伯母ちゃんの家に今夜は泊まろうか」
 電車の中で、伯母は父が先に亡くなっていること、他の親戚ともずっと連絡を取っていなかったことなどを私に確認したあとは、スマホで葬儀の会場や段取りを調べたり伯母の職場に明日休むことを連絡したりしていた。伯母のスマホの画面がピコピコ鳴いて、ラインで気を確かに持ってね、などとキャラクターのカラフルな絵文字付きで返信が来ていた。
 伯母の家までは電車で二時間ほどかかった。途中市内の私の家に着替えを取りに行き、また電車に乗る。そこで先ほどの刑事から死体解剖の結果の連絡が入る。二週間ほど前に亡くなったと考えられること、事件では無く病気で亡くなったこと、状況から自殺とは考えにくいこと、明日朝病院で死亡診断書を受け取った上で警察へ遺体を引き取りに行くように、などと説明された。その電話の間、伯母は冬なのにずっと顔の汗が湧き出て、頻りにハンドタオルで拭いていた。切って内容を説明すると徐々にその汗はひき、最後の電車で伯母が言った。
「皐月ちゃんおにぎり買うたん、食べ」
 それでまた別の言葉が私に降った。二年前父の葬儀に出る前、母と言った言葉だった。
 ──こんなときでもお腹は減るんやねえ。
 既に離婚していたが父方の伯母に呼ばれたのだった。父は離婚後入院し、姉と兄に世話になりながらある日急に亡くなった。胃の病気だった。葬儀へ行く前母の家で一緒に食べたカップラーメンの醤油味は、命に染みるみたいに美味しかった。自分で食べる予定のなかった二個目のおにぎりに手をつける。それはひどく冷えていて、食べると胃まで冷たくなっていった。
 伯母の家の最寄駅で、伯母の旦那さんが車で迎えに来てくれた。既に真夜中だった。すぐ近くに山がありながらも、大きなスーパーやチェーンの家具屋の大型店舗などがある郊外だった。雪に覆われ、私や母の住む町よりぐっと冬が濃い町だった。
 伯母の家に着いても私はまだ呆然と立ち尽くしていた。都会の雑踏のように、伯母が明日警察に遺体引き取りに一緒に来てくれ、葬儀会場は安いところをすぐに予約され、葬儀は伯母夫婦と私の三人だけで三日後の日曜に実施することに決まったのが聞こえた。
 言われるまま伯母の家の風呂に入る。また一人になって冷たい雫が落ち、波紋が浴槽の狭い池に広がる。黴の一つも無い真っ白な風呂の壁に、またあの日の母の顔が浮かんだ。
 ──とうとうほんまに二人家族になっちゃたねえ。
 父の葬儀の帰り、バスを待つ駅前のロータリーで母が私の方を振り向き、ぼやけた笑顔で言った。
 既に離婚していても、父が死んで初めて二人家族になった、という母の言葉は、母と違い私の中ではとっくに二人家族だったという残酷な無意識を、ロータリーに吹き荒れる暴風と共に見事に剥き出しにした。それから母は、最後の空元気すら枯れて曇っていった。
 二人家族ではいてくれるんじゃないの? 気付けば呟き、でもその声は誰にも聞かれずただ浴室に反響し浮いて、涙とともにさっさと湯気に浄化されていく。
 警察から母の貴重品と思われるものだけ渡されていた。風呂上がり見ると母の財布は、近くの99円ショップのパンやカップ麺、煙草などのレシートが折りもせずぐちゃぐちゃに何枚も押し込まれていた。さっきの母の部屋がそのまま比喩かジオラマになったみたいだった。少し煙草臭く、それを伯母に指摘される前にしまった。黄色い、財布だった。
「皐月ちゃん、お母さんと食べよう思て買うたねんて」
 キッチンに並べられたプリン二つをさしながら伯母が言った。伯父もまた憐れ気に「へえ」とだけ答えた。私も母も、結局それを食べることはなかった。

 朝起きると、母が死んでいた。眠りとの狭間で都合よく一瞬忘れられ、朝と同時に現実がまたやってきた。こうして母は今後、私の中で毎日新しく死んでいくのだろう。父と同じように。
 朝五時に伯母の家を出た。家は三方山に囲まれており、日の出る前で大阪では珍しい雪が、山にもマンションの駐車場にものっぺりと白い絵の具を塗り付けたように光沢も無く膨らんでいる。曇る空の下あらゆる植物の生長を抑えつけているように、重く見えた。
 伯母と私は二時間かけ、まず母の死体解剖をした病院に行った。朝一の病院は暗く静かだった。受け取った死亡診断書で年齢は満五十八、死因の欄は急性虚血性心疾患、死亡日は一月三十日頃となっていた。
 頃、ころ、コロ。頭の中でその擬態語とともに気軽に文字が転がっていく。
 私は一生母の正確な命日を知ることは出来ないのだと思った。そしてその一月三十日頃、私は東京部署のメンバーと飲み会をしていたことをぼんやり思い出していた。罪悪感はついさっきの雪のように光沢の無いまま、ただ止まることなく固く積み重なる。
「ご連絡が取れないと思っていたら、まさかこんなことに……この度はご愁傷様でした」
 そう言うと母のアパートの管理会社の店長は一応悲痛な面持ちをしながら契約書を取り出し、部屋の清掃が完了するであろう来月までの家賃の支払いが必要である旨を丁寧に説明した。契約書の母の署名は、久しぶりに見た母の字で、決してきれいではない、昔流行ったらしい特徴のある見慣れた丸文字だった。自然に涙が溢れた。頑張って一人生きていた母の字だった。店長と伯母の気まずい沈黙に、すぐ涙を抑える。母の字をなぞる指の下で、紙がかすかに震えた気がした。
 次に警察署に行き、葬儀屋が母の遺体を引き取るのに立ち会う。葬儀屋が恭しく尋ねた。
「最後にご対面さますか? 状況的に、決してきれいな状態ではありませんが……」
 喉がひくひく震えながら、辛いので大丈夫です、と答えた。本当は、「きれいな状態ではない」あのお腹の腐敗した母が、脳にこびり付いていた所為だった。薄情だ、と思った。
 管理会社に紹介された遺品整理業者へ連絡し、翌週見積りに来てくれることになった。帰りの阪急電車からは窓から冬の昼の控えめな日が差し、風景の見えぬほど真っ白な世界だった。私と伯母は四席向かい合うタイプの座席に座り、見えない景色をただ見つめた。
「皐月ちゃんは、彼氏とか、そういう人はおらんの」
 伯母が窓を見たまま言った。恋人は偶然父の死ぬ二ヶ月前に別れていて、辛くなって当時父の死について連絡しても、返事は「ご愁傷様です」の一言だけだった。だから身内の喪失は他人には慰められぬことを、私は既に知っていた。彼に振られたとき電話で嗚咽する私に、母はその時だけ元気を取り戻し家まで駆け付けてくれた。今母に会いたい、と思った。
「おらんよ」 
「そう……」伯母はそれだけ言って嘆息する。
 十年ぶりに会った伯母の家にいられる日数は限られているとその声が告げていた。明日自分の家に帰るね、と返す。また出来る空白に、「虚血性心疾患」という聞き慣れない言葉をスマホで調べた。文字ではその痛みは計り知れず、けれど煙草が母を殺した気がした。
 昔から母は煙草を吸っていた。決まってセブンスターだった。私の前では吸わず、まるで高校生みたいに家のトイレで隠れて吸ったり、買い物中急に「ちょっと見ててね」と言って消えたりした。抽斗の奥や絨毯の隙間からよく煙草が出て来た。私は母が何故か必死に煙に巻くその小さな世界に居てはいけない気がして、一度もそれに触れなかった。

 未知の町は、やがて山に囲まれた閑静な住宅街へ変わっていった。次の日に近所の洋服店で伯父母が私に喪服を買ってくれた。私が試着室から出ると、何列も陳列棚を挟んだ先に二人がいた。伯父が伯母の肩を肩たたきの要領でぽんぽんと叩きながら談笑し、私の方は全く見ていなかった。二人の顔は昔よりよく似ていた。どうして母と父はこうなれなかったのだろう。断ち切るように試着室のカーテンをぴしゃりと、音を立てて閉めた。
 昼食に伯母が選んだのは近くのびっくりドンキーだった。週末の葬儀のことや私の近況を話した。大きい会社に入って偉いね、昔からよう勉強して、誰に似たんやってお母さん言うてたもんね、将来は安泰。その慰めはさらさらと流れていき、代わりに昔大学の近くに母が来て一緒に買い物していたときのことを思い出していた。恐らく誰かと待ち合わせをしている外国人がびっくりドンキーの前で電話しながら「サプライズドンキー?」と言っていたのを、外国人が言うとそうなるんやねと二人でゲラゲラ笑った。その声は今も耳のすぐ近くにあって、けれど特にそれは伯母夫婦には話さなかった。
「葬儀代はうちらで出すから、皐月ちゃんは遺品整理とかしてね」
 伯母が言う。事前に伯父と相談して決めていたようだった。私はただありがとう、と頷いた。そうして段取りの話がひとしきり終わると、自分達の子供がいない伯父が言った。
「皐月ちゃん、僕らが死んだときはお願いするね」
 本気なのか冗談なのか分からない口調だった。愛想笑いをして誤魔化した。その見えない自分の笑顔が気味悪かった。二人からのこれまでの額もはかり知れない経済支援を思えば、あまりに不謹慎な態度だった。でも母を介さない私達三人の会話は、この数日ずっとちぐはぐだった。
 そしてさっきの伯父の言葉で、私が死んだら見送る者は誰も居ないことに思い至った。私が仮に明日死んでも、親戚は皆、私と彼等を繋ぐ父と母両方が居ないから死んだことすら、誰も察知出来ない。きっと時間が経って発見され、自治体が処理して終わり。
 でもそれなら、今まで私が生きていたことは、少しは意味があったんじゃないだろうか。父と母を、色々と遅れをとりながらも見送ることは出来たのだ。そこまで思ったところで、甘えるな、と窓の向こう、遠くの烏がまた鳴くように声がした気がした。
「皐月ちゃんは頑張り屋さんやから大丈夫やよ」
 伯母は私の背中を押す。その手がぬるい。昼の阪急電車からの景色は、比喩ではなく本当に全て灰色だった。砂山の様にちょっと押せば音も立てずにビルも山も崩れそうだった。
 自分の家に着くと、数日ぶりのそこは冷蔵庫の様に冷え切っていた。日に、埃が舞う。
 一歩踏み込むと部屋の真ん中で、箪笥に四方を囲まれながらコンビニ弁当を食べる母が見えた。五年前異動でこのマンションへ私が越ししてきた際、母が手伝ってくれた。母はうちのキッチンの二口コンロを見て、「こんな所に住めていいなあ」と言った。既に離婚していた母の家は後付けのカセットコンロだった。母はその頃よく食べ、まだ元気だった。
 ──父ちゃんと離婚してから、もうずっと死にたい。
 元気だった、はずだった。泣き崩れた。冷たく打った膝にぬるい涙が落ちていった。
 一緒に住めばよかったのだ。煙草じゃない。私が母を殺したのだ。胃に酸っぱいものが次々上がる。大学時代、両親の離婚後すぐ一緒に住む話が出たが、母は朝早くからパートに入るのに近くが良いからと断った。その後も私の転勤が多く、話は立ち消えていた。けれどそんなこと全部言い訳だった。母が求めていたのは経済的支援を超えた、精神的支援だった。私は途中から、後者を放棄してしまった。そして前者で煙草を買ってしまう母。洗濯機に投げ捨ててあったニットワンピースは、つけ置きせずとも血が簡単に取れた。
 次の日は火葬だけで、最寄駅からタクシーで十分ほどの、埋め立ての工場が並ぶ無機質な海辺の近くの高台の上に火葬場はあった。晴れて、空も海も絵具から出したような青色だった。棺に母の生前好きだったものを何か入れられると、葬儀屋から事前に言われていた。でも頭を絞っても浮かぶのは母の部屋に大量に転がっていたセブンスターだけで、結局用意された花だけを入れた。
 久しぶりに化粧された母は白粉の下、生きているような美しさがあった。参列者三人の中で、泣いているのは私だけだった。母はもっと愛されていい人のはずだった。実際私の記憶の中の母は常に笑顔で、団地のおばさん友達にいつも囲まれていた。でも今連絡すべき人を、私は一人も知らない。
 煤けた細い洞窟の中、母は簡単に骨になった。骨は掴んだそばから、箸からぽろぽろと崩れていく。伯父母の手つきは囲炉裏で炭を拾うように淡々としていた。骨壷に入れる間、父の火葬の際に父の骨を見られなかった母を思い出していた。火葬場の隅に立ち、怖い、とだけ母は言った。父の葬儀もまた、伯父母と私と母、四人だけの簡素なものだった。二つの葬儀は瞼の裏で二重線を描き、太っていた母も、骨になれば父と等しく軽かった。

 再び見た母の部屋はやはりゴミ屋敷だった。整理業者の見積もりの日、白いビニール袋が床から湧き出る様に乱立し、そこ以外はまた別のゴミに覆われていた。でも二月の気候の所為か、生物の匂いを全く感じなかった。母の皮脂の匂いも消えた。血も、ゴミに隠れて見えなかった。それでも壁や部屋にあるもの全てが煙草のヤニで茶色く、これがきっと母の肺の、心臓の色だった。ゴミが悲しみみたいに積み上がり、部屋が死んでいた。
 業者は冬でも袖捲りして黒く焼けた腕が目を引く老人の男性一人だった。業者は特に驚く様子も無く淡々と今後の流れを説明していく。業者にとってこれはきっと見慣れた風景で、私の抱えきれないほどの悲しみは陳腐でありふれたものとして処理されていった。
 カードや請求書など金銭関係のものや、アルバムなど写真だけ後で確認するので残すようにお願いした。十五万の見積もり額が値切るべき金額なのか、そんなこと到底考えられなかった。壁の色が私の心にも染み入っていた。これが消せるなら金額など関係なかった。
 事前の作業で業者から渡された写真は大きな段ボール一箱分あった。父と離婚した際、狭い部屋の限られた収納にもかかわらず、母は自分の手元にちゃんと全て持ってきていたのだ。業者が、管理会社が一旦預かって私の家に発送してくれるはずだと言うので、段ボールごと全て持ち出した。業者の軽トラに乗り窓に雨が激しく跳ね、斜めに打ち付ける。
「そんなものこちらで預かれと言われても、何も出来ないですよ」
 管理会社は先週会った店長ではなく、私に最初に連絡してきた四十代ぐらいの、目の下にくまが目立つ、田沢という店員だった。
 彼の声から、最初の電話時の恭しさははっきりと抜けていた。所有物件を事故物件にした人間を見る目だった。隅に立つ遺品業者の方をちらりと見たが、彼は気まずそうにどこでもない場所を見て何も言わない。遅れて手がかじかみ、皮膚の感覚が消えていった。
 仕方ないので残りは全て業者に処分してもらうとして、自分がギリギリ持てそうな分だけ管理会社内で整理する。業者が残してくれたものの中には、私の小中高の卒業アルバムや私が学生時代描いた絵や文集も驚くほど残っていたが、とても持ち切れないので全部捨ててもらう事にした。黄色の表紙に薄い色鉛筆の絵が目の端を掠め、それは私が小学生の頃の「世界で一番大好きなお母さんへ」という文集だった。授業参観で丸い顔を綻ばせ聞いていた母の笑顔が脳裏をよぎり、表紙の私の絵の母もまた笑っていた。
 傘と大量の写真で手と肩が千切れそうになりながら歩く。捨てたものも含めて、それが母の愛情の重さで苦しみだった。その重量にやっと気付いた私を嘲笑うように冬の雨が降る。それが風の強さと交錯し骨の芯まで凍えた。ごおおお、と狭い路地に音が響く。入った郵便局のおばさんは最初淡々と冷たい口調だったけれど、母が亡くなったからアルバムを私の家に配送したいのだと伝えると、途端に親身になって色々と説明してくれた。
 次第に身体の感覚が消えていく。でも「何かをしなくなる瞬間」が来るのがただ怖かった。伯母に言われたやるべきことただなぞり、でも感情も消えていく。市役所で母の死亡届を出し、相続手続きで必要な、母の住民票と戸籍謄本を受理する。その後家族三人で住んでいた市へ移動し、再度母の住民票を受け取る。その市役所は、母に連れられ父の離婚後、私達の苗字を母の旧姓に戻さないための手続きに一緒に来たぶりだった。皆が、「ご愁傷様です」と決まりのように言った。
 母の戸籍謄本を眺める。持つ紙の端が少し湿って皺が寄る。
 母方の祖父母が亡くなったのは私が三歳の頃、母は三十二歳だった。
 父が亡くなったのは私が二十七歳、母が亡くなったのは私が二十九歳。
 ──じいちゃん先死んでな、ばあちゃんその後すぐ死んだやろ? あれ事故って言うたけど、ほんまはばあちゃん夜遅くにな、歩道橋から自分で落ちて車に轢かれてしもたんよ。
 父と離婚する、と言ったとき合わせて母が言ったのだった。客観的に見れば母の離婚とは関係ないが、母の中ではきっとどこか陸続きだったのだろう。娘と母、二つの家族。
 祖父母の死について幼かった私はあまり覚えておらず、今になってそのときの母の感情を、身をもって体感することになった。それでもその頃記憶には、笑顔の母しかいない。
 外を出て角を曲がると、母が自転車を押していた。私は幼かった。母が言った。
 ──一つだけ魔法が使えたら何をしたい?
 私は後ろの荷台に乗った。母の背中は広かった。今居る市の、最寄駅前だった。
 ──おじいちゃんとおばあちゃんに生き返ってほしい! またお話ししたい!
 それを聞いた母は夏の太陽のように眩しい笑顔で喜び、父が帰ってからもそれを嬉しそうに報告していた。今もし魔法が使えたら。二十年以上経ち、私はそんな事を無邪気に考えられる歳では無くなっていた。目に見えぬものは、私の言葉も、何も信じられなかった。
 雨はもう止んでいた。水溜りに映る顔は黒く歪んで疲弊していた。市役所向かいにある、通っていた高校の学生とすれ違う。懐かしい制服の彼女達が高い声で笑った。雨の日は職場が近い父が車で高校までよく送ってくれたこと、雨ぐらいで過保護だな、と当時思っていたこと、でもそれを決して私は口にしなかったことを思い出した。帰りの電車に乗ると、今日接したたくさんの窓口の人達の言動や態度がただ再生された。優しい人もいれば至って事務的な人もいた。
 翌日届いたアルバムでは、親戚は皆この数年で記憶から消えた笑顔で小さな私を抱いていた。母は激太りとダイエットを繰り返し毎回体型が違った。趣味の懸賞で当たった「スーパードライ」とデカデカとプリントされたTシャツを着た、母の膨れ上がった前後左右の四枚の写真には思わず吹き出してしまった。家でダイエットのビフォーアフターのビフォーを撮るために、確か母に頼まれ私が撮った。アフターの写真は無かった。
 家族で暮らした団地の3DKの中にあったものは私の二十代、十年かけて、大学で一人暮らしを始めて私の部屋から持ち出した少しの服たちと、あとは写真と母の財布など遺品と、私だけになった。全部がそれぞれの収まるべき抽斗に、あまりに小さく収まった。

「お母さん、トイレにも血が付いていました。その後部屋に行って倒れたんでしょうね」
 最後の整理後、また業者の軽トラに乗り管理会社へ鍵を返しに行く間に彼が言った。私は助手席で、追加で渡された書類の要否を選別していた。その手と、息が止まった。
 途端あの狭い部屋の模型を浮かべる。母が倒れていた近くには、いつもスマホの充電機が置いてあった。そして死後二週間程経っても、スマホの電源は切れずに鳴り続けていた。
 母は、生きようとしていた。
 書類の中に、茶色になったメモ二枚が目についた。母の丸文字が見えたので、業者と話しながらさっと手に取ってコートのポケットに入れた。何かざらつくような予感がして、人と一緒にいる今、これを見てしまうと自分が取り乱してしまいそうで怖かった。
 手続きを全て終えた日、日は少し暖かくなり、一人で夜まで近所の川を見ていた。母と何度か一緒に散歩した川だった。汚れ、何も映らない川だ。これまで手続きをこなす事で敢えて堰き止めていた考えが、川の流れみたいに逡巡した。最後の母を、思い返した。
 一昨年の年末、母の最寄駅の改札で、帰る私を母は見送った。一度だけ振り返ると、母は見送りにきた癖に、私にまるで置いていかれるような顔をしていた。
 どれほど苦しかっただろう、最期まで父や私に申し訳ないと思ったろうか。それともこれで救われた、なんて思ったんだろうか。でもきっと、倒れていた母の手が携帯の方を向いていたから、生きようとしていた。あのゴミ屋敷で、何を思いそれまで生きてきたのだろうか。あの日母に死なないでと自分が言ったことは、ただ母を苦しく縛っただけなのか。
 ──父ちゃんと離婚してから、もうずっと死にたい。
 夕暮れの川辺にあの声が響く。橋脚にビニール袋がひっかかり漂う。私はどうして普通に生きていられるのだろう。こういうときはせめて声を失くし、胃に穴を開けたりするものではないのだろうか。目の前の川を、血で赤く染めてしまいたい衝動だけが残った。
 立ち上がり帰る道、ふと私ももう死んでいるのかも知れない、と思った。それぐらい世界の全てにくすんだ靄がかかっていた。意識と肉体ははぐれ、地面に足を付け歩いている感覚が無くよろける。身体の輪郭はほどけ溶け出していく。そう思うのに対面から歩いて来る人が私を避け、まだどうやら、私の少なくとも肉体は、生きているらしかった。

 色のない日々のまま季節だけ進み、四十九日がきた。祖父母の共同墓に母も納骨した。
 骨が家にある間、母が祖父母の仏壇にしていたように母の好きな黄色い、名前も知らない花とアルバムから取った家族三人の写真を飾り、葬儀屋から貰った線香をあげてみたりしたが、どれもこれも手遅れの罪償いをしているだけのように思えて、花が枯れると同時に結局全部見えない所に片付けてしまった。骨壺から少しだけ取って手元に置いておけないかとも考えたが、開けられなかった。怖いと言う、父の火葬時の母がまた蘇った。
 お寺は焼香してから納骨するまで一時間ぐらいかかった。回向で順番が来るまで寺の室内をぐるぐる順番待ちする。人々の隙間に線香の匂いが漂う。祖父母の納骨や周忌のとき、正座で足の痺れる思い出として幼い記憶に残っていた。順番が来たら骨を差し出す、手を合わせる。それは線香の儚い匂いとあまりにちぐはぐに、病院の順番待ちみたいな、あまりに機械的な儀式だった。近くで空いている駐車場を探していた伯母夫婦も遅れて来た。
 私達は納骨を済ませ、それから祖父母の共同墓にお参りした。やっと手水舎で手を清める。濡れて足が少し滑る。皐月昔、ここで転んでパンツ水浸しになったよなあとここへ来る度父と母は言い笑っていた。その声は、今後もここで永遠に蘇り続ける予感がした。死者の骨で出来た阿弥陀如来像、お骨佛の前で目を瞑り手を合わせる伯母は、何度も同じ場所で横から見た母にあまりに似ていた。顔を上げお骨佛の前のアクリル板に映る私も、また同じ顔だった。
 皐月ちゃんは家から近いから命日とかも時々来てあげてね、と伯母から言われ、私達は解散した。その年の夏に、お盆も行ってあげてね、と連絡があった以後、伯母夫婦とその後会うことも連絡を取ることも無かった。

 季節は春めきだし、あの日のコートをクリーニングに出そうとポケットに手を入れると、枯葉みたいな音がする。業者から渡された、ヤニで茶色になったメモ二枚が出てきた。
 二つ折りにしたものを開くと、母の揺れるような丸文字があった。
 
 私は、新月の願いが叶うことで幸せになります
 私は、自分の生活を自分の力で送れるようになります
 私は、皐月を幸せにできるように生活を送ります
 私は、皐月に愛されるような母親になります
 私は、強くて優しい心を持ってます
 私は、健康な体を持ってます
 私は、豊かな生活を送れる資金を手に入れます
 私は、喫煙の欲求をストレスを感じずにコントロールします
  2024年7月6日午前8時40分 蒼井(あおい)陽子

 もう一枚は、同じ内容で最後の行が2024年8月4日午後8時13分 蒼井陽子となっていた。半年前に書かれたものだった。文字から母の匂いが立ち込めるような気がした。
 換気扇の下で、セブンスターを中指と人差し指に挟む。一瞬滅ぶような赤が灯り線香のように煙を上げていく。一口つけて、肉体の内側の呼吸器官の位置を把握しながら咽せた。落ちた火は小さな一つの星のようで、静謐な部屋に痛みの伴う呼気だけが沈澱していく。
 私は肉体から、雲を吐き出した。

〈了〉