選評
第21回R-18文学賞
選評―柚木麻子氏
総じてレベルがめちゃくちゃ高い
初めて選考をつとめさせていただきますが、全作品、レベルの高さに本当に驚きました。
受賞はルール上一作品となりますが、私はいずれの作品にも高評価をつけました。その差はごくわずかなものと思っています。今回、受賞に至らなかったみなさん、いずれも、ほんの少しのアップデートで、プロとしておおいに活躍できるレベルの方だと思います。自分が何度も応募に落ちてきたから声を大にして言いたいのですが、書き続けていただくことを心から望みます。
「わらいもん」 受賞作品との評価の差は僅かです。ひらがなの使い方、街の描写、物語の運びのたくみさに、どこか田辺聖子作品を思い出させるほどの、きらめきと普遍性を感じました。キャラクターの魅力や会話の軽妙さも忘れられず、すぐにでもベストセラーを出せる、多くの読み手に愛される天性の資質の持ち主だと感じました。
ニシダが考えた「まぎ〈わ〉らしい」も女子高生が考えたネタとして無理がない上、ちゃんと面白い。反面、焼きバタの魅力や本番のネタの笑いどころが読者に伝わりにくいようにも思います。細部までのリアリティに目が行き届けば、さらに完成度は上がると思いますが、大きな欠点ではありません。
「救われてんじゃねえよ」 読んだ瞬間、これが受賞作だとすぐにわかりました。我々の想像力の限界をナイフでメッタ刺しにするような切迫感があり、私がこれまで一度も読んだことのない物語だからです。ニュースを読んで思いを馳せたその先にある景色を、においや色などの細かなディテールで一気に浮かび上がらせる力が凄まじい。簡単には救われない、その代わりに簡単な絶望もない。メディアで知る悲劇は当事者にとってはただの日常であることを、強く認識させてくれました。母親を支える時に人という字の形にさえなれない描写は圧巻です。
物語の持つ暗さはむしろ現状に希望を見出せない人への肯定になると思いました。セーフティネットからこぼれおちそうな家族を描くことで、女性が受ける抑圧と現代社会の課題をつまびらかにしている。R-18文学賞にもっともふさわしい作品であると判断しました。受賞、心よりおめでとうございます。
「ユスリカ」 たぶん、この物語の真価がわかるのは今から十年後と思います。主人公には恋人も塚原くんの姿も終盤まで正しく見えていません。それは、モテる主人公の贅沢なモラトリアムであるともとれるでしょう。しかし、全てはマスクで顔を半分隠していて、においもお互いの気配も希薄、さらに距離をとって接しているからなのです。コロナ禍での、もやもやけぶったような人間関係や空気を、ここまで正確に言語化していることは、書き手として尊敬に値します。
無数の選択肢の前で立ち尽くす、主人公の心と身体のピントをピタッと合わせてくれる、きららという存在が俄然せり出してくる展開は見事です。塚原くんのずるさを通して見えてくるきららの強さ、主人公との連帯の可能性が、私はたまらなく好きです。であればこそ、きららをもう少し早く登場させ活躍させても良かったのではないでしょうか。でも、ぼんやりと定まらない男達のパートをもっと削り、きららとの日常からの逃亡劇の方をこの精密さでもっと読みたかったなと思わせるのは、欠点というよりも作者の意図が成功している証だとも思うのです。
「海のふち」 何度も推敲したことがわかる、研磨されつくした宝石のような物語で、作者が書くことにいかに真剣で、命を注いでいるか、ひしひしと伝わりました。子を失った女性と脱獄犯の行きがかり上の同居、というやや荒唐無稽な展開も違和感なく飲み込ませる手腕は素晴らしいと思いますし、骨の味わいやざらつきがごく自然に伝わって来る描写も優れています。欠点はそぎ落とされ、入念にふるいにかけられています。だからこそ、もしかすると、その真摯さによって、作者の個性や情熱までそぎ落とされてしまって、美しくまとまりすぎてしまったのかな、とも思うのです。
この物語を何度か読み返すと、文章も構成も巧みで一見そうとわからないのですが、展開のスピーディーさや奇想天外さ、ぶっとんだ部分、読者へのサービス精神の豊かさに気がつきます。もしかすると、それこそが、作者の個性なのかもしれない。作者の描くべきは、淡いグラデーションからなる一色の織物ではなく、読者の光も影をも照らし出す、ミラーボールのように多面体でダイナミックな物語なのかもしれません。
「いい人じゃない」 コロナ禍を生きる私に、最も欲しているものを与えてくれた、苦いけれど豊かな味わいの物語であると思いました。「いい人じゃない」誰かとの、楽しくて尽きない会話。信頼には値しないけれど、何故か芯を喰っている励まし。美味しくないのに居心地がいい喫茶店みたいです。私だけではなく誰もが、遠山さんとの時間が今一番必要なのではないか。読者は、ああ、こういった人間関係で救われた部分がかつてはあったんだよなあ、と愛おしく、懐かしく思うのではないでしょうか。
いわゆる「面白い女」が好きな元夫が、「面白い女」が面白くなくなった瞬間の残酷ぶりも、クズ男のバリエーションが広がったようで、読んでいてわくわくしました。であればこそ、美沙のキャラクターが古典的なのが惜しい気がします。一見穏やかなフレネミー女性には既視感があります。美沙と元夫との浮気によって、「面白い女」が面白くなくなったらどうでもよくなる、という元夫の個性が削られてしまった上、比較対象にある美沙の凡庸のせいで、遠山さんのきらめくような悪さにも翳りが生まれたように思います。作者の苦さも生きる充実も伝わってくる文章にふさわしい、複雑な旨味あるキャラクターを作り出すことが、課題であると思います。