選評
第23回R-18文学賞
選評―窪美澄氏
闘いの軌跡を読ませてもらった

●『君の無様はとるにたらない』
一番に推した作品だった。先を読みたいというわくわくした感じをいちばん強く感じた。
「じゃらじゃらと遊んであげればいいのに」「(黒柳)徹子に託せば問題ない」「何か調べるたびに、定食の漬物のようにエロが入りこむ」など、文章のおかしみが随所にあって飽きない。この手練れ感、こなれ感はどう考えても何かの賞をもらう前の書き手とは思えない。
「あの女に。毎月五万。やっていた」おばあちゃんの話から物語が転がっていく様もめちゃくちゃにうまい。会話文もリズミカルで不自然ではなく、ラブホのシーンなどは映画「ひなぎく」を連想したりもした。ラストの長台詞もよかったと思う。
あえて言うのなら、例えばラブホや最後のパン屋さんなど、それに関する描写をもっと読みたい気持ちが残った。
●『褪せる』
本名すら知らない皮膜がかかったような人間関係を描いて、読み終わったあとにタイトルの『褪せる』が強い余韻を残す作品だった。とはいえ、この主人公、無店舗型の店のヘルス嬢であるから、ホテルからホテルに動いているはずで、よっちゃんとの食事シーンとか、ラブホのシーンもあるのに、主人公が(つまり物語が)「動いている」感じがあまりしなくて、そこが非常にもったいないと思った。誰が、何者かもわからないのがこの作品の魅力でもあるのだけれど、それでも主人公、よっちゃん、灰田さんの人物像にもう一歩迫って描いてもよかったのではないか。例えば、よっちゃんがメンヘラ気味の主人公に冷たくするシーンなど、ここはもっと描いてほしかったし、読みたいと思った。
●『西瓜婆』
37さんは、みな(名前?)さん、でいいのだろうか? 女性の皆さん? ん? と目が止まってしまうところもあったが、文章力の高さ、作品としてのまとまりは最終選考の作品のなかでいちばんだと思った。
妊娠、出産、子育てにおいて女性が受けがちな言動、それがうまく小説の地の文にならされていると思った。ただ、これが「女性あるある」というか、今、小説で読んでみると、すでに言い古されているという感じも多少受けた。とはいえ、ブラジャーのシーンとか、「わたしがずっと行使せずに生きてきた、産み出す能力についての話」に帰着していくのはスムーズで大変にうまい。最後まで大賞を争った作品であった。
●『これをもって、私の初恋とします』
最終的に初恋の人(ネアンデル)が大久保さんだったのか、少しわかりにくく、全体的に高い熱を維持しておもしろい作品であったのに、そこがとてももったいない、と感じた。
「最低限のハードルで、最高の恋をする」という、そのプロセスが、物語づくりにも通じ、読み手を飽きさせない工夫が随所にあった。「こんな偶然、在りうるかな?」と投げておいてからの伏線回収も巧みだが、ラストシーンがやや急展開すぎたかも、という疑問も残った。主人公の初恋を描く前半パート、飲み会から始まる後半のパートを、この枚数で描ききるには、少し窮屈な感じも受けた。そのどちらもよかっただけに。特にラストシーン、ネアンデルの話をしているときの、大久保さんの感情の動きとか、主人公の一人称で描いているので書きにくかったのかもしれないが、そこをもっと読んでみたいと感じた。
●『姉妹じまい』
派手さはないのだけれど、とにかくうまい書き手である。文章は端正、会話文も自然で、大きな欠点はない。「誰かに傷つけられた」という一方向の力関係を描くのではなく、姪と暮らすことで過去の姉との関係も氷解していくという、その過程がとても丁寧に描かれていた。それを『姉妹じまい』というタイトルにしたのもとても上手い。
あえて、あえて言うのであれば、塗り絵の線の内側を綺麗な色ではみ出さないように塗っていった作品、という印象も受けた。小説は、どこか一箇所でも破綻している、破綻していく、そんなはらはらした予感が大きな魅力になることもあると思う。はみだすことを怖がらず、時には自分では制御不能になるような文章、場面があってもいいのではないか。勇気が必要なことかもしれないが、そういう熱の放出が、この書き手の新たな作品の大きな魅力になるような気がしてならない。
●『息子の自立』
このテーマで描く、と決めた書き手の胆力、勇気にまず拍手を送りたい。
「障碍のある息子の性処理をする」という事実を耳にしたことはあっても、私を含め、その先、その詳細を知らない方も多いのではないかと思う。けれど、この作品において、主人公である息子の母は顔色ひとつ変えない。徹頭徹尾、このテーマをウェットに描かない、と決めたこの心の強さはいったいどこから来るのか。
登場人物たちが、日々のなかで導き出した結論(宣言ともとれる)が「育児ではなく介護である」「きっぱりわりきって過ごしてきた」「看護師の仕事とさほど変わらない」。ドライに描いているが、それを読めば読むほど、追い詰められた現実が浮き上がってくる。
ASD(自閉スペクトラム症)とスペクトラムに関する文章が少し説明的になってしまったのは、残念な気がしたが、それでも、「彼を幽霊にしていたのはじぶんかもしれない」、そして、透明な存在になっている誰かを可視化する、というこの作品のテーマは十分に響いた。連作短編で読みたいと思える作品だった。
六作品とも、そのレベルの高さに驚かされた。どの作品も書き手が闘っている。その軌跡を作品として見せてもらった。ただ、ひとつ言うのであれば、今回、最終選考に残った作品は、『姉妹じまい』以外、登場人物がどこにいるのか、小説の「現場」がどこなのかが今ひとつわかりにくかった。分量の問題があるので、すべてを書く必要はないが、書かずとも設定しておく、という作業は必要なのではないか。登場人物たちが今、どこで生きているのか。季節、住んでいる場所、吸っている空気、見える空の色……。そういう描写があれば小説の奥行きというものがぐっと深まるのではないかと思った。