2011年08月

 今回は内容紹介の番外編、関東大震災で大きな被害を受けた横浜市電の写真を紹介します。これも前回紹介をした『大正十二年 鉄道震害調査書』(鉄道省)に掲載された写真ですが、最後の1枚以外は「地図帳」でも「写真サイト」でもご紹介できなかった写真です。横浜は東京と同様、地震後の火災による被害が甚大でしたが、震源域に近いこともあり、瀧頭車庫や馬車道の様子から、地震そのものの被害も大きかったことがわかります。写真の説明文は内田宗治氏にお願いしました。

<投稿日:2011年08月29日>

 内容紹介の3回目は特別企画「関東大震災と鉄道」です。地図帳p44~45には大正12年の地図、p46~47には内田宗治氏執筆による記事を掲載しています。地図と記事の作成にあたり参考にした1冊として、当時の鉄道省が残した『大正十二年 鉄道震害調査書』という本があります。非売品です。

<投稿日:2011年08月25日>

 前回の地図につづいて「被災路線駅名一覧」をご紹介します。この表は日本鉄道旅行地図帳で駅名一覧として作成した表に、駅の標高、震災後の開通日、各駅各区間の状況を加えた表です。ただし駅名の変遷は割愛しました。
 1路線につき数点の写真も掲載しています。


<投稿日:2011年08月22日>

 日本鉄道旅行地図帳「東日本大震災の記録」が8月24日(水)発売になります。これまでこのブログで取材記と写真を公開してまいりましたが、いよいよ「地図帳」が全国の書店で発売になります。その内容をいくつかご紹介いたします。


<投稿日:2011年08月18日>

 JR東日本は3月末にこの大震災で流失した23駅を発表した。鹿折唐桑駅はその23駅に含まれていない。確かに駅舎は残り、ホームもある。駅舎には少なくとも6台の自家用車が突っ込み、待合室はぐちゃぐちゃ、ガラスも割れて粉々だった。片付け清掃だけで元の姿に復元できるだろうか。

大船渡線 <投稿日:2011年08月15日>

 陸前高田の一駅気仙沼寄りにあるのが竹駒。陸前高田から2.9km。ほぼ気仙川に沿っている。小さな待合室はかろうじて残っているが、中は瓦礫が入り込んでぐちゃぐちゃだった。今回の地震津波で全壊、半壊した駅の中でも、もっとも海から離れているのではないか。気仙川が広田湾にそそぐ河口からも約3km、津波はこの竹駒駅だけではなく、周辺の家屋を押し流しながら、さらに上流の気仙川橋梁までも押し流した。

大船渡線 <投稿日:2011年08月11日>

 陸前高田に向かう車の中で、身構えている自分に気づいた。この東日本大震災でも南三陸町と並んで被害が大きかった陸前高田市。新聞テレビの報道でも、この2つの町の名前を見ない日はなかった。空からの映像・写真を何度も見た。何度見ても胸を突かれる光景だった。そして、平らになってしまった高田の町を目にして、言いようのない喪失感が身体を支配した。

大船渡線 <投稿日:2011年08月08日>

 小友から陸前高田方面に向かう。山田線や三陸鉄道南リアス線よりも、大船渡線の被害は大きいように思う。被害がなくてホッとする場所がほとんどないのだ。広田湾を望む「両替」地区でも線路は激しく破壊され、柵のように立ち上がっていた。さらに進むと緩やかな傾斜地にでた。どう表現したらよいのか? 全体が津波でぐちゃぐちゃになり、ここを横断する大船渡線の線路は、線路を目で追えないほど破壊されていた。再開する日が本当に来るのだろうか、とこの日1日で何度も思ってしまった。

大船渡線 <投稿日:2011年08月04日>

 三陸鉄道南リアス線(3)で紹介した綾里は、明治三陸津波で津波同士がぶつかるという惨事があり、大量の死者行方不明者を出した。東日本大震災では大船渡線小友駅がある広田半島の付け根で津波同士がぶつかった。大船渡線はこの広田半島の付け根を横断する。現地は水が引いた沼地のようになっていた。築堤はかろうじて判別できるものの、線路が完全に消失しているところもある。

大船渡線 <投稿日:2011年08月01日>

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