三陸鉄道南リアス線

 今回は自社メディアの宣伝をさせていただきます。小社には「@バンチ」という月刊コミック誌があります。来月10月から三陸鉄道を題材とした連載が始まります。「東日本大震災の記録」マンガ版ということになります。予告編では「マンガ版は三陸鉄道にスポットライトを当て、未曾有の災害に立ち向かう人間たちの熱いドラマを描く」と謳っております。本誌には「ドキュメント 乗客の証言」のページでタイトル通り地震発生時三陸鉄道の列車に乗っていた乗客の証言を掲載しておりますが、マンガでは乗客はもちろんのこと、乗務員をはじめ三陸鉄道の人たちが「あの時」何を考え、どう行動したのかをドキュメントドラマとして描こうという構想です。
 9月21日発売の「@バンチ」11月号では、その予告編が掲載されています。その一部をここに紹介させていただきます。

 小石浜の次は綾里。この2つの駅の間にはかつて白浜海岸という臨時駅が夏の間だけ開設されていた。綾里湾の湾奥に位置する白浜海岸は、明治29年の明治三陸津波で津波遡上最高記録(38.2m)を残した。小さな半島の付け根を津波が両岸から襲い、津波同士がぶつかったという。被害戸数296戸、溺死1350人と石碑に刻まれている。

三陸鉄道南リアス線 <投稿日:2011年07月19日>

 南リアス線を訪れた5月2日、沿線は心地よい春の日差しが降り注いでいた。三陸駅のホームから見る越喜来湾(おきらいわん)の静かな碧さが目にしみた。この海が突然どす黒いヨダ(三陸沿岸では津波をこう呼ぶらしい)となって陸地を襲った。作家高山文彦氏はヨダについてこう解説する。「怪物でも呼ぶようなこの言いかたは、津波というものがまるで別世界のものではなく、つねに身近に存在する恐ろしいものとしてとらえられていたことを教えている」(『オール讀物』平成23年5月号)
 三陸駅は難を逃れたが、同じ越喜来湾を望む甫嶺(ほれい)駅はよだの餌食になった。ホームは残ったが線路・路盤はずたずた。東大地震研究所の津波調査地点ともなり、15.5mの記録を残した。

三陸鉄道南リアス線 <投稿日:2011年07月14日>

 すでに2区間で運転再開をしている北リアス線とは違い、未だ全線で運休が続いている。「トンネルを出ると津波被害」が南リアス線の状況。全線至る所で寸断されている。ホーム下の駅事務所が浸水した釜石から2駅目の唐丹。奥州藤原氏の唐との密貿易を起源とする説もある地名らしい。
 唐丹駅は唐丹湾に面して、道路を隔ててすぐ前が海。地形からするとひとたまりもない感じがある。しかし、駅前の自動販売機等は流出したようだが、ホーム、待合室などはほぼ無事。われわれが訪れた時は、瓦礫が多少残っている程度だった。

三陸鉄道南リアス線 <投稿日:2011年07月11日>

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