第14回R-18文学賞 選評―三浦しをん氏

『笑って欲しくて』は、女性の生きづらさについて物語ろうとしており、作者の姿勢と主人公の気持ちにはエールを送りたい。同僚の女性との微妙な機微も、とてもよく描けている。ただ、「なぜ女は生きづらいのか」という考察が前面に出すぎて、あらすじを読んでいるような気がした。そういうことは、丁寧な描写とエピソードを通し、さりげなく浮き彫りにしたほうがいい。具体的には、主人公にとって都合のよすぎる展開を、もう少し減らすことが有効だろう。たとえば、同僚の披露宴のシーン。私がこれまで出席した披露宴では、友人代表の出し物に、出席者全員が最初から固唾を呑んで注目するなどということはなかった。たいがい、飲食やおしゃべりに興じていて、会場はざわついているものである。細かい部分こそ神経を払って描写し、物語を丁寧に展開させることで、小説の強度と主人公の内的葛藤が高まり、より「本当らしく」見えるようになるし、主人公に対する読者の思い入れも増す。
『コーラスノート』は、淀みがなくうまい文章で、各登場人物の心情も丁寧に描写されていた。ただ、不倫している女性が、不倫相手の息子とその彼女と仲良く過ごすなどという、ユートピア世界が現出していいものだろうか(このユートピア感が、本作の大きな魅力でもあるが)。率直に言って、主人公の女性が都合よく肯定される世界に、個人的には違和感と反発を少し覚えた。不倫相手の男は、父親としても夫としても不倫の恋の相手としても、相当いいかげんで不実だ。そんな男とダラダラ関係をつづけ、しかもその男の息子とまで友情を築く女。決断力と判断力がないわりにずうずうしい、最悪の人間だ、と読者に解釈される余地がある(しかしたぶん作者には、主人公を悪く書くつもりはないはずだ。つまり、作者の意図と読者の解釈に大きなずれが生じる可能性があるということだ)。男子高校生の母親は、夫の不倫および不倫相手についてどう思っているのだろうか。夫の不倫相手と息子が親しいと知ったら、二重三重に裏切られたと感じるのではないか。そう思うと、本作のユートピア感にいまいち入りこめなかった。また、語りの視点もやや洗練されていない。限りなく一人称に近い三人称で、主人公視点と男子高校生視点が交互に出てくるが、この枚数と内容ならば、どちらかの視点に徹底するか、もう少し客観寄りの三人称にしたほうがいい気がする。
『プルースト効果の実験と結果』は、淡々とした語り口が効果的で、かえって「なにが起こるのかな」と期待させる。結果として「等身大の恋」が語られるのみなので、少々肩すかしだったが、「わかるわかる!」と共感する読者も多いだろうと推測した。ただ、誤字と一行アキが多いのはいただけない。物語の重要なアイテムである「きのこの山」ですら、「きのこの森」「きのこの里」と誤字が頻出する。一行アキについても、重要な場面転換や、どうしても一拍置いて読んでほしい箇所にのみ、吟味に吟味を重ねて使うべきだ。一行アキで場面を転換したつもり、間(ま)や余韻を醸しだしたつもり、になってはいけない。また、「主要な観光地名などが詳細に、見やすく記され」た修学旅行用の東京の地図に、世田谷区役所までもが記載されているというのが、よくわからない。どんな縮尺の地図なんだ? 描写がすごく微細で身体感覚を伴っている部分と、妙にずさんな部分とが混在していて、全体として「縮尺のおかしい地図」みたいなバランスの悪さを感じた。淡々とした筆致のままで、主人公にもう少し執着や狂的な部分を付与したら、作品としての「縮尺のおかしさ」も物語上の効果になっただろうと思う。
『不祥事』は、随所に光る表現があった(ラブホテルの料金支払用の筒を、流星のようだと感じるところなど)。ただ、主人公の男がマザコンで心の機微に疎い変態にしか思えず、「甲斐さん」のような女性が、こんな男と焼けぼっくいに火が点くことになるかなと、どうも納得がいかなかった。作者はこれで三連続、本賞の最終選考に残っており、文章や物語展開もそのつどよくなっていっている。ただ、登場人物の魅力がどうしても薄い気がする。恋愛に焦点を当てず、たとえば一度目に最終選考に残った作品(『パーティ』)のテーマを深めてみるのはいかがだろう。小説への情熱は強く感じるので、ご自身の内面にある「物語りたいこと」に耳を傾け、それを表現するにふさわしい登場人物たちとはどんな人間なのかを、じっくりと思い描いてみていただきたい。登場人物が「いいひと」である必要はまったくないが、物語りたいことの肝を伝えるためには、読者がある程度の共感や理解を抱ける人物像にすることが、とても重要になってくると思う。
『くたばれ地下アイドル』は、ラストで主人公が「内田くん」と関係を持ち、なんてことない会話でブツッと終わるのがいいなと感じた(ラストの会話へのさりげない伏線が、前半にあってもいい気はするが)。ただ、地下アイドルや音楽を扱った作品なのに、出てくるミュージシャンの名や主人公の言葉づかい(「イカした」など)が微妙に「いま」じゃない感じがして、読んでいてちょっと混乱した。冒頭部分、主人公の女子高生が自意識を爆発させているあたりも、まどろっこしい。いまふうの若者とは一線を画した「わたし」、という説明なのだろうし、そういった「わたし」の自意識が、作中に出てくる音楽のセレクトにも通じているのだと思うが、本作に関していえば、「わたしは孤高(と、さらりと描写。間を置かず)→内田くんと出会う」と、導入部の展開をサクサク進めたほうが鮮烈な印象になるはずだ。
『ルーさん』は、全体に改行が少なくて読みにくいし、家の間取りや時間経過を描写する手さばきに難がある。だが、シェルターのような「家」での女三人の暮らしが、とても魅力的に描かれていた。問題はラストだ。それまで、「私」も「ルーさん」も女性を愛する女性だとはほのめかしてもいないのに、ルーさんが若くて美人だと判明したとたん、同じ布団に入り額にキスするのは唐突だ。しかもルーさんは、性的暴力によって深く傷ついているひとなのだ。いや、相手に事情があってもなくても、性的指向がどうであっても、いきなり布団に入ってキスしちゃまずいだろう。同性を愛するひとをバカにしているとも受け取られかねないびっくり展開なので、この取ってつけたようなラストの流れを変えることを強く提案する。ほんの少しの加筆修正で、作品に対する印象がかなり変わると思う。ただ、作品と文章に静かに満ちている熱量、作者のなかに物語の「芽」があるらしい気配を感じたので、私は本作を推した。
 今回の最終候補作に共通して言えるのは、「登場人物の魅力」について、もう少し考える余地があるということだ。作品をより深く的確に読者の心に届けるために、作者が全力で想像し練りあげたほうがいいポイントのひとつだと思う。