ホーム > 書籍詳細:天と地の守り人―第二部 カンバル王国編―

国の存亡を賭け、バルサとチャグムの旅が始まる。戦いながら進む彼らの運命は! 怒濤の第二部。〈特別鼎談〉を各巻末に完全収録。

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天と地の守り人―第二部 カンバル王国編―

上橋菜穂子/著

637円(税込)

本の仕様

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発売日:2011/06/01

読み仮名 テントチノモリビトダイニブカンバルオウコクヘン
シリーズ名 新潮文庫
発行形態 文庫
判型 新潮文庫
ISBN 978-4-10-130281-2
C-CODE 0193
整理番号 う-18-10
ジャンル SF・ホラー・ファンタジー
定価 637円

再び共に旅することになったバルサとチャグム。かつてバルサに守られて生き延びた幼い少年は、苦難の中で、まぶしい脱皮を遂げていく。バルサの故郷カンバルの、美しくも厳しい自然。すでに王国の奥深くを蝕んでいた陰謀。そして、草兵として、最前線に駆り出されてしまったタンダが気づく異変の前兆──迫り来る危難のなか、道を切り拓こうとする彼らの運命は。狂瀾怒濤の第二部。

著者プロフィール

上橋菜穂子 ウエハシ・ナホコ

1962(昭和37)年東京生れ。川村学園女子大学特任教授。オーストラリアの先住民族アボリジニを研究中。著書に、『狐笛のかなた』(野間児童文芸賞)の他に、『精霊の守り人』(野間児童文芸新人賞、産経児童出版文化賞、バチェルダー賞)、『闇の守り人』(日本児童文学者協会賞)、『夢の守り人』(路傍の石文学賞)、『神の守り人』(小学館児童出版文化賞)、『天と地の守り人』、『虚空の旅人』、『蒼路の旅人』、『流れ行く者』、『炎路を行く者』、『「守り人」のすべて』、『獣の奏者』、『物語ること、生きること』、『隣のアボリジニ』、『鹿の王』(本屋大賞、日本医療小説大賞)などがある。2002(平成14)年「守り人」シリーズで巖谷小波文芸賞受賞。2014年国際アンデルセン賞作家賞受賞。

上橋菜穂子 公式サイト 木漏れ陽のもとで (外部リンク)

目次

序章 雪の峰が輝くとき

第一章 カンバルへ
1 護衛の知恵
2 ティカ・ウル〈逆さ狩り〉
3 待ち伏せ
4 イーハンの文
5 故郷の調べ
6 内通者の正体
第二章 ナユグのざわめき
1 聖導師の死
2 草兵の日々
3 魂の飛翔
4 精霊たちの婚礼
5 異変の前兆
第三章 カンバルに潜む陰謀
1 裏切りの裏側
2 かぼそい道
3 ラダール王の憂鬱
4 タルシュの王子たち
第四章 皇太子の誇り
1 夜の岩山
2 牧童の家で
3 ホイ(捨て荷)
4 地の底の海原
終章 アラム・ライ・ラ
[鼎談2]「物語」の紡ぎ方 荻原規子/佐藤多佳子/上橋菜穂子

インタビュー/対談/エッセイ

[『天と地の守り人』三部作刊行特別鼎談]
「天」の視点と「地」の視点

荻原規子佐藤多佳子上橋菜穂子

「守り人シリーズ」完結編の刊行にあたり、荻原規子さん、佐藤多佳子さんをお招きし、鼎談を行いました。予定した三月十二日は前日に東日本大震災が起きたため、四月一日に延期。奇しくもこの時だからこそ、改めて感じた「物語づくり」について、大いに語り合っていただきました――

全ては繋がっている

佐藤 地震から三週間が過ぎ、今日こうして無事に顔を合わせることができて、本当によかった! あの日、二人はどこにいました?
上橋 私は、茨城の利根町図書館で、カウンターに本を返却した瞬間、地震がきて、書架から本が落ち、職員さんと一緒に外に飛び出しました。電話も一切通じなくなり、車を運転して帰る間も大きな余震は続くし、信号は全部消えている。家の瓦屋根が落ちていたり、神社の灯籠がひっくり返っていたり。本当に恐かった。
荻原 私は自宅にいて、震度五弱だったけれど、そんなに大きな地震には感じなかったんです。飲み物がこぼれるかな……と見つめていたくらい。テレビを点けたら、あまりの惨状で、ニュースに見入ってしまいました。
佐藤 関東でも、場所によって、ずいぶん違うよね。私は、娘と一緒にテーブルの下に潜って、必死で踏ん張っている感じでした。それから間もなく、上橋さんから無事を確認するメールがパソコンに届き、翌日の鼎談を中止しようということに。
上橋 お二人からのメールで無事がわかって、もう本当にほっとした!
佐藤 中止の提案があったとき、私はまだ未曾有の大災害になるとは予想もしなくて、いち早く察知した上橋さんは、何かそういうアンテナがあるのかなと思いましたよ。
荻原 確かに、上橋さんから「これは大災害になるから備えた方がいいと思う」というメールが届き、私は買いだしに出かけました(笑)。その時は、まだ水も電池も手に入りましたから、とても助かりました。
上橋 私は臆病者なんだと思います(笑)。あのとき、遠い宮城県が震源なのに、関東地方の電気が消え電話も通じないという現実が恐かった。あらゆることが連動して起きてくる予感がして。物事を個別のことだけで考えられない性格のせいかも。
佐藤 つまり、全てが繋がっているという考え方なのかな。
上橋 そうですね。中学校の頃、私はこの世界のすべてがたくさんの糸で繋がって動いているようなイメージがある、と友達に話したことがあります。
佐藤 それは、身近で起きたことばかりではなく、もっと大きなことを常に意識している感じ? 人類学者としての素養のようなものなのかな?
上橋 もともとそういう考え方が子供の頃からあったから、人類学者になりたいと思ったんでしょうね。つまり自分の生活もこの地球の裏側の生活も、たとえば石や虫も全部関わっているという感覚。ある意味、物事は一つだけではなく連鎖反応で動いているような感じを、いつも持っているんです。
佐藤 なるほど。それは、上橋さんの全作品に関わってきますね。
上橋 確かに、書いている時も、その感覚はあるかもしれない。
荻原 上橋作品の一番特徴的な点かもしれないですね。だから、このシリーズも、ナユグ(異世界)とサグ(この世)二つの世界がリンクしながら物事が動いてしまうということでしょう。
上橋 そうそう、関連して動いている。しかも、その関連が目には見えない。自分が感知していることの向こう側に、実はたくさんのことが動いている感覚があるの。
荻原 人間の予想や望みを超えて、非人間的に動いていく感じがよく出ている。ナユグの世界のつくり方は、御都合主義なところがなくて、誰の意のままにもならない別世界が、きちんと描かれている気がするのね。
佐藤 我々の目には決して見えないもの、現実にはありえない出来事のお話は、一般的には「ファンタジー」というジャンルに分類されるけれど、それを文字にしていくためには、どういうリアルさを自分の中に持っているのかな。
上橋 今、見えているもの以外の「世界」があることをリアルに感じるのを「ファンタジー」だというのかもしれない。でもね、それが当たり前の現実だと思っている人たちは世界中にいるし、とくに、ちょっと前の時代では、それはすごくリアルな感覚だったような気がするのです。日本人の生活でも、あの世とか他界とか異界とかを常に意識してきたわけだし。
荻原 その感覚は、わかる気がする。明治以降、西洋文明が入ってきてから、それらを排除し始めただけで、それまでの長い間、お化けは当たり前にそこにいたわけだし。
上橋 そうそう、何かがあると、お狐さんのせいじゃないかというような感じ。曖昧模糊とした感覚が、生活の傍にいつもあったと思う。
荻原 すごく民俗学的な考え方ですよね。
上橋 そう。でも、学問というレベルでなくても、私には自然な感覚でもあったの。
荻原 違和感がなかったということね。
上橋 おじいちゃんが、狐に化かされて帰ってくるという話とかも聞いて育っていたから(笑)。
荻原 そういう話を豊かだと感じるところに、日本におけるファンタジーの復権があるのではないでしょうか。
上橋 「現実」をどう捉えるか、ということには、これが唯一絶対である、という観方はありませんよね。私が学んできた人類学では、実に多様な世界観をもつ人々と生々しく出会っていきますから、私にとっては、異世界を描いたら、即、「絵空事のファンタジー」という感覚はまったくないんです。
 でも、私は別に、人には見えないものが見える訳ではありませんよ。霊感ないし、お化けは見えないし(笑)。ただ、私にとっては、見えないから、それは現実ではない、という感覚はないんです。バルサは自分に見えないことは、ある、とは言い切らない人だけどね(笑)。
佐藤 なるほど。バルサとタンダとチャグムというのは、まさにその「見える」段階がそれぞれ違う。グラデーションになっていますよね。
 荻原さんの作品にも、「説明のつかない不思議な大きな力」というものが出てきますね。主人公とか主要登場人物が特別な力を持っていて、それを抱えながら、どうやって世の中や人と関わっていくか、という物語が。
荻原 たぶん、根本的な部分は上橋さんと同じ考え方なんだと思います。ただ、私の作品の場合は、一人の人格の中で起きている。
 この宇宙はカオスでできているけど、その中に、コスモスという、初めがあって終わりがある整合性をつけた世界が欲しくて、お話を考えているという気がしています。負い切れない力を負ってしまって四苦八苦する主人公というのは、ある意味、誰もが子供から大人になるときに経験していること。自我よりも大きなものを手に入れようとして、足掻くときが必ずある。けれど、それは、みんながやっていることだよ、ということを書いているのかもしれない。
佐藤 むしろ個人なんだね。人間というか。
荻原 私は、個人を見ていて、上橋さんはもっと社会システムのからくりに向かって書いている気がします。

物語の始まり

上橋 人はそれぞれインナーワールドが違うにもかかわらず、何かを納得するために生み出していくお話は、意外なほど似ている。なぜ、それぞれ個性を持っているはずの大勢の人間たちが、同じような「物語」で世界の事象を納得するのかということに興味があるんです。その一方で、そういう「物語」は完全に同じではない。そういうことを考えるものだから、物語が個人だけでなく大きな世界に動いていってしまうのだと思う。一つの民族は同じ神話を共有し、違う民族は違う神話をもつ。チャグムという旅人がそれに出会いながら、そういう多様な世界観に出会っていくのを見ているような感覚が、私にはあるのかもしれない。
荻原 つまり、天の視点。
上橋 でも歩いているのはチャグムだから、天ではないけれどね。
荻原 天の視点から、カメラが急にズームインしてチャグムになったり、同じ分量で敵方にもズームインするところが特徴的ですね。チャグムを特別扱いしない。チャグムにも他の王子にも同じぐらい筆をさく。
佐藤 それが上橋さんが言うところの、全部が連動して繋がっている、ということなのでしょうね。
上橋 例えば時計の中を見ると、精密な構造の歯車の連動が気持ちがいいよね。でも、時計の歯車は、世界を語るには、私にはシステマティック過ぎるの。この世はたしかに見事なまでに緻密で正確だけど、もっと流動的な、あるいは煙の動きのようなもので出来ている感覚がある。
荻原 もっと水のような。
上橋 そういえば繰り返し見る夢があって、すごく透明な水の底にいるの。そして上を見上げると、透明な水面が見えて、その向こうに空が見える。たとえようもなく美しいけど、ものすごく怖い。だから、果てのないくらい透明な水っていうのが、私の肌感覚の中にもあるんじゃないかな。
荻原 やはりナユグがあるんだ。すごい。
上橋 いえいえ(笑)、そういう感覚って、一人一人がみんな持っているんじゃないかしら。例えば音でも、この音と音の交わりの瞬間が、他の人には大したことじゃないのに、自分には異様なほどの意味をもつとか。
佐藤 私は、不思議な夢は時々見るけど、すごく現実的な夢をよく見る。目が覚めてから、腹が立つくらい、ばかばかしいものとか。やってもやってもできないとか、生活レベルのくだらないところにいっぱい引っかかって生きている。
上橋 くだらないと言いながら、佐藤さん、そこにものすごく細かく目を留めているよね。普通の人は気がつかないところも見えていて、表現できる人なんだよね。
荻原 佐藤さんの文章は、くどくなくて、ズバッと本質を突くの。たくさん見えているものの中からピンポイントで選択してくる感覚。
上橋 そうそう! その選び方がまた見事なんだよね。一番大切なものに、ぴしっと焦点が合っているから、ドキッとするんだろうな。そもそも日常生活って、納得するような形にはならないじゃない。それなのに、佐藤さんの作品は、魔法を見せられているような心地よさを感じるのが不思議なんだ。
荻原 佐藤さんは、ドラマチックなものを書きたいとは思っていないですよね。
佐藤 ドラマチックな筋立てを使わずにドラマにしたいというヒネた野望が(笑)。私の場合、ほとんどが一人称で書いていることもあり、上橋さんが言っていた天の目というのはないですね。ほとんど主人公の目で見たもの、感じたことというところから絶対はみ出さないようにしています。その他の情報は表には出さないけれど、天の目で他の状況を整理していないとやはり書けないじゃない。一人称で書いていても、それを考えるのがすごく大変。でも、上橋さんは、一人を考えると、周りが見えて、感覚が繋がっていくのでしょう。
上橋 そうですね。子供の頃、自分が生きているこの世界そのものがとても怖かった。友達とか親とか、一人一人と顔を合わせていられる、そういう間柄は安心できるのだけれども、「世の中全体」となると、果てのない巨大な何かが蠢いている感覚があって怖かったの。泣いても喚いても許してくれない途轍もない力が働いているような。それがいったい何であるのかを知りたい気持ちが強かった。だから心理学よりは人類学や社会学の方に興味が行ったんだと思う。
佐藤 なるほど。子供時代に感じた世界の大きさというのは、私もよくわかります。
上橋 そう。大きいの! 人が為すことにはすべて、自分では気づけないほど巨大な何かが影響している、とか、自分の意思とは別の何かに動かされてしまっている部分があるとか。それは人だけじゃなくて、風もそうだし星も虫もそうだし。人は決して、自らが生きている世界のすべてを捉えることはできなくて、私たちが認知することすらできぬ大きな何かが、私たちの世界を支えているのかもしれない、とかね。だから、一人の話を書きながら、向こう側の大きなものに関わる話になっていくのだと思う。
佐藤 上橋作品を語る上では、すごく大事なことだね。
荻原 一人称では絶対に書けない内容。
上橋 あ、そうか! だから、大きなシリーズを書き終わると、一人称のものが初めて書けるのかもね。短編だったら一人の視点に戻ることができるわけで、愛の話とか恋の話も書ける。そういう物語は一人称の方が向いているしね。
佐藤 荻原さんも大きな世界を書く人だけれども、でも感覚は違うのではないかと。
荻原 きっと私は、天の視点は書かない人なんだろうなと思う。
佐藤 荻原さんにとって、大きな作品世界をつくっていくときの感じって、どういうものなのか聞きたいのですが。
荻原 物語の背景は、できるだけ地平の広いものとして回っていってほしい。でも、個人にはそれが全部見えるわけではないので、見える部分だけ書けばいいというか。
上橋 でも、『空色勾玉』から始まって、壮大な天と地が両方現れてくるような大きさの話だと思うけどな。決して小さなお話じゃないよね。
佐藤 うん、そう思う。作品的には、大きいものだと思うけど。
上橋 もしかしたら、等身大の例えば女の子なら女の子自身にとって、とてもリアルな神話っていうものを描いているような感覚なのかな。
荻原 上橋さんは人類学に行ったけれども、私はきっと深層心理学が好きなタイプ。人の内側に全員いるんじゃないかという気がずっとしているんです。
佐藤 主人公の気持ちをずっと掘り下げて、追いかけていくと、世界が広がっていく感じなのかな。
荻原 そうなのかも。言い換えると、人ともう一人が関わっただけで、結局全世界と同じぐらいの広さのものに繋がってしまうという、気分かな。
佐藤 確かに! 人と人とのかかわりの深さが荻原さんの作品の素晴らしさですよね。
上橋 作品を書く視点は、これほど違うものなのですね。面白い!

 *全文は、『天と地の守り人』三部作各巻末に分載。本記事は〈第一部〉収録の[鼎談1]より、上橋菜穂子氏が抜粋し、編集したものです。

(おぎわら・のりこ 作家)
(さとう・たかこ 作家)
(うえはし・なほこ 作家)
波 2011年6月号より


『天と地の守り人』(新潮文庫)
女用心棒バルサは、大海原に身を投じたチャグムを探す旅へ。果たして、再会は叶うのか。そして、二人を待ち受ける「別れ」と「帰還」――十余年の時をかけて紡がれた大河物語、胸うつ最終幕!

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