女による女のためのR-18文学賞

新潮社

選評

第11回R-18文学賞 
選評―三浦しをん氏

三浦しをん

 最終候補に残った六作は、小説として一定以上の水準にあり、いずれも楽しく拝読させていただいた。ただ、「……なんじゃこりゃ!?」という突き抜け感に欠ける気がしたのも否めない。
 突き抜け感は、文章や展開からにじみでることも多いが、なによりもまず、登場人物に血肉が通っているかどうかがポイントになるはずだ。突拍子もない人物設定にしろ、という意味ではなく、読んでいて「あ、こういうひといるな」と思える瞬間や、「まったく共感できないが、このひとの言動からなぜか目が離せない」と感じる瞬間があれば、物語がどれだけ突き抜けて飛翔しようとも、読者も気持ちよく食いついていけるのではないか、ということだ。
 登場人物は、作者が考えた物語の枠のなかで動く駒ではない。ときに枠を飛び越え、読者の心のなかで友だちになったり憎い相手になったりすることもある、生き物である。
「想影」は文章がうまく、主人公が思いを寄せる男性の造形も「あるある」感に満ちている。ただ、表現がたまにおおげさすぎるかなと思った。また、主人公と男性のあいだのエピソードが、ほとんど「果物を剝いてもらった」ことしかなく、主人公はちょっと思い入れ過剰なのではないかと感じられてしまうきらいがある。主人公は恋ゆえに近視眼的になっているわけだが、作者はもう少し作品と距離を取って、「近視眼的主人公を描写する」スタンスに徹したほうがよかったかもしれない。
「キャラバン」は、この作品を読んで励まされるかたも多いだろうと思った。ただ、主人公が気張っているわりには、仕事上の問題を自力で解決できておらず(解決しようと努力する描写があまりなく、すぐに先輩に助けを求める)、小説としての盛りあがりに欠ける。現実では上司に尻ぬぐいしてもらわなきゃどうしようもないのだ、ということなら、では主人公がここまで気張る必要もない、ということになってくる。前向きかつ誠実な主人公には好感が持てるが、もう少し肩の力を抜いたほうがいいよと(主人公に)アドバイスしたい。
「ジェリー・フィッシュ」は、女の子同士の繊細な関係が描かれており、作者の意欲は買う。ただ、いくらなんでも叶子は唐突にキスしすぎだ。そのわりにはセックスは男子とするものだと思っているようで、少女二人の言動と感情の動きが私には謎である。また、一クラスに三百人いるわけでもなかろうに、夕紀はクラスメイトの顔と名前を覚えていなさすぎだ。夕紀が叶子にふられたのは現在の出来事なのに、どこか過去を透かし見ているような冷静さがあるのも、いまひとつ物語に入りこめない一因だろう。この作品の場合、「想影」とは逆に、もう少し近視眼的に書いたほうが情緒と情感がアップすると思う。
「すごく遠く」は、旅先に情景を絞り、なぜ旅に出たのかがテンポよく明かされていく。やや空まわり気味ながら、主人公にユーモアがあるのもいい。ただ、主人公と夫の関係にとっては、この物語の「先」が重要なのであり、なんだか焦点をぼかしてごまかされた感があった。夫の人物像がいまいちわからず、ついつい「どーでもいい」と思ってしまうのだ。もちろん主人公も、夫のことがいつのまにかわからなくなっていたと、浮気(たぶん)されてはじめて気づいたということなのだろう。そのあたりの関係性の齟齬は夫婦間で解決してください(主人公への提言)。この「先」を書かないかぎり、やはり主人公はなにか大切なことをごまかしたまま、今後もなんとなく日常を生きるんだろうなとしか思えない。もっとド修羅場だったりドラマティックだったりする浮気や不倫の話は、現実でよく見聞きするので、こういう題材を小説でいかに成り立たせるかには、相当の戦略が必要だろう。
「ハロー、厄災」は、作品に充満する暗い熱気、閉塞感を覚えながらも情熱を抑えきれない主人公の青春ぶりに、好感を覚えた。ただ、どの時点から主人公が回想しているのか曖昧なのが惜しい。作中の出来事とほぼ同時なのか、三ヵ月後なのか、二十年後なのかで、主人公の独白の調子、温度は変わってくるはずだ。現状では、作中の出来事と語り手の現時点での立ち位置との距離が、微妙に伸縮している(ぶれている)箇所がある気がする。しかし、もっと大きな問題は、野口がヤリマンには思えない点だ。高校生である主人公と野口にとって、一番大きな位置と意味を占める「社会」は学校なはずで、その学校でヤリマンの噂が立たないヤリマンなどいるだろうか。音楽を聞きながら自転車で激走、というエピソードにも、やや既視感がある。ただ、作品が宿す熱量、語りたいことがあるんだという主人公の雄叫びは候補作中随一であり、多少のいびつさや穴があろうともかまわないのではないかと考えた。
「金江のおばさん」を私は今回、一番に推した。抑えた筆致のなかに、少々のユーモアと社会で生きる人間の苦みが感じられ、読み終わってしばらく余韻を味わった。金江のおばさんの生活感、存在感があるんだかないんだかわからない夫など、絶妙だと思う。お見合いおばさんという題材もおもしろく、そこに社会性も絡めてあって、「なるほど、こういう仕組みで結婚相手を探すのか」とはじめて知った。ただ、抑制された語り口が魅力のひとつではあるが、地味すぎる感もあるのが惜しい。もしかしたら、たとえば「見合い」というテーマで連作にするのがふさわしいのかもしれない、と感じた。しかしその場合であっても、すべての話の主人公を金江のおばさんにするのは、やや厳しいのではないか(一見地味なのが金江のおばさんのいいところであり、持ち味ではあるのだが)。数行におよぶ会話文ののち、地の文でようやくだれの発言だったのかがわかる、という箇所がいくつかあるので、会話の処理にも注意と工夫が必要だ。