女による女のためのR-18文学賞

新潮社

選評

第20回R-18文学賞 
選評―辻村深月氏

「何もない」と闘ういとおしさ

辻村深月

『あのこの・あのこと』。一体どうなるのか、と最後まで惹きつけられ、非常に面白く読んだのですが、一方で著者の狙いが分かりやすすぎ、主人公にとって都合のいい展開に終始したと感じました。推しのアイドルの妊娠と卒業は確かに痛みを伴う事実でしょうが、彼女が主人公のやっていたSNSに言及してくれることは彼にとって僥倖であり、苦い喜びでもあるはず。その後、「間違えてきたフックを掛け直そうとする」ラストまで含めて主人公主観の行動であり、その向こうに「生きた他者」である相手の存在を感じられませんでした。ただ非常に「読ませる」吸引力がある小説なので、テーマを一つ(今回で言えば生理)に限定せず、「相手」にさまざまな角度から厚みを持たせることができたなら、もっと奥行きのある作品になったと思います。
『悪い癖』。主人公の過去を語るのに、家をリフォームする生活感を間に挟んでいるのが上手で、「値切れるんじゃないかな」の会話のやりとりなども気が利いていて好み。しみじみと楽しく読んできたものの、ラストの一文の意図をはかりかね、非常に戸惑いました。主人公の年齢を最後に明らかにするという叙述の仕掛けとしての狙いがもしあったのだとしたら、そこに意味が出すぎてしまうのは、この作品にとってはマイナスに感じます。主人公がコンノに家を残そうと考えていることの意図も純粋な善意ではないと思えるのですが、そこに主人公と著者がどこまで自覚的なのか判断がつかず、結果としてラストに余韻を見出せませんでした。
『スターチス』。設定とそれを使ってやりたいことはよくわかるものの、あまりにも「テーマありきの設定」に感じられてしまったのが残念です。小説における特殊な世界設定は、結論ありきではなく、「こういう世界になったからこそどうなるのか」という実験装置としての入口の強さのようなものがなければ作品全体が崩壊してしまう。性教育以外の世界の成り立ちも甘く、ほんの少しでいいので、この世界の政治や経済が、この価値観だからこそどうなっているのかという土台がどこかにしっかり見えたなら、評価が全然違うものになったかもしれません。ただ、こうした設定を思いつき、そこに挑む著者が楽しみながら作品を構築しているのが伝わり、この作風はこれからも大事にしてほしいです。
『アイスと白蛇』。主人公の親友の彼氏への、「実は」という恋心やラスト近くにそれを認める流れなどがとても好き。ただ、その直後に泣いて謝ってしまうお母さんの行動や、父親の存在感の希薄さ、それを受け入れながら突き放している瞳さんの行動に既視感があり、全体的に登場人物が紋切り型。描写や構成にはいいところが多々あるものの、展開やキャラクターの魅力がそこにまだ追いついていないと感じました。
『水たまりのできる場所』。タイトルにある「水たまりのできる場所」は晴れている日には気づかないというテーマが、作中の、過度に重過ぎず、からっとした雰囲気によく合っていて、好感を持ちました。ただ、だからこそ、料理の様子などはもっと丁寧に描写した方が、より他が際立ったのに! と残念です。会話のよい部分に対し、「ケケケ」という笑い方や「トマト」をめぐるユーモアなどがやや上滑りしている感じがあり、もっとしっくりくる何かが、あと少しで掴めそうなのに……と、もどかしさがありました。
 大賞を受賞した一作以外は、その作品をデビュー作にするのは、その著者のためにならないのではないか、という判断です。どの作品も光る部分があるものの、それぞれの著者の持ち味を生かした、デビュー作にふさわしい小説がきっとこの先に書かれるはずだと信じています。
 そんな中、唯一、この一作でもう完成されていると感じたのが『ありがとう西武大津店』でした。
 2020年8月末に閉店した実在のデパートに「一夏を捧げた」中学生二人の物語。感傷的になりすぎることなく、淡々と「デパートから中継されるローカル番組に毎日映りこむ」ことに挑戦する友人と、それを見守る主人公の姿に、それがデパートでなくても、自分が人生のどこかで別れてきた「どこか」「何か」の記憶が共鳴します。「この夏だからこそ何かをしたい」という彼女たちの決意が、コロナ禍の影を感じさせつつも、けれど、中学生の日々は常に、自分に「何もない」ことと格闘する日々であることにも気づかされ、普遍的な青春時代の「何もない」と闘う彼女たちの記録がたまらなくいとおしい。かつ、この感覚は実は大人であっても現代の私たちが多かれ少なかれ只中に持つものだとも感じ、だからこそ作中の成瀬の一見たわいないように見える挑戦がこんなにも眩しいのでしょう。言葉選びのセンスもよく、力のある著者だと感じます。これからのご活躍を心から楽しみにしています。
 さて、これまで十年かかわってきたR-18文学賞の選考も今回で最後。三浦しをんさんと二人で、候補作を間に挟んで語り合う時間は、毎回、とても楽しかったです。
「女による女のための」と冠したR-18文学賞。この十年、毎回、その時だからこそ書かれた「闘い」が、どの作品にもありました。それぞれの日常を生きる登場人物が大きな「何か」に流されまいと必死にしがみつく葛藤や叫び、些細に見えてしまいがちだけれども大事な違和感。それらを描いたたくさんの著者が「作家になっていく」軌跡を目の当たりにできたことを幸せに思います。
 この賞だからこそ書ける小説や思いが必ずあります。選考から離れても、次の十年も新たな小説がR-18文学賞から生まれ、それを読めることを楽しみにしております。