第10回R-18文学賞 選評―角田光代氏

「偶然の息子」は、障害児を持つ母の視点で、その子の性の目覚めを描いている。書きにくい世界に思い切って足を踏み入れた、その覚悟と迫力が文章によくあらわれている。最初から最後まで気迫に満ちた文章で描かれ、今回ほかの小説にはあまりなかった性描写にも凄みがある。母親の性描写とは裏腹に、息子の射精のくだりはいのちのきらめきすら感じられる。
 とても惜しいと思ったのは、息子の父親の描きかたが類型的で薄っぺらいことと、この母親が二人の男性から求められる、その説得力が乏しかったことだ。息子を捨てた父親にも、もっと人間らしい感情は一片でもあったはずで、そこが描けていれば、小説はより深みを増しただろう。今後、どのようなものごとに材をとって小説に仕上げていくのか、次作を是非読みたいと思う。
「selfish」のいちばん大きな欠点は、主人公が熱烈に恋する伊藤くんの、売春までしなくてはならないほどの貧乏さにリアリティがないことである。ここにリアリティがないと、「主人公がお金で恋する相手を買う」というアイディアがまずあって、そこにストーリーをあてはめていったように、つまりは作者の都合優先であるかのように、思えてしまう。ラストの文章がとてもうつくしく、印象深かっただけに、残念である。
「僕のゆかちゃん」は、言葉だけで進行していく小説、という印象を持った。言葉のひとつひとつが、生身ではなくて、言葉面、で終わってしまっている、というか。子ども同士の会話も、大人になってからの彼らの会話も、何か、人間的な体温がない。終盤の、幼なじみが恋人といるところを見てしまうエピソードも、ありきたりに思えてしまう。話し言葉、地の文に、これで伝わるか、リアリティがあるか、本当のことを書いているか、疑いながら慎重に書けば、小説自体がずいぶんと変わると思う。小説はフィクションだが、少なくとも作者は、それが小説内では真実であると信じていなければならない。読み手にも信じてもらわないといけない。
「愛とその他のこと」の作者はなぜ主人公の仕事を、マッサージ師と風俗嬢の中間のようなものに設定したのだろう。その中途半端さが、小説全編を覆ってしまったように思えてならない。主立った客層は何を求めてその店にくるのか、マッサージはどの程度本格的なものなのか、どのような研修を経て客をとるのか、マッサージと看板に掲げるのならば間違ってやってくる女性客もいるのか、等々、書く必要はないが作者は隅々まで知らなければならない。それを知る前に、というよりも、マッサージ師、あるいは風俗嬢、そのどちらも職種として調べるより前に書き出してしまったような印象がある。最初の、雑居ビルの火災の描写がすばらしく、ここがどのように生かされるのかがたのしみだったのだが、結局、生かされないまま終わってしまって、もったいないと思った。
「ふらふら、不埒」は、主人公の婚約者である岡崎と、出世を望まない職場の坂本が、じつは恋仲であるという設定が、非常にわかりづらい。すべてが主人公の妄想とも読めてしまえて、そこが弱い。じつに弱い。そしてだれもがあこがれる岡崎が、とくべつ魅力もない(と読めてしまう)主人公を、たとえカモフラージュだとしても選んだ説得力も、ちょっと弱い。が、小説世界をひとつ作ろうという気概が最後まで一貫してあるところはたのもしい。もっとべつの設定で書いてみたらどうだろう。
「べしみ」は、恋愛の機会がないまま四十代になってしまった主人公が、自分の性器に「べしみ」を見つけるという荒唐無稽な設定だが、不自然さがまったくなく読み進めることができる。この賞の選考委員をつとめて九年、はじめて、性欲をもてあました女性を描いた作品を読んだ。男性のそれとは異なり、安易に男性を買うこともできず、知り合いとそのような行為に至ることもできない、ごくふつうの女性の、滑稽なほどのかなしみがじつによく伝わってくる。ふと差し込まれる文章のうつくしさにも感嘆した。気になったのは二箇所。視点が揺らぐところ(クソババアと言う若い男の目が「彼女」を描写する)、それから、タクシーの運転手との流れが、性急すぎるように思えるところだ。けれどそんなことは、この小説の持つたおやかな迫力の前にはとるに足らないことに思える。ぜひ、どんどん、未開の土地に踏みこむように、新しいことを書いてください。
 最後に。第二回目からつとめさせていただいたこの賞の選考委員は、今回で最後となりました。思い出深い受賞作も多々あり、また、受賞には至らずとも、忘れることのできない「味のある」小説も多かったです。何より、官能とは何か、性差とは何か、女とは何か、小説を通して考えられたこと、他の選考委員の方々と語り合えたことは、ほんとうに幸福で、刺激的なことでした。ありがとうございました。